熊 本 県 立 大 学 文 学 部 紀 要 第 15 巻 2009 holiday.`に対しては

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熊 本 県 立 大 学 文 学 部 紀 要 第 15 巻
2009
holiday.’に対しては聞き手は‘(Thanks.)I will.’のように応じることが可能で
あり、この場合には「楽しい休暇を過ごす」‘You have a nice holiday.’という
事態成立のための意識的努力が話し手によって要請され、聞き手もまた(3b)の
命令文をそのように受け止めていることが窺知されよう。これから出立しよう
とする者に向かって発せられる「行ってらっしゃい」
「気をつけて」
「お大事に」
「元
気で(やれ)」――こうした言い回しには他者の無事息災を願う話し手の気持が
躍如として感じられるが、それは「わたし」(=話し手)にとって渝らぬ「あな
た」(=聞き手)であることを希求する話し手の切なる思いの現われであり、こ
の対人的関係の維持・保全への意志がそこには働いているように思われる。「こ
れまでのごとく、この先もあれかし」と相互の関係の全きことを「そうあるべき」
=「当為的」事態として話し手は庶幾するのである 5)。(3c)の‘Sleep well.’も
また本来、他者に対する気遣いの表明であり、「たくさん召し上がれ」とも同じ
く相手の健康・息災を当為的事態と見なし、相手の参与する人的関係が恙なく
維持されることを期待する話し手の真情の発露と見ることができよう。そうし
た関係を保持する上で欠くことのできない要件として‘You get well.’/‘You
sleep well.’という事態を話し手は希求するのである。なるほど論者たちの言う
通り、それらは通常、「当人の自力で左右できることではない」事態には違いな
いけれども、敢えてそれを希求し、そのような事態が成立するよう可及的に相
手の主体的努力を要請するほどに当該事態の成立が不可欠なのであって、(3a)
‘Get well soon.’
「早くよくなって」に籠められたこのような切々たる願いを云
為することはあながち不当ではあるまい。以上のように考察を進めることが妥
当であるならば、(3)の命令文にも厳然として「行為の要請」は存在すると言わ
なければならない。
これとは逆に、氏の言う「呪詛的願望」は他者との一切の人的関係の杜絶を
相手に期待するものであり、「相手が滅び去る」ことを妥当的事態として話し手
が希求する旨が表明される:
(4)‘Despair, and die!’
氏は(4)について「despair することも、die すること(kill oneself < 自殺する
> なら別だが)も、どちらも本人の意志で左右できることではない」(p. 89)と
述べ、したがって、この命令文は「行為の要請ではなくて、呪詛的願望である」
と結論するのであるが、そのように「しかるべき」事態として希求される「お
前が絶望して死ぬ」‘You despair, and die.’という事態はそれが「妥当」=「当