Vol.24 - こども園そら

宙 巳
会報Vol.24
NPO 法人滋賀シュタイナ ー こども園そら
ごあいさつ
森
玲子
2
もくじ
3-5
森 玲子
子供の意思へのまなざし
······•········································•·······•·······························•··················
生きることへの喜び、
6-8
福井八重子
保議者から職員として
西村
美穂
宮域から滋賀へ移住して
久野
千枝
10-12
田中さなえ
13-16
................
...........
,
自己の本質に到る道
そら母さんのおしゃぺり会
~そら父さん編~
1/23 冬の講演会言語造形家諏訪耕志先生による
「ことばと子どもの育ち」に参加して
一生の宝笏
筒井
聡子
. 17-19
松村
直子
20-21
卒園児保護者
22-26
レシピ紹介
宮川亜紀子
27
本睾介
朝倉晃菜子
28
卒園によせて
お知らせ
.................
···············.......···············...........···················................29·····.
表紙:石渓すすな
ごあいさつ
担任
森
玲子
園のお庭のハ ー プがいつまでも元気に咲き、 水仙の花がいつもよりずっ
と早く咲き出した、暖かかった今年の冬・・・でも、 大寒の頃にはさすが
゜
に分厚い氷が張り、 冬の静けさとヒ ー ンとはった空気の冷たさを体験しま
した。
無数の雪の花ぴらが、空の奥から次々と湧き出してくるのを驚きの目で
見ていた日、
バ ケツに張った氷の分厚さに歓声をあげて、懸命にバ ケツか
ら取り出し、細かく割ってみて氷の不思議を体験した日、
パ ラパ ラと音を
立てて振ってきたあられが嬉しくてみんなで飛ぴ跳ねながら喜んだ日・・
子供たちの毎日は驚きと発見、 世界に対する興味と信頼でいっぱいです。
そんな冬の体験を超えた後、今年もまた新しい春が巡ってきました。
今年は4人のお友達が、たくさんの体験を重ねたそら園を卒園していきま
す。 胸いっぱいの期待とドキドキを一 緒に、みなそれぞれ分かれ道を一 歩
踏み出します。 たくさんの超えなくてはならない壁も待っていることでし
ょうが、 きっとこのそらで過ごした毎日が、 みなさんを支えてくれると思
います。
みなさんの、新しい人生に、 たくさんの希望と恵みがありますように。
お子様たちを守って、 園に毎日通わせてくださったお父様、お母様、 どう
もありがとうございました!
みなさまの人生もまた、 お子様とともにあり、 沢山の実りと喜ぴに満ちて
いますように。
不思議なご縁でつながった私たち、 これからも仲間です。
魂の家族として、みなさまの未来につながっています。 どうぞこれからも
よろしくお願いいたします。 ありがとうございました。
.2.
子供の意思へのまなざし
担任
「 感情は生成しつつある、
森
玲子
まだできあがっていない意思です。 しかし意志
の中にこそ完全な人間が生きています。ですから子どもの無意識的な決断を考
感しなければならないのです。 (「教育の基礎としての 一 般人間学」より)
*
朝、 登園してきた子供たちは、 いつものように靴箱に靴を入れ、 リュック
をかけ、リュックの中のものを定まった位置に置き、手を洗って教師と握手を
してから遊ぴます。いつも決まった手順を踏むことが、子供の意思に浸透して
いきます。
教師たちは、 必要な子には次の作業を促しますが、 毎日のことですので、
子供たちはそのうち、 朝の手順を習恨として身につけていきます。 ですから、
教師の言葉もだんだん必要がなくなります。
子供たちは毎日同じことを繰り返すことで、内的な力付けを得ます。同じ
ことが繰り返されることへの安心感。また日々続けることできちんとできる自
己への信頼感。
ところが、いつもと違うことをやらなくてはならない場合、大人はたくさ
んの声賭けをしなくてはならず、子供は大人の言葉を理解しなくてはなりませ
ん。 どうすればよいかわからず、 作業も滞り、「自分でできる」という喜ぴの
体験も持ちにくくなってしまうこともあるでしょう。
「 できない」体験がかさ
なっていくので、自己への信頼感も持ちにくくなり、いつまでも大人を頼って
しまいます。
シュタイナ ー は、子供の教育には「繰り返し」がとても重要なのだと訴え
ています。 なぜかと言うと、それが子供の感情と意思に栄養を与え、内的な強
さをつくるからなのだと言っています。 そうでない場合、( 繰り返しによるの
ではなく、 毎回言葉の指示によって教育されるような場合)、 子供は神経質で
内的に不確かになって行くのだと言います。
-3-
この教育槻に基づき、 私たち教師はなるべく言葉によらない教育、 繰り返
しによる教育を目指しています。
「 習慣」による生活ですので、
子供はその場その場で「どうしたらよいか」
と 「判断」する必要はありません。判断せずとも、 毎日の習慣として体の中に
生きているものとともにあればよいのですから。
一般の教育の中で、 「子供の判断力を鍛える」方法が模索されています。
そのために、 例えば、小さいうちから、 自分が何をしたいのか、 きちんと主張
できることを子供に練習させます。
勿論、 シュタイナー 教育の中でも「判断力」の育成を重視しています。と
ころが、 シュタイナー教育では、小さいうちは大人が決めた手順を与え、 それ
を繰り返させることこ そが、大人になってからのよき判断力の土台となると考
えるので、幼児への関わり方は、実際逆に見えます。つまり、 なるべく 「判断」
や「考えること」をさせないようにしています。
町で、 お母さんたちが、 何が買いたいものを子供に決めさせている姿、 判
断を子供に任せている姿をよく見かけます。というか、それが現代では当然の
姿になっています。子供の方でも、欲しいものは当然あり、 したいことはある
のですが、小さいうちは、 なるべく大人が「これをしなさい」と、 決めてあげ
るほうが、 子供の意志を力づけてあげることができるというのです。いかがで
しょうか?納得できるでしょうか?(シュタイナー の言う「意思」の範囲は大
きく、輪廻転生してゆく私たちの自我とともにある、 より高次の意思も含めて
いますが)
一日がこうして同じように流れていきますので、大人もあまり言葉を必要
としなくなります。言わなくても子供たちはやってくれるからです。そうして、
奇妙に思われるでしょうが、大人同士の言葉をなるべく聞かせないというのも、
教師が心がけていることです。
「 意思」
や「生命力」と対極にあるのは 「思考」になります。
シュタイナー学校の授業では、 子供たちが思考力を使いすぎ、 「 顔が青白
くなってくると」、 教師はバランスをとって、 次は体を動かす(=より意思を
使って体を動かせる)作業に切り替えるよう、 いつも意識されています。
「考えること」が生命力を使っているというのは、 何となくお分かりにな
-4-
るのではないかと思います。肉体労働よりも、神経や頭を使うことが意外に疲
れるという経験はお持ちかと思います。
ですから、子供が体を作り上げている7歳までは、 過度に思考や判断を求
められることや、また知的な目覚めを誘うものからも十分守ってあげる必要が
あります。とはいえ、 家庭では上の兄弟や家族の会話など、 またひとたび町に
出れば、 知的な刺激は山ほど溢れかえっていますので、あまり神経質になりす
ぎることも、 かえってバランスを欠いてしまいます。それでもなお、 そのこと
を意識してあげているかいないかでは、 大きく違ってくると思うのです。
園でも、子供は 「 耳をダンボにして」大人同士が話す内容を問いています。
ご存知のように、 「 天才的」 に大人の口調を真似します。 そうして大人がどの
ように「思考」したり「判断」したりするかに興味深々です。 そんな中で、 教
師はなるべく大人同士の会話をしないよう、特に「相談」をしないように心が
けています。そのことが、子供の意識を必要以上に目覚めさせてしまうのを避
けるためです。
「どうして」と、子供たちはよく問いてきますが、これにもさらっと答え、
