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2016
6年 10 月23日
23日 聖書:マタイによる福音書19
聖書:マタイによる福音書19章
マタイによる福音書19章16-26節
16-26節
Oct 23, 2016 Passage: Matthew 19:16-26
タイトル:「
タイトル:「それでは誰が救われることができるのでしょう? 永遠の命を求めて!
永遠の命を求めて!」
Title: “Who then, is able to be saved? Yearn for eternal life!”
Matthew 19: 16-26
16 Just
then a man came up to Jesus and asked, “Teacher, what good thing must I do to get eternal
life?”
do you ask me about what is good?” Jesus replied. “There is only One who is good. If
you want to enter life, keep the commandments.” 18 “Which ones?” he inquired. Jesus replied,
“‘You shall not murder, you shall not commit adultery, you shall not steal, you shall not give false
testimony, 19 honor your father and mother,’[a] and ‘love your neighbor as yourself.’[b]” 20 “All these
I have kept,” the young man said. “What do I still lack?” 21 Jesus answered, “If you want to be
perfect, go, sell your possessions and give to the poor, and you will have treasure in heaven. Then
come, follow me.” 22 When the young man heard this, he went away sad, because he had great
wealth. 23 Then Jesus said to his disciples, “Truly I tell you, it is hard for someone who is rich to
enter the kingdom of heaven. 24 Again I tell you, it is easier for a camel to go through the eye of a
needle than for someone who is rich to enter the kingdom of God.” 25 When the disciples heard this,
they were greatly astonished and asked, “Who then can be saved?” 26 Jesus looked at them and said,
“With man this is impossible, but with God all things are possible.”
17 “Why
Footnotes: Matthew 19:19 Exodus 20:12-16; Deut. 5:16-20; Matthew 19:19 Lev. 19:18
序
論 Overview
●今日の聖書箇所
今日の聖書箇所に登場する人物とイエス様との
今日の聖書箇所に登場する人物とイエス様との邂逅、出会いとその会話は、
に登場する人物とイエス様との邂逅、出会いとその会話は、新約聖書の
邂逅、出会いとその会話は、新約聖書の 3 つ
の共観福音書、即ち、マタイ、マルコ、ルカの福音書のどれにも記されている。
の共観福音書、即ち、マタイ、マルコ、ルカの福音書のどれにも記されている。
The characters featured in today’s Bible passage that interact with Jesus and his disciples, during
chance meetings, as well as the content of the conversations are recorded in three of the so-called
“harmony of four” gospels (the Diatesseran).
●そのことは、ある意味で、この出来事の
そのことは、ある意味で、この出来事の教えていることの大切さを示しているとも言える。
そのことは、ある意味で、この出来事の教えていることの大切さを示しているとも言える。
さて、この出来事を記述するに当たり、
さて、この出来事を記述するに当たり、
What that means is that the importance of these teachings is being emphasized here. So then, to
describe the events in more detail…
●マタイの福音書
マタイの福音書 19 章 16-
-26 節では:
では:In Matthew 19:16-26, it’s recorded that:
1.この人物を「一人の人」
と呼び、
1.この人物を「一人の人」(16)と呼び
「一人の人」
と呼び、
The person is a man
2.また、この人物を「青年」
と呼び、まだ「若かった」こと、
2.また、この人物を「青年」(20、
また、この人物を「青年」 、22)と呼び、まだ「若かった」こと、
The person is a young man
3.更には、「この人は多くの財産を持っていた」と記す。
3.更には、「この人は多くの財産を持っていた」と記す。
The person is a young man of great wealth.
