海を感じる

なまえのない新聞 No.139/2006年11・12月号(1)
海を感じる
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12年ぶりに帰国した04年、富士山
で行われたWPPDのストーリーテリング
の場で古代フラを踊り、「海を感じる」と
いうワークショップ(*以下“ WS” )を行
ったみさをさん。翌年は奈良県天川村、
今 年 は 「白 山 虹 の 祭 」の 知 ら せ を 受 け 、
WPPDの仲間たちに再会できるのかと思
うと血が熱くたぎる。「またあの時の原点
に戻りたい!」。丁度その頃、ハワイ島在
住の小田まゆみさんを訪ねる機会あり、
ぜひマウナケアのお水を持っていくよう
にとのこと。カリフォルニアのマウン
ト・シャスタとハワイ島のマウナケアも
聖山のつながりには水が通うという習し。
それではと、マウナケアのお水と魔よけ
のTi(ティ)リーフを調達し、白山の虹の
祭へ向かった。
その初日(8日)、火起しセレモニー後、
みさをさんは古代フラを踊られたが、私
By
村
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水
野
み
さ
を
広大な田んぼの平野に蛇行する手取川、
はるかに横たわる連山の中に在り、雲の
彼方。会場はスカイ(上)とパーク(下)
をゴンドラでつなぎ、ステージやキャン
プサイトは上下全体に展開していた。ウ
ーマンズティピから広場に上がっていく
途中のチャイ屋さんで地元の若い人たち
と話していた時、本誌書き手の植草ます
みちゃんと「ヨーニ!」のほったさとこ
ちゃんが連れ立って目の前の坂を上がり
ながら手招き。「おいでよ! 今からそこ
で古代フラ!」彼女らの手招きがみさを
さんとの出逢いのきっかけを生んだ。
白山虹の祭・古代フラ体験
「昔ハワイでは、薬草やレイを作るための
植物を摘みに森に入る前に、森の精にお
許しをいただくチャントをして、足を踏
はその場に居合わせなかったので、ここ
み入れたそうです」とみさをさんは前置
では実際に参加したWS体験と、そのお
きをして、「本来はそのチャントからクラ
水の行方を追ってみることにしよう。
スを始めるのですが、今日は E Ho Mai
9月11日、虹の祭最終日はよく晴れ
(瞑想の祈り) から始めましょう」 た気持ちのよい朝だった。富山・石川に
かかる大きな霊山、白山は海から見ると
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E Ho Mai Ka Ike Mai Luna Mai E
( Come Force the knowledge from
above)
Ona Mea Huna No Eau Ona Mele E
( The things skillfully hidden in the
chant )
E Ho Mai E Ho Mai E Ho Mai E
( Let it come, let it flow,
let it
come )
森の中なら森の精霊たちと、海岸なら
海や空や風の神々と、或いは街中のスタ
ジオであっても変わることなく、チャン
ティング(詠唱)でみさをさんのWSは
スタートする。一礼の瞬間である。軽い
ストレッチを促しながら、「姿勢よく、
リラックスして、おなかから声が出てい
ること。このお祈りは天にも自分自身に
も通じるように必ず3回繰り返します」
み さ を さ ん は 「 Luna Mai = from
above = 天からの」を神様からの意だ
けでなく、先祖代々、上からの伝承をも
