Page 1 62 「国家と社会ー制度論的アプローチをめぐって」 目 次 はじめに

論
説
﹁国家と社会
目 次
はじめに
国家論的視座
1 国家の自律性
2 国家の機能
二 制度論的視座
晶織難
1
敏
光
制度論的アプローチをめぐってL
新
川
て
噺
奴
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国
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3 福祉国家の危機
4 制度関係論アプローチ
三 国家内分析
1 国家行為の統一性
2 官僚制
3 政治的リーダーシップ
むすびにかえて
は じ め に
ステイティズムを始めとする制度論的アプローチが、昨今アメリカ政治学の中で脚光を浴びている。ステイティ
ズムといっても、論者間の相違は決して小さいものではなく、一つの教義に還元することは甚だ困難であるが、そ
の共通点として国家の社会からの独立性、国家活動・構造の社会過程への規定性を強調することが挙げられる。こ
れは言うまでもなく、多元主義論者が国家と社会の対立・対抗関係を軽視し、国家に替え政府という概念を専ら使
︵1︶
用し、政府を社会的政治的アクター達のバーゲニングの場として概念化することへのアンチ・テーゼである。また
こうしたステイティスト達とは別個に、国家と労働・資本との制度的︵権力︶関係を政策発展の主な規定要因と考
64
える者達がいる。例えばピーター・ホールは、国家を統一的アクターと見なすことは国家内過程を再びブラック・
ボックス化することになる、民主的体制下での国家の独立性はステイティズムが想定するほど大きいものではない
と論じ、より関係論的な制度論的アプローチを提唱する︵一山帥=噂一⑩oO①曽Hα1一刈︶。
こうした国家論や制度論のアメリカ政治学における台頭には、幾つかの理由が考えられる。第一に、ミリバンド、
プーランツァス、オコナーといったネオ・マルクス主義者の業績が一九七〇年代以降、主流ではないにせよ基礎知
識として広く政治学教育のなかに組み込まれ、若手研究者のなかで国家論、政治経済学的アプローチへの関心が高
まったことが挙げられる。彼らはマルクス主義の諸命題 生産力と生産諸関係の矛盾、利潤率低下の法則、資本
主義の不可避的崩壊等々 を受入れることはないが、明らかにネオ・マルクス主義者の議論に影響を受けている
︵9田F一⑩Q。90。ぎB2°①3r一り○。Gn噛。けρ︶。第二に、一九七〇年代中葉に始まるコーポラティズム・ルネッサンス
の影響が考えられる。コーポラティズム論を通じて国家の役割、とりわけ所得政策等の経済政策への関心が高まっ
た。またコーポラティズム論は、マルクス主義者と非マルクス主義者との間に共通の議論の場を提供し、両者の交
流がますます政治経済学的関心を高めることになった。第三に、クロス・ナショナルな数量分析の影響が考えられ
る。ウィレンスキーの↓ぎミ側雷鳶のミ書§織史§、§︵一㊤刈窃︶は、いわゆる﹁政治は重要か?﹂論争︵昏①α①99
0﹃.oo一三8目舞①﹁鴇..︶を巻き起こした。この論争では、社会政策、福祉国家発展と政府の構成︵保守政権か社民
政権か︶、労働の組織権力といった構造的、制度的要因との関係が関心の的になった︵909目①﹁。戸一⑩刈◎。旧9誓一。ρ
一⑩◎。押O霧二Φω俸ζ6鉱三四望噛一Φ刈り曽飽9乏一冠霧ξ曽卑⇔rμりQ。9卑ρ︶。またキャメロン、シュミット等の研究は、経
済危機克服のためにコーポラティズムの構造的前提条件が決定的に重要である点を示唆した︵9目Φ﹁。P一り゜。介
の畠巳α戸目㊤◎。N俸HΦ゜。ρΦ9曹︶。こうした数量分析は、より小規模かつ記述的なレベルでの比較制度論的アプローチ
と相互補完的に発展してきた︵鼻Oo一α906ρ一㊤゜。会uコ。;°。[Φ旦簿巴‘一り゜。食国⇔9①諺琶戸一㊤゜。野゜貫︶。
さらに、現実に先進諸国において公共経済が拡大の一途を辿っていたことや一九七〇年代の国際システムの流動
賦
π
川
噺
︵2︶
国家の経済活動、経済の政治への規定性と言った諸テーマの再検討を促し、多元主義モデルの諸命題︵政治的場と
を高めることになったのである︵90。轟ωoレ㊤◎。○。誌涛o°。①pβ・戸6Q。◎。bN︶。これらの具体的諸問題が、経済と政治、
ムの諸ルール﹂を覆し、各国に新たな競争秩序の模索を強いた。パックス・アメリカーナの終焉は、各国家の役割
性が、こうした学問的トレンドの背景にある。一九七〇年代初頭のブレトン・ウッズ体制の崩壊は、従来の﹁ゲー
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ト
筆者なりの実証研究に向けたモデル構成、仮説の整理を試みることを目的としている。言うまでもなく、こうした
のための理論的序説として位置づけられる。
モデルは現実の説明能力によってその妥当性を問われるわけであり、本稿は筆者が現在準備を進めている実証研究
本稿は制度論の網羅的紹介を目的とするものではなく、ステイティズム等の制度論の主要論点を検討しながら、
るがすことになった。
しての国家あるいは政府、政治と経済との分離、経済的アクターの政治分野での特権的地位の否定︶の妥当性を揺
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1
一 国家論的視座
国家の自律性
始めに触れたように、国家概念がアメリカ政治学に再導入される契機となったのは、ネオ.マルクス主義者の目
︵3︶
覚ましい活躍である。彼らの理論的活動は多岐に渡り、その詳細な紹介は到底筆者の力の及ぶところではない。ス
︵4︶
テイティズムとの関連において、ここでは最小限ネオ・マルクス主義者の業績に触れることにする。
伝統的マルクス主義においては、国家は支配階級の道具とみなされる。こうした道具主義観を代表するドムホフ
は、アメリカに特定の支配階級は存在しないという多元主義者の仮説を批判し、政府においてビジネス.マンや企
業弁護士の利益がいかに優遇されているかを指摘し、国家は成功した企業家や弁護士といった支配エリートの利益
を守る道具であると主張する︵一︶。ヨげ。盈一Φ①刈︶。いうまでもなく、この場合国家に自律性はない。こうした道具
主義の代表とプーランツァスに見なされたのが、↓ぎ惣ミ鳴§9ミ讐箕⑦竃画§︵一り①㊤︶における、、、リバンドであっ
た。ミリバンドは、現代西欧社会においても生産手段を所有、コントロールする支配階級が存在し、支配階級は政
党、軍隊、大学、メディアといった強力な諸制度と密接な関係を持ち、国家装置のあらゆるレベルで、とりわけ中
枢レベルで、不相応に代表されていると論ずる。こうした国家の偏向は、ミリバンドによれば、国家官僚がビジネ
ス・エリートと社会的バックグラウンドを同じくし、利害、イデオロギー的志向を共有する傾向があるためと考え
られる︵7自一一一げ帥目ユ噂一り①㊤層HNQol㊤︶。
ミリバンドは単純な道旦ぐ王義者ではない。彼は、国家が効果的統治のためには支配階級諸派から独立し、時とし
て資本家階級の短期的利害に反する政策を打ち出すことも指摘している。しかし彼の議論が資本家と国家官吏との
川
噺
ア.イデオロギーの罠に陥るため、好ましいものではない︵勺Oロ一鋤口一N曽ω゜昌りΦ⑩曽①Φ︶。個人は単にシステムの要請、
ない。そもそもこうした問いに直接答えようとするのは、分析を実体論、行動論のレベルに限定するというブルジョ
スにとって、誰が統治するか、国家官僚と資本家階級との具体的繋がりはどうなっているかということは問題では
実体的繋がりを強調するものであったため、構造主義者プーランツァスの批判を浴びることになる。プーランツァ