●マルコの福音書
マルコの福音書 10 章 17-
-27 節でも、同様に:In
も、同様に: Mark 10:17-27 it’s recorded that:
1.この人物を「
と呼び
1.この人物を「一人の人」(17)と呼び
一人の人」
The person is a man
2.「この人は多くの財産を持っていた」(22)と記す。
と記す。
2.「この人は多くの財産を持っていた」
The man has great wealth
●ルカ
ルカの福音書
ルカの福音書 18 章18-27
18- 節では:
では:In Luke 18: 18-27 it is recorded that:
1
1.この人物は「役人」(18)だったと記す。
だったと記す。The
man was a ruler (government official)
1.この人物は「役人」
だったと記す。
(1)この役人と言うことの具体的な内容は定かではないが、
この役人と言うことの具体的な内容は定かではないが、
No concrete information was provided about the ruler
(2)「サンヒ
「サンヒドリン」
「サンヒドリン」(当時の
ドリン」 当時のユダヤの国家最高議会
当時のユダヤの国家最高議会)のメンバーを意味していたかもしれない。
ユダヤの国家最高議会 のメンバーを意味していたかもしれない。
It might mean he was a member of the Sanhedrin (Jewish/Israeli City Council)
(3)或いは、もう少しローカルの議会
或いは、もう少しローカルの議会組織
或いは、もう少しローカルの議会組織であっ
組織であった
であったかもしれない。
Or perhaps he was a part of the parliamentary system.
(4)いずれにせよ、ユダヤの国における公的議会というのは、宗教的、かつ政治的リーダーたち
いずれにせよ、ユダヤの国における公的議会というのは、宗教的、かつ政治的リーダーたち
の集まりを意味していた。
Regardless of the precise meaning, in this context “ruler” implies that he was part of a group of
religious political leaders.
(5)特に、それ
特に、それがもし上述の「サンヒドリン」であるとするなら、社会的、教育的、品格・人格
特に、それがもし上述の「サンヒドリン」であるとするなら、社会的、教育的、品格・人格
的にも、あらゆる意味においても、エリートたちの群団/集団
的にも、あらゆる意味においても、エリートたちの群団 集団であった。
集団であった。
Especially, if in fact he was part of the above mentioned Sanhedrin, it means that he was a part of
the elite with respect to societal and educational status and with dignity and character.
2.そして、
と記す。
2.そして、ルカもまた他の福音書と同様に、
ルカもまた他の福音書と同様に、彼が
他の福音書と同様に、彼が「
彼が「大変な金持ちだった」(23)と記す。
大変な金持ちだった」
Additionally, Luke says, like the other gospels, that this man was “very wealthy”.
●それゆえ、この出来事は、しばしば「若き富める
それゆえ、この出来事は、しばしば「若き富める・金持ちの
それゆえ、この出来事は、しばしば「若き富める・金持ちの役人」の物語と呼ばれ、ハイン
・金持ちの役人」の物語と呼ばれ、ハイン
リッヒ・ホフマンと言う画家による有名な聖画にもなっている。
This event has been immortalized into a famous story and painting called “Christ and the rich
young ruler” by Heinrich Hoffman (later 19th century).
●さて、この金持ちの青年役人
さて、この金持ちの青年役人(今で言うなら、国会議員か、高級官僚か
さて、この金持ちの青年役人 今で言うなら、国会議員か、高級官僚か)が、ある日イエス様の
今で言うなら、国会議員か、高級官僚か が、ある日イエス様の
ところに来てこう言った。「先生、永遠の命を得るためには、どんな良いことをしたらよいで
ところに来てこう言った。「先生、永遠の命を得るためには、どんな良いことをしたらよいで
しょう?」と。
So, this rich young ruler (now we would say a member of congress who is a high-class bureaucrat)
comes up to Jesus one day and says “Good teacher, what must I do to inherit eternal life?”
●今日は、この彼の質問の
今日は、この彼の質問の後に続く、イエス様と彼との会話、問答からメッセージを頂きたい。
今日は、この彼の質問の後に続く、イエス様と彼との会話、問答からメッセージを頂きたい。
Today, I would like to follow up with what comes after this question by taking the message from the
dialogue between Jesus and the man.
