061-14 劫火 (14)

ジケートの一連の捜査は冥が死体となって大阪湾に浮いた時から舞台は関西へと移り、倉沢を筆頭とする俺たち特殊犯は
警視庁での日々は相変わらずだった。連日捜査が続く日もあれば、大部屋から一歩も外へ出ない日もあった。香港シン
り着ける。そんな危うい確信は日に日に増していき、俺はあらゆる変化に備え、静かに心の準備を進めていた。
消していく。音もなく佇むその建物はもはや俺の今生における最終目的地のような気がしていた。ここへ行けば龍介に辿
灰色の空に浮かぶ白い要塞の映像は脳裡をいっぱいに覆い尽くし、僅かに残っていた彼岸花の記憶をも嘘のようにかき
出せない。一緒に食事をした記憶も、もしかしたら、身体を委ねたかもしれない記憶も、何もかも。
り、そういったものを完全に忘れ去ってしまった。賢吾を愛した男。俺を愛してくれた男。住所も、出身地も、何も思い
次第にヤケ酒へと変わっていった。佐竹の名は確かにそこに書かれているのに、俺はもうその姿かたち、声、匂い、手触
時 系 列 を 追 い 記 憶 を 書 き 出 し て い た ノ ー ト を 夜 な 夜 な 見 返 し な が ら 、手 の 中 で 温 ま っ て い く ス ト レ ー ト の ウ ィ ス キ ー は 、
れが見鬼の仕事なのだ。今生での、最後の仕事。
織。あれだけ贔屓にしていた津山ですら今やその記憶から佐竹の存在がすっぽりと抜け落ちているのには愕然とした。こ
ちは、俺が物凄い剣幕で詰め寄ると最後には不気味な物を見るような目付きをした。神奈川県警捜査一課特捜部の佐竹伊
空恐ろしささえ感じた。佐竹の私物は県警のどこにも残っておらず、いつ誰が処分したのかそれを覚えてもいない同僚た
見つけられない俺自身を声高らかに嘲笑うのだった。遺影はおろか、研修所で撮った写真の一枚すら残っていないのには
守り続けてくれる。そんな傲慢さや過信は今頃になって俺を苦しめ、今となってはどこを探しても佐竹の生きた軌跡すら
ず、あのどこか神秘的な様相はまるで何かの化身のように思えたものだった。佐竹は死なない。どこにいても、必ず俺を
当たらず、俺にとって佐竹は不滅の存在だと勝手に思い込んでいたのだと悟った。俺と同じ生身の人間であるにも関わら
けでも何とかして心に留めておこうと必死になっていた。ここまで佐竹を欲したことが今までにあったかと考えるも思い
佐竹伊織の死から二か月が経っていた。思い出そうと焦れば焦るほど佐竹の記憶は薄れていき、俺はせめてその存在だ
二〇一六年、六月。
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捜査から外れ、今は外事課の完全な独壇場と化した。一課長の遠山哲司も、特殊犯管理官の倉沢も終始穏やかだった。遠
山は相変わらずダンディーそのもので、男たちの頂点に君臨し、シニカルな笑みを浮かべながら采配を振る様子も何ら変
わらない。倉沢は神経質に拍車がかかったようだが、前世では先立たれた奥さんと今生では仲睦まじいらしく、どんなに
忙しい時も昼は毎日愛妻弁当だった。一方、相棒として定着した笹野は木村直樹の面影をどこかへ残したまま俺の横にい
たが、ある日突然おかしなことを言うようになった。
自前のバイクが火を噴いて地下鉄で登庁していた笹野を自宅まで送っていった時だった。いつもは饒舌な男が今日はや
け に 静 か だ な と 思 っ て い た ら 、﹁ 直 樹 は 今 年 の 十 二 月 、 会 い に い け な い っ て ﹂ と ぽ つ り と 言 っ た 。 赤 信 号 で 停 車 し た 俺 は
横を見遣った。
﹁ 何 だ っ て ? ﹂
﹁ 直 樹 だ よ ﹂
恐れていたことが現実となる。
俺は判らないふりをした。
﹁ 直 樹 っ て ? ﹂
俺の言葉に笹野はしばらく考え込んだ。信号が変わり、俺はアスリートを発進させる。
笹野はおかしいな、と腕を組み首を傾げた。
﹁ 直 樹 っ て い う ん だ 。 で も よ く 判 ら な い 。 ど こ で 会 っ た の か な ・ ・ ・ ・ ﹂
まだ引き戻せる。笹野はここが並行世界であることを知ってはいけない。
﹁ 寝 ぼ け て た ん だ ろ ﹂
﹁ そ う か な ・ ・ ・ ・ ﹂
夢で見たような気がするんだけど、と笹野は呟いた。
﹁ 前 に 話 し た だ ろ ? 従 兄 が 殺 さ れ る っ て 夢 ﹂
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まさか。
﹁ や っ ぱ 知 ら ね え よ な ・ ・ ・ ・ ﹂
﹁ 知 ら な い ﹂
佐伯って知ってる? と訊いてきた。
﹁ 疲 れ て る の か 、 狂 っ た の か 、 よ く 判 ん ね え ﹂
﹁ う ん 、 か 、 う う ん 、 か ど っ ち だ よ ? ﹂
と言った。
うなだれているので、頭を軽く撫でてやった。ふわっふわの猫毛だった。みゅーんと変な声を出しながら笹野は﹁う﹂
﹁ 疲 れ て る の か ﹂
木村はどこへ覚醒したのだろう?