できるだけ理由を説明しないよう、 「 先生が決めたからだよ」などと答えるに
留めます。言葉を尽くして説明して納得させた上で行動させるというのではな
く、大人が決めたことをするものなのだと納得させますので、一般的な考え方
からは、 えっ?どうして?と驚かれるかもしれません。
とはいえ、 それもこれも、 臨機応変さ、 杓子定規にならないバランスも必
要です。 バランスを欠いてしまえば、 それは不健康な状態です。
*
シュタイナ ー 教育に出会って、 私自身、 この教育が本当に深い人間理解に
基づいていることに、 常に薇かされてきました。
人間の成長段階によって、 子供への接し方を変えてゆくのも、 その深い人
間洞察からきています。幼児の中では、まだ「思考力」は種となるからだの中
で眠っています。•今は未だ起こさないで、眠らせておいてあげるように心を配
ってあげてください。すると、後になって、しつかりできた種からひときわ力
強い「思考」が輝きだすことでしょう。
-5-
生きることへの喜び、自己の本質に到る道
福井八重子
シュタイナー教育に出逢ったころ、ちょうど、人生の折り返し地点のように、
フィリピンから日本に帰国し、自分の後半生を捧げられるものはないかと模索
°
していましたフィリヒ ンでば背民層の子供たちと触れ合う機会があり、地方
の貧しい子供たちの、教育普及に励む友人や、フィリピンの伝統文化や芸術を
継承する環境活動家、ヒ ーリングミュー ジシャンにも出会い自分の生き方を深
く考えさせられましtea
主人の仕事で海外生活を5年半、再び日本に戻ってきたのは2008年の春》 そ
れより遡ること8年前の20CX>i¥、 ある研修に参加してアメリカ、
コ
ロラド州に
行き、4泊5日のマウンテントリップを体験しましt� ネイティプアメリカンの
聖地であり、大地や自然のエネルギーも強い場所でしt� 何日もかけて山を歩
いているうちに、足元の草花や小川の流れ、まわりの自然が生き生きと輝いて、
目に見える景色が、以前と違い生命力に満ちて見えました身体の細胞も目覚
めてくるようは愈じましt� 最後の夜に、ソロ体験といって自分一人て野宿す
る夜を体験しました光も音もすべて消え去り、漆黒と沈黙の闇湖のそばの
木陰で寝たので薄明りの夜明け頃、顔を洗おうと湖の岸に座りました空は雲
に覆われていましたが、ふと見上げると雲間から突如として光は賜)が現れ
ました光ば胡の湖面を照らし、 光の粒が飛ぴ散るように明る<輝きました っ
森が目覚める瞬間のようでした,そして光の筋が湖の上を走り、その光の筋は
まっすぐまっすぐ私に向かってどんどん近づいてきます、 わぁ ……、光が私の
体を貫いた、 と思うと何かがはじけましt� まるで宙に浮いたように、皮膚感
覚のない状態で、光と一つになった、光は 私で、 私は光になりましt� 一点の
不安も恐れもなく、 これまでに体験したことのない愛情に包まれ、幸憚惑に満
たされましたほんの数分の出来事だったと思います。涙がでてきましt� あ
とで聞くと、他の友人も不思議な体験をしていましたその後ずっと今に至る
まで、 その依験ば私の中の深いところに残っています。
-6-
この世界、また人間(自己)は、これまでの人生体験で毘識したもの以上の
何か、であり、人間の考えの及ばないことが、この世界にはまだまだ沢山ある、
ということが深く心に刻まれました私は自然の生態系を護るために、もっと
自然な生活ができないものかと考える一方、教育という崇高な仕事を求めはじ
めましt;:., そんな時、 シュタイナー 教育に邸奎い、 ある衝撃を受けました) 5
年生の授業「フォルメン線描、幾何学」を大人が体験できる機会を持ちましt;:.,
木造の校舎の 教室の中で、あの自然体験と似たような、宇宙空間に解き放たれ
たような感覚に到りました こんなことが、 教室の中の授業でできるのかと、
すごく驚きました2010il三、横浜で開講される「シュタイナー 教育教員養成
講座」を受講してみると、闊師の先生も同じように、 f人間とは、生きるとは」
を紆余曲折しつつ求め、常に学ぴ続ける努力の人でしt;:.,
「人間はね、 今まで
持っていた価値観をひっくり返すことを、 ある時期にや らないといけないの
よ」 と語る先生からは今も、水彩やフォルメン線描を学んでいます。
ルドルフ・シュタイナーという人物、学べば学ぶほど、シュタイナー教育を
実践すればするほど、その知識や思想に圧倒され、また人間的魅力に惹きつけ
られます。 シュタイナー氏が残してくれた、動きの芸術かすイリュトミ ー、形
態を成り立たせる元としてのフォルメン線描、水彩、音楽など、教員養成講座
で体験したことは、世界や生命の源に触れ、自然の創造行為を追体験するよう
でし t;:., 卸回、 目を見開かされ、驚き、感動し、天文、鉱物、植物などへの探
求心を呼び起こされました3 世界と新しく出逢うような、 心躍る体験でし t;:.,
例えば、 フォルメン線描に関して言えば、 シュタイナー学校では、小学校1年
生の最初に、直線と曲線を描く授業をします。 そこから方形、 渦巻き、鋭角、
鈍角の線描を行い、子どもの両手の器用さを発達させた後に、本来の文字を書
き出していきます。天文学者ヨハネス・ケプラ ーは「神ぱ宇宙創造のはじめに、
迷うことなく、直線と曲線とむ選ぴだしたそしてそれらをもって、造物主の
神性が描きだされた」とその著書『宇宙の調租lの中で書いています。小学校
1年生に向かってこの言葉を引用はしませんが、 子どもの体に行為として体験
させます。身体の各器官が形成されて歯も生え変わり学ぶ準備ができた子ども
は、自分の手の動きから生み出される、まっすぐな線に真剣に取り< .;TA苗きだ
-7-
します。それら網苗によって、大地にまっすぐに立つ力、平衡惑覚、運動惑覚、
触覚、生命感覚を育て、子ども自身の体の発達を助け調和させます。 これらの
感覚はこどもの成長と共に、後に、聴覚、言語感覚、思考感覚、自我感覚の発
達を促すからです。自己を確立し保ちつつ、社会生活の中で、周りの人や世界
との関係を築いていく力を身に着ける教育、そういう事を自分の体で感じ、ま
た子供との学ぴを通して少しずつ実感し、フォルメン線描ひとつにしても、こ
ればすこ:\�清だ、 と確{言するようになりましt::o
私は月に2回ほど出曜日の、そら小学生クラスを担任し、 少人数のクラスで
勉強をさせてもらっています。昨年11月からは保育の現場に立ち、森玲子先生
に学びつつ、幼児保育をさせていただく ことになりました 2011年に岡村佑
子先生のもとて-年間働かせていただいた経験はありますが、 それから4年経
ち、新しい風加次くこのそらで、働くことの責任を深く感じています。静けさ
を保つことができる子どもたち、おもちゃを扱う手つきも優しく、自然に流れ
るような生活のリズムの中で指示に頴らず行動する子どもたち、こどもの笑い
声、なんて美しい空間なのだろうと感動します。森玲子先生
(!)frまいや所作も
優雅で、子どもi項財埠を与えます。まるでお茶室にいるように自分自身も清め
られるようは惑じました幼児期の子ども達は、身体全身て呵吸し、周りのす
べてを吸収し栄養にしていくようです。大人の言葉や態度、在り様がまるで水
がしみいるように、子どもへと流れていくのが感じられましたまだとても感
性も体も柔らかく、良くも悪くも、どのようにも変わっていく可能性を秘めて
いるようでしt;:,, 身が引き締まる思い、子ども一人一人の内側にひそむ未来の
姿を思い浮かべ、それを損なわず育めるようにと、 日々、子どもに向かうよう
にしています。私がシュタイナー教育の学ぴを通して、人間や世界への愛に目
覚めていったように、生きることへの喜びが伝わり、子ども達自身が本来の自
己へ到る道へ歩めるよう、 お手伝いが出来ればと、願いながら…。
今後もどうぞよろしくお願い申し上げます。
(保育補助)
-8-
保護者から職員として
西村 美穂
娘と、 親子クラスからそらに通い、 娘が卒園したあと、 職員として、 私がそらに勤めさせてい
ただくことになリました。
ジュタイナー教育に親子で触れたいと思い、 近くにそらがあったことを嬉しく思いました。保
護者として、 そらにお世話lこなっていたころは、 そらの雰囲気や、 先生方が子どもにらにして