π
⋮機能を担うにすぎない。重要なのは、個人の行動ではなく、それを規定するシステムの要請、構造である。つまり、
賦
控
国家とブルジョア階級との関係は客観的構造から説明されるべきものであって、具体的な人的繋がりは、本質的に
力
いかなる重要性も持たない。ブルジョアジーの利害が国家によって代表されるのは、システムの要請に基づく構造
プーランツァスの議論は、日常的言語感覚からいって論理的一貫性を欠く。彼は国家に一定の自律性を認めると
に他ならず、これは彼ら自身の権力ではなく実は階級権力の発現である︵﹁Oロ一帥目けN⇔ω噂H㊤、N鮎W曽ωωαー①︶。
るという構造的規定性を超越することはできない。第二に、一に直接関連し、国家官僚の権力とは﹁国家機能遂行﹂
本一般に奉仕することが可能になる。しかし、国家の自律性は相対的なものに止まる。第一に、国家は資本に仕え
求することになる。国家は、支配階級から自律性を獲得することによってのみ、個々の資本家の利害を超越し、資
支配階級が分裂し資本一般の利益を実現するのが困難なため、国家は支配階級から独立し、資本一般の利益を追
的なものであって、彼らの直接的影響力によるものではない︵勺Oロ一”昌一NOω゜H⑩①⑩”刈ω︶。
艀
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暦
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言いながら、他方ではすべての権力は階級権力であると言い、国家は﹁階級関係の凝縮﹂であるという。この凝縮
︵体︶がいかにして自律的に権力を行使しうるのか、プーランツァスの難解な言い回しをもってしても、説得的な
回答を提示しえていない。結局プーランツァスの﹁相対的自律性﹂論は、国家は個々の資本家に﹁実体的に﹂仕え
るのではなく、資本一般に奉仕するというものであって、国家の自律性は皮相なものにすぎない。自律性に今少し
の実質性を持たせるとすれば、国家がその自律性を濫用する可能性が生まれる。この場合、相対的自律性の定式は、
結束した支配階級の存在を前提にすることになる。つまり、国家がその自律性を濫用した場合、支配階級はこれに
効果的に対応しうると想定しなければ、﹁相対的自律性﹂論にいう相対性は意味をなさない。この論理は結局、階
級意識を持つ支配階級もしくはその一部の存在を要請することになり、道具主義の洗練された焼き直しにすぎなく
なる︵団二〇6犀り一⑩刈刈゜り︶。
ステイティズムはこうした﹁社会中心﹂の理論に対して﹁国家中心﹂の理論を提示する︵Z。﹁α=⇒σq①5一㊤Q。ご
閑﹁霧ロ①﹁﹄り◎。介国く雪ρ①一”一二同り゜。㎝︶。すなわち、社会︵勢力︶が国家を規定する側面ではなく、国家が社会を統制.
再編する過程が関心の的となる。彼らが拠って立つのは、マルクスではなくウェーバーである。
﹁或る地域内における支配団体の存立とその効力とが、行政スタッフによる物理的強制の使用とおよび威嚇に
よって永続的に保証されているかぎりにおいて、この支配団体は﹃政治団体﹄と呼ばれる。政治的強制団体の経
営は、その行政スタッフが秩序の実施のための正当な物理的強制の独占を有効に要求する限りにおいて、﹃国家﹄
と呼ばれる﹂︵ウェーバー、清水訳、一九七二、八八︶。
こうした﹁正当な物理的強制の独占﹂が国家の自律性の根拠であり、国家は政府以上のものとして概念化される。
国家は﹁政治体制内での市民社会と公的権威との諸関係を組織化するだけでなく、市民社会内の多くの重要な関係
を組織化する永続的な行政、法、官僚、強制システム﹂︵°り9忘戸μり刈Q。”×邑である。国家、もしくは国家官僚の自
律的権力という仮説は、発展途上の権威主義体制の分析において威力を発揮している︵90。ぎ。宕rH⑩刈ρ゜り90国戸
貿
川
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般的合意は見られない。
性を理論的に擁護したが︵7﹁O﹁亘一一昌簡四①﹁糟H㊤◎◎一︶、ステイティスト達の実証研究の中では、国家の自律性に関する一
ない非現実的仮定であるという批判もある︵=帥=つ一⑩○○①゜一刈︶。ノードリンガーは民主主義体制における国家の自律
一㊤刈Q。旧↓二目σ①﹁°qΦ﹁°同㊤刈゜。噂卑ρ︶。しかしこうした国家の﹁絶対的﹂自律性は、民主主義体制においては殆ど見られ
賦
ステイティズムの標準的教科書、切§偽§鴫↓ミの融融bむ働暮ミの巻頭論文において、スコチポルは、統一的アクター
り自律的であるか否かの一般的傾向を見出しうるにせよ、自律性の本当の意味するところは、その国の歴史的文脈
的な構造的特徴ではなく﹁来たり去りゆく﹂ものであるという。彼女によれば、比較研究のなかで、ある国家がよ
化、一般的仮説の提出を避ける︵国≦ロω゜①3一゜﹂㊤◎。9ω㎝α1①㊤︶。例えばスコチポル自身、﹁国家の自律性﹂は固定
る︵国く睾ρ幻器ω9①臼①巻5鱒のぎε。一゜一り゜。9ωα①︶。ステイティストは、歴史的文脈の重要性を強調し、理論的体系
的であるか否かは、国家構造、国家と社会との関係、国際環境等に拠ると語り、まさに竜頭蛇尾の結論となってい
いているわけではない。結局、編者達の巻末論文では、﹁国家は自律的アクターであるかもしれない﹂、国家が自律
国くきω俸菊器゜。°9ヨ㊤①﹁°一㊤Q。仰↓一ξ藁㊤Q。9①けρ︶。つまり本書が、﹁社会中心﹂から﹁国家中心﹂へという基調を貫
自律的国家活動を困難にする社会的規制に着目するもの、戦争と国家形成を論ずるものと多種多様である︵9
としての国家、国家構造が社会を規定する側面の研究をステイティズムの特徴として指摘しているが、寄稿者は、
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でのみ明らかになるのである︵Q。ぎε9目り○。9一介9閑9言①諺仲。旦Hり◎。α︶。
国家の強さが歴史的文脈によること、さらに国家の能力が政策分野によって異なりうることは否定できない。し
かし、理論的体系化、一般的仮説提出の試みなくしては、ステイティズムとは、単に﹁国家を分析しよう﹂という
︵5︶
掛け声にすぎなくなる。ステイティストの国家の自律性、国家能力に関する論及には、ある種の混乱が見られる。
経験的レベルに委ねるべき範疇の過度の一般化に注意しながらも、研究の指針となる理論的整理が必要である。
ウェーベリアン的前提に立つ場合、国家は、プーランツァスのいう﹁相対的自律性﹂以上の自律性を持つ。換言
すれば、国家は資本に奉仕するという束縛から、理論的には解きはなされた存在である。しかし、国家能力は他の
社会的勢力との関係によって、当然変動する。この意味では、国家の自律性は相対的である。より一般的にいって、
社会的関係内におけるあらゆる能力とは、常に他者との相対性のなかで認められるものであり、自律が相対的であ
るのは自明である。こうした二つの異なる文脈での自律の相対性を区別するため、ここでは専らプーランツァスの
議論に対応させて自律と言う概念を使用し、後者の意味には国家能力という概念を充てる。国家は資本から独立し
た自律的アクターである︵第一の意味での﹁相対的自律性﹂の否定︶。しかし、自律的アクターとしての国家の能
力は、歴史的社会的文脈に規定される︵第二の意味での﹁相対的自律性﹂の肯定︶。
国家が自律的であるということは、国家が資本とは異なる目標を持ち、それが資本の利害と一致しない場合は、
資本との対決をも辞さないということを意味する。国家経営者︵ωけ四けΦ昌一P昌岱σq①﹁︶は、自己利益を最大化しようとす
