◆豊かな心を育て 平成 29 年 1 月 31 日 12 号 芦屋市立山手中学校 校長 花 尾 / 学校目標「豊かな心を育て 学校目標「豊かな心を育て 確かな学力 たくましい体力を身 たくましい体力を身につける」 ~ 一人ひとりを大事に 居場所のある学校 ~ 重点目標 「素直・反省・感謝の心を持った山中生」 1,17追悼集会 震災から22年。今年も1月17日がやってきました。忘れてはいけない「阪神・ 淡路大震災」の教訓、そして、「東日本大震災」の教訓を基に、「命の大切さ」「命 を守る」「支え合って生きる」ことの重要性を再確認。「南海トラフ地震への備え と心構え」について阪神教育事務所防災教育推進員 山下大樹先生のご講演から追 悼集会で学びました。先生から「自助・共助・公助」が大切ですとのことでした。 震災の基本行動は、どこにいても、どのような状況でも、「落ちてこない・倒れ 「落ちてこない・倒れ てこない・移動してこない」場所を見つけ、 素早く身を寄せて安全を確保すること。 場所 そして安全行動としては、セェークアウト(姿勢を低く・頭を守り・動かない) セェークアウト(姿勢を低く・頭を守り・動かない)す セェークアウト(姿勢を低く・頭を守り・動かない) ることが大切です。 感想文から ・南海トラフ地震は87%の確率で起きるということを知って、すごく怖かったで す。また、標高10mを超えて、2号線のところまで行けばいいとわかったので良 かったです。また、地域の人との関わりも大切だと知って普段からあいさつを心が けようと思います。 ・私が大切だと感じたことは、備えを十分にすることだ。何かあったときのことを 常に考えておくようにする。今、私は、母が用意しているか、していないかさえも 分からないので帰ったら確認しようと思う。 ・自助、共助はとても大切だなと思いました。まずは自分の身は自分で守る。そし て自分の安全の確保ができれば人を助けに行くことが大事だと僕は思いました。 ・今日の震災のお話で、備えることの大切さを知りました。南海トラフのようにい つ起こるか分からないからと、準備をしないで起った時に後悔するのではなく、最 初からいつでも避難できる状態にしておかないといけないと思った。 ・今の世代は地震経験がないので、お互いの確認はスマホでしたら良いと思ってい ました。地震直後はネット、電気が使えない=通話できません。なので、家に帰っ たら避難場所を改めて確認したいと思いました。 ・震災の話を聞いて改めて地震の怖さや周りの人たちと協力し合って生きていく大 切さを感じることができました。 ・今回の話を聞いて、一番初めに思ったことは「助けられる側から助ける側になっ たんだ」ということです。小学校のときは高学年なってからもどこか先生がやって くれる。先生が何とかしてくれると思っていました。でも、東日本大震災のとき、 中学生が保育園の園児たちを助けたというのを見て、改めて中学生になって助ける 側になったんだと思いなおしました。 震災時 震災時の山手中学校は!(50周年記念誌より) 山手中学校は!(50周年記念誌より) ・平成7年1月17日5時46分阪神淡路大震災は、山手中学校へも多大な悲し みをもたらしました。全校生徒591名のうち、3年生女子生徒1名、1年生男子 1名が犠牲になり、全校が深い悲しみに包まれました。山手中学校のシンボルであ る「白い塔」は崩れ、今にも倒壊しそうな姿になりました。その後、5,6階部分 が落下する心配がありましたので解体撤去されました。4期校舎は、1階~4階に かけて割れ、使用できない教室も出てきました。グラウンドは、南西から北東にか けて亀裂が入り、パックリと大地が開いていました。各教室の机、椅子はほとんど 倒れ、図書室も一歩も入れないほど散乱していました。中央ホールの高さ 2,5m程 の壁は倒れ、日中ここで多くの生徒が談笑していることを思うと背筋が凍る思いで した。電話は不通、水道、ガス、電気は、市内同様に通じていませんでした。教員 も、通勤経路が絶たれた者、家屋が損壊した者、負傷した者等で全員が集合できま せんでした。校内点検が進められている時、被災された地域住民の方が次々と格技 室に避難されました。夕方には、避難された人たちで隙間がないほどになりました。 そして、三条小学校と合同で避難所が開設され、教員も交代で泊まり込み、支援物 資配布、避難者掌握、対策本部との連絡を主に担うことになりました。 同時に、全校生徒の安否確認という教師本来の仕事も始まりました。 2月2日から授業を再開しました。77%の生徒が登校してきました。 3月13日、第48回卒業式を体育館で無事終了しました。 平成8年度に入っても、格技室は地域の方の避難所として、引き続き利用して頂 きました。そして、5月の連休の頃、全員自宅や仮設住宅等に移っていかれ、避難 所としての役割を終了しました。 一方、本校のグラウンドの南半分を仮設住宅用地として提供しました。2月16 日に着工し、3月26日完成し、被災住民に提供しました。住宅戸数は、55戸。 当初、1年の約束でしたが、住宅建設の進捗状況の遅れもあり、2年間提供する ことになりました。 平成9年3月31日に完全復旧して変換されました。その間、体育大会は、県立 芦屋南高等学校のグラウンドを借りて2回開催いたしました。 カルタ会 カルタ会 新春かるた会が行われ、今年もお琴の演奏で雰囲気を盛り上げてくれました。 3年生 優勝 3年3組 802枚 2年生 優勝 2年5組 2年5組 勝ちポイント 7 1年生 優勝 1年5組 勝ちポイント 7 3年 カルタ会風景
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