くださっていること、 話してくださること、 漠然といいなぁと思って過ごしていました。シュ
タイナー教育のことを知れたり、 少し学んだりするのはとても楽しいと感じていたし、 自分の
出来る範囲で生活lこ少し取り入れたりするという具合でしたが、 あまリ深く考えてはいません
でした。今になって思うことですが、 それはそれでとても良い日々だったと思いますが、 すご
くもったいなかったなぁと思うところもあります。
そらに職員として関わるようになって、 やはり、 当然だと思うのですが、 さらに多くのことを
学びました。子ども達からも日々、 多くのことを教えられています。とても感謝しています。
あのことにはこういう意味あいがあったのか、 とか、 こういう理由でこうしているんだとか、
大切にしているのは、 こういうところなんだな、 など、 不勉強だった私には、 そんな学びが
日々たくさんあリます。ここで一つ一つ書くことは出来ませんし、 私も忘れっぼくおしゃベリ
が下手なので、 みなさんに伝えられないかもしれませんが、 みなさんが、 そらで子どもらの生
活や時間の流れ、 行為の意味1::::心を寄せ、 理解が深まっていることが、 子どもたちにより安心
感を与えることが出来るのだと思います。 そして、 より 一緒に楽しむことができると思いま
す。
保護者の時の私の視点は、 「母親」でした。今は、 先生方の視点というのを少し見ることがで
きています。そこに、 少し違いのようなものを私は感じました。子どものことを思っているの
は当たり前に同じです。なのですが、 私の個人的な反省が入っていますが、 先生方の視点を知
って感じたことは、 大人が子どもに寄りそうというのはこういうことなのかなと思ったことで
す。私は母親として、 わが子に願いや心配、 いろんな思いがあります。きっと誰でも、 大切1::::
思い、 守りたいと思っていると思います。ただ、 私に関しては、 わが子に寄りそえているかと
問うきっかけになりました。母親だから、 余計1: 難しくなっちゃうような気もします。
でも、 そらで職員としてそらの子どもたちに接する時は、 ちゃんとこの子に寄り添えているか
なと自問しています。私のその行為の善し悪しはわかりませんが、 今、 私がそらの子らにさせ
てもらえることは、 それぐらいしかないので、 毎日そらに来ている子どもたちのその一日一日
が、 素敵なものとなりますよう、 つとめていきたいと思います。
(保育補助)
-9-
宮城から滋賀へ移住して
久野 千枝
昨年の3月末に子ども達3人と夫の家族5人で宮城県松島町から大津
市に引っ越してきました。震災から丸4年経った後の移住です。震災時、
6歳、 3歳、 0オだった子ども達。福島第一原発の事故による、放射能の
子供たちへの健康への影響を心配して移住を決めました。 「事故後すぐに、
後さき考えずにでも、逃げていれば良かったかも」と、今でも時々思いま
す。 3人とも甲状腺に多数の睾胞ができたため、毎年検査が必要です。彼
らが大人になっても、私がこの世を去ってからも、このことが原因で重い
病気にならないことを祈り、 日々の生活に気をつけていきたいと思ってい
ます。
震災趣から離れてから、震災について改めて考えるようになりました。
自分があれ程の震災の被害について一部しか自分の中で捉えていない、自
分の内に取り込んで丸ごと捉えようとしていなかったことに気が付きま
した震災後、私は子供たちにはもちろんですが、自分でも津波のシー ン
の映像などを見ることを避けてきました。自宅から 10 分ぐらいの車でよ
く行った公園も津波で無くなってしまいました。そこには震災後、一度も
行きませんでした。夫は、実情を掴んでおくことが大切だと思って、車で
被災箇所をそれなりに見て回っていたように思います。
我が家は、震災にあった中でも、最小限の被害で済みました。家族全員
が怪我もなく無事、借家も浸水もす ることなく無事、仕事を失うこともあ
りませんでした。そんな状況であったからこそ、私は震災後、握島第一原
発の爆発による放射能の健康への影響について情報を集め、行動していっ
たのだと思います。津波で家族を失い、家を失っていたなら、 目に見えな
い放射鮨についての対策を考えることはできなかったかもしれません。津
波の被害にあった方達、家族を失った方達の言葉を絶する体験、心情を、
私はできるだけ自分の深い所で感じないようにしてきたように思います。
- 10 -
放射能を避けるべくして宮城を出てきた自分、 そして、 そこでは地震、津
波のとてつもない被害があり、 そこで暮らしていこうとしている方達がい
ること。 これから、 考えていくことになると思います。
痕災後4年間、 だんだん放射能の健康への怖さがわかるようになって、
地元の食材は一切食べずに、通販で購入していました。掃除と洗濯の徹底。
長期休業中の保養。給食を止めての弁当持参。 学校や幼稚園での屋外行事
等での先生達へのお願いと交渉。 お母さんたちで小さなグルー プを立ち上
げて町への土壌の放射能測定の陳情、 グランドの除染の陳情、給食の放射
能測定の陳情等々。 震災後、 生活は大きく変わりました。 私は学校のグラ
ンドや公園の土を採取して測定して貰い、放射能を可視化し、 人にも伝え
ていくということをしました。あれ程、自然に恵まれ、食べ物もおいしく、
野山にも恵まれているのに、素直に楽しめなくなりました。 地元の食べ物
を頂いても、 喜んで食べられずに、 子供が見ていない所で処分していまし
た。 本当に切なく、 悲しいことです。
移住を決心したことの一 つに、長男を学校で一 人だけ宿泊学習に参加さ
せなかったことがあります。 国の除染地域にもなっている自然の家での合
宿。 焼き板やキャンプファイヤ ー の板も地元の物で、 セシウムが測定結果
含まれていることがわかっていても、 国の基準値以下なので使うと判断し
た学校側。長男を友達と宿泊合宿に参加させるべき様々な交渉をしました
が、 それが叶いませんでした。 セシウムを吸い込むことをわかっていなが
ら、 すでに嚢胞を持つ息子に、 これ以上被ばくさせることはできませんで
した。 長男も納得して一 人欠席しました。 これは本当に切なかったです。
10歳の子は友達と寝泊まりして、外で思い切って遊ぶことは本当に楽しい
ことのはずです。 もう同じ思いを子どもたちにさせないと誓いました。 そ
して、 移住への踏ん切りもつきました。
問題の渦中にいると利害関係があるので、反対の声を出し続けるのは大
変です。 事故があっても、 これまでどおりに事を進めようとする体制が町
- 11 -
や学校には強くあることも実感しました。 そして、 人間は誰でも大丈夫だ
と思いたい気持ちが強いので、警戒している状態を続けていくことは難し
いこともわかりました。 震災後の4年間、 常に何事もなかったように物事
を進めようとする強い力を感じてきました。 でも、 事故で自分たちが住ん
でいる場所の環境が大きく変わったことは、 変えられない事実なのです。
今、 日本の社会を見ると、 原子力発電所の再稼働、 安全保障法の成立、
マイナンバ ー 制の導入など私たちの生活、 命、 個人の自由に影蓉を与える
変化が、住んでいる者の意見を反映せずにどんどん進められている気がし
てなりません。 子ども達の将来へ、 これ以上の負を残したくないと思いま
す。 もっと命を大切にする社会を作っていきたいと切に思います。 微力な
がら、仲間と 一 緒に命を大切にする社会になるよう、 日々生きていきたい
と思います。
息
``
- 12 -
(在園児保護者)
そら母 さんのおしゃべり会
tそら父さん編l
新 年早 々に、そらに 子ど もを通わ せてい
た 、通わ せているお父さんが集まってお
しゃべりをしました。
普 段なかなか園に関わ れないお父さんた
ち。親
睦 もかねてお食串会を開きました。
そうしたら、と ってもお父さんらしい、
そしてお父さんの熱い想いを問く機会に
なりました。長 時間 に及びました ので、
一
部 を紹介させていただきます。
*メン バー*
T :8 オ、4 オ、 1オのお父さん。
H :4 オ、1オのお父さん。
s:5 オ、2オのお父さん。
11
オのお父さん。
M.