本
論 Main Sermon
Ⅰ. まず最初に聖書が言っていることは、人々が究極的に求めているものは「永遠の命」で
あると言う事実である。
Firstly, the Bible is saying that it is true that a person’s ultimate desire is to have “eternal life”
A. その典型が、この富める青年役人であった。
その典型が、この富める青年役人であった。
The perfect template is this rich, young ruler.
1.彼
を得るためにはどんな良いことをしたらよいのでしょ
1.彼は言った。「先生、
は言った。「先生、永遠の命を得るためにはどんな良いことをしたらよいのでしょ
「先生、
う?」。
う?」。
He says: “Good teacher, what must I do to inherit eternal life?”
2.この彼の質問は、様々な点で人々を驚かせるものであった。
2.この彼の質問は、様々な点で人々を驚かせるものであった。
This guy’s question surprised people in many ways.
(1)それは、
それは、彼が、人々の目からも見ても、自分自身の目で見て
それは、彼が、人々の目からも見ても、自分自身の目で見ても、彼ほど
彼が、人々の目からも見ても、自分自身の目で見ても、彼ほどパーフェクトの人、
も、彼ほどパーフェクトの人、
人生で必要な何もかもを持っている人はいないと言える人物だったからである。
It’s because from the perspective of others, and even from the perspective of the rich young ruler,
there was no one with as perfect a life as he had – wanting for nothing.
(2)いつも言うが、一頃、日本で流行った言い方で、「三高」と言う
いつも言うが、一頃、日本で流行った言い方で、「三高」と言うのがあった。結婚する
いつも言うが、一頃、日本で流行った言い方で、「三高」と言うのがあった。結婚する男性
のがあった。結婚する男性
の持ってて欲しい条件のことである。三つのことが「高い」人が理想の人と言われた。その理
の持ってて欲しい条件のことである。三つのことが「高い」人が理想の人と言われた。その理
想とは:
想とは:①背が高い、②
背が高い、②学歴が高い、③
学歴が高い、③収入が高いである。
2
I have said this before, but in Japan there was an expression that was popular in the past called the
“three highs” to describe the idea person as a spouse: 1) of high stature (tall), 2) of higher education,
and 3) of high income.
(3)同様に、この若き富める役人は、当時の人々が理想とするものをみな
同様に、この若き富める役人は、当時の人々が理想とするものをみな持っていた。
同様に、この若き富める役人は、当時の人々が理想とするものをみな持っていた。
●富、
富、●地位、
富、 地位、●名誉、
地位、 名誉、●品格・人格、
名誉、 品格・人格、●評判・尊敬、更に、恐らく、
品格・人格、 評判・尊敬、更に、恐らく、●有能さ
評判・尊敬、更に、恐らく、 有能さも
有能さも
So in the same way, this young rich ruler had all the ideal characters that others might covet:
wealth, status, prestige, dignity, character, fame, honor, and perhaps even capabilities too.
3.しかし、彼は、それでもなお心に、心底からの満足を持つことができなかった。即ち、
3.しかし、彼は、それでもなお心に、心底からの満足を持つことができなかった。即ち、
「私の人生、これで良し」と言ううなずき、確信を持つことができなかったのである
「私の人生、これで良し」と言ううなずき、確信を持つことができなかったのである。
のである。
However, he somehow was not satisfied deep down in his heart. Namely, he couldn’t say with
confidence “This life is good enough for me”.
4.彼の内にあったその
彼の内にあったそのような満たされない
そのような満たされない心の
ような満たされない心の渇
心の渇きは強かったし、
かったし、彼はそれを
し、彼はそれをご
彼はそれをごまかさなか
った。だからこそ彼は、イエス様のところに来たのである。それはもう一つの驚きであった。
The unquenchable thirst within him was strong, and he chose not to ignore it. Because of that he
went to see Jesus. That was another surprising thing about the event.