須藤教授のねっとりとした低い声が耳の奥に再生された。
白亜の館が十六夜月に照らされる晩、水面を見つめる頭蓋骨が浮上する 俺たちは海上保安庁が探し当てた頭蓋骨を持ち帰る途中事故にあった。
同意を求めてくるので、頷いておいた。
﹁ だ い た い 骸 骨 っ て な ん だ よ 。 な あ ? ﹂
ぷりぷり怒り出す笹野へ俺は黙って耳を傾けていた。
﹁ 魂 を 落 っ こ と し て し ま っ て 、 記 憶 が 骸 骨 と く っ つ い た か ら 、 と か な ん と か 。 あ い つ の 説 明 は ワ ケ が わ か ん ね え ん だ よ ﹂
に会おう、と。
時空を超える直前だった。俺たちは大きく傾く船の上で約束した。一年後のクリスマス、甲府の唐土神社の前で、正午
﹁ そ い つ の 名 前 が 直 樹・・・・だ っ た よ う な 気 が す る ん だ よ な 。 朝 倉 に 伝 え て く れ っ て 言 わ れ た と 思 っ た ん だ け ど・・・・ ﹂
﹁ あ あ 。 そ ん な こ と を 言 っ て た な ﹂
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﹁ 直 樹 と 骸 骨 は 、 そ の 佐 伯 っ て や つ の 家 に い る ん だ っ て ﹂
木村は自分が死んだ場所へ覚醒したというのか?
﹁ 直 樹 と 骸 骨 っ て ・ ・ ・ ・ 意 味 が 判 ら な い ぞ ﹂
﹁ そ り ゃ そ う だ 。 俺 も 判 ん ね え し ﹂
笹野はそれきり黙り込み、俺は必死で考えていた。
笹野の中に前世の記憶が蘇った。それは確かなことだった。時空は先へと続いている。俺が自殺したその世界が今西暦
何年なのか俺には判らないが、佐伯和之と笹野が存在する場所へ木村が別人となって覚醒したのだ。それが、あの頭蓋骨
の持ち主。俺たちはあれが誰なのか解明するまえに時空を超えてしまった。存在したのはこのひとつ前の世界だ。倉沢が
いて、遠山が死んだ世界。あの頭蓋骨の主は木村の記憶を持って覚醒した。そこには遠山と佐伯、そして笹野がいて、倉
沢は時空を超えるために死んでいる。
あの白骨は誰だ。なぜ木村の記憶を手に入れることができたのか。海底へ沈んでいく俺の目の前で、木村の身体は白い
両腕に絡め取られたのを俺は確かに見た。あの腕がそうなのか。
木村は前世に強い未練を残したのだ。それはやはり、佐伯に対する思いなのか。
俺は遠い前世の記憶を辿った。
熟女好きとは言っていたものの、木村が女と付き合っていた様子は全くなかった。俺は人の私生活に興味を持つほど暇
ではないが、あいつは佐伯とのコンビがあまりにもしっくりきていて、俺と龍介同様、付き合っているものとばかり思っ
ていたほどだ。一方、鑑識課時代の佐伯は明らかに龍介に惹かれていたが、俺を見た途端諦めたらしく、大部屋へ配属に
なってからは常に木村と一緒にいた。
笹野大輔は龍介が好きだった。恋愛感情というよりは、一種の憧れのようなものに近かったかもしれない。そして笹野
はそれと同じくらい俺のことも好きでいてくれた。威勢のいい弟のようなスタンスで笹野は龍介と共にバイクに跨り、俺
とはよく捜査の帰りに飲みに行ったりした。特殊犯捜査員としての働きは申し分なかったし、一見ツンデレだが親しくな
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教えてほしい。どうすればいいのか。俺たちはどこへ行きつこうとしているのか。
在に気付いてほしくない。無駄に命を落としてほしくない。誰かと並行世界の話がしたい。すべてを知っている誰かと。
俺は笹野の様子が心配だった。むこうの世界で、もしかしたら病に侵されているのではないか。もう誰にも異世界の存
海上保安庁の男たち。
セピア色の映像が走馬灯のように流れていく。捜査用手袋をした木村の指先、砂に洗われた頭蓋骨。行方不明のままの
では龍介は?
今年の十二月、唐土神社の桜の下で会おうと俺たちは約束した。
それはきっと違うのだ。
簡 単 に や ら れ た こ と が 無 念 だ っ た に 違 い な い 。木 村 は 何 か に つ け 佐 伯 の 影 を 探 し て い た 。弟 の よ う な 存 在 と 彼 は 言 っ た が 、
木村は俺と一緒に覚醒した世の記憶を持って、佐伯のもとへ舞い戻ったのだ。剣持のクソ野郎が送った殺し屋にいとも
ると皆から可愛がられる性格だった。
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