.
6 オ、4 オのお父さん。
k:5 オ、8 オ、
Y:6 オ、0オのお父さん
今年はまた賑やかな感じだね。
,
T.
H :なるほど 。
からか、少し静かに なったかな。
ったけど 、次の年は、新入園児が少なかった
•そうだね。うちの子がいた時は賑やかだ
T'
りますか?
H :年によってや っぱり園の雰囲気つて変わ
H :(ジュタイナー教育を知ったのは)結婚
かな。
いと なかなか現 実 的なこと を考 えなかった
ら 知ってたけど 、やっぱり子ど もが生まれな
s :うちもそうですね。7,8 年くらい前か
ったって方も居ましたよ。
T :ただ、以前に お父さんの方からそらを知
だけど .. .o
と ても良いと 分かっているのが前提なん
を深く見つめてくれている、と いうのが、
思 つ時がある。もちろん、子ど もの内面
りなさを感じてたりしないだろうか、と
なイメージがあ るし、園庭だけで は 物足
タ イプなので、ジュタ イナー園って静か
んだけれど 、と っても元気で 、活動的な
S.
.そうですね。
する前ですか?・
s :うちの子は、もと もと参加していた自主
は 、本人に合 うだろうなと思ったけど 、
我が家も男 の子を通わ せてた。それ
'
T.
s:いろいろな思想とかがある中で、そうい
やっぱl sさんが思 っょうな気持 ちも感
一同 :おぉ、それは すごいで すね。
に入園したのがきっかけみ たいだったけど 、
う選択肢もあるな、と。
保育 のお友達 が沢 山同 じタイミ ング でそら
M さ ん はど う や っ て 入 園 に な っ た んで す
イナー教育が良いって調ぺてて、シュタ イナ
入園でした。関東に居る時にも、妻 がシュタ
M :うちは、関東から 引っ越してきて、途中
んもあったみ たいです。移住 を考 えた時に、
ー園から捩助物資 が届いて、 その中にそらさ
ていた時に、震災 があり、全国のシュタイナ
調べ て見つけてきた感じで すね。そこに通っ
以前通っていたシュタ イナー保育園も、衷が
k:去年の3月に滋賀に引っ越してきました。
見て、やっぱl そらに通ってよかったな
今、息子が小 学校2年生になった状態を
発散出来てるか、満たせているかだよね。
して、本人の欲 求をどこまで その場 所で
ど 、何教育だから、とかいうこと と別に
教育とはまた遥 う教育方針の園だったけ
越す前に 通っていた園は、シュタ イナー
じる部分は なくはなかった。ただ、引っ
ー教育を取り入 れている園に通ってて、滋賀
娘 に はジュタ イ ナー 園に その ま ま通わ せた
ってすごく思 つ。
か?・
に帰ってくる「と になって、そらがいいんじ
いと思っていて、色 々なご縁 など が国なり、
ゃないかと、入園しました。
J
そら(ジュタ イナー教育)と の出会いっ
・
H・
ュタイナー 園には通っていなくて、行か
k:うちは、上のお兄ちゃ ん二 人は、ジ
滋賀に来て、そらに通えること になりました。
s :我が家は、男 の子をそらに通わせている
て、やっぱり皆 さん、奥さんからと いう感じ
ですか?
殆ど がそうなんじゃないですかね。
S・・
- 13 -
りペ ース。 ジュ タ イナ ー教育って、安心
の話を 聞ける機会があって、当時は( ジュタ
前に、 ジュタ イナ ー学校を出ている青年
・
K・
落 ち這いて遊んでいるのは、「 こから繋がっ
なのはなくって、 安定 して遊んでる。家でも
きゃー言ってるイメ ージがあったけど、そん
Y:一般的な幼稚園だと、走り回ってきゃー
ら、それを考えると自分自身が、他の人
で、将 来的な満足度や宰福 度を決めるか
足したとか、そ 「を感じられるかどうか
で、これ がやりたいからやる、これで満
だから、大切な のは絶対評価 。自分の中
子どもに段々安定 感が出てくることかな、さ
それで成長するのには必要かもしれない
より早く走りたいから走る、とかそれは
せればよかったなって。それは 、や っ ば
や人を 信じるとかを 大 事にしていると思
イナ ー教育って)なんだかなって反発もあっ
てるのかなって思えた。
ょ LJ目 立ちたいから叫ぷ、とか、他の人
っきの欲 求 を 発 散させ てあげ る っ て話にも
けど、それで満足を覚えるんじゃなくて、
J
ってて、すぐに目 覚め させ ないんだよっ
たけど、今 となっては世 界と繋がれるよって
T そらに通 わせ ていいなって思ったのは、
繋がるけれど、結局騒いだりしてしまうのは 、
そうやってし まうとずっとそれ になって
J
て 。いきなりすご い刺 激とかを与えない
問いたので、そういうものなのかなって。
それ が満たされ てないかもしれ ないからで、
しまうから。自分は守られてるっていう
.
.
方 がいいんじゃないかって。なぜかって、
H:Y さんは先日お誕生日会で一日そらで過
そ の部 分でそら に通 わせ てて良 かったって
のも含め て、絶対的な安心 感が必要で、
まずベース が出来て、それから初め て次
のお兄ちゃんは 、少し不安症 で、タ イブ
ご され てどう でしたか? その日 は 会社を 休
思 つのは、これ から先のどこかの時点で必ず
方 法かな。父ちゃ人 がサンドバッグ 状態
で発散させ てあげるっていうのもーつの
て行ける力になるかなって。だから、家
あると、また違ったステージで飛び 出し
な い未知なるものとかも信じられるって
んな大 丈夫 だよってしてれる、目 に見え
ても信用出来ず、ただ周りや他の人もみ
絶対 的な 安心 感の中 で遊んでるみ たい
・
S・
んでるんだけど
というか、なんて言うか、遊ぶのは普通 に遊
遊んでる様子を見ていても、落 ち薯 いている
まうけどね。
な話などは、男はついつい論理 的に闊いてし
実際に園に行くと納得 感が埴ました。神 泌的
ー教育の話を 聞きに行ったりしていたけど、
Y・
・休んでいきました。今 まで、 ジュタ イナ
評価 。相対評価 って僕自身の意 見として、そ
ろん、社会に出てからも競争社 会で結局相対
たのは比較されて、比べられて
...。もち
Y・
・僕が学校教育を受けてきて経験的に感じ
忌子を見ていて感じる部分が大きいな。
る間に培われてるってのが、少な くとも僕は
遊べる術計 た い な ものがこ のそ らに通 って
他の幼稚園がダメ とかじゃなくて、 安定的に
感 じられるものな のかもしれな い、と思う。
H・・
確かに、お誕生日に対する娘のテン
次、何 月だ」って言ったりね。
てるんじゃないかな、下 の子 は 、 「私は
かな感じ。誕生日会の主役にみんな憧れ
日なんだって、ちょっと子どもたちも厳
いつも通 りに遊んでるのは あるんだけど、
僕も初め て誕生日会に参加した時、
M・・
としてしまう 。
それ が欠けると相対的な評価 で埋め よう
にチ ャレ ンジしたリって話があっ て 。上
で( 笑)
な? お母 さん の子宮 の中 でみ ん な が遊ん で
れはど「かで妥協 が出てくる、だって鍛万長
********
とかもあるんだろう けど、安心 できると
まれたんですか?
の段 階で外に出ていったり、色々なこと
ろ が、親 がいくら大 丈夫 だよって言っ
「」
T・・
結局、今 だけを見ていても分からな
いるような感じかな。
者 にはなれない、とかだんだん諦め ていく。
ジョ ンが高くて( 笑)今 日は誰 の誕生日
やっばり一年に_度の自分だけの特別な
くって、後 から考えてよかったなって思
_同:おぉー、なるほどー
J
えるものなのかもしれないね。
- 14 -
T:確かに言葉で言うのはとても難しい。
一同 :笑ー・
そうそう!