ることによって、資本と対立するという主張もある︵bJ一〇〇昇゜一㊤oQO︶。こうした可能性は否定できないが、これでは
国家による﹁物理的強制の独占﹂の正当性が保証されない。こうした正当性は、国家が公益を実現するものとして
川
噺
国家の機能
行動することによってのみ獲得される。
2
自律的国家の目指す目的とは、内容的には多種多様であるが、一般に公益の実現を図るものと考えられる︵9
閑轟ω昌Φ﹁﹂㊤刈○。︶。公益は、機能からみて主に二つに分類される。国民生活にとって最も基本的な経済福祉の実現を
こうした文脈から理解される。国家は今一つの重要な機能を持つ。工業化、市場経済の発展は、伝統的な価値シス
π 図るため、国家は資本蓄積の諸条件を充たす機能を担う。とりわけ第二次世界大戦後に顕著な国家の経済介入は、
双
テム、共同体、家族の崩壊を促し、その結果、国家による社会政策を通じた社会統合が重要になる︵908σe戸
一⑩刈Pωb。1ω旧峯ωぼpHゆ刈刈’這幽1α︶。市場機制の生み出す賃金労働者の不安定な経済的地位や所得格差を一定程
麺
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力
維持する機能に言及する概念としては、社会統合が正当化よりも適当であるように思われる。社会的調和の維持は
維持されるために国家が果たす機能を指し、オコナーのいう蓄積機能と同様に考えられる。しかし、社会的調和を
る︵O臣︷ρ同㊤◎。倉魯゜ω馴ζ尻げ﹁PH⑩刈刈俸一㊤○。ご9ピo葵薫ooユ﹂㊤①軽︶。システム統合とは資本主義がシステムとして
オッフェは、オコナーの議論に対応する形で、システム統合、社会統合という二つの国家機能について論じてい
積と正当化という二つの機能を持つ。
る国家の機能を、オコナーは正当化機能と呼ぶ︵︵︶. OO⇒昌O﹁︾一り刈ω’①︶。彼の考えでは、資本主義国家は︵資本︶蓄
の提供しえない、いわゆる公共財の調達に責任を持つ。このように市場機制を是正・補完し、社会的調和を実現す
サ 度改善することなくしては、市場制度を正当化し社会的調和を保つことはできない。さらに国家は市場メカニズム
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常渡
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確かに資本主義の正当化に不可欠と思われるが、正当化はこれに尽きるものではない。蓄積機能もまた正当化過程
の一つである。適度な経済発展は、資本のみならず国民の経済福祉向上のために不可欠であり、それが翻って資本
主義の正当性を保証するのである。すなわちシステム統合、社会統合、共に正当化過程の一部と見なされるのであっ
て、社会統合を正当化一般と同一視することはできない。従って本稿では、国家の機能としてシステム統合、社会
統合という概念を用いる。
国家とはこうした普遍的機能と対応する概念である。国家は社会システムの一つの下位システムであり、社会シ
︵6︶
ステム維持のための一定の機能を担う。つまり国家とはシステムの論理に言及する概念なのである。国家は、具体
的な政治活動を規定する枠組みとして働く政治的諸制度の連結、ネットワークである。政府とは国家の現実的形態
に他ならない。異なる︵とりわけイデオロギー的に︶政党が政権に就くことによって、政府の国家機能の調整方法、
優先順位は変更しうる。しかしいかなる政党が政権に就こうとも、国家としての機能そのものに変更はない。
国家が社会のサブ・システムであるということは、国家の自律性と必ずしも矛盾しない。国家が一定の機能を果
たすためには自律的であることが求められる。国家が正当な強制手段を独占する根拠がここにある。従って、資本
が社会一般の利害に著しく反する行動をとる場合、国家はこれを統制することが期待されるし、統制せずには結局
その正当性を維持することが困難となる。後述するように、国家が一定の資本主義のルールに従って、システム統
合機能を遂行しようとする時、資本はその戦略的地位によって国家からの恩恵を得る。しかし、資本の活動がそも
そも公益に反する場合は、政策決定・執行における資本の特権的地位は剥奪されうる。国家は社会システムの維持
に奉仕するのであって、少なくとも原理的には資本の僕ではない。
川
噺
このように、国家機能というネオ・マルクス主義的な概念を用いるとはいえ、筆者は必ずしも彼らの諸前提を受
け入れるものではない。第一に、既に述べたように、システム統合のための国家活動はたとえ直接には資本を利す
るものであっても、それは国家が資本家階級に支配されているとか、国家の機能が資本家階級に奉仕することにあ
るということを意味するものではない。国家は長期的には社会システムの維持という目的にそって活動することな
くしては、その正当性を維持しえない。第二に、国家が二つの機能を同時に充足することが時として︵とりわけ経
慮せずには理解できない。
ることとは全く別のことである︵︵︸O目σqげ゜一り刈り噂窃斜︶。特定政策の発展は、所与の制度関係、経済的社会的状況を考
留意する必要がある。政策の機能を語ることは、なぜその政策が立法化され、いかに運営されているかに関して語
︵=Φ乙Φ9ΦぎΦ﹁﹄①゜一ρ節﹀α拶日ω一一り゜。ω.ωω一︶。最後に、政策展開は機能から自動的に説明されるものではない点に
のダイナミズムを保証するのであり、こうした矛盾の管理こそが政治の使命、政治の存在理由なのである
れるべきなのであろうか﹂︵7自一ωげ﹁四゜ド㊤QQら”㊤①︶。我々は矛盾を病理現象と見なす必要はない。矛盾こそがシステム
いうこと自体が、何か病理現象を意味するのであろうか。換言すれば、矛盾や紛争のない社会が﹃規範﹄と見なさ
ミシュラはマルクス主義者の危機論、矛盾論に批判的に次のように問う。﹁社会システム内に矛盾、紛争があると
第三に、二つの機能の間に矛盾が見られる場合、それを直ちに資本主義の危機、崩壊の予兆と見なす必要はない。
要はない。
π 済危機下では︶困難であるにせよ、それらが、オコナーやオッフェのいうように先験的に矛盾するものと捉える必
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二 制度論的視座
資本主義的文脈
国家がいかなる政策を通じて、いかに機能を遂行するかは経験的問題であるが、国家能力を規定する制度的要因
に関しては一定程度の一般化が可能である。資本主義社会における国家を規定する最も主要な制度的要因は、いう
までもなく資本主義的文脈である。国家は支配階級から統制を受けず、全く独立の存在である。にもかかわらず、
資本主義社会においては、国家は資本の利益に奉仕する傾向がある。その構造的機制とはなにか。国家は一定レベ
ル以上の経済活動なしには、その権力を維持できない。第一に、国家の財政は税収、国債に依存し、歳入は経済状
況に左右される。経済活動が衰退すれば、国家は十分な財政を確保することが困難になる。第二に、もし失業率の
上昇等を伴う景気後退が深刻化すれば、それは国家のシステム統合政策の失敗を指示し、現体制への国民の支持を
著しく損なうことになる。その結果、政権担当者は権力の座を追われる可能性が高まる︵じロ一〇〇犀゜一⑩刈、N燭目㎝︶。
しかしながら資本主義経済では、経済活動のレベルは資本家の私的投資決定に委ねられている。こうして失業、
インフレといった国民生活に深く関わる問題に対して国家は責任を負うことを期待されながら、経済活動の主要決
定は資本という私的レベルで行われる。従って国家経営者は投資を阻害する政策を嫌い、投資を促進すべく権力を
使うことになる︵bご一〇〇犀噸一⑩刈刈一ド㎝︶。こうした国家政策に対する資本の制約は今日では広く認められ、資本のシス