次頁に続く (2)なまえのない新聞 No.139/2006年11・12月号
→
白
山
・
虹
の
祭
で
含む意味として解釈し、「プロトコール」
(儀礼)という言葉をはさみ、自然界を
敬い共生していた時代、その頃の人々の
謙虚さを大切に伝えている。踊りに至る
プロセスも、踊りそのものもすべてが意
味を持っていると。
「フラ・カヒコと呼ばれる古代フラは、
ウクレレで踊る現代フラ(アウアナ)と
異なり、ハワイ語のチャントで踊り、イ
プ(ひょうたん太鼓)を伴うことが多い
んですよ」そう紹介してダンスに入って
いくのだが、もはや心はひとつになって
いた。「頭のてっぺんが天としっかりつ
ながり、両足は大地にしっかりコネクト、
あなたの腰は海の波をたずさえていると
イメージして下さい」足裏に砂浜の感触、
潮風の匂い・・・さざ波の打ち寄せる浜
に柔かくふんわりと心開いた私たちが立
っている。‥‥みさをさんのハワイ語の
メレ・チャント(踊りのためのチャント、
唄のように聞こえる)に素朴なイプのリ
ズムに乗って‥‥。
今回習ったメレ
(踊り)は、カラカウ
ア王を讃えるもの。
ハワイ語や土着信仰、
そして当時のアメリ
カ人宣教師たちに上
半身裸でわいせつな
ものとして禁止され
ていたフラも、19
世紀なかば、カリス
マ的英雄のカラカウ
ア王によって復活で
きたというお話をは
さみながら、振りを
指導。終わる頃には
みんな笑顔でうちと
け、WSの最後はみ
さをさんがフラの女
神ラカにチャントを
捧げ、一曲踊って下
さ っ た 。 そ し て
WPPDスタッフでも
あった木皿みえさん
のリクエストに応え、水を司る蛇の守り
神の踊りも!‥‥ ハワイの島からカリ
ブの島へ。天頂に輝く太陽に舞うアフロ
ヘイシャンの迫力にみんな感動をかくせ
ない。その時“ 私たちも同じ海洋民族!!”
そんなスピリットを強く受け取らせても
らえたと思う。
そしてその夜のクロージングサークル
へ時は移る。外は雨風であったがティピ
の中で一つひとつ祭事は進められ、ラス
トのみさをさんの踊りの奉納の前は、桑
名晴子さんトリオが天上のエンジェルた
ちがキラキラと笑みをふりまくような唄
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ジン」が始まると、真
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っていたみさをさんが
ティピーの空気を濃縮
するように踊り始めた。
そして踊りながら、晴
子さんに各地からのご
聖水が入っている銀の
器をゆっくり手渡す‥
‥おごそかに‥‥4日
間、“ 中つ火” として燃
え続けた火は、一気に
ザーッと晴子さんのか
ける水にてかき消され
た。もうもうと白い湯
気と灰の混じった、少
しイオウ臭の煙が一同
を包む。火の番をしな
がら司会を務めてきた
河内あきお君がもろに
浴び(熱そう!)、あ、バレーボール位の
白い球が上からフーッと降りてきた。手
をつないで全員輪になり、てんでに大声
で歓喜の声を挙げ、祭はめでたく終了。
(クロージングセレモニー前、晴子さ
んやおおえさんはじめ、みさをさん含む
有志一同が“ 白山比め(口扁に羊という
字)神社” にお参りをしてきたとのこと。
マウナケアの水は菊理(くくり)姫ゆか
りの白山比め神社に納められ、神社の水
もいただきセレモニーのその水となって
いた‥‥)長い旅の果ての中つ火を収め
る水。32フィート・ティピの中には白
い煙が充満し、参加したみんなが浄めて
いただいた。 海と水の踊り手となるまで
フリーライターであり、写真家でもある
みさをさんが古代フラの道へ。それは一
体どういう経過だったのだろう?
