プレスリリース 北海道立帯広美術館開館25周年記念・国立美術館巡回展 きら 国立美術館・煌めく名作たち 日本の名品に出会う。 日本有数の近現代コレクションをもつ京都国立近代美術館と東京国立近代美術館の所蔵品から、 日本近代美術の粋を、重要文化財を含む名品約 80 点でご紹介します。 作家名:石崎光瑤(いしざき こうよう) 生没年:1884(明治 17)年~1947(昭和 22)年 作品名:熱国妍春(ねっこくけんしゅん) 制作年:1918(大正 7)年 技法材質:絹本着色(屏風/六曲一双) 寸 法:各 175.4×372.0cm 所蔵:京都国立近代美術館 石崎光瑤は、近代京都画壇を代表する日本画家。富山県に生まれ。12 才のころから琳派の画人、山 本光一に学び、19 才で京都の竹内栖鳳に入門、本格的に日本画家としてのスタートを切りました。 登山家、山岳写真家としても活動していた光瑤は、1916(大正 5)年から 2 年間、インドへ旅行し、 ヒマラヤ登山したほか、アジャンタやエローラの遺跡を取材しました。 むせかえるような熱帯の花鳥を描くこの作品は、インドから帰国した翌年、第 12 回文展に出品し特 選となった光瑤の代表作です。南国の植物がうっそうと生い茂るなか、紺青の池に睡蓮が花開き、純 白の蘭が蝶のように舞い、極楽鳥が謳歌しています。発表当時は、大正という新しい時代にふさわし い革新的な花鳥画として注目を集めました。描かれて 100 年を経た今もなお、その魅力は色あせるこ とはありません。 作家名:青木繁(あおき しげる) 生没年:1882(明治 15)年~1911(明治 44)年 作品名:女の顔 制作年:1904(明治 37)年 技法材質:麻布、油彩 寸 法:45.4×33.4cm 所蔵:京都国立近代美術館 明治後期に活躍した青木繁は、28 年と 8 ヶ月という短い生涯の間に、≪海の幸≫や≪わだつみのい ろこの宮≫など数々の名品を残し、明治浪漫主義絵画の頂点に位置づけられている洋画家です。福岡 県久留米市に生まれ、中学在学中から洋画を習い始め、17 才で洋画研究のため上京。小山正太郎の 画塾、不同舎に入門し、翌年、東京美術学校西洋画科に入学して黒田清輝の指導を受けました。在学 中の 1903(明治 36)年、白馬会第 8 回展で白馬賞を受賞するなど早くから頭角をあらわし、画壇へ のデビューを果たしました。 ≪女の顔≫は、東京美術学校を卒業した年に描かれた作品です。画家の目をしっかりと見つめかえす 女性は、栃木県出身の画学生であり恋人だった福田たね、19 才。青木繁の人生と芸術に大きな影響 を与えた運命の女性です。22 才の青木繁が描き残した人物像の白眉といえる一点です。 【重要文化財】 作家名:岸田劉生(きしだ りゅうせい) 生没年:1891(明治 24)年~1929(昭和 4)年 作品名:道路と土手と塀(切通之写生) 制作年:1915(大正 4)年 技法材質:麻布、油彩 寸 法:56.0×53.0cm 所蔵:東京国立近代美術館 渡欧することなく、西洋の古典絵画から写実の技法と精神を体得した岸田劉生の風景画の代表作。な んということもない土くれの一本道を、画家は正面から見つめ、坂道の向こうの青い空に誘い込まれ るような不思議な魅力と味わいを持つ名品を描き残しました。 岸田劉生は、東京生まれ。葵橋洋画研究所で黒田清輝に洋画を学び、1910(明治 43)年文展に入選。 雑誌『白樺』を通して武者小路実篤ら文学者と交友し、ゴッホやセザンヌなどフランスの新しい動向 を知り、1912(大正元)年斎藤与里らとヒュウザン会を結成し洋画革新運動に参加しました。1914 (大正 3)年ころから北方ルネサンスの写実的絵画に見られる細密描写に向かい、1915(大正 4)年 草土社を結成。その後、中国の宋・元画や初期肉筆浮世絵にひかれ、油彩画によって東洋的な神秘的 精神美を追求しました。 作家名:北大路魯山人(きたおおじ ろさんじん) 生没年:1883(明治 16)年~1959(昭和 34)年 作品名:色絵金彩椿文鉢 制作年:1955(昭和 30)年 技法材質:陶器 寸 法:径 36.0×高 20.0cm 所蔵:京都国立近代美術館 美食家として活躍した北大路魯山人は、小説やドラマ、漫画『美味しんぼ』のモデルとして広く知ら れていますが、陶芸、書画、料理など幅広いジャンルに才能を発揮した多芸の人です。 京都の上賀茂神社の社家の二男として生まれ、青年期より料理と陶芸に造形を深めて、1919(大正 8) 年 36 才で、東京の京橋に古美術骨董を扱う「大雅堂芸術店」を開き、同店の 2 階に会員制の食堂「美 食倶楽部」を設けました。これが食通の間で評判となり、料理と古陶磁を楽しむ料亭「星岡茶寮」 (東 京赤坂)に発展しました。 「星岡茶寮」で使用する陶磁器を大量に制作するため、北鎌倉に窯場を開 き、優秀な陶工を招き寄せる一方で、自らも作陶にあたりました。 この作品は、たっぷりと釉薬をふくませた筆で、紅白の椿の花と緑の葉を大胆にあらわし、さらに金 彩の刷毛目を施した華やかな大鉢。魯山人ならではの豪快さと豪華さが目に快い一点です。
© Copyright 2025 ExpyDoc