﹃ 婚 姻 献 立 帳 ﹄

女子大國お
第百五十九号
平成二十八年九月三十日
︹資料紹介︺
﹃婚 姻 献 立 帳﹄( 明 治 廿 六 年 )
要
旨
八
木
意 知 男
神 社 祭 礼 の 後 に は 直 会と 称す る 神と 共 食 の 事が あ る 。 基 本 的 に は 神 前 に 供え ら れ た 品 々を 撤 下 し て 頂 く の で
ある。 故に、 神前に 供進され ること のない 獣肉が 直会の 場に 出ることは 稀となる。
一 方、 近 年の 結 婚 披 露 宴で は、 獣 肉は 当 然の 様に 見うけ られ る。こ れ は 一 体 何 時の 頃から の 風 潮で あろ う か。
明治初期に 肉食は 解禁されたのであるから、 結婚披露宴に 出ても 何程も 問題ではない。この 点を 確認の 為に、 敢
えて 資料一点を開示する。
また、皇族・宮家・華族等に属さぬ人々の晴儀の食事の実質を知る為の資料である。
食材の把握は、風俗文化史の一面を知る大きな鍵である。かかる立場から資料を開示するものである。
100
キーワード
婚姻献立帳
資料紹介
鯛中心
大根・牛蒡中心
本膳料理
はじめに
明治五年(一八七二)に肉食は公式に解禁された。これをうけて 人々は徐徐に肉食を 日常化させて 行き 今日に至る、
と説明される。では、一般庶人の人生儀礼就中婚儀披露宴に獣肉が登場するのは何時頃のことであったのであろうか。
そもそも 曾ての 婚儀披露宴は 極めて 重いものであり、 社会的地位や 地域性・ 家職等によって 縛られていた 向きが 見
うけられる。 当然、その 場に 供される 料理も「 何でも 自由に」とはならなかった。 最小に 見繕っても 褻を 去る 努力は
必要であったことは 想像するに 難くない。そしてこれ 等の 問題は 江戸期も 明治期も 大きな 変化は 無かったと 思量され
る。しかし、その実際は定かにない。それは資料不足を大きな因としている。
そこで、 本稿では 資料として 明治二十六年( 一八九三)の『 婚姻献立帳』( 地域不明) 一点を 開示する。もちろん、
これで 実態が 明白になるわけではない。 当該資料を 見る 限り、 肉食解禁から 二十年を 閲してなお 獣肉はここにないの
である。褻を去った結果であるのか否かは不明乍ら、風俗文化史の一齣である。
〔資料紹介〕『婚姻献立帳』(明治廿六年)
101
一
紹介する資料は、縦 粍×横 粍に楮紙を二ッ折りとし、紅白水引きを仕付けとする。全十九葉、内墨付十二葉。
表紙とする第一葉には打ち 付け書きにて
婚姻献立帳
明治廿六年正月
小巻要吉
二宴
三女中客
当該資料は、内容的に四つに区分され得る。それは
一式飾り
とあるが、
「小巻要吉」の在所や閲歴等は一切不詳。虫入。個人蔵。
170
なお、活字化するにあたり、異体字や漢字は現在通行字体に改めたが、ほぼ資料の姿とした。
四小供客
である。
102
245
二
『婚姻献立帳』翻刻
一生ノ松
一熨斗
一高盛
一吸物 ひ れ
」
」
103
一銚子
一御盃
粉ふき豆
田 作
一三木牛蒡
一立花
座
附
魚
丸づけ
一寿
し 玉子づし
切み
一吸物 餅
〔資料紹介〕『婚姻献立帳』(明治廿六年)
1オ
1ウ
青
味
一汁 つ
みいれ
一飯
」
」
2ウ
2オ
一む
し
ぎんなん
百
合
しん 菊
きくらげ
焼 魚
切み
本
膳
白が大根
一皿 ゑ
び
つくね芋
湯
葉
立
浪
一焼物 鯛
」
104
一坪 すし
御盃
一平
うれしの
魚青あゑ
一猪口 いちこ
うど
一吸物 切味
3オ
︵
︵
一茶碗
水ぜんじのり
くわい
山
芋
にんじん
ゆきわ
ふきのとう
」
3ウ
一さしみ
御盃
一吸物 鯛
ふくさ
」
105
海素麺
かつら大根
きんしゆば
かうたけ
生々のり
高さご
平づくり
細づくり
切だし
みかん
ゑび
高野豆腐
牛蒡
小いた
鯛
一台引 竹
の子
︵
一硯蓋
一小皿 たこ
〔資料紹介〕『婚姻献立帳』(明治廿六年)
4オ
︵
一菓子椀
玉 川 麩
しいたけ
有へい
︵
一吸物
一御茶
一菓子
せんぎり牛蒡
鳥
青味
一汁 つ
みいれ
」
」
」
106
御盃
一むしり 鯛