‘ 60〜70年代のアートシーン、ビート
ニックに惚れ込んでいたみさをさんはケ
ルアックの「路上」を片手にバークレイに
やってきた。日本で忙殺された反動で何
もしないでぶらぶらする3年間を送った
後、サンフランシスコ、バークレイ周辺
の詩人やアーティストとの交流を中心に
著述と写真の仕事を開始。アレン・ギン
ズバーグやゲイリー・スナイダー、故ジ
ャック・ケルアックの娘ジャン・ケルア
↓
:
前
頁
か
ら
続
く
ア
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シ
ャ
ン
ダ
ン
ス
なまえのない新聞 No.139/2006年11・12月号(3)
ック、オリジナルヒッピームーブメント
の火付け役アレン・コーエンらに会いに
行くと同時にカフェのポエトリー・リー
ディングに足しげく通うようになるが、
当時のMTVスポークン・ワードの熱いう
ねりを受けて、全員が黒人というポエト
リー・リーディングの場で、自分で書い
た母なる地球へのセルフ・ヒーリングの
メッセージをチャンティングする機会に
恵まれる。その時だった! 歌いながら
彼女は自分が自然と古代フラの動きをし
ていることに気づく‥‥。
「これだ!」天啓を受け、古代フラを
より深く学ばんと暗室道具一切を売っ
て、ハワイ島へと渡って行った。
「アフリカンダンスも深く入っていくと
必ず先祖崇拝にゆきあたります。ものご
とには必ず理由があって、その時は理由
がわからなくても後で見えてくることが
ある。私がやってきたアフロヘイシャン
はたぶん私の前世がつながっていて、ハ
イチ革命ともしかしたら関わっていたの
ではないかしらと強く感じていました。
同様にハワイ島の海を見るとものすごく
→
白
山
・
虹
の
祭
で
懐かしい。他の島々で海を見てもあのよ
うな懐かしさは感じられない。だからハ
ワイ島もきっと故郷なのです。余談です
がシルクロードにも似た意識を感じま
す。いつでも私は踊っていたと思いま
す」。今生はモンゴルの血をひくアジア
人として生まれ、同じ太平洋の海洋民族
としてのハワイに素直に従った。
初めの約3ヶ月間はチベットのお寺で
庭掃除やご仏壇のお掃除をさせていただ
きながら、古代フラ先生捜し。島に来る
前から噂に聞いていた二人の先生に会い
にいくとお二人とももうすでに教えるこ
とをやめていらした。食料を買いに行く
にもヒッチハイク。ハワイ島で車がない
ことは赤子同然。「大好きなサンフラン
シスコ・バークレイと大好きなアフリカ
ンダンスを残してきたのに、先生も見つ
からず、一体ここで何をしてるんだろう
‥‥」ピース・ウォーク時にいただいた
絞り染めのヒッピー太鼓を抱えて海まで
ヒッチし、思いのたけを海に向って、夕
陽に向って叩く。「すると、私のドラム
音に海の波がしぶくように応えてくれる
のです」。空と海と自分だけの世界。炎
のように水平線上の空全体が赤とオレン
ジ色に広がり、黒い溶岩台地までも赤く
染めあげた忘れられない夕陽。「私は、
太古のハワイにおりました。踊りはクム
(先生)から習いましたが、あの太古の感
覚は、ハワイの自然が教えてくれました。
古代フラを学ぶということは、自然の中
に潜むスピリットを感じながら生きるこ
と。そのような宇宙につながる感性を大
切にすることなのです」
「ヒトも70%が水分。地球表面も7
0%が水分。海水は羊水。ヒトは人にな
る前は海中に棲んでいた。波が寄せては
返すあのリズム。そうか、これは母なる
地球の心臓の鼓動だったんだ」永劫を感
じさせるほど海とたっぷり向かい合い、
自分自身と向きあって、ほんとうにそう
感じた。
「電気も水道も隣近所もない標高4500
フィートの山中にたった一人で住んでい
た時期には、日の出より早く起き、コー
ヒーカップ片手に、畑で育つ野菜たちに
オハヨーを言いながら、オレンジに広が
っていく朝焼けの空を毎朝拝み、満月を
どこまでも追っては夜の山、車を走らせ
たり、溶岩が崖をつたって海に流れ落ち、
地球上の新生児の土地を誕生させている
瞬間を目撃しにいったり、また、ハワイ
島生活後半の8ヶ月ほどは、車にマット
レスを敷いて、どこの海でも車をとめて
寝てしまう生活を送っていました」
ウォークに3ヶ月参加。ニューメキシコ
州タオスからサンフランシスコまで歩
く。「表向きはピースウォークですが、