川
噺
テム権力、あるいは構造的権力と呼ばれることがある︵°。8昌や一り゜。9≧8﹁α俸勾﹁貯已雪α﹂り゜。9窟二日旧妻霞9
一り゜。刈“9=巳三〇ヨし㊤ミ”一謡1①︶。
しかし、資本のシステム権力は絶対的なものではない。繰り返しになるが、資本が公益に著しく反する行為をと
る場合、国家はこれを統制する自律性を持つ。さらに、労働を始めとする反資本勢力の組織力が高まれば、こうし
たシステム権力は緩和される。北欧を典型とした福祉国家の発展は、労働の組織力の強化、それを基盤としての社
とになったと考えられる。第二次世界大戦後の先進資本主義システムを特徴づける福祉国家の発展は、いかなる制
π 民政権の成立によるところが大きい。労働の台頭、社民政権の登場は、国家の社会統合における役割を拡大するこ
賦
度的要因によって規定されていたのかについて以下若干敷桁する。
は重要か?﹂論争がまきおこる。
るのであって、政治はこの過程にほとんど影響を及ぼしていない︵を一一Φ昌ωξ゜一⑩刈9ミ︶。ここにいわゆる﹁政治
ショッキングな結論を下す。彼によれば、戦後の福祉国家の発展は主に経済成長、人口構成上の変化から説明され
スキーはその労作、﹃福祉国家と平等﹄︵↓ミき雷鳶惣ミ§ミ恕§h画骨﹂⑩誤︶の中で、政治学者にとって極めて
が挙げられる︵9ζ尻耳P目㊤◎。鼻︶。では具体的に西欧社会で社会政策を推進した要因は何であったのか。ウィレン
たこと、ベバリッジ報告に見られるように普遍主義的社会保障制度確立のための国家の役割が広く認識されたこと
福祉国家発展の思想的背景として、ケインズ主義政策の一般化によって経済社会への国家介入が正当性を獲得し
2 政治と福祉国家
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キャッスルスとマッキンレーは、ウィレンスキーと同様の数量分析を用いながら、全く異なる結論に達する。彼
らによれば、ウィレンスキーが社会政策発展における政治の重要性を見出せなかったのは、高所得国と低所得国と
の異なるパターンを見逃したためである。これら二つの異なるカテゴリーを一緒にすると、数の上で圧倒的多数で
ある低所得国のパターンが、高所得国の特徴を隠してしまう。低所得国ではそもそも社会政策の財源が限られてい
るので、政策発展は経済成長に大きく左右される。しかし、高所得国に分析を限ってみると、異なる結果が得られ
る。政治的要因︵イデオロギー的違い︶の重要性が明らかになり、福祉政策と経済発展との強力な関係は消える
︵9巴Φω俸琴三三睾お刈りp一①α︶。
スカンディナビア諸国を典型として、福祉発展は通常社会民主党に負うところが大きいと考えられている。しか
しキャッスルスとマッキンレーによれば、一般的には右派勢力の動向が福祉発展のより重要な鍵となる。たとえ左
翼政権が成立していなくとも、ある国々では福祉体制が充実しており、右派と福祉との否定的関係は左翼と福祉と
の肯定的関係以上に強い。﹁保守本流党への投票率が高いところでは、公共福祉のレベルが落ちる﹂︵O霧二①ω卿
ζ。5巳9ど一り刈⑩PドO①︶。強力な右派政党が存在しないことが福祉発展の必要条件であるが、それはスカンディナ
ビアにおける際立った高福祉を説明することはできない。周知のように、北欧では伝統的に強力に結束した労働運
動が、社会福祉発展を推進してきたのである。要するに、強大な右派政党の不在は福祉制度発展の主要な障害を取
り除くという初期的必要条件であり、社会民主党政権を実現するような労働運動の歴史的強さ、団結は、公的福祉
の高度の発展を促す要因であると考えられる︵凸QOω一一Φω俸7︷O冒凶ロ一”冤噂一⑩刈りO℃一①り−刈O︶。
彼らはその後の論文では主張を和らげ、経済発展が公的福祉に与える影響を先進諸国においても認める。経済発
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展は政治システムの違いに関わらず、公的福祉の推進力を提供する。しかし経済発展の動的役割は、政治的要因が
考慮されて始めて明らかになる︵9ω二①ω俸ζ島巨”ざ一⑩刈㊤げ﹂◎。μ1卜。︶。政治的要因としては、右派のイデオロギー
的支配が存在しないことと共に、中央集権型政治構造と連合政権とが社会政策発展と肯定的に結びつくという
︵9巴Φω卿竃。ζ巳塁﹂㊤刈⑩σレo。鼻1α︶。
︵7︶
キャメロンの公共経済拡大に関する研究は、こうした議論に新たな視角を提供する。彼は所得補助支出が公共経
ド㊤゜。卜。︶。キャッスルスによれば、﹁高度経済成長期には福祉成長の唯一の主だった阻害要因は、政府内における強
る説明要因としては、右派政権が左派政権以上に重要である点を重ねて強調する︵O帥ω二①ρドリ゜。ピ一N99ω二Φω゜
経済の開放性と公共支出との強い連関は、キャッスルスによっても確認されている。しかしキャッスルスは次な
遠く離れた第二の説明要因である。
旨㎝①ー刈︶。キャメロンによれば、経済の開放性が公共経済拡大を説明する最も重要な変数であって、左翼政権が
前提条件となる。左翼政権は、様々な社会政策の展開を通じて、公共経済を拡大する傾向がある︵O国ヨΦ﹁。戸一⑩刈◎。噂
産業集中は、雇用者団体及び労働連合の形成の好条件となる。強力な団結した労働は、左翼政権を生み出す重要な
見する。彼の仮説は以下の通りである。開放経済は、経済の国際競争力を高めるための産業の集中を促す。高度の
測定される。キャメロンは、国際市場への依存度が高く開放経済を持つ国では、公共経済がより拡大する傾向を発
済が国際市場にどれだけ依存しているかによって決まり、具体的にはGDPに対する輸出入の占める割合によって
H㊤刈゜。°旨お︶。さて彼は、経済の開放性が公共経済拡大の最重要の要因であるという。経済の開放性は、一国の経
貿 済の拡大を招くと考えているので、その研究はここでいう福祉国家発展の研究と同様のものといえる︵〇四∋嘆。P
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力な右翼の存在だけであり、こうした現象は国際経済のインパクトから比較的保護されていた国で主に見られたよ
うに思われるL︵O霧二㊦ωゆ一㊤oOHH卜Q刈︶。
キャメロン、キャッスルスの主張は、両立不可能なものではない。結局、両者において問題となっているのは、
労働権力である。つまり強力な労働が、右派勢力を抑え、あるいは左翼政権を支え、公共福祉の発展に寄与するの
である。シュミットは、政府の政治的構成︵党派性︶が異なる政策を生み出すのは他の諸条件が充たされた時だけ
であると語り、経済実績と労働権力という要因の重要性を指摘している。労働の政治的影響力がコーポラティズム
体制の中で制度化されているか否かが、社会政策発展を左右する︵の9巨9一⑩゜。ρ゜。lP9[”5αq㊥き自Ω巽﹁①9
一り゜。轟︶。﹁社会保障支出の増加率は、社会民主党が政党システムの中心に位置する国では概ね高い。こうした国で
は階級紛争が本質的にコーポラティズム的な規制の下にある﹂︵QりOげ日一〇戸一りOQω゜一ト○︶。労使が国家政策に参加・協
力するコーポラティズムは、社会民主党政権下で成立する傾向がある。社民政権が成立するところでは、そもそも
強力な労働が存在する傾向があり、社民政権の登場は、こうした労働の意見を制度的に採り入れるチャネルの形成
を促し、社会政策が活発に展開される傾向を生む。
既に述べたように、社会民主政権は標準的福祉発展の必要条件ではない。言い換えれば、労働は社民政権を成立
させるほどに強力でなくともよい。しかし社会福祉発展のためには、労働は社会政策発展の阻害要因である右翼イ
