こんにちは、ご紹介にあずかりました小山信夫と申します。 私は、子供たちが幼稚園に通う頃から 30 年くらい、毎年七夕に龍泉寺 から笹をいただきまして、七夕飾りを続けています。 途中子供たちが大きくなりかけたころ、「もういいかな・・」と思う 時があったのですが、そんな時村上さんからお電話をいただきまして、 「そろそろ、笹を取りに来るころではないでしょうか」と言っていただ きました。「なんてありがたい言葉でしょう!」これは続けなければと 思い現在に至っています。 はじめ、願い事だった短冊も、結婚した子どもたちや、おじいちゃん おばあちゃんとのメッセージの場となっていまして「元気にやっている よ」「いつもありがとう」などと飾って、楽しみに続けています。 本日は、上野原中学校時代のPTA役員として、村上PTA会長と共 に取り組んだことの、お話をさせていただきます。 まず、その頃のことについてですが、平成 6 年、上野原中学校は日本 で5本の指に入るほど悪いといわれていました。喫煙問題や学校の校庭 にパトカーが来たこともありました。校舎や体育館の施設などもところ どころ壊されており、体育館の収納室のドアや、用具、電気のスイッチ などもボロボロになっていました。危険もあるため、先生方が日曜大工 をして直すのですが、翌日には壊れているという状態でした。 そこで、村上会長はじめとする執行部 7 人が話し合い、「厳しくする よりも温かくした方がいい」ということになり、「PTA、親と先生と 生徒が一体となり親睦を深めよう!」と、次のことを試みました。 第一に、学校に足を運び、なるべく数多く親たちが顔を見せるように して、生徒たちに明るい声で挨拶するように心掛けました。夏に校庭の 草刈り活動をするときなども、生徒と触れ合い、話しをしながら作業を するようにしてみました。それから、当時の田中校長先生に許可をいた だきまして、運動会の最後の種目学年対抗リレーに何人かの親たちも参 加させてもらい生徒と本気で争って走ったのです。さすがに、3年生の 速さにはついてゆけなかったのですが、父兄たちの頑張りに、生徒たち から拍手をいただいたのを覚えています。 そして、学園祭の終わりにフォークダンスをする際もちゃっかり生徒 と一緒に交わり参加させてもらいました。 そんなことをしているうちに、いつの間にか、校舎や、施設が壊れる ことがなくなっていたのです。役員たちが学校に顔を出すと、3 階の教 室の窓から私たちを見つけて、名前で呼んでくれるようになっていまし た。 余談ですが、当時の先生方とも大変仲良くなってしまい、田中校長先 生などは、定年退職された後、執行部一人一人にお手紙をきまして、 「遊 びに来てください」と書かれていたので、七人そろって八ヶ岳まで遊び に行かせていただきました。 私は小学校、中学校時代のPTA活動を通して、村上さんはいつの 時もリーダーとしての力を発揮することが大変優れていると感じまし た。 そしてこれは私のことなのですが、この年にして初めて上野原市の行 政のことを考えるようになりました。今まであまりにも市の行政に対し て無頓着でした。何も知ろうとしないで、ただただ毎日一生懸命に生き てきたのです。 今回このようなお話をする機会を持たせていただいて、初めて行政に ついて考える機会を得ました。そして、ほんの少しでも社会貢献ができ ることに今とても感謝しています。私は村上さんのために、自分のでき ることを精一杯やりたいのです。村上さんは人をそんな気持ちにさせる 不思議な魅力を持っている人だと思います。 村上さんを筆頭に、みんなで一人一人の小さな力を大きな力に変えて、 上野原の街を良くしてゆきたいです。 最後に,TシャツのKTUについて説明させてください。名刺に書か れている村上氏の自浄其意の精神(自らその心を浄くせよ)から、杉本 会長が表現された「清く、正しく、美しく」の頭文字を利用してK・T・ Uといたしました。このKTUを利用し、いろいろな表現をして、若者 にも目を向けてほしいと考えています。 たとえば、KTUの村上でございます。 ・清く、正しく、美しい、K・T・U の村上でございます。 ・給食、作った、上野原小学校時代、K・T・Uの村上でございます。 ・子どもと、つながる、上野原中学校時代、K・T・U の村上でござ います。 ・キヌア、作る、ゆうきの輪、K・T・U の村上でございます。 こんな感じで、みなさまのK,T,Uを是非考えてみてください。 ご清聴ありがとうございました。
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