実は、レナルド・ペルティエというネイ
ティブ・アメリカンを解放せよという人
権運動でした。野宿した朝、朝陽が頭上
の巨石の割れ目からさしこんだ瞬間やネ
イティブの方々がスウェットロッジをし
てくれた時、地平線上に2度稲妻が!い
いお告げなんだなぁと感じましたね。ウ
ォークの最後の方は、3日間大雨続きで
雨があがると世界全体が黄金色に満たさ
れていました。しかもダブルの大きな虹
がかかり、天国への門かと思った(笑)」。
そんなみさをさんの社会参加は、アフ
ロヘイシャンダンスのイントロかもしれ
ない。
野性味あふれるアフロヘイシャン。そ
のハイチという国は、「世界で唯一、唯
一だよ!奴隷制度を自らの手で解放した
国なんです。この革命を起こしたマッカ
ンダーという人は、奴隷としてハイチに
連れてこられる前はお坊さんでした。最
後は火あぶりにされましたが、その火の
中からマッカンダーが飛び出してきて観
革命そして復活
衆に気絶した人がでたほど! 彼の名は
・アフロヘイシャン
革命に関与したダンスのリズム名称とし
て残っています。彼らがアフリカから持
ってきた土着信仰は、たとえば、海の神、
古代意識が蘇るからドラムが大
好きというみさをさん。ハワイ島 農耕の神、戦いの神など、それぞれの神
へ越す前は、満月の夜のドラムサ さまへの踊りのステップ、歌、リズムが
ークルの常連。80年代後半は、 三位一体で決まっていて、ふだんの生活
グレイトフルデッドのコンサート の中でも、手で洗濯をしたり、畑仕事を
。
へ足しげく通い、音楽がハートを したり、常に音楽と共にありました」
こうして復活したカリブ海の小さな
開き、優しくシンプルなメッセー
島、ハイチの伝統ダンスは、たぶんみさ
ジが心に深く届くことを実感して
をさんなくしては日本に届かなかった稀
きたという。
'95年には国連主催のピース 有な踊りではないだろうか。物語性も強
●
4
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へ
続
く
(4)なまえのない新聞 No.139/2006年11・12月号
烈である。
ても栄誉なことでした。私にとって〈踊
りは、祈り〉。その祈りのパワーを、世
界が少しでもよくなるように向けて‥
‥。全てを天に任せ、愛の祈り、踊る菩
薩のように‥‥生きていこうと思ってい
ます」
。
↓
う点で、私の中では一緒です。そして、
テーマでいえば、その二つの踊りは、海、
虹の祭の後、みさをさんは東京の武蔵 水、虹という点でつながっています。そ
小金井のスタジオでアフロヘイシャンの れに両者ともドラムで踊る。ドラムは太
クラスを行った。男女15人ほどの参加 古の意識を目覚めさせてくれる」
で、スタジオは熱気むんむん。農耕の神
「60年代に反戦ヒッピーたちが警官
様アザカに捧げるジュバというダンスを の銃口に一輪ずつ花を差していったとい
教えた後、みさをさんのテーマでもある うので有名なバークレイのピープルズ・
ヤンバルーという踊りへ。ヤンバルーは、 パークでは、黒人の歴史を祝う(Black
水を司るダンバラという蛇と、その妻、 History Month)イベントでAHと古代
虹を司るアイーダという蛇、その2匹の フラを踊り、またハワイ島の小さなヒロ
蛇の守り神の動きによって織りなされる の町であったボブ・マーレイ追悼コンサ
ダンスで、インナー・ブレッシング(内な ートでアフリカンダンスを踊りました、
る祝福)を感じる踊りだ。この日のクラス 両者とも、その歴史、伝統を尊敬しなが
のドラムは、パートナーのジーク・ニー ら、「粋」を大切に、自分が歴史の流れ
リー氏(マスター・ドラマー)によるド の一こまとなって伝えていきたいと思っ
ラム音(CD)
。
ています。古代フラは、今年11月にイ
「古代フラもアフロヘイシャンも外か オラニ・ルアヒネという伝説のダンサー
ら見れば全く別の世界のようですが、何 からの流れの踊りを伝授していただく予
か大きなもの、それを神と呼ぶのかもし 定です。アフロヘイシャンダンスは、今
れないし、宇宙と呼ぶのかもしれません 年7月、サンフランシスコの伝説の先生
が、その何か大きなものとつながるとい B・ブラウンのクラス代行を任され、と
白
山
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虹
の
祭
で