(1)な
なぜなら、彼は、身分の高い人、それに引
なら、彼は、身分の高い人、それに引き換え、イエス様は、ご
え、イエス様は、ごく最近
く最近、人々の間
、人々の間でポピ
ュラーになったに
ュラーになったに過ぎ
ーになったに過ぎない人物であり、
過ぎない人物であり、
The reason for this was that he, as a man of high social status, didn’t want to miss out on this man
Jesus who, on the other end of the societal spectrum, at the time was popular among the people.
(2)イエス様は、
イエス様は、ソ
イエス様は、ソーシャル・ス
シャル・ステ
ル・ステータスから言うなら、彼よりはるかに低
ータスから言うなら、彼よりはるかに低い人物であった。
With respect to social status, Jesus was way below the social status of the man that approached him.
(3)そのイエス様のところに、社会のリーダーとも目される彼が、
そのイエス様のところに、社会のリーダーとも目される彼が、頭
そのイエス様のところに、社会のリーダーとも目される彼が、頭を下げるようにして、
下げるようにして、恥
るようにして、恥を
覚悟してイエス様のところに
覚悟してイエス様のところに、人生の質問に
してイエス様のところに、人生の質問に来たのである。
、人生の質問に来たのである。
The man may have hung his head in shame as the other leaders of society watched on while he
approached Jesus to ask him an important question about life.
(4)これらの驚きは、
これらの驚きは、この
これらの驚きは、この世
この世的にす
的にすべてが揃
てが揃っていても、なお満たされない彼のうちにある心の
渇きが、如何に強
何に強いものであったかの
いものであったかの証拠であった。
証拠であった。
The surprising thing here is that despite having all his worldly issues well in order, he was not
satisfied, and this is evidence that he was thirsty (spiritually dry).
5.この地上の何をもっても
.この地上の何をもっても満たされない心がある。それが
地上の何をもっても満たされない心がある。それが「永遠の命」
満たされない心がある。それが「永遠の命」へ
「永遠の命」への希求であった。
人が最後に、究極
人が最後に、究極的に必要とするものは、この
究極的に必要とするものは、この世
的に必要とするものは、この世が与える何ものでもない。永遠の命である。
No matter what possessions we have on this earth, we can never be completely satisfied. That’s
where a yearning for “eternal life” begins. Ultimately, what people want most is something that
can’t be obtained on this earth – eternal life.
6.そして、それは
6.そして、それは永遠の
そして、それは永遠の存在
永遠の存在、永遠の命の
存在、永遠の命の源
、永遠の命の源である神
である神様だけが与
様だけが与えることができるものであ
る。
Only God, who is the source of eternal life, is able to grant eternal life.
B. この「永遠の命」への希求は、彼だけのものではなかった。全人類が、人種、時代と文
化、あらゆるものを超えて、普遍的に持っているものである。
This yearning for “eternal life” , was not just the desire of this man. All humans universally have
this desire across eras and culture.
1.その最たる
1.その最たる証拠
その最たる証拠の一つは、
証拠の一つは、現存
の一つは、現存する
現存する世界
する世界最
世界最古の文学と呼ばれる「
学と呼ばれる「ギルガメシュ叙事
シュ叙事詩」で
ある。そこには、悲
ある。そこには、悲観的な形
観的な形ではあるが、何もかもを手
ではあるが、何もかもを手に入れた王
に入れた王が、友
が、友人の死
人の死に直面し
直面したと
き、自分の人生に本当に必要なものに目覚
き、自分の人生に本当に必要なものに目覚め、「
め、「永遠の命」
永遠の命」を求める姿
を求める姿が描かれている。
The extreme proof of this is in the writings of what is known as the world’s first great work of
literature “The Epics of Gilgamesh”. Though the writings are pessimistic, about a King who had
3
everything and anything, when faced with the death of a good friend, it shows his greatest desire
was for “eternal life”.
