万・巻3-446~448(歌碑めぐり19)

うら
とこよ
12
平成二九年
タ イ ト ル の 「 よ ろ ず は 」 は 、「 万 葉 」
を訓 読 み した も ので す 。
①福禅寺対潮楼の石垣下
一月号
②福山市鞆の浦歴史民俗資料館前
歌碑めぐり
とも
③ 医 王 寺 境 内
よ ろ ずは
わ ぎ も こ
39
17
19
18
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③磯の上に根這ふむろの木見し人をいづらと問
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巻は
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七
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〇
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四
四
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四
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東 京 都 文 京 区 小 日 向 二 丁 目 にあ る高 台 は、通 称 「久 世 山 」といい
見た妻は今はもういない。
ろう
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。 かしんで詠 まれたのでしょう 。
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こ
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あり、右 の万 葉 歌 を刻 んだ石
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犬 養 孝 氏 の揮 毫 にきよごる
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る万 葉 歌 碑 を 揮 毫 され ていま す が 、この歌 碑 が 第 一 号 にあ たり ま
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す 。昭 和 年 (一 九 六 七 )、犬 養 氏 の還 暦 と百 回 目 の大 阪 大 学 万 葉
一
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。の「むろの木 」(ネズ・ネズミサシ、ハイネズ)を 、帰
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旅 行 との節 目 を記 念 して、全 国 の教 え 子 によって建
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れています 。除 幕 式 では 黛 敏 郎 氏 の作 曲 「萬 葉 歌 碑 のう た」が披
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露 され、現 在 も 歌 い継 がれています 。碑 に込 められた願 いや名 曲 と
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相 まって、明 日 香 村 で広 く 愛 されている歌 碑 です 。【万 葉 古 代 学 係 】
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良。
いです ね。
【万 葉 古 代 学 係 】
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歴歌
史碑
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42
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