第二次世界大戦敗戦、日本はGHQの命令によって、航空機の研究、実験

第二次世界大戦敗戦、日本はGHQの命令によって、航空機の研究、実験、生産の全てが禁じられた。これは当時、航空機産業に勤めて
いたすべての人が、一瞬にして仕事を失ったことを意味する。この間企業は、他産業で航空分野の高い技術力を活かしながら、この困
難と戦った。この時三菱重工業は、航空機産業が近い将来必ず再開すると確信し、航空技術者を解雇せず、その時を待った。7年後、
航空機の生産が再開されたが、この采配が、その時の順調なスタートに繋がったことは言うまでもない。
三菱重工業(航空機部門)は、終戦後3社に解体され、航空機部門は中日本重工に吸収され、自動車車体、内燃機、スクーター、鋳
物、農機具などを生産した。川崎航空機工業は、2社に分割され、消火器、繊維機械、バス車体、同エンジンなどを生産・修理した。
このように、解散した航空技術者が他産業に移ったことにより、戦前に高度に発達した航空技術が他産業に移転し、民需に貢献した。