デオロギーの支配を阻む程度には強力である必要があるといえよう。左翼政党や右翼政党ではなく、労働こそが福
祉国家発展の統一的指標である。つまり労働が資本及びそれを代弁する右派政党と拮抗しうる力を持つか否かが、
政治的には最も重要な福祉国家発展の鍵となる。
川
噺
3 福祉国家の危機
一九七〇年代の経済危機の中で、先進資本主義諸国ではマネタリストに代表される保守勢力の巻き返しが見られ
た。国家の経済介入は市場機制を擾乱し、私的セクターの活力を奪うと批判される。国家活動の肥大化した福祉国
家こそが、先進資本主義国における経済的停滞の元凶と見なされる。福祉国家は、民主主義の行き過ぎと批判され
Hり゜。弁゜巨NΦθρ︶。興味深いのは、こうした新保守主義の現状認識が、ネオ・マルクス主義によって共有されてい
国家の財政を逼迫し、さらには私的セクターの活力を奪っていると考えられる︵9ζδぼP同⑩Q。弁゜FNOh︷ρ
貿 る。つまり政治家の人気とりが社会的サーヴィスの拡大を招き、それがさらに市民の国家への依存・期待を高め、
賦
麺
ることである。ただ新保守主義者が、こうした問題は国家活動の縮小によって解決されると考えるのに対して、ネ
一
力
オ・マルクス主義者は、現在の経済危機は資本主義の構造的矛盾を反映するものであって、資本主義内では本質的
タイトルが、こうした認識を反映している。しかし、経済的停滞のなかで福祉国家の見直しが多くの国で政策的争
恥貯貯働ミ﹂討工喬馬§働ミ︵田ωΦ諺鼠鼻9ロユ﹀三目Φ貫一りQ。㎝︶、↓ぎミ鋸§竃のミ欝§↓謎誠斗画§Ooげ昌ωo戸H㊤◎。刈︶等々の
き盲鳶憲書§o謎縁︵O国O一︶﹂⑩゜。ご審ωげ﹁p一り゜。轟︶、Oミ芭§§駄§き雷鳶的弊§︵9hρお。。れ︶、↓ミき雷§
分析視角、処方せんは様々であるが、福祉国家の危機は一九八〇年代には一つの共通認識となっている。↓ミ
招いている。この行き詰まりには、資本主義制度の根本的変革を除いては、いかなる特効薬もない︵O自①゜一⑩Q。駆︶。
て、歴史を逆回転させることはできない。他方、福祉国家は新たな矛盾をもたらし、今日の経済危機・財政危機を
に解決不可能と考える。福祉国家は、資本主義が生み出す諸矛盾を解決するために必然的に発達してきたものであっ
膨
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点となったことは事実であるが、福祉国家の発展が経済活動を圧迫しているという主張は、必ずしも実証されてい
ない。
経済危機の深刻さと福祉国家発展度とをみると、両者の間に明確な比例関係は存在しない。福祉大国であるス
ウェーデン、オーストリア、ノルウェーの一九七四−七九年間の実質経済成長率がそれぞれ一・八%、三・二%、
四・四%であるのに対して、福祉後進国のアメリカ、日本の数字が二・一%、三・八%であり、中進国イギリスの
それは○・八%に止まっている︵[四昌σq①俸O”﹁﹁①け戸一り○○α剛Q◎Oω︶。福祉大国が経済成長の面で劣るという証拠はない。
︵8︶
さらに失業率、インフレ率という数字をみると、経済と福祉発展との否定的関係なる仮説はますます疑わしいもの
になる。福祉国家は、既に述べたように、社民政権下で最も成熟している。そしてキャメロンによれば、社民政権
は失業率、インフレ率両方と負の相関関係にある。キャメロンは、社民系政権は完全雇用追求のためインフレ率上
昇を許容する傾向があり、保守系政権は逆にインフレーションを抑えるために失業率の上昇に寛容である、換言す
れば、社民系政権下では失業率が低く、保守系政権ではインフレ率が低い傾向が見られるという通説に異議をとな
える。ヒッブスは、クロス・ナショナルなレベルでのフィリップス曲線、失業率とインフレ率とのトレード・オフ
関係を主張したが︵︼田一げσω噛一㊤刈、N︶、一九六五−八二年間のデータではこの関係は確証されない。社民系政権下では
失業率、インフレ率ともに低い傾向がみられるのである︵O拶ヨ①﹁O昌゜一㊤OQ鼻−一α刈lH①卜○︶。
これは、前述のように、社民政権は強力な労働に支えられ、そこではコーポラティズム的政策システムが成立し
ているのが一般的であるためと考えられる。コーポラティズム体制では、労働の利害が制度的に政策形成に組み込
まれており、労働は国家と密接な関係にある。こうした信頼関係に立って労働は、経済危機に際して、長期的利益
川
噺
のために賃金抑制、産業合理化等の国家、資本による危機対応策に協力しうる。このようにコーポラティズムと福
︵9︶
祉発展、経済実績は、肯定的に結びく傾向がある。
経済危機が福祉国家化によるものであるならば、経済危機は福祉大国で最も深刻であり、したがって福祉見直し
運動もそこにおいて最も活発に展開されると予想される。しかし現実に福祉への反動が最も高まったのは、アメリ
カ、イギリス、日本という福祉大国とはいい難い国々においてである。だがこのことは、コーポラティズムの観点
もこうした下部の不服従によって、結局は失敗に終わっている。ホールは言う。﹁TUCは深刻な経済危機に際して、
従って、一般成員の工場レベルでのTUC中枢の決定への反乱も稀ではない。三頭体制による所得政策は、いずれ
ソースにも乏しい。ショップ・ステユワード機構が工場レベルで実質的権力を持ち、中央権力を弱体化している。
た。しかしいずれの試みも失敗に終わる。TUCはメンバーに対しての統制権限をほとんど持たず、また官僚的リ
て、イギリスでは、労働を巻き込んだ三頭体制形成の試みが一九六〇年代から一九七〇年代中葉まで何度か見られ
高い︵︸︵O﹁O一俸のげ薗一①<︾一⑩OoO°ω一刈︶。労働はまたTUC︵↓﹁巴。ω⊂三808αq﹁①ωω︶という統一的組織を持つ。従っ
イギリスの例はより複雑である。労働組織率は、スウェーデン、オーストリアといった国に劣るものの四四%と
内部の対立、AFLlC10と全米自動車労組︵UAW︶といった主要産業労組との対立が見られる。
組織の統一性をみても、日本では総評、同盟を始めとする組織的対立が長らく続き、アメリカではAF﹂lC10
組織率はアメリカ、日本共に二七%と低く、左翼政権はほぼ全く見られない︵︸︵O﹁O一俸Qリゴ曽一㊦く℃一㊤◎OO、ω一刈︶。また
ポラティズム体制を形成するだけの組織力を労働が持たなかった。一九四六年から一九七六年にかけての平均組合
箕 からすれば、不思議ではない。これらの国々では、福祉大国を築くための、また福祉見直しの抑制機構ともなるコー
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一定期間の︵賃金︶抑制を一一二の成員組合に了承させる、丁度それだけの権威は持っていた。しかし、一、二年
の内にこうした政策を崩壊してしまう下部からのチャレンジを阻止するだけの統制力は持たなかったL︵国巴一噛
60。ρ○。ω︶。
以上我々は、資本主義社会において国家能力を決定する制度的諸条件について、クロス・ナショナルな数量分析
の成果を借りて素描してきた。国家の社会統合機能の拡大、福祉国家発展は、経済実績、経済の開放性と並んで、
国家、資本、労働の制度的関係によって規定されるところが大きい。社民政権下でのコーポラティズム体制の成立
が、高度な福祉国家化を推進する。またコーポラティズムは、経済危機の際のシステム統合維持を支える制度的関
係でもある。要するに、国家がシステム統合・社会統合両機能を遂行する上で、国家と労働、資本との関わりが、
政治的には最も基本的な制度的規定因であると思われる。ここでは分析は﹁社会中心﹂から﹁国家中心﹂へ移行す
るのではなく、国家と社会との制度的関係へ焦点が当てられる。ステイティスト達がこうした制度的関係に必ずし
