(歴史展)(PDF:1622KB)

地域資源発掘型実証プログラム事業
月3日
(金)
2
∼12日(日)
午前9時∼午後5時
2017年
(2月6日
(月)
は休館)
清瀬市郷土博物館
2F市民文化センターギャラリー
入場
無料
〒204-0013 東京都清瀬市上清戸2-6-41 Tel.042-493-8585
目指せ!世界医療文化遺産「世界を結核から守る KIYOSE」
「亡国病」といわれた結核
結核は古い病気だ。エジプトのミイラにも痕
跡がある。結核は肺だけでなく様々な部位で
感染し、例えば脊椎ならば脊椎カリエスとな
る。ミイラから見つかったのもこの痕跡であ
る。日本では明治以降に患者が急増、日本の
近代のあゆみに大きな影響を与えた病気の
一つであろう。結核による死亡者数は、第一
回目のピークを迎えた大正7年(1918年)に
は、14万747人にものぼった。昭和になると日
本人の死因の1位にもなった。この重大な事
態の中、当時の結核は治療薬もなく不治の病
であり、向き合うには「大気・安静・栄養」が唯
一の方法だったことから、東京府は雑木林の
広がる清瀬の地に結核療養所を建てること
を計画する。白いペストといわれた結核の療
養所が来るということで、村民の反対もあっ
たが、伝染病対策の重要性もあり、ついに昭
和6年(1931年)東京府立清瀬病院が開設さ
れた。すると他の療養所も次々に開設され、
清瀬は結核療養のまちとして知られるように
なる。やがてストレプトマイシンなどの薬が普
及してくると結核は治る病気になる。結核療
養所は一般病院に転換し、現在も病院街を
形成している。
▲ロベルト・コッホ
▲結核菌の顕微鏡写真
結核と闘った人々
ロベルト・コッホは、遺伝病と考えられていた
結核を伝染病ではないかと疑った。難関を一
つ一つ克服し、ついに明治15年(1882年)に
結核菌を発見する。コッホが発見した結核菌
とは、
多くの文学者・芸術家も闘ってきた。
『風
立ちぬ』
を書いた堀辰雄、
俳人正岡子規、
珠玉
のピアノ曲を作曲したショパン、画家のモディ
リアーニも若くして結核で亡くなっている。
、
戦
後の文壇に登場した名文家、幸田文は自身こ
そ結核ではなかったが、その作品『おとうと』
は、
この時代の肺結核の診察や、
医師、
一般の
人びとの結核に対する考え方を知るうえで貴
重な作品である。
清瀬で療養した文学者たち
▲結核予防啓発ポスター
▲フレデリック・ショパン
(1810-1849)
▲正岡子規(1867-1902)
▲樋口一葉(1872-1896)
▲結核研究所での国際研修
結 核と闘った著名人はもちろん清瀬にもい
た。作家吉行淳之介は清瀬で入院中、
『驟雨』
が芥川賞を受賞したことをベッドの上で知っ
た。福永武彦も清瀬で療養しており、
『 草の
花』は「東京郊外K村」が舞台となっている。
「遠く病めば銀河は長し清瀬村」の句を詠ん
だ俳人、石田波郷は国立東京療養所に1年8
か月ほど入院していた。その後退院するが、
最
後はまた清瀬の病院で生涯を閉じる。石田波
郷は、病床で詠んだ句をまとめた『惜命』や、
随筆集『清瀬村』などを著しているほか、清瀬
中学校の校歌を作詞。
清瀬市では彼をたたえ、
毎年
「石田波郷俳句大会」
が開かれている。
関連イベントにも是非ご参加ください!
(無料・150名様限定) 日帰りモニターツアー
講演会
「清瀬と結核の関わり」
島尾忠男氏を講師に迎えて、結核の歴史から現在の清瀬の
取り組みまで、
幅広くお話を伺える絶好の機会です。
貸切バスを使って清瀬市内の結核関連施設や
「清瀬 結核
の歴史展」
を見学します。
日時/2017年2月12日
(日)午前10時∼12時
会場/清瀬市生涯学習センター7階 アミューホール
〒204-0021 東京都清瀬市元町1-2-11 Tel.042-495-7001
旅行期間/①2017年2月4日
(土)
申込み方法/フェイスブックのエントリー画面
よりお申込みください。
申込み方法/フェイスブックのエントリー画面
よりお申込みください。
世界を結核から守るまち清瀬 検索
②
2月8日
(水)
旅行代金/0円
(無料) 募集人員/各日30名
世界を結核から守るまち清瀬 検索
▲清瀬市の航空写真
運営主体:世界を結核から守るまちKIYOSE協議会 協力:NPO団体まちづくり清瀬、公益財団法人結核予防会/結核研究所/複十字病院、東京病院、清瀬市
※本事業は東京都の「地域資源発掘型実証プログラム事業」の取組の一環として実施しています。
結核療養のまちの過去と現在
昭和6年(1931年)に府立清瀬病院が開設さ
れたのを皮切りに、ベトレヘムの園、信愛会秋
津保養農園、上宮教会清瀬療園、傷痍軍人東
京療養所、救世軍清瀬療養園、清瀬保養園な
ど次々に開設されていった。
また、昭和18年(1943年)には、結 核研 究所
が清瀬に移転してくる。こうして世界一の療養
所群が出来ていき、多い時には5千人が入所し
ていた。療養所としてはスイスのダボスが知ら
れているが、この清瀬のようなまちは世界に例
がない。
*
いまや結 核は過 去の 病 気と考えられがちだ
が、残念ながら患者はまだまだ少なくない。世
界でいま、新たな患者が一年間に960万人、そ
の80%は結 核高負担国と呼ばれる国が多い
アフリカ・アジアで発生している。結核研究所
では毎年国際研修が行なわれ、発展途上国を
はじめとした世界の国々から集まったドクター
が清瀬で研修を受けている。
日本国内でも一日50人が発病、一日6人が結
核で命を落としている現実がある。薬に抵抗
をもつ結 核菌もあり、結 核との闘いは今も続
いている。
▲武蔵野の雑木林
▲かつて
「清瀬結核村」と呼ばれた療養所の病院街(昭和54年ごろ) イラスト:小野寺ふみ
▲「ここに清瀬病院ありき」の石碑
(清瀬中央公園内)
▲石田波郷の碑
▲保存の外気舎記念館(東京病院内)
脳脊髄膜炎
咽頭結核
リンパ節炎
脊推カリエス
肺結核
▲大気日光療法
「旧富士見高原療養所 資料館」より
胸膜炎
▲東京療養所の外科病棟※
腎結核
腸結核
性器結核
▲東京療養所での手術の様子※
▲東京療養所の外気舎※ ※『回顧20年̶国立療養所のあゆみ』より ▲結核菌の感染部位
→志木
〒204-0013 東京都清瀬市上清戸2-6-41 Tel.042-493-8585
アクセス/西武池袋線
「清瀬駅」
北口より徒歩約10分または「清瀬駅」より北口バス乗り場1番より
乗車、
「郷土博物館入口」
下車徒歩約1分
郷土博物館
けやき通り
休館日/毎週月曜日
←東村山
2F市民文化センターギャラリー
ギャラリー開場時間
午前9時∼午後5時
小金井街道
清瀬市郷土博物館
郷土博物館東
郵便局
郵便局前
←秋津
上清戸一丁目
北口
志木街道
清瀬駅
↓武蔵小金井
東久留米→