・それは体験してもらった方が
Y・
な ものかもう少し教えてもらえると: ·
れている、 これって他の園ではなかなかない
で、居る 「 とをとても大事にさ
ng
なくてbei
匡 きを雷 かれてる世の中だけど、doi
ngじゃ
る からいいと思う。何 かをするっというのに
なくて、日常的に大切にしてるのを感じられ
T:イペントがイベントとして大 事とかじゃ
S・
・
そういえば、夏にそらさ んでも 「お父さ
もにおもちゃを作るって日があった。
土曜日のある日に集 まって、木を削 って子ど
M.
.そういえば、前に居た園で、お父さ んが
とか。
た。例えば、薪を割って、それでご飯を炊く
盛 り上がりますって、前の園では言われまし
いう力 仕 事とかはお父さ 人が 入 ってくる と
も素 敵な 人だ ったら、ちょっとそらって
って紹介してもらった時に、それがとて
とかに、「こ の人、そらのOBさ んだよ」
T.
'
例えば、 マル
ジ ェとかに行 ったとき
るのはいいかもしれないね。
T :ちょっと自 主的にお父さ んの会をや
かってのを、子どもに見せてあげないと。
k: 分かる分かる、泣いちゃうね。笑
M・
・ただ、自 分って大切にさ れてるんだ
とだと田心つ。
」
r
んの日」 みたいな イ ベントがありましたね、
いいなって思える 気がする。
だ って、よく言ってる(笑)
なって、みんなに認め られるんだなって、
Y: まぁ、男の人自体にそれがないかもしれ
台風で中止になってしまったけど。そういう
だ から、 子どもだけじゃなくて親 を見て
s :まだ誕生日会が来てないから、どん
とても感じられるものだと思う。
ない
のをまたやってもいいかもしれな いね。
T・
・
余 韻や静かさ ってのもあるし 、そ「J
っていくんだろうな。
いのかってことだ と思う。求め られればきっ
か妻に言われるIt
ど、逆にどう関わって欲し
K••
お父さ んは園にど う関われますか7っと
繋がっていて、 子どもはそらに通わせて良か
子どもはそらを卒 園したけど、親同 士はまだ
は 、それがあった からかもしれない。結 局、
今 やっている音 楽ユ ニッ トを結 成 出来たの
があって、そこで初め て話した方々 が居て、
の塗 り替 えを お父さ んた ちが手 伝 うって日
T・
・
僕 も息 子を通 わせて居た 時に、そらの壁
っていうのも、 とても大攀なポイントか
K.
.そしてやっばりOBになってからも
お父さ んもお母さ んも。
H・
楽 しんでるっていうのはとても大事。
かね。
ないといけないし、楽しんでるよってと
K・・
やっぱリ 憫報ってのは発 信していか
るってのも絶対 あると思う。
* ** *****
ジ ュタ イナー教育では、余 韻、静寂
・
K・
T・・
それ、言って欲しかったI・
笑
に詰め 込 みすぎてないというのも すご く
と応 えられることがあると思う。たとえば、
ったっていうのもあるけど、親にとってもそ
な。
J
を大 切にしてるよね、大きな声でわー つ
ある。今は、何でも詰め 込 みすぎてる気
外でお父さ んと遊ぶ とか、走るとか、何でも
らに通 っ て良かっ た と思える 部 分ってやっ
て発 散さ せるのとは対 極で、(誕生 日 会
がする。だ から、そんな 世界とは離 れた
やりますよ。
ばり関わっていかないと
S・
・
そらの教 育ってもしかしたら本当に
ど、それがきっとすI っと身体の中に入
********
ところにいるお父さ んが(誕生 日会に)
M そういうのはあってもいいかもしれませ
H・・
言葉で どれだ け言っても伝 わらないし、
(瑕 代の世の中の流れと)対 極的だけど、
で は) 静かにおめ でとうって言 うんだ け
行 くと、もう涙が出て、お父さ んが癒さ
んね。
やっばり親 が人生 をどれだ け楽 し んで る の
.
.
れちゃう(笑)
k:お料 理でも木Hでも何か作るとか、そう
- 15·
安心や安定が いかに子ども( 幼児 期)に
せないとかかな。
ないとか、不 安なことを見 せない、聞か
切にしてるから 、、大人 の会 話を聞かせ
・
例え ば、安心して過ご せることを大
K・
とても深 いと思 つ。
っとぐっと大地に租を張り、立 つってのを大
丈 夫だよ。前にいた園もそうだし、そらもさ
基本、ちゃんと地に足が ついてたらさっと大
k:大丈 夫、大丈 夫だよ。
夫かなって焦ってしまうのは ある。
M:ただ、普段 関われない分 、う ちの子大丈
て見失ってると ころはあるかもしれない。
も、それで いいよっ て言え る 。それが大切 。
ものが愛だから 、子どもが どんな風に育って
k:( 親が子どもに関わる時に)根底にある
ら( 父親)は 関わってい きま すよって。
T・
・そらに居てもそうだし、そら以 外で も僕
したいね、協力で きるとこ ろは是非力 に
k:近 いうちに玲子先 生を 囲ってお話し
点で お父さんとしてみんな ど「)
か同 じ価
T そも そも、そら に入園 させたって時
.
.
とって大切かってこと。
切にしてくれてて、願いとしてあると思 っょ。
T・
・何でも無閲 心な状態で 文句 だけ言う のは
H・
・
僕もお迎え に行ったりは し ているけど、
( 在 園児 保護者)
まとめ 田中 さなえ
H・
・やりましょう、やりまし ょう!
なりたいからね。
ていきそうだね。
これから そら の可能性 は ど んどん広が っ
値観を持ってるのかもしれ ないしねo
ジュタ イナー教 育では 、 7歳まで は
・
T・
T・
・
そういえ ば、先 日植え 木 の話をさいたん
H•
•
お父さんがどんと構 えている「とが大事
T そうそう、非常事態に備え てね、それま
********
悪を見せな い、という のが あるけど、や
だけど、やっぱりいかに根っ「を伸ばすのか
で すよね、やっばり。
は 男性 の方が 得怠 という か 見 極 めら れるは
で は見守ってるってね。
J
つばり見る必要ってないなって思う。
ってのが 大事で 、相対的に上も同 じ状態にな
醤をいかに大切にするかだよね。
・
T・
ずなのに、今は どんどん表面 の部分で 競争さ
そう いう 存 在 っ てそら には と ても大事な 気
J
・ちゃんと分かってくる段 階があるか
K・
るのと同 じで ね° 根っ「を 育てるのって本当
早 く何か出来るようになってほしい
・
M・
せようとしてしまってて、根っこを見るって
が する。今まで 上手く機能し てなかったけど、
j
ら ね。
っていう想いと葛 藤が あるけ ど、きっと
難しいけど。
今年は「んな 風に話す機会もあり、いい流れ
.
.
晉を大切にしたら 、子どもが おのずから
そら に居ると そ 「を教 わる部 分 っ てあると
だと思う。もっと他のそら のお父さんたちと
J
やりたいって気持ちが芽生えた時に、き
思 つ。
てのが 、そら なんだろうな。だって、普
やっばりおかし いから 、、自分たちも、「人
まだ年少で 入園したばかりだから、 一年の流
J
っと爆発的な力 E発渾すると思う 。
段 、余韻や待 つこと、静寂なんてやっば
なこと出来るよって、楽しむことがそらに入
れも分からな いし 、それを知ってる人から 囲
も話してみたいね 。
L難しいもんね。
園した醍醐味 じゃないかな。
けるという のは 、とてもありが たいで すね。
そのエネ ルギ ーをためていく時間っ
・
K・
T・
・怠外に男性 の方が 待つこととかが 得
S・
・
教 育の自給自足 みたいな?・
J
意かもしれないのに、瑕代社会にもまれ
- 16 -
1 /2 3
冬の講演会 言語造形家諏訪耕志先生による「ことばと子どもの育ち」に参加して
筒井聡子
今年の初めに、そらの冬の調演会がありました。
深くことばに携わるお仕事をされている先生の「ことば」 「お話」に焦点をあてた講演会。
抜粋するのもおこがましいですし、とても難しく、できるならそのままご紹介したい気持ちですが、
私の拙いレポー トに、どうぞお付き合いください。
'
- -- - ------
: 箪とは命そのも ;
� ,_ ヽ
--- -- - ---
/?