も無自覚であったわけではないが、ステイティズムという名称は自ずと﹁国家中心﹂を含意し、ミスリーディング
なものである。ステイティズムではなく、国家と社会との制度関係論アプローチが望まれる。
4 制度関係論アプローチ
国家がその機能を遂行する能力は、国家と社会勢力との制度的関係に関わる。資本主義社会において国家政策の
決定に大きな影響を与える社会勢力として、とりわけ資本と労働の組織権力が重要と考えられる。これらの組織が、
資本と労働の主要リソースを統制する上での資本主義内における戦略的位置を考えれば、これらが政府に圧力を行
使する能力は、他の社会的アクターから抜きんでたものと思われるからである︵Oo巨7。6ρδ◎。︽ωb。らーα︶。こう
した認識から、ピーター・ホールは組織論︵制度論︶アプローチを提唱し、﹁特定政策への圧力、その遂行可能性
は一国の社会経済構造の三つの基礎的側面、すなわち労働組織、資本の組織、そして国家それ自体の組織によって
て
川
噺
である。それが組織論アプローチともいわれるのは、彼が制度と組織を同一のものとみなすためである。彼によれ
は、国家の諸単位を結合し、国家と社会との関係を組織化する形式的および慣習的制度諸関係に焦点をあてるもの
になっていないとステイティズムを批判し、国家と社会との関係を分析する必要性を説く。彼の制度論アプローチ
最も基本的に影響される﹂と語る︵=餌一一噂μ⑩◎o躯噂N心︶。彼は政策が国家活動の産物であると言うことはほとんど説明
奴
点が、多元主義批判の初期の時点で既に見られた。政策決定における制度的偏向の重要性を説いたバカラックとバ
である︵︼田帥一一’一りQO①噂じOO︶。しかし、ホールのいう制度論的視座そのものは、決して新しいものではない。同様の視
たのにたいして、彼の制度論は、比較研究を駆使し政策を決定する最も重要な制度的要因を確認しようというもの
織、ネットワークや社会経済内に位置する制度の役割をも考慮する。第二に、古典的制度論が反比較研究的であっ
式的政治慣行を専ら研究対象としたのに対して、彼のアプローチはより視野が広く、政策決定における非公式の組
ホールは、彼のアプローチは古典的制度論とは以下の点で異なるという。第一に、古典的制度論が憲法体制や形
︵口曽一一−一㊤Oo①“ドool㊤旧Oh°剛く﹁帥ω昌Φ﹁噂H㊤◎◎oO︶。
ように組織的要因は、アクターが政策に行使しうる圧力の程度とともに、圧力が行使される方向にも影響を与える
組織的活動となってきている。またアクターの自己利益の定義そのものが、組織的位置によって規定される。この
ば、いかなるアクターの政策への影響力も組織的権力によって規定されており、とりわけ今日では政治、行政は益々
b
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”
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ラッツ︵じ口碧ξ霧7俸bコ”﹁讐N噂μ㊤①b。︶を始めとして、個人の権力とは常により大きな制度権力のなかで作動するも
のであり、システムを操作する能力の結果であると語るプレッサス︵﹁﹁Φω一げ口ω゜一㊤①鼻゜らーOo︶は、ホールの視点を
先取りしている。
ホールの制度論で注目されるのは、国家、資本、労働という三つの制度関係を政策発展の主要規定因と考える点
である。こうした視点は、コルピとシャレーブの﹁権力リソース・モデル﹂︵一九七九、一九八〇︶、エスピンーア
ンデルセンとコルピの議論︵一九八四︶等にも共通しており、これらの議論を古典的制度論と区別し、制度関係論
とここでは呼ぶことにする。エスピンーアンデルセンとコルピは、我々が既に確認してきた福祉国家発展への労働
と資本との制度的関係の規定性を、次のように仮説化する。﹁戦後の社会政策決定はしばしば合意的であり、非政
治的なものであると見なされるが、じつは様々な団体もしくは階級間の深刻な利害対立が見られる。こうした利害
紛争が政治闘争として顕在化するかどうかは、アクター間の権力リソース分配に影響される。それぞれの団体、階
級は福祉政策に特定の目的を持ち、こうした目的達成のために多少とも明確に意識された戦略を展開する。福祉国
家をめぐる争いは、部分的には分配過程において政治、市場がそれぞれ果たす役割に関わっている。⋮⋮経済的人
口的要因に加えて、政治的対立もまた福祉国家発展の形態を決める﹂︵国ω豆躍︾巳Φ﹁ω9俸閑06一﹂り◎。らし◎。目︶。
制度関係論は、労働と資本を国家能力の主要制約と考える点で、明らかにマルクス主義の影響を受けている。エ
スピンーアンデルセン、コルピの議論は、マルクス主義的な﹁階級闘争パラダイム﹂に極めて近い。しかし最もマ
ルクス主義的である論者をみても、重要な点でマルクス主義から逸脱しているように思われる。第一に、彼らは資
本と労働の利害が対立的であるとは仮定するが、こうした対立が資本主義社会では解決しえないものとは考えない。
川
噺
労働が力を得るにつれて、労働の利害は、とりわけ社会民主党政権下では、福祉政策等を通じて国家の決定作成シ
ステム内に組み込まれる。すなわち、労働と資本の利害は一定の条件下では両立する。換言すれば、労働と資本の
紛争は、必ずしも﹁ゼロ・サム﹂的なものとはみなされていない︵国。壱一卿゜リゴ巴①<噌一㊤刈P同㊤99牢N①ぎ﹁ωζ俸
竃麟=嘆雪①旦δo。卜o︶。
第二に、エスピンーアンデルセンやコルピのように、たとえ階級という言葉を用いている論者においても、実際
与えられているとはいえ、マルクス主義モデルにいう階級というよりは多元主義モデルの想定する圧力団体として
における単なる団体、組織として行動すると考えられている。労働と資本は政治的アリーナにおいて戦略的位置を
欠 は労働、資本の組織権力に分析が集中しているのであって、階級はそのものとしてではなく、特定の歴史的文脈内
賦
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振る舞う。すなわち各組織は、階級的利益ではなく、あくまで組織的利益を追求するのである。最後に、階級間紛
力
争が資本主義生産様式と生産関係に内在する不可避的矛盾によって引き起こされ、資本主義の崩壊を促すという前
提はない。
国家行為の統一性
ステイティズムにおいては、政策は国家の合理的選択と見なされる。本稿の文脈でいえば、国家は合理的にシス
1
三国家内分析
断
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テム統合と社会統合を追求すると考えられる。しかし、こうした前提は必ずしも説得的に提起されていない。スコ
チポルは、国家官僚が社会的アクタi以上に社会的問題及びその解決策に精通していると言えるわけではないと認
めながら、﹁部分的に、あるいは全面的に自律的な国家活動が、社会的アクターやそれと密接な関係にある政府内
部局の視野を超えて問題に取り組み解決しうるかもしれない可能性を完全に捨てる必要はない﹂︵°り貯9宮一サ目㊤゜。9
=ーα︶と弱々しく国家行為の合理性を擁護する。しかし厳密な意味での合理性を要求しないまでも、国家がいか
にして統一的アクターとして、少なくとも主観的には合理的に行動しうるのか、スコチポルは答えない。
ルーシェメイヤーとエバンスは、こうしたステイティズムの難点により自覚的である。彼らは国家が効率的であ
るためには分権化︵臨ΦO①昌け﹁帥=N四け一〇︻μ︶が要請されるが、分権化は他方で、国家の統一性を阻み、合理的行為能力を
損なう恐れがあることを認める。彼らはこうした問題を克服し国家内の結束を高めるものとして、例えば団体精神