2.秦
2.秦の始皇帝も、同様に、
始皇帝も、同様に、大国の最高
も、同様に、大国の最高権威者
大国の最高権威者、「
権威者、「皇帝
、「皇帝」となり、
皇帝」となり、何もかもを
」となり、何もかもを手
何もかもを手にした晩
にした晩年に、
家来に全
家来に全国を廻
国を廻って「不
って「不老長寿」の
老長寿」の薬
」の薬を手に入れるように命じ
に入れるように命じたと言われる。
Likewise, great Kings and Emperors have had people wander the world over in search of a magic
potion or fountain of youth that brings eternal life.
3.かつて、ビ
3.かつて、ビリー・グラ
リー・グラハ
グラハムがメッセージで語っていたことだったと思
がメッセージで語っていたことだったと思うが、ロシア
うが、ロシアが、ま
シアが、ま
だソ連として、
ソ連として、神
として、神も、永遠も信じ
も、永遠も信じない無神論
ない無神論共産国であった頃
無神論共産国であった頃の
共産国であった頃の一人の大統領
一人の大統領の
統領の葬儀で
葬儀で棺の上
に、永遠を象徴
に、永遠を象徴する月
象徴する月桂樹
する月桂樹の
桂樹の花輪が
花輪が置いてあったという。これもまた、思
てあったという。これもまた、思想・主義
想・主義を
主義を超えて、
人間がどこかに自らと愛
がどこかに自らと愛する者
する者の永遠の命を
の永遠の命を求めていることの
求めていることの現
いることの現れであると言える。
I think it was Billy Graham that gave this message, but, it was while Russia was still part of the
Soviet Union, during the time when belief in God and Eternal life was forbidden, and it was at the
funeral of a president, and the symbol of “eternal life” - a laurel (bay) leaf - was seen on the top of
the coffin. This goes beyond reason and doctrine that when people love themselves and others, they
yearn for eternal life.
4.ここで、もう一言、「永遠の命」について付
ここで、もう一言、「永遠の命」について付け加えたい。
えたい。
Here, I would like to take the opportunity, once again, to add to the discussion on the topic of
“eternal life”
(1)「永遠の命」とは、必ずしも「
「永遠の命」とは、必ずしも「長
「永遠の命」とは、必ずしも「長い命」「死
い命」「死なない命」のことだけではない。
“Eternal life” is not just limited to “immortality” and “longevity”.
(2)それは、
それは、私た
それは、私たち人
私たち人間
ち人間が自分の力
が自分の力で手に入れることのできる、この地上の、この世
に入れることのできる、この地上の、この世の、暫
の、暫時的、
一時的な、愛
一時的な、愛、喜び、満足と対比
び、満足と対比して、永遠に
対比して、永遠に無
して、永遠に無くならない喜
くならない喜び、愛
び、愛、希望、満足である。
希望、満足である。
It is in contrast to the type of satisfaction we as humans can have of our own accord on this earth, in
this world, during a short time with love, and joy; it is endless joy, endless love, hope and
satisfaction.
(3)それは
それは正
それは正にイエス様があのサマリヤの井戸
にイエス様があのサマリヤの井戸のほとりで出会った
井戸のほとりで出会った女
のほとりで出会った女性に言ったことである。
It is what Jesus was talking about to the Samarian woman he met at the well.
●彼
彼女は、結婚と離
は、結婚と離婚を繰
婚を繰り返し、5
し、 人の男性を夫
人の男性を夫としながらも、結局
としながらも、結局、満足できず、今や
満足できず、今や、夫
ならない男性と同棲
ならない男性と同棲していた。
She has been married and divorced many times, to 5 different husbands, in the end she couldn’t
find satisfaction, and so she was living with a man to whom she wasn’t married (John 4).