「お母さんの声。お母さんのことば。それこそが人がこの世で最初に味わう芸術です」(講演会案内文より)
人が人として、朝起きる・用が足せる•朝ごはんをおいしくいただく、その当たり前とも思える事を司っているのが、いのちのちから。
シュタイナーのことばで言えば、「エ ー テJl,O)カ」。
「芸術」というのは、本来、人に日々を生きていく、当たり前の力を呼び起こす、思い起こさせてくれる力。
「芸術」というものに出会う事をとおして、外側から眺めるではなく、「芸術」に抱きしめられる。
人は何かを抱きしめる時より、抱きしめられる時、その時を里ねる事によって、自分を意識していく事ができる。
生まれたばかりの子どもにとっての、抱きしめられたい人というのは、お母さんであり、周りにいる大人。
お母さんに代表される腕と胸の領域に包まれるという事が、お母さんのことばででもある。
その子の傍lこいる大人の深い呼暖、優しい息づかいでことばを発する時に`その優しい息づかいが、子どもをまるで抱きしめるように、
一
言一言が抱きしめる身振りとなり、手振りとなり、その子の周りに漂う。
-------- - - -------- -
-�-―裏
、ことばとはどういうものなのでしょうか? ‘
---------
ヽ ― `
ことばというものは、情報さえ伝われl;t\, Iい、意味さえ伝わればいいのか.. ?
情報を伝える役割は大事かもしれないけど、人間の発することばには、
発する人の感憫•生命カ・ヽi)ffiちの深ーいところまで伝えるんじゃないか?
”
“思考•感備·意志 というものが、三つ巴lこなって相手に届くのが「ことば」だと教えてくださいました。
・ .. - - - - . - - - - - - 、
-- - - - - - -- - - ク
ことばの教育lこついて、昔の日本人の国語教育は、ジンブルで興味深いものでした\
- - - - - - - -- J
- ----- - ------------ - --- - -- --- - - - - - - - - - ・一
1
細
0
「若い者は、人前で一人前に口をきけるようになったら、それで教育は仕上がりだ」
こんな風lこ多くをもとめなかったが、代わりに確かな1点だけははずさなかった。
人前で:::::とばをしっかり話せる人。
「考えていること、思っていること、感じていること、過不足なく、びたりとことばに出来る力を蓑え。
言い過ぎることなく、言い足りないこともなく。」
人と人との心をびたっと合わせてくれる役目を果たすということに、昔の方々は国きをおいていた。
- - - - - -----------------------
----------
くそばなジンブルな昔の日本鰤躙蕊もない郎どんな語りかけがあったのでしょう??
ヽ
---------------------- ----------··--------'
'i
#
第一7年期にあたる時期(ジュタイナー は7年を一つの周期として、人生を捉えています)、
昔の方々は、赤子・幼子に「芸術的なことば」を聞かせていた。
テレビもラジオもない時代、わらべ唄をたくさんたくさん聞かせた。
子守りをしているおじいさん、おばあさんが、昔話を、同じ話を繰り返し話してきかせた。
生の声で話を語り、唄をうたってきかせる。当たり前のようだけど、今はそうでなくなっている。
子どもにとって「芸術的なことば」を全身で享受できる、まるで自分を抱きしめてくれるかのような、
肉声•生の息づかいに触れる体験をしていた。
- 17 -
- - - - - - - -- - - - -- - --
��ーーな門芝屯竺:?�ゞ����:〕¢笏
「ことばには、 リズムがあります」
「::::とばには、ひそやかですけど、メロディ ー があります」
「ことばには、どことなくハー モニーを感じさせます」
リズムがある
裏,,
・
・
・
• これはまさしく「間」のちから。
一言
いう・・・ 、 次の一言・・ ・ 、次の一言・・
・
。
マシンガンのようにしゃべるのではなく、「間」があるということが、 人に「リ ズム」を感じさせる。
メロディ ーがある
・
¢
,
• これは誰にでもあって、音楽と遥ってなかなか感じとれないが、人は無意識1こ聞いている。
私たち達が日々どんな風1::考えているかが、その考え方が、話すことばの「メロディ ー」となって、
知らず知らずのうちに反映している。
ハ ー モニ_ がある・・ 「メロディ ー 」と違い、これは感情の深みにやすらっているもの。
((ぬ);
9
―
常1:::宮びを感じることもあれば、 悲しみ、 憎しみ、 朗らかさ、
"'
私たちは日々、いろんな蜘9が輝いている。
そういったものが、全部「ハー モニ ー」として、その時その場のことばlこ反映している。
-- - ---- ---- ------- - - ‘‘
く 「意欲」に満ちたことばを話していた昔の日本人
- - - - - - -- ---------- -
「意欲」は、 人間の手足の働きで一番発揮される。
昔の人々は、どこへ行くにも足を使い、何をするにも手を動かしていた。
ボ勺ン一つですべてがでさる斑代の私たちとは遥い、自ずから体を使う生活を毎日毎日繰り里ねていた。
手足を使わなければ使わないほど、手足とは対極にある、「頭」をひたすら使う現代の生活。
もちろん頭のちからも大切。
だけども、意欲のちから、 手足のちからをもって生活することの上に、昔の言語教育はあったようだ。
[第一 7年期】0-7歳
*おもに聞くこと。芸郷即なことばをいつばい聞く
*昔の日本人は、この時期にひたすらわらべ暇をうたい、昔話を繰り返し話して聞かせた
*聞くというのは、 人間の内なる「女性性」
【第二7年期】7-14歳
*おもに話すこと。第一 7年期にきいてきた芸術的なことばを話はじめる
*シュ勺イナー学校などでは、 演劇で培う。
全身を使ってことばと行動、意志が一 つとなった感情にふれる体験をする
*話すというのは、 人間の内なる「男性性」
【第三7年期】14 -21歳
*闘いて話す、話して囲くの練習。ことばを交わし合う。
*大人の中の確かで明瞭な意見を聞き、自分の中の不確かさと照らし合わせ、
結晶する時闇
*自分のなかの「女性性と男性性の融合」
- 18 -
:�、音ー自ー玉圧王〗-
-賃
これは個人的にとても興味深く、 これを知る知らないでは、読む私たちの楽しさも全然還う!!
お話の広がりを感じたのでご詔介します。
ヘ
匂
昔話ではおなじ計の「おじいさんは山へ芝刈りに。おばあさんは川へ洗濯に」
おじいさんは山へ登る→男性は高みへ登り、神の声をきく役割がある。
芝を刈る→木を採ってくる、樹木は神の降りる場所。
そうして山の高みにのぼって、神の声をきさ、おつげを受け取り、村にちからをもたらす役割が
人間の内なる「男性性」が担っていることを表している。
おばあさんは川へ→山から流れてくる叡智、 おじいさんが下ろしてくれる叡智を下で受け止める役割
川で洗濯→水で身を渭めること。神様を迎えるにふさわしい体となってお祭りする。
そういった役割が、人闘の内なる「女性性」が担っていることを表す。
‘’
,、
---------- 、
``
お話のしかた•読み聞かせ
、 - -- ·- - - - - - - - -
I
ク¢ク
昔話のそういった意味もこころに感じながら、話すだけでなく、手や足をつかって、
どことなく、山の高みを指し、「山へ芝刈りに・・」
身を渭める思いで、洗濯の身振りをもって、「川へ洗濯lこ・・」
身振りをもって大人がことばを語ってあげるほどに、圏いている第一 7年期の子どもたちは、
ひそやかな身振りとともに、ことばを受け取る。
そして第二7年期になった時、 そういった「スイングしたことば」を自分自身が語れる人になる。
そうして読んであげる時には、 「リズム」「メロディ ー 」「ハー モニ ー」をもって、
「むかしむかし・・・、あるところに・・・」一息一息、こんな風lこ腺んであげると子どもの聞(ちからが変わる。
沈黙さ圏くちから、その沈黙の中にどれほど豊かなものが潜んでいるか、私たちも知ることができ、
::どもはそれを体全部で受け止める。
1ページ終わったら、阪う息でペ ージをめくり、また吐く息で次のことばを親む。また1 ペ ー ジ・..
ペー ジの開け閉めにも呼殴が感じられ、
聞いている子どもは、おおらかな呼殴と一緒lこ絵本を味わうことができる。
そうして固定された絵ではなく、自分のなかで自由に想像を膨らませる。
聞(ちから、そういった目に見えないものを見る、そんな力が息づいてくる、呼び起こすのが
私たちの深_い息づかいなのだと教えてくださいました。
すべてはご紹介しきれませ人が、以上が諏防先生からお教えいただいた内容です。
::とばの世界にも「女性性」と「男性性」の2つがあるということ。
ことばに限らず、あらゆる現象は根っこから眠収した水の力を、幹や葉へ、葉から太陽の力を得て、 根っこへの領環なんだな、
そしてそのバランスがとれている事で凛としていられるのかなと実感しました。
いろんな事が感覚的につながった感じが気持ちよく、 すっと心に届いたことばの授業でした。
ことばというと、 話すことが大串だと意識的lこなっていましたが、まずは聞くこと。聞く力を醤うことが
先だったのだなと、子どもたちへの語りかけの大切さをしっかリ心に刻む時間となりました。
昔の日本人の感覚の素晴らしさ。もっともっと知って紡いでいきたい。日本を良い方向へ。
ジュタイナ ー教育で出会う、 学びの追体験。いつも感動してしまいます!!
棄敵な学びの時間を諏訪先生どうもありがとうございました。
どんな素晴らしいことも、 子どもの為 ではなく、まず親が楽しむ、親である私たちが、 お話の世界にどつぶり漠り、心から楽しむ。
まずは、ことば、お話に込められた本当の意味を知り、私たち自身が、お話にどつぶり浸りたい。。
そんな思いがふつふつ湧いてきます。次回は大人向けの諫み圏かせ会を諏訪先生lごぜU-1笑
- 19 -
(在園児保護者)
三
松村直子
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もと 、雰 倍 一り
上
た
‘
一生の宝物
m釦
f五
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kh1
6
知っている友達が多かったからか思っていたよりもスム ーズに園に馴染んだな、と思っていた矢
先、いきなりの「行きたくない」騒動。どうしたもんだかと頭を悩ませたけれど、一週間もしたら何が
何でも行<!という風に変わっていました。先生はいい意味で何とかして来させてやらなくちゃ、と
いう感じは全くなくて子どもの気持ち優先で来たくなるまで待っててあげるよと笑顔で言ってくれて
いる感じでした。その態度に親としてどれだけの安心感を得たことでしょう。子どもの力を信じてく
れているのだと嬉しくなったほどです。それから息子は毎日機嫌よく帰ってきます。心も体も満た
されて幸せそうです。家でもそらで習った歌を口ずさみながら 一人遊びに没頭したり、ファンタジ一
を爆発させながらごっこ遊びをしたり。毎日毎日楽しそう。朝どんなに眠くても「そら休む?」つて聞く
と「行<!」って飛び起きてきます。それって凄いことです。
お誕生会。天使として友達に導かれて暗い中をしっかりとした足取りで現れた息子を見て、うま
く表現できないけれど私は何か大きな命の源(大天使?神?)のようなところからこの子を預かって
いるのだなと、一つのかけがえのない大切な天使なのだと感じ、大切に大切に育てたいと、我が
子をとても愛おしく感じました。そしてハッとさせられました。今まではこの子を大人になった時に
困らないようにいろいろ教え導いていくことが親の務めだと思っていたけれど、この子は目的をも
って意思をもって生まれてきているのだから要らない干渉や比較などせずこの子のままでいさせ
てあげたいと心洗われた感じがしました。正にお誕生会は親のための行事なのだと、子どもに出
会えたことに感謝する行事なのだと思いました。そのような気持ちを持たせてくれるシュタイナー
教育、そらの先生方には感謝しかありません。
私の目から見て我慢強く、大人の言うことを素直にきく手のかからない息子。自分の持っている
ものでも他の人がそれを欲しがればさっと譲ってしまうところが私の悩みでした。人から見れば優
しいね、で終わることかもしれません。でも欲張りな母親としては、自分をもっと大事にして自分の
考えをしつかり持ってほしいと思っていました。そしてそのように育ててしまった自分の育児を反省
したり、否定したり。きっと私の主導権が強く、押さえつけて育ててしまったから。そのことを心配し
て先生に相談すると「へ?確かに友達に譲ることも多いですが、とても嬉しそうですよ。きっとそう
したくてやっているのだと思いますよ。それに結構頑固ですよ。片づけようと言ってももっとやると
言ってきかなかったり。そんな時は片付けもしませんよ。」 ・ ・ ・ チーン。完全な肩透かし。家の様子
- 20 -
とはちょっと違うけどきっとこれが息子の素直な姿。子どもは親が思っているよりずっと退しく生き
ているんだなと思わされた出来事でした。伸び伸びできて自然体でいられるんだな、と。
子どもにとってそらは自分そのままでいられる場所。 「次はあれ、次はこれ」と気せわしく追い立て
られることもなく、先生にお尻を叩かれ叱られながら行動するのではなく、決まった流れの中で自
分は次こうするんだと主体を起こして行動でき、安心して自分を発揮できる場所なんだと、改めて
この幼稚園に入れてよかったと思いました。
冤°
私たち親子は 一 年という短い期間しか園に在籍できませんでしたが、先生方や保護者の皆様、
OBの皆様にはいつも温かい眼差しで見守っていただき感謝の言葉しかありません。息子は4月
から私の仕事の都合で地元の保育園に転入となります。転入に際して周りの流れに飲み込まれ
てしまうのではないか、大人の指示の上での生活になりそれが当たり前になりはしないかなど心
配は尽きませんでした。しかし、息子にはそらに通った 一 年間があります。その中で居心地よく自
分を発揮できたことが彼の人生のベースになるのではないかと信じています。大切なことはそら
で体から心から感じていったのではないかと思います。だから彼の力を信じ、心配せずに保育園
に送り出します。
また、私個人としてはそらに迎えに行く間、保護者の皆さんにとても仲良くしていただき 一 緒にチ
クチクしたり、お話したり、セミナーに通ったり、それはそれは有意義なものでした。初めて知った
ことも多く、教育観をもう 一 度考え直す機会にもなりました。この時間は私にとって人生の宝物で
あり、ここで感じたこと、学んだことを学校現場に持ち帰り生かしていきたいと強く思っています。
幸せな子どもが 一 人でも増えますように・・・。
この紙面を通じてお礼申し上げます。ありがとうございました。
- 21 -
@
加応う"
根っこを育ててもらった2年間
”
息子の侑が、"そらさん に仲間入りしたのは、年中の5月。
暖かな春の光、花ざかりの園庭、あたたかく家族のように迎えてもらったこと、遠い昔のようです
横浜から引越してきて、通い始めた「そら」
lクラス40名X4の横浜の東寺尾幼稚園から、15名弱の「そら」
同じシュタイナ ー をベー スにした幼稚園とはいえ、息子の幼稚園生活は、いろんなことがいっ ぺん
に変わりました。
前の幼稚園と同じ歌があると、 「 同じ歌があったよ」と話してく れた侑。
前の幼稚園と同じことを探したり、違いにとまどったり、周りの様子を伺いながら、一歩一歩。
時には止まったり、下がったりもしながら、侑のペー スでそらに慣れていくのを、先生方やお母さん
たちに、あたたかく、時には手助けしながら、侑も親である私も含めて、見守り、導いていただいた
こと、今でもとても感謝しています。
おかげさまで、そらのでの生活が、侑にとって「日常」となり、お友達と遊ぶことが何より楽しいことと
なりました。
また、園でするろうそくを灯してのお祈りやライゲンなど、子供が私に教えてくれることによって、家
の中でも、その素晴らしい体験をさせていただき、生活がより豊かなものになったように思います。
卒園を意識するこの1月に、ライゲンの劇の様子を園で見せていただく機会がありました。
美しく整えられた教室に、ピンクのカ ー テンを通して、柔らかな光を感じながら見る、子供たちの様
子は、本当に素敵で感動しました。
子どもそれぞれがそれぞれに違って、素敵で、それが当たり前の空気で受け止められている。
先生にもお友達にも、穏やかに。
「世界は善である」シュタイナ ー の言葉が頭に浮かびました。