一ひたし
女中客
正月十八日十時
︵
一生盛
猩々のり
白が大根
海素麺
き ん し 湯葉
高砂
さかな
細づくり
5ウ
5オ
4ウ
白玉
一坪 あんかけ
干瓢
牛蒡
立浪
うれしの
さかな
白あゑ
一飯
一焼物 鯛
︵
一茶碗
ゆきわ
山いも
高野豆腐
にんじん
青み
」
」
」
107
御盃
一平
︵
一猪口
さかな
有へい
竹の子
うど
一吸物 切み
︵
一盛合
〔資料紹介〕『婚姻献立帳』(明治廿六年)
7オ
6ウ
6オ
︵
」
7ウ
御盃
一硯蓋
一小皿 たこ
御盃
一むしり 鯛
」
8オ
焼
芋
き んかん
ふきのとう
小いた
牛
蒡
湯
葉
つくね芋
玉川麩
しい 竹
しんじよ
とり
牛蒡
」
108
ねぎ
半ぺん
一吸物 ふくさ
︵
一菓子椀
︵
一吸物
一ひたし
8ウ
正月拾八日昼前
小供客
〔資料紹介〕『婚姻献立帳』(明治廿六年)
」
9ウ
〈図〉第 9 丁表複写
109
」
10 オ
ぶら
一汁 か
豆
腐
一飯
」
10 ウ
白が大根
一皿 海
老
干
瓢
牛
蒡
しんじよ
白玉
一坪 あんかけ
︵
一吸物 鯛
」
110
一平
みかん
ゆば
百合
赤いた
山いも
玉川麩
すし
一盛合 さか
な
︵
一菓子椀
一ひたし
11 オ
三
食材と献立
紹介資料の内容は如上の通りである。ここに使用されている主立った食材は次のようになる。ただし順不同であり、
全ての食材を掲げる訳ではない。また取り敢えず漢字表記しておく。
〔野菜・果実類〕
ニ ン ジ ン
ウ ド
ギン ナン
ユ リ ネ
カブラ
ゴボウ
ツクネイモ
ヤマ イモ
クワイ
ダイコン
) 胡蘿蔔( 人参 ) 独活
合根
菁 牛蒡( 午旁 ) 仙掌薯
) 慈姑
葍( 萊菔・ 大根・ 蘿蔔 銀杏
薯蕷( 山芋 百 蕪 フキノトウ タケノコ
ネギ
カンピョウ シンギク
アオ ナ
キンカン
ミ カン
薹 筍(竹子 ) 葱 干瓢
) 青菜 金柑 蜜柑
新菊(春菊 蕗 〔蕈類〕
キ クラゲ コウタケ
シイタケ
耳 革茸 椎茸
木 〔魚介類〕
タイ
エ ビ
ヒレ イワシ
) 鰭 鰯
) 海老(鰕 章魚(蛸・鮹 鯛
スイゼン ジ ノ
リ
ショウジョウ ノ
リ
前寺海苔 猩 々 海苔
海素麺
水
ウミゾウメン
〔魚介加工品〕
タ ツクリ カマボコ
チク ワ
ツミイレ
イ リ コ
作 蒲鉾 竹輪 摘入 熬海鼠
田 〔海藻類〕
〔肉・玉子類〕
鳥肉 玉子
〔豆加工品類〕
〔資料紹介〕『婚姻献立帳』(明治廿六年)
111
豆腐
高野豆腐
湯葉
〔小麦粉加工品類〕
麩
( 文化七年刊)
以上の 如く 挙げて 見ると 野菜の 類が 多く、 動物系の 食材が 少ないと 知られる。ここには『 続飛鳥川』
の次の言が参考となる。
只、 食物の 結構なる 事と、 売れる 事、 今より 増さること、よも 有るまじ。 昔は 奢がましき 事少くもなく、 三度の
食事に 菜もなく、 汁、 香の 物ばかり 也。 五節句には 大に 奢りて、 牛蒡、 人参の 類を 煮て 食ひしに、 今は 平生の 菜
の 物にくらぶれば、 五節句の 方大にわろし。 然らば 昔の 諸色高値かと 思へば 菜は 貳把で 三文、 下駄の 鼻緒も 二足
三文のよし。かゝる下値なるものさへ求めざりし、今の風俗と大に違へり。
。
︵ ○漢字は現在通行字体に改めた︶
○私に句読点を加えた。
とあるが、 晴と 褻の 差が 根菜類重視か 否かにあるとすれば、 紛れもなく 晴の 食材が 揃えられていることになる。 言う
迄もないが 五節句は「 晴儀」であり、 婚儀もまた 晴儀と 考える 故のことである。これに 対して 肉類は 少ないとも 言い
得る。獣肉類も解禁されているにも関わらず、ここには認められない。
鯛は 本席の 主役であり、 本膳の 焼物、 台引、 吸物、 等様々に 使用される。 而して、 式の「 一吸物 ひれ」とあるもの
も 鯛鰭の 可能性が 高い。 鯛の 鰭を 炙り、 日本酒熱燗に 浸したものである。また、 本膳「 一猪口 うれしの」とある 物は、
イ
リ
コ
鯛を三枚におろし、それを削ぎ切りにして醤油に漬け、葱・胡麻などをかけた上に熱い茶を注いで 食する。
海鼠を 戻して 味噌で 煮込み、 青豆を 茹でてつぶしたものと 混ぜあわせた