やプランニング等を挙げる︵寄①ω69ヨ㊤Φ﹁卿9きω噛一⑩o。9密1①︶。しかしこうしたものが、どれだけ統一的アク
ターとしての国家を保証しうるのかは大いに疑問である。団体精神がたとえ官僚達によって共有されているにしろ、
それが、特定政策をめぐる官僚組織間の争いを克服するとは、一般には考えられない。またプラニングが統一性を
実現するためには、個々の政策単位を監督・統合する強力な中央機関を必要とするのであって、やはりプラニング
自体が、一般的に分権化の弊害を克服するものとはいえまい。
さらに、分権化が進むことは、社会的アクターが国家へのアクセスを増大することを意味し、国家が社会的紛争
の場と化す傾向を生む。こうして本来国家の政策能力を高めるために行われた分権化が、社会的紛争・矛盾を国家
内に持ち込むことになり、国家の統一的アクターとしての能力を切り崩すことになる。従って、国家の結束、一貫
した行動とは決して所与ではなく、絶えず問題として概念化される必要がある︵寄①ω゜9目①冨﹁俸国く留ρHΦo。9
8ふO︶。
結局、国家を予め統一的アクターとみなす、そのことによって国家内をブラック.ブックス化する仮説設定は、
川
噺
政治家の間の交渉・相互作用の結果として生ずるのであって、国家という統一的アクターの合理的選択とは考えら
のいう官僚政治モデルが有効である。政府活動は様々な国家概念、組織的個人的目標に沿って行動する高級官僚や
る。国家内過程分析が、政策発展を理解する上で不可欠と考えられる。国家内過程を理解するためには、アリソン
非現実的といわざるをえない。国家内の分業体制の高度化は、統一的国家経営者といった存在の仮定を不可能にす
貿
を分析すること、制度関係論的視座が、国家内過程を理解するうえでも不可欠である。
国家外の支持集団によっても大きく影響される。すなわち国家と社会、国家内アクターと社会的アクターとの関係
行の最低限の一貫性は確保される。第三に、国家官僚の権力は法的権限、財政基盤といった国家制度のみならず、
方針を決定するのであって、官僚は権限的にこれに従わざるをえない。こうした政治的指導によって、国家機能遂
在化した場合、その調整を図る最終的権限は政治的リーダーにある。つまり政治的リーダーシップが国家の最終的
個人的動機はシステム統合、もしくは社会統合の観点から合理化される必要がある。第二に、官僚内での対立が顕
で国家機能の遂行という目的に沿って妥協点に到達するのであって、全く無原則の妥協ではない。政治家、官僚の
しかし、ここで幾つかの留保が必要である。第一に、国家活動は国家内相互作用の結果であるが、これはあくま
れない︵≧=ωo戸H⑩刈ゲ=鼻︶。
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2 官 僚
制
社会システムの複雑化、構造分化は下位システムとしての国家を生み出す。国家は物理的強制の独占および専門
性、情報へのアクセスの優越性を根拠として、自律的な機能遂行をめざす。国家の機能的専門化、特殊化は国家装
置の官僚化を促し、その結果官僚制は国家内における主要勢力となる。なぜなら官僚制はその専門技能において、
他の組織形態に優るからである︵ぐく①σ①﹁噂一⑩斜①噂bQ一斜︶。とりわけ経済、社会への国家介入が増大した今日では、官
僚は政策を合理的、効率的に遂行するために不可欠のものとして確固たる戦略的位置を占めている。その結果、国
家内で正当と見なされるアジェンダ、政策参加者は、官僚制権力によって大きく制限されており、時としてそれは、
国家の民主的側面を代表する政治指導部を圧倒するかに見える︵9≧hoa俸宰帥①已き9一り◎。9卜。㎝Ohh°︶。
しかし国家官僚は決して一枚岩ではない。社会システムの機能分化が政治システムの形成を促すように、国家内
における分業.専門化が、官僚制の分化をもたらす︵︵UOO貯゜一り刈刈︶。官僚制の下位単位は彼ら自身の組織的目標・
機能を実現すべく、独自の権力基盤を持ち、互いに競いあう。従って政府機関の制度関係の分析が政策発展を理解
するうえで不可欠となる。
国家内の組織間権力関係は二つのレベルから分析される。第一のレベルは機能・政策目標において関連する諸組
織の相互作用パターンの分析である。第二はリソース獲得の過程、すなわち十分な組織リソース調達のための組織
的活動の分析である。基本的リソースと見なされるのは、財政基盤、特定プログラム遂行のための権限であるが、
外部勢力との繋がりも見逃すことのできない要因である。﹄機関は︵国家︶ネットワーク内でのリソースの流れ
川
噺
をコントロールする手段として、ネットワーク外の勢力を動員しうるかもしれない﹂︵田W①昌ωO昌゜ド㊤刈αりNωω︶。
理念的には、国家機関はシステム統合のための機関と社会統合のための機関とに概念化される。どちらの機関が
国家内で有力であるかは、最終的には国家内外の制度的ネットワーク分析によって決定されるべき問題であるが、
国家が面している問題の緊急性が、両者間の権力関係を基本的に規定すると考えられる。例えば経済危機下では、
当然システム統合の機能が前面に押し出され、経済官僚が社会官僚を圧倒する。貧困や老齢化といった社会問題や
9⇔一‘目⑩コ︶。外部環境が安定している日常的ルーティン・レベルではシステム統合が社会統合に優先する、すな
π 公害等の環境問題が政治的争点となる場合、社会統合の機能を担当する機関が国家内で力をえよう︵9田。冨。戸
賦
わち経済官僚が社会官僚に対して優位に立つ傾向が見られる。これは先に述べた資本のシステム権力による。資本
決定に委ねられる。政治的決定は、官僚制内のバーゲニングの通常手続きが良好に機能しない場合や、政治的アリー
民主的政治体制においては、いかにして社会統合とシステム統合とを調整するかは、最終的に政治的リーダーの
3 政治的リーダーシップ
一り①゜。︶。
の範囲を拡大し外部勢力を巻き込むことは、とりわけ重要な戦略である︵9°っ9葺ω9器置①き一⑩刈9°Fごい号ωξ噛
積極的に応える必要が生まれる。社会官僚の観点からすれば、所与の政策アリーナでの劣勢を挽回するために紛争
の下に社会官僚が国家内での発言権を強める場合である。こうした状況においては、国家は社会統合の要請により
のシステム権力が弱まるのは、社会的勢力、とりわけ労働が資本に対抗する形で組織化され、こうした勢力の支持
短
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万
細
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ナへの外部勢力の参入により問題が極めて政治的争点化した場合に要請されよう。決定作成には、無論政治的リー
ダーの自己利益が反映する。再選を目指す政治的リーダー達は、政策の社会的インパクト、人気を考慮せざるをえ
ない。しかし国家活動、統治の正当性は、国家が社会統合とシステム統合という二つの機能を充足する程度に掛かっ
ている。政府内の個々のアクターは国家装置を用いて自己の利益を追求しうるが、国家政策はこれらの機能のいず
れかに訴える事によってのみ正当化されうる。政治的決定は、国家内過程、国家と社会的勢力、とりわけ資本、労
働との制度的関係を反映しながら、国家の機能を効果的に遂行すべく下される。
政治的リーダーシップの研究は、制度関係論アプローチを補完するものとして、とりわけ重要である。制度関係
からのみ政策変更が説明されるわけではないからである。端的にいって、制度関係に変化が見られなくとも、大規
模な政策上の変化が見られる場合がある。例えば、一九七〇年代前半に生じた日本における急速な社会保証関係予
