「ご主人はヤクザの奥方」特集編

ご主人はヤクザの奥方
吉田雅子
第一回 わたしの勤め先はこんなお宅でした。
(一)
ねえさん
姉さん
姐さん
…同じ呼び方のねえさんでも、文字にするとちょっと違ってきます。
どうしてでしょうね。わたしにはわかりませんが、12年間ハウスキーパーとしてお世話になって
いたお宅の奥様は、周りのひとからは “ 姐さん ” と呼ばれていました。
その他に、息子さんは「若」。娘さんは「お嬢」と呼ばれていましたが、わたしはお名前で呼ばせて
いただきました。
姐さんの事は、錦三でクラブを経営されていたので「ママ」、オヤジと呼ばれていた旦那様の事は「社
長」と呼んでいました。
考えてみますと一般では体験できない事等、色々経験したと思います。
そうですね。まずわたしの初出勤の日の事でも話させてもらおうかしら。
12年前の4月28日の朝9時にご自宅に伺いました。このとしの3月に面接をしておりますので、
すでにママと社長には面識があり、お顔は存じておりました。
ママはといいますと、お着物の似合う粋な感じの方と言うのが第一印象です。一方の社長は温厚そう
な、とてもその筋の方とは見えないなというのが第一印象です。
さて、当日ですが、緊張しながら、ピンポーンとインターホンを鳴らしたら
「ハーイ何方ですか〜」
「今日からお世話になります、吉田です」
「どうぞ」
ということで玄関を入りますと、お嬢さんがニコニコしていました。
「お母さんか、お父さんいますか?」と聞くと、ニッコニコしてたお嬢さんがくすくす笑いだしました。
何が可笑しいんだ、この娘。
これからお世話になるんだと思ったら無性にムカムカしてきた。
「どうせチヤホヤされて育たんだろう、礼儀しらずな。おはようとか、これからよろしくお願いしま
すとか無いのか !」
と心の中で叫んでいました。
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しかしお嬢さんはわたしのそんな思いとは関係なく、クスクス笑いからゲラゲラ笑いになっている
ではありませんか。
何だこの娘、頭おかしいんじゃないか !
それまではむかついていましたが、哄笑するお嬢さんを見てたらなんだか気の毒になってきました。
ころがそのお嬢さん、挙動がおかしい。ゲラゲラ笑いをこらえて、ようやく放った言葉は
「吉田さん、わたしよ、わたし ! あかねよ」
あかねとはママの名前です。
スッピンで私服のママはどう転んでも10才は若くみえて、わたしはといえば言葉も出せず、ただ
ただ驚いているだけでした。
「お父さ〜ん、お父さ〜ん、今ね吉田さんがわたしのこと、娘と間違えたよ〜」と嬉しそうに、わ
たしを奥へと通してくれました。
あっ、思い出した。この家の娘は小学生だった。
(二)
この家では家族以外に、業界用語で言う「若衆」たち数人が生活というか食住を共にしています。
かといって、全部が全部住み込みではないようで、毎回違う顔ぶれなんだけれど、「誰が住み込み
ですか」などと、そんなことは誰にも聞けません。
なので社長やママの会話から、何となくわたしなりに解釈してみる事にしました。
まず、若い衆には当番というのがあるようです。
当番は自宅横にある事務所棟とやらで一泊二日詰めるものらしく、若衆さん達は自分で食事を作り、
掃除洗濯も自分たちでしています。
このとき、掃除するついでに社長やママが住んでいる自宅の庭掃除と屋敷周りも掃いてくれます。
その点はわたしも楽させてもらえます。
何人かいる若衆の中でも一番下っ端の3人だけは社長の自宅で朝食を食べているのですが、これが
びっくり仰天で、驚かされましたね。
初めて見たときは「何だこりゃ?」と思いました。
床に正座して両手を着き、社長とママに「おはようございます。頂きます」
社長は頷くだけ、ママは「ハ〜イ」。そのあと若衆はわたしにも一礼して「頂きます」。
食事を終えたら、食器を重ねて流しまで持ってきてくれます。そしてまたまた正座して「頂きまし
た」。
一般的には「ご馳走様でした」なのにここでは「頂きました」なのだ。
社長には聞けないので、翌日ママに尋ねたら、こう教えてくれました。
「あの子達は、ご馳走される立場じゃないでしょ。食事を頂くんでしょう。だからなのよ」。
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このときわたしは「でもいま一つ理解不能なんですが」と言いたかったのですが、止めました。
そのうち分かる日ががくるんでしょうね、きっと。
(三)
翌日です。
朝出勤したら、玄関前で若い衆さんが正座してる。
「玄関開いてませんか? ママ起きてないのかしら?」と言ったら、
「違うんです、自分が下手うってオヤジが起きられるまで、ここで待たせてもらってます」
下手うってとは、その意味は『失敗して』ということらしいのですが、わたしには何も言えず、家
の中にはいりました。
するとママが「玄関に居たでしょ? お父さんが起きたら雷を落とすけど、気にせずにね」
そのあと「さて、報告するタイミングはどうしようかなぁ〜?」などとママが独り言を言っていま
したが、その意味は後々分かりました。
社長が起きてきて、まず朝風呂に入り、今日の当番の若い衆さんが背中を流します。そのあと腰に
タオルを巻いただけの社長がダイニングテーブルに着き、朝御飯。そしてコーヒーを飲み始めたら、
ママが「お父さん山田君がねぇ、何かねぇ話があるらしいの」。
何だ歯切れが悪いなぁ! とわたしは思いました。
社長「山田を呼んで来い!」
ママ「玄関の外で待ってるの」
「アイツ、何かやらかしたな!」。そういうと社長はコーヒーカップを持ったまま、玄関に向かい
それを、ママが追いかける。
追いかけなくてもよいのに、と思いながらわたしもついていくと、あら大変だ。社長が正座してる
若い衆さんの頭にコーヒーカップを投げつけた。
ガツッン !
若い衆さんの頭に当たったカップは割れ、コーヒが飛び散ったのです。
殴られた若い衆の頭はパックリ割れて、そこいらじゅうにコーヒーが混じった赤い血が飛び散りま
した。わたしは若い衆のケガの心配よりも「掃除する身になってよ!」と言いたかった。
社長は「俺が風 呂にはいる前だったら、顎の骨の一つでも折るところだ!」と怒ってる。それで
納得した。ママが口にしていた「報告するタイミング」とはこの事だったんだ。社長のお腹が空いて
たらこの若い衆さんは生きて無かっただろうな…。それにしてもこのひと、何やらかしたんだろう。
とにかくわたしの勤め先は、こんなことが日常茶飯事の騒がしくも楽しいお宅でした。
(つづく)
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