同じ「 一猪口」に「 青和え」とあるは、 煎
112
も の。 海 鼠 は 日 本 で は 主 に マ ナ マ コ(
Apostrichopus 〈図〉海藻三点
(学習研究社二〇〇四年版『日本の海藻』に拠る)
ナマコ
)が食用とされ、生体と乾燥体とがある。煎
japonicus
コ
キ
ン
コ
ヒ グ チ コ
●スイゼンジノリ
Aphanothece sacra
海鼠( 中華料理では「 海参」と 称す)は 海鼠を 煮て 乾
ノ
やわらかく、
ぬるぬるする
したもので、 特に 奥州金華山島産は「 金海鼠」と 称さ
コ ノ ワ タ
れ 珍 重さ れ た(『 毛 吹 草』
・
『 和 漢 三 才 図 会』
)
。 海 鼠の
コ
(
『 延 喜 式』
)
、 卵巣を
腸を 塩辛にしたものを「 海鼠腸」
113
干したものを「 海鼠子」と 呼びあるいは「 干口子」と
●ウミゾウメン
Nemalion vermiculare
呼び 銀と 等価ともされた。 正月の 雑煮に 煎海鼠を 用い
長さ 5 ~ 20㎝
太さ 2㎜
る地域は極めて 多い。
海藻類の 中で 水前寺海苔は 淡水産。 清水が 湧く 池や
カワ タケ コトブキ
川等に 生え、
「 川茸・ 寿 海苔」と 呼ぶ。 乾燥させたも
ウミ ゾウ メン
のを水にもどして 刺身のつまや吸い物・佃煮等とする。
素麺は 紅藻類の 海藻、 冬から 初夏にかけて 潮間帯
海
岩上に生育。塩蔵・灰干とし、水にもどして刺身のつま・
汁の 実・ 膾とする。 索麺の 食感と 極めて 近いとされる
(
『本朝食鑑』
)
。
「 猩 々 毛 海 苔 」 の 事で 能や 歌 舞
猩 々 海 苔も 紅 藻 類。
伎の『 猩々』を 連想して かく 呼ばれる。これ 等の 類は
〔資料紹介〕『婚姻献立帳』(明治廿六年)
寒天質の
かたまり
枝がない
ものが多い
糸状で
やわらかい
高さ 6 ~ 15㎝以上
下の如き姿のものである。
革茸は 暗褐色をした 漏斗形で、 外部に 細毛が 密に 生
カワ タケ
え 獣皮に 似る。 故にこれを「 革茸」と 称す。これを 少
おし葉は
褐色か黒色
●ショウジョウケノリ
Polysiphonia senticulosa
し 日に 干す と 香 気を お び る。 こ こ で「 香 茸」 と な り、
四
献立概観
味と香が最良の商品と謂われる。
なる。
れるか。
ただし、流石に特産品たる海素麺は出雲の婚礼膳に必ず使用さ
114
一 九 七 五 年( 昭 和 五 十 年) 三 月 発 行の『 別 冊 太 陽』
誌は「 婚礼」 特集で あった。そこ に 金津滋氏の「 出雲
婚礼諸事留」が 載る。 婚礼献立も 紹介されて いる。 婚
姻時期は 明治三十九年( 一九〇 六) 四月初旬。 出雲市
の 豪農旧家の 婚礼で ある。これを 見ると、やはり 獣肉
は 使用されて おらず、 基本的には 本稿で 紹介するとこ
叉状または互生に
小枝をだす
ろと 大きくは 変わらない。 両者共に 雑煮を 中心にした 饗応となっている。すなわち、 肉食解禁は 及んでいないことに
からだの上方の小枝は細かく
二叉分枝、または両側に
枝をだす
おわりに
明治二十六年当時、婚姻は晴儀であった。故に、その場で食される食品も晴儀に相応しいものでなければならなかっ
た。
│ タコ │ 多子
章魚婚姻
│ ダイコ │ 大子
大根
│ ウミゾウメン │ 産相面
海素麺
等というが 如きがその 例である。 従って、 金津滋氏紹介の 出雲の 例が 同一食材を 多く 有することによっても 確認され
得る。
「座附」の「一吸物」は雑煮の事と思量されるが、祝儀の晴の膳に雑煮が不可欠であったと知られる。
また、
(本学名誉教授)
明治初期に 肉食解禁となった。しかし、それから 二十年を 経ても 婚姻献立へは 影響を 及ぼしてはいない。そこに 晴
と 褻の 差を 見るか 否かは 別として、 婚儀は 古い 風を 残していた。 婚儀が 変化するには、 少なくとも 披露宴が 家の 外に
出る必要があった。例えばホテル等である。
〔資料紹介〕『婚姻献立帳』(明治廿六年)
115