その園の空気感に、 「あー、子供を,, そら,, に通わせることができてよかった」と、改めて幸せを感じ
たひと時でした。
”
”
あるがままの自分を当たり前に受け止めてもらった そら ですごした時間、こども園そらというあた
- 22 -
たかな摂いの中で、 「 人としての 根っこ」が育まれたように思います。
春からそれぞれが小学校という新たな環境に飛び込んでいく訳ですが、これから、そらで育んだ根
っこを生かして、どのように枝を伸ばし、成長していくのか、とても楽しみにしています。
最後になりましたが、先生方を始め、保護者のみなさん、またOBの方やそらに関わって下さってい
るすべての皆さまのご尽力があってこそ、 「 そら」があること、心から感謝申し上げます。
侑と共にそらで過ごした2年間は、私の宝物です。
本当にあ りがとうございます 。
私自身は、まだ年少に通う娘がいるので、そらを卒園するのはもう少し先のことですが、今まで以
上に、そらの時間を大事に楽しみたいと思っています。
これからもよろしくお願いします。
松田早苗
おおきなそらとだいちのあいだにいだかれ
こ のそらはある
そこには
こどもたちのわらいごえがひびきわたり
みえないものをはぐくむ
あたたかなまなざしがある
みずにふれつちをまぜどろんこにする
きをたてぬのをかぶせおうちをつくる
しずかなおへや いのりのことば
おだやかなうたごえ
ああひぴきわたるベルのおと
もうたぴだちのときがきたよ
- 23 -
いつまでもわすれないで
このそらで
すごしたこと
ろうそくに ひをともし
くらやみのなか
うたいながらあるいたこと
てんしになり
みちぴかれて
おやのうでのなかへとびこんだこと
だいじょうぶだよと からだがささやく
このてにふれた
やわらかなもの
おくちからながれでる
たのしいしらベ
このおみみとおめめでかんじた
リズムとものがたり
このおはなとしたは
きせつのかおりとおいしいものをたべたこと
きっとからだは わすれない
このそらから おおきなそらへと
いま たぴだつ
皆さんには娘の食物アレルギー に配慮していただき、本当にありがとうございました。
最後の登園の日、玄関で
娘は先生にぎゅう・・・と、抱きしめられていました。
穏やかで心温まるひと時でした。
そらと、先生方と、そして、そらのお母さんたちとのご縁に感謝しております。
わたしたち家族にとって宝もののような、しあわせな1年間でした。
こだまゆきはる
しおり
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多くを学んだそらでの日々
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わが家の次女が3月、そらを卒園します。
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先日園庭のあちこちに咲く水仙の花を見ていて、あぁ、春を迎えるころにはわたしたちはこの園庭
からむこうの比叡山の景色を眺めることはないのだなと、園で過ごす日々の残り少なさをふと実感
しました。
長女とあわせて、6年間をそらに通わせていただきました。その6年を思い返す時、いつもそれは
柔らかいパステルの色に包まれたやさしい印象です。保育室にかかる淡いピンクのカ ー テン、柔ら
かい手触りの木の積み木、芸術的な季節の飾り、羊毛の温かい手触り ・ ・ ・ そういった目に見えるも
のにも増して何よりも優しくこどもたちの心を包んでくれたのは、先生方の静かな声かけや優しいま
なざし、そして保護者のみなさんのこどもを見守る温かさだったと思います。
親であるわたしも、そらを通してたくさんのことを学ばせていただきました。それは、シュタイナ ー 園
らしい手仕事であったり、滋味深い食べ物であったり、人とのコミュニケー ションであったり、そして
もちろんこどもとの関わり方であったり。興味深く楽しいこともたくさんありましたし、辛く答えの出な
いこともありましたが、そのどれもが、自分にとってとても意義のあることで、どういうわけかとても芸
術的なものであったように思います。何かを大切にしたり手間をかけて創造すること、ちいさな動き
の意味に思いを巡らせたり、悩んだり、たとえ答えにたどり着けなかったとしても、そのようなひとつ
ひとつのプロセスは芸術的な喜ぴをもっていて、目指すところにはいつも「調和」があり、調和の難
しさがあり、調和の美しさがあり、それは人の心の基盤を支えてくれる本当に大切な生きる糧なん
だ、と。そのようなものをそらからたくさん教わったと、今あらためて思います。
こどものちいさな身体や心という器がまだ柔らかく大切な時期を、そらの先生方やおともだちや保
護者のみなさんに見守られ、喜びや美しいものでその器を満たしてくれたことがほんとうに幸せで、
感謝の一 言に尽きます。
次女が4月から通う小学校は新入生が135名ととても多く、少人数の温かく守られたそらからの環
境の変化に親として少しながら戸惑う気持ちもあります。それでも、みなさんから与えていただいた
優しさや美しさが、この子の心の強い基盤となって支えてくれることを願っています。
6年間、本当にありがとうございました。たくさんの感謝の気持ちを抱きながら、卒園にむけて。
小田裕美子
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卒園おめでとう
中村かおる
卒園まであと 一 ヶ月・・・この道を運転する毎日も終わり・・そう思った途端、涙があふれました。
入園して間もない頃、あるお母さんと園の近くの土手を何往復も歩いておしゃべりをしました。お
互いに一 人っ子で初めての子育て。親子そろって園になじめない私に彼女は「大丈夫よ」と優しく
言ってくれました。
ちょうどその頃、降園後に、誰かの家に車に乗りあわせて遊ぴに行く子供たちを見て、娘は羨ま
しそうにしていました。そんな時、あるお母さんが「今日うちに来ませんか?」と声をかけてくれまし
た。そのお宅のお庭で、ままごとをしている娘たちのそばで草むしりをしながらそのお母さんといろ
いろな話しをしました。 大地に根をしっかりとはった大きな木のようなお母さんでした。そのご家族
はお父さんの転勤で引っ越されていきました。あの時も、こうして車を運転しながら泣いたなあ。
野菜が苦手な娘に、楽しいお話をしながら、魔法をかけるように給食のお汁を食べさせてくださ
った先生。その先生が園を去られる時に、娘に「先生は見ているよ、杏ちゃんがお野菜食べるとこ。
ちゃんと先生には見えるんだよ」と言って、手を丸くして望遠鏡のように目にあてて見せてくれまし
た。それからは、野菜を口に入れて顔をしかめては「先生見てるかな」と毎日のように娘は言ってい
ました。
こうしてそらでの生活を振り返ってみると、なつかしく思い出されるのは娘が年少の頃のことばか
りです。いい出会いに恵まれました。感情の波にのまれる私をよそに娘はいつも前だけを見ていま
す。私は、ため息をつきながら、時には頼もしいなあと思いながら見つめる娘の背中をいつも追い
かけていたように思います。
遊び道具を独り占めしてお友達とうまく遊べなかった娘が、お友達の遊びに入って 一 緒に楽しめ
るようになり、今は自分のしたい遊ぴをお友達とできるようになりました。3年間、 一 度も園に行きた
くないと言ったことのない娘。毎日のように「今日も楽しい 一 日だったあ」と言って眠りにつきます。
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全ては、玲子先生をはじめ先生方の努力の賜物だと思います。そう、”マリアの庭 のあの大きな
炎、子供たちを導く強く優しい光のように先生方が導いてくださったのです。
自分の炎を心に灯し、大きな炎に向かって 一歩ずつ進んでいく子供たちの姿に、一 人 一 人の幸
せを願わずにはいられませんでした。出会えてよかった。感謝の気持ちでいっぱいです。先生方、
保護者の皆様、そして子供たち、本当にありがとうございました。
満ちゃん、侑くん、和歌子ちゃん、杏、卒園おめでとう!!
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甘酒
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