●その彼
その彼女
その彼女にイエス様
にイエス様は言われた。「この水
は言われた。「この水を飲む者は誰でも
飲む者は誰でも(どんな有能な人も、金持ちも、
は誰でも どんな有能な人も、金持ちも、
人格的に素晴
人格的に素晴らしい人も
素晴らしい人も)また
らしい人も また渇
また渇きます。・・・しかし、私が
きます。・・・しかし、私が与
・・・しかし、私が与える水
える水を飲む者は、だれでも、
飲む者は、だれでも、
決して渇
して渇くことがありません。私が与
くことがありません。私が与える水
える水は、その人のうちで
は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへ
となり、永遠のいのちへの
水がわき出ます」(ヨ
-14 節)。
。
がわき出ます」 ヨハネ 4 章 13-
13 Jesus answered, “Everyone [regardless of how rich or poor or how famous or amazing the person
it] who drinks this water will be thirsty again, 14 but whoever drinks the water I give them will
never thirst. Indeed, the water I give them will become in them a spring of water welling up to
eternal life.” (John 4:13-14)
C.それでは、聖書は、私たち人間と「永遠の命」との関係についてどのように語っているの
か?
So then, what does the Bible have to say regarding us humans and “eternal life”?
1.聖書は、まず、人間
1.聖書は、まず、人間が、みなそのように「永遠」を求める理
が、みなそのように「永遠」を求める理由
る理由は、そもそも、
は、そもそも、神
そもそも、神さまが人
さまが人
間を永遠に生きる存在
を永遠に生きる存在、永遠を
存在、永遠を慕
、永遠を慕う存在として
存在として造
として造られたからであると言う。
られたからであると言う。
Firstly, the Bible says that the reason people yearn for “eternal life” is because we were created by
an immortal God who meant for us to live forever.
(1)伝道
伝道の書
伝道の書 3 章11節は言う。
11節は言う。「
は言う。「神はまた、人の心に永遠へ
はまた、人の心に永遠への思いを与
いを与えられた」
えられた」と。
4
Ecclesiastes 3:11 “…He has also set eternity in the human heart; yet[a] no one can fathom what God
has done from beginning to end.”
(2)だからこそ、私た
だからこそ、私たちは、物質的なもの、一時的・
だからこそ、私たちは、物質的なもの、一時的・刹那
ちは、物質的なもの、一時的・刹那的なものでは、
刹那的なものでは、一時的に
的なものでは、一時的には
一時的には満足できて
も、決
も、決して永続的に
して永続的には
永続的には満足できないのである。
That’s why, even though we, as physical beings with temporary ephemeral lives, are temporarily
satisfied, we cannot be permanently satisfied.
(3)即ち、
即ち、神
即ち、神様は、私たち人間
様は、私たち人間を永遠を思
を永遠を思い、永遠に生きる存在
い、永遠に生きる存在として
存在として造
として造られたのである。
Namely, God gave us the desire for eternal life when He created us as eternal beings.
2.しかし、私たちが
しかし、私たちが罪
私たちが罪を犯したときから、す
したときから、すべては変わった。私たちは
ては変わった。私たちは、
私たちは、最早、永遠に生き
ることができなくなった。
ることができなくなった。「
できなくなった。「死ぬ」
死ぬ」存在となったのである。
存在となったのである。
However, we sinned, and all that changed. Suddenly, we were unable to live eternal lives. We
became mortal beings.
(1)ア
アダムとエバが、罪
とエバが、罪を犯したとき、
たとき、その結果
その結果、その罰
、その罰として、神
として、神さまは、二
さまは、二人が「いのちの
木」から取
」から取って食べ
って食べ、永遠に生きることがないように、
食べ、永遠に生きることがないように、エ
、永遠に生きることがないように、エデンの園
ンの園から追放
から追放した。
追放した。
When Adam and Eve sinned, the result was punishment, which meant that because they took from
the tree of everlasting life, that they would be banished from the garden of Eden, and unable to live
eternal life.
(2)即ち、
即ち、創世
即ち、創世記
創世記 3 章 22 節は、以下
節は、以下のように
以下のように神
のように神の言葉
の言葉を記す。「
を記す。「・・・今、彼が、手
・・・今、彼が、手を伸ばし、
いのちの木
いのちの木から取
から取って食べ
って食べ、永遠に生きないように。」。
食べ、永遠に生きないように。」。
Namely, in Genesis 3:22 it says the following words “…He must not be allowed to reach out his
hand and take also from the tree of life and eat, and live forever.””
