中身が大事

第36回全国中学生人権作文コンテスト愛知県大会中日新聞社賞
中身が大事
飛島村立小中一貫教育校飛島学園飛島中学校3年
津森慶二
僕は,小学校六年生の初めに脳梗塞になりそのため右半身不随と言語障害を伴った。そ
れまでは,右手も右足も自分の思い通りに動かすことができ,普通の人が感じる感覚で,
何不自由ない生活を送っていた。しかし,突然の脳梗塞の後遺症からは,右手を動かすこ
とも,右足も動かすことも,言葉を失ってしゃべることもできなくなった。普通のことが
うらやましく,右手を動かせる,右足を動かせる,普通に歩ける,言葉が話せる人全て,
赤ちゃんでさえうらやましく思えた。多分,その頃の自分は,自分の中で差別があったん
だと思う。
リハビリ病院には,僕のような人がたくさんいた。その中では僕が一番若かったが,自
分の今の姿を受け入れられず,泣いている大人の人をよく見た。僕もベッドの上でよく泣
いていた。
でも,泣いていても先に進めない。目覚めたら普通に戻ってたら…,夢だったら…とい
つも思っていたが,動かすことができないのが現実…。今できるリハビリを,つらいけど,
苦しいけど少しずつやって元の姿に戻るんだ!って気持ちに入れ替えた。
だからと言って,マヒしてる感覚がすぐに動く訳ではない。普通の人が簡単にできるこ
とができなくて指一本動かすのにすごくエネルギーを使い,疲れる。
僕はこうなる前から大好きだった野球がやりたくて,右手でボールを投げられるように,
歩けるように,走れるようにと希望をもち,リハビリを頑張った。
小学校に戻り,友達は変わっていないけど自分の中では今まで自分が見てた風景や感覚
とは180度変わってしまった。周りから見た僕も180度違っただろう。
中学生になり,野球チームに入りたくて,あるチームに体験に行った。だが,僕だけ外
周を歩いているだけで最後にけがをしている人とティーバッティングをしただけで終わっ
てしまった。コーチ達と話を直接することはできないままだったが,僕を受け入れてもら
えないことは伝わった。
でも,僕は愛知西シニアチームでこの中学生の間野球を続けた。やれる事は皆より少な
かったが,やれることは一生懸命やった。
ある試合の時,僕がバッターボックスに立ったら,ファーストの子が笑っていた。僕の
走る姿とか普通と違うのを見て馬鹿にしたのだろう。
こんな場面はこれから高校へ行っても,社会に出ても,幾度となくあるだろう。
だけど,僕は負けない。初めは右半身マヒがすごくショックで,辛くて苦しかった。け
ど僕は,こうなったことで,もっと今までよりも強くてたくましくて,誰にも負けない乗
り越える気持ちを得た。
人は見かけで判断しがちだが,外見で判断するなんて上部しか見ていないんだと思う。
障害があるのは誰も好き好んでなった訳ではない。障害がある人全て,一生懸命それを克
服しようと頑張っている。皆,つらい気持ちを乗り越えて前向きに頑張っている。
こうなってからの僕は障害のある人に対し優しい気持ちになった。一緒に頑張ろうと応
援の気持ちを持つようになった。
僕は障害があっても,気持ちは誰にも負けない自信がある。人は皆それぞれ外見も内面
も異なっている。それを見た目だけで判断するのは悲しいことだと思う。
差別とは,目に見える物の判断だと思うが,大切なのは,目に見えない物に目を向ける
ことだと思う。
僕は,今,愛知西シニアチームで最高の仲間に出会えた。初めは皆,どう接していいの
かわからなかったかもしれないけど,僕の野球に対するがむしゃらな熱い気持ちが伝わっ
てか,僕が数少ない打席に立つと,皆が一番大きい声で声援を送ってくれる。僕の為に頑
張って勝とう!という気持ちが伝わってくる。僕が投げられるようになると喜んでくれる。
僕が走れるようになると,「ムリすんなよ」と声をかけ,応援してくれる。入団した時より
すごくできるようになったと喜んでくれる。「ケイジの右手右足が動いていたら,絶対レ
ギュラーだ。」と言ってくれる。後遺症があっても,お陰で人一倍強くて熱い気持ちを持
つことができたから,最高の仲間に出会うことができた。
人生悪いことばかりじゃない。差別なんかに負けない。