算の伸びは、労使制度関係の変化に帰因するものではない。労働の組合組織率は依然低いままであったし、労働四
団体の分裂が解消されたわけでもない。また資本の力がこの時期急速に衰えたという証拠はない︵たとえ財界の長
期低落傾向が指摘されるにしろ︶。そこで問題になるのは、国家の、とりわけ政治的指導部の戦略的行為である。
このような戦略的行為が、制度論では見逃される傾向がある︵。h°Q。匿6h’一り。。介誤⑩1①O︶。
我々は既に、国家は潜在的には社会的勢力を超越した存在であると論じた。自律的権力としての国家は、一定の
社会状況に対処するために通常の制度関係を覆すことができる。言い換えれば、ある一定の社会状況が、通常の制
度関係を一時的にせよ流動化することが考えられる。日本が久しく享受した高度経済成長は、一九七〇年代初頭ま
でには公害を始めとする様々な歪みを産み出していた。﹁経済成長のもたらした様々な不利益や価値剥奪が注目を
川
噺
集め始めた。公害が他の諸問題 都市の過密化、保健・福祉環境の貧困、インフレーション、住宅問題、等々
本稿における主要論点は、以下の通りである。第一に、国家政策は、国家と社会的勢力 とりわけ資本と労働
結びにかえて
るものであった。
︵10︶
会政策上の要求により柔軟に対応する結果となったわけであるが、国家方針の転換は、最終的には政治的決断によ
福祉政策を強調することになる。社会統合要請の緊急性が、労働権力の脆弱性を一時的に克服し、国家は労働の社
ピ①<ヨρHゆ刈◎斜曾︶。こうした社会不安を解消し、国家政策の正当性を確保するため、政府は一九七〇年代初頭、
ーと結びつき、これらの問題が一九七一年までには﹃福祉ギャップ﹄という名のもとに一括された﹂︵bd①目①菖俸
π
眠
一
麺
との制度的関係によって基本的に規定される。しかし、第二に、国家は社会的勢力から独立の権力であり、国
力
腔
謝
いては、政治的リーダーシップである。
す。最後に、国家の最低限の統一性を確保し、国家機能遂行の優先順位を最終的に決定するのは、民主的政体にお
と社会統合である。第三に、国家は一枚岩ではなく、国家内の制度的編成並びに相互作用が国家政策に影響を及ぼ
家機能の要請に基づいて、制度的関係を超越することも場合によっては可能である。国家機能とは、システム統合
市暖
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家
国
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92
注
︵1︶ わが国におけるステイティズムの紹介としては、真渕勝﹁アメリカ政治学における﹃制度論﹄の復活﹂︵﹃思想﹄一九八
七年=月︶がある。
︵2︶ ステイティストのプルラリズム、政治学主流派批判が全く的はずれであり、国家概念の再導入は何ら政治学に寄与する
ところがないという反論もある︵﹀一∋O口血、一㊤◎◎◎◎“Oh.団い①ω一〇昌゜一り◎o一︶。これに対しリンドブロムは、プルラリスト左派の立
場から、ステイティズムに限らずラディカルズの問題提起の正当性︵ラディカルズの研究成果は別としても︶を認める
︵=&三〇β 一 ⑩ o 。 卜 。 ︶ 。
︵3︶ マルクス主義政治学の理論的動向については、田口富久治、加藤哲郎の諸論文・著作を参照されたい。とりわけ加藤﹃国
家論のルネッサンス﹄︵青木書店・一九八六︶は、最近の動向に詳しい。
︵4︶ 以下本稿でいう国家とは、特定の指示のない限り、先進資本主義社会における国家を指す。
︵5︶ 理論的体系化とは、閉ざされた体系を構築することではない。絶えざる現実の変化、人間の認識能力の限界を考えれば、
体系化は完成されることのない過程である。閉ざされた体系に依拠することは、現実の変化を無視し、現実を体系に押し
込める教義をもつことになり、知的想像力から最もかけ離れた営為といわざるをえまい。しかし我々の限られた認識能力
を所与として、無限の現実とその変化ヘアプローチする時、我々は一定の理論的体系化なくして現実を分析することは不
可能である。混沌を混沌として認識することはできず、理論的整理が必要なのである。体系の完成の不可能性を知りつつ
体系化を試みること、その無限の過程こそが、知的営為の本質であろうと思われる。
︵6︶ イーストンはプーランツァスの国家概念を検討し、それが﹁政治システム﹂概念によって政治学主流派から放逐された
一九五〇年代当時同様あいまいなままであると論じ、システム概念を擁護する︵︼凹餌ω樽O口順一⑩◎◎一︶。しかし、とりわけあい
川
噺
て
り
奴
麺
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ガ
融
鍍
会
社
と
家
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まいなプーランツァスの国家論から、国家概念を一般的に否定することには問題がある。また国家論の再興の背景には、
システム分析への幻滅があるという指摘も無視できない︵幻OωO昌曽信”一㊤Qo◎o曽bQbQ︶。
ただ筆者の国家概念は、システム論的枠組に対応して設定されており、国家論とシステム論を対立するものとして捉え
ていない。
︵7︶ 政策発展における政治的要因の重要性に関する相異なる査定は、福祉発展度︵蓄一鼠話。hh。﹁ρ︶、政治的イデオロギーの
定義、測定方法の違い、サンプルの違いから生ずる面が少なくない。例えば、ウィレンスキーは福祉発展度の指標として
GNPへの公的支出の割合を用いるのに対して、キャッスルスとマッキンレーは、教育支出、幼児死亡率といった指標を
福祉発展度に加える。こうした変数選択の絶対的基準はなく、数量化以前の数量分析の問題点に我々は意識的でなければ
ならないが、論争の過程で社会政策発展の一般的傾向に対する一定の共通認識が生まれてきている。90霧二①ω゜一Φ◎。卜。“
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︵8︶ こうした分類については、≦帥一2ωξ︵一九八一︶及びI﹂0︵一九八一︶等の統計を参照。
︵9︶ ところで日本、スイスといった国々は労働、左派政党の力が弱く、福祉発展度も低いにもかかわらず、一九七〇年代の
経済危機を成功裡に乗り切った。ちなみに一九四六−七六年間の組合組織率は、日本、二七%、スイス、二三%であり、
スウェーデン、七一%、オーストリア、五五%、ノルウェー、四六%に遠く及ばない。また左翼の得票率は日本、二八%、
スイス、一八%であり、スウェーデン、四三%、オーストリア、四五%、ノルウェー、四一%と比べると相当低い︵閑。﹁豆
俸Q。7巴①∼6◎。ρω一刈︶。しかし経済成長では、一九七九−八〇年間のランキングではOECD二三ケ国の内、日本は一位、
スイスは七位に位置し︵Qり6げ目一α戸目りoOω曽、N︶、失業率では一九八〇1八二年間、日本、二・六%、スイス、○・三%と際立っ
て低く、同様にインフレ率も両国においては、日本、五・二%、スイス、五・四%と相対的に低い︵9目①δPH㊤゜。︽
94
一念晒Hお︶。このようなケースが制度論の立場からどのように理解されるかについては、 別稿を用意している。
︵10︶ この点についても、別稿でさらに体系的に論ずる予定である。
参照文献
︹邦文︺
加藤哲郎﹃国家論のルネッサンス﹄︵青木書店・一九八六︶
マックス・ヴェーバi﹃社会学の根本概念﹄︵清水幾太郎訳、岩波書店・一九七二︶
真渕勝﹁アメリカ政治学における﹃制度論﹄の復活﹂﹃思想﹄一九八七年一一月
︹英文︺
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