(3)更に
更に続けて、
更に続けて、聖書は同章
続けて、聖書は同章 24 節で「こうして、神
節で「こうして、神は人を追放
は人を追放して、いのちの
追放して、いのちの木へ
して、いのちの木への
木への道を守る
ために、エデ
ために、エデンの園
ンの園の東に、ケ
に、ケルビムと
ビムと輪を描いて回
いて回る炎の剣を置かれた。
24
Furthermore, continuing on in the passage, “ After he drove the man out, he placed on the east
side[a] of the Garden of Eden cherubim and a flaming sword flashing back and forth to guard the
way to the tree of life.”
(4)これが、今の私たち人
これが、今の私たち人間
これが、今の私たち人間が経験している
経験している不幸
している不幸な
不幸な姿である。即ち、
である。即ち、
This is us now, experiencing a lack of satisfaction.
●かつては、
かつては、神
かつては、神様のように永遠に生きることの
様のように永遠に生きることの祝
ことの祝福と豊
福と豊かさと栄光
かさと栄光を満
栄光を満喫
を満喫していた。
Then, we could enjoy fully God’s blessings and wealth and glory through living an eternal life.
●しかし、自分で
しかし、自分で犯
しかし、自分で犯した罪
した罪のゆえに、今
ゆえに、今や、永遠のいのちを失
永遠のいのちを失い、それについて来るすべ
い、それについて来るすべての
祝福を受
福を受けることができなくなったのである。
However, now, because of our sin, eternal life is lost, and along with it went all of the blessings that
would have been ours.
3.愛なる神
なる神様は、
様は、この悲
この悲しい状態
しい状態から私たちを救うために、
状態から私たちを救うために、御子
から私たちを救うために、御子イエス様を私たちに
御子イエス様を私たちに与
イエス様を私たちに与えら
れ、私たち人間
、私たち人間に、この永遠の命を奪回
に、この永遠の命を奪回され
奪回されたの
されたのである。即ち、
たのである。即ち、
A loving God, in order to save us from our sin, gave to us His son Jesus, in our human form, in
order to restore eternal life. Namely,
(1)私たちの
私たちの住む
私たちの住むこの地上に、
住むこの地上に、ご
この地上に、ご自分の御子
自分の御子を
御子を人間として送
として送られ、
God sent His Son to this earth, where we live, in the form of a man
(2)更には、
更には、御子
更には、御子の命を
御子の命を十字架
の命を十字架で、私たちのために
十字架で、私たちのために与
で、私たちのために与えられたのである。
Furthermore, He gave His life for us on the cross.
(3)即ち、その
即ち、その死
即ち、その死によって、私たちの罪
によって、私たちの罪の刑を身代
を身代わりに受
わりに受け、私たちに永遠の命を与
け、私たちに永遠の命を与える道
える道を
開かれたのである。
Namely, through His death, He sacrificed Himself for our sin, opening up the way for us to regain
eternal life.
5
(4)それが、しばしば聖書の
それが、しばしば聖書の中
それが、しばしば聖書の中の聖書と言われる有名な聖句
の聖書と言われる有名な聖句、ヨハネ 3 章 16 節の言っているこ
とである。「神
とである。「神は、実
は、実にそのひ
にそのひとり子
とり子をお与
をお与えになったほどに、世
えになったほどに、世を愛された。それは御子
された。それは御子を
御子を
信じる者がひとりとして滅
とりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」。
びることなく、永遠のいのちを持つためである」。
That is the most famous Bible passage: John 3:16 “16 For God so loved the world that he gave his
one and only Son, that whoever believes in him shall not perish but have eternal life.”
★私たちに今必要なことは、その永遠のいのちの唯
私たちに今必要なