消費生活センターだより(PDF:1.2MB)

第
回
南海線「泉佐野」駅前
☎469-2240
相談受付
午前9時∼
午後4時30分
いずみさの
昔 と今
見守リリー▶
相談はお早めに
センターへ!
!
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者は信用できるのか?
︻解説︼ インターネットで、業
者名・サイト名や電話番号を検
索 す る と﹁ ト ラ ブ ル 解 決 ﹂
﹁返
金交渉可﹂
﹁被害金を取り戻す﹂
などと掲げる調査・探偵会社や
行政書士事務所など多くの広告
サイトが、上位に表示されます。
しかし、法律により探偵業者
は﹁調査﹂のみ、
行政書士は﹁書
類 作 成 ﹂ 業 務 し か で き ま せ ん。
直接解約・返金交渉ができるの
は、代理権を委任できる弁護士
や司法書士だけです。相談者に
は﹁探偵業者には、地元の消費
パソコンやスマホなどの普及
により、ネット広告に起因する
生 活 セ ン タ ー に 相 談 し た の で。
トラブルが増加しています。
契約はしない﹂と申し出るよう
︻事例︼ スマホで無料のアダル
助言しました。一旦お金を払っ
ト動画を見ていた。年齢確認後、 てしまうと﹁既に調査済み﹂な
再 生 ボ タ ン を 押 す と﹁ 登 録 完
どと言い、返金に応じないケー
了﹂と表示され 万円の請求画
スが出ています。
面 が 出 た。
﹁ 誤 操 作 の 方 は こ ち ︻トラブルに遭わないために︼
らの電話番号へ﹂とあり、慌て
S N S な ど で、 突 然 送 ら れ
て電話をかけたら﹁利用規約に
て く る ア ダ ル ト 料 金 の 請 求 や、
記載している。3日以内に支払
年齢確認の認証を押しただけ
わないと身辺調査後、少額裁判
の 契 約 は 無 効 で す。 絶 対 に 連
を起こす﹂と言われた。驚いた
絡せず無視しましょう!
相談者は、インターネットで業
検索サイトなどで﹁簡単に解
者名を検索すると、トラブル解
決する﹂と掲げているトラブル
決を掲げるサイトが多数表示さ
解決サイトは、すぐに信用しな
れた。早速連絡すると﹁あなた
いで慎重に確認しましょう。
の個人情報が既に業者に伝わっ
消費生活センターの名称に
ている。勤務先もわかる。 万
似ているサイトに注意しま
円ですぐ調査し、誰にも知られ
しょう!
ずに解決できる﹂と説明された。
公的機関が解決費用を請求
高 額 だ っ た が 依 頼 し た。 翌 日、 する事はありません。
契約書が届きトラブル解決業者
が探偵業者だと判った。この業
広報いずみさの 平成29年1月号
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内の寺社造営の取り組みは豊臣
家蔵入地が豊臣家の重要な基盤
であったことから行われたと考
えられます。慶長 ︵1614︶
年 に 方 広 寺 鐘 銘︵ し ょ う め い ︶
事件をきっかけに、大坂冬の陣、
翌年に大坂夏の陣が起こり、淀
殿・豊臣秀頼は自害し、豊臣家
は滅亡しました。しかし、豊臣
家によって再建された大井関大
明神と慈眼院は、現在もその姿
を見ることができます。
入館料 無料
入館料
無料
▶日根神社
(入館は午後4時30分まで)
アダルトサイトの
二次被害トラブルにご注意を!
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レイクアルスタープラザ・
カワサキ歴史館いずみさの
☎469-7140 Fax469-7141
休館日 休館日
月曜日、祝日(祝日
が月曜日の場合はその翌日、
日曜日の場合はその翌々日)
開館時間
午前9時∼午後5時
﹁豊臣家による寺社造営﹂
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が、
南北朝時代の文和︵ぶんな︶
豊臣政権や豊臣家による寺社
造営は、秀吉時代に延暦寺や金
2︵1353︶年、兵火で罹災
剛峰寺、本願寺、醍醐寺などの
し、さらに大井関大明神と慈眼
造営がすすめられ、これを秀頼
院 は、 天 正 ︵ 1 5 8 5︶ 年、
が継承する形で展開していきま
秀吉の根来攻めで兵火にかかり
した。範囲は、
山城・大和・近江・
焼失し、一時衰退しました。そ
伊勢・尾張・紀伊さらに出雲の
の後、大井関大明神は、慶長5
諸国の広範囲に及びますが、そ ︵ 1 6 0 0︶ 年、 豊 臣 秀 頼 が 吉
の後、次第に領地のある摂津・
田半左衛門を遣わして社殿を再
河内・和泉を中心に営まれるよ
建し、慈眼院はその二年後の慶
うに変化していきました。慶長
長7︵1602︶年に再建が行
3︵1598︶年から開始され
われました。大井関大明神の社
た造営は百近くにのぼります
殿の南側には、慶長5年の石塔
が、そのほとんどは再建か修理
が現存しています。
であり、摂津・河内・和泉の寺
1600年、関ヶ原の戦いに
社造営は領国経営の一環として
よ り 秀 頼 は 摂 津・ 河 内・ 和 泉
行われ、日根野にある大井関大
3ヵ国を領する 万石の大名に
明神︵日根神社︶と慈眼院の再
なりましたが、豊臣家は徳川配
建も行われました。
下の大名ではなく、独立した立
場にありました。長年、豊臣家
大井関大明神は、日根造︵ひ
ねのみやつこ︶の祖先神を祀る
による寺社造営は家康が豊臣家
神社であったとされ、和泉五社
の財力をそぐために、淀殿︵よ
の一つで、この地の灌漑の拠点
どどの︶をけしかけて多くの寺
であり、中世には日根荘の惣社
社再興を行わせたとされていま
として崇敬を集めました。慈眼
したが、家康の側近が豊臣家の
院は天武天皇の勅願所︵ちょく
寺社復興に不信を抱いていた記
がんしょ︶として創建され、天
録があります。豊臣家の寺社再
平年間に聖武天皇の勅願所とな
造営は豊臣の権威がいまだ健在
り、嵯峨天皇の時、二年間空海
で あ る こ と を 世 に 示 す 狙 い と、
が住んで一山を整備しました
大井関大明神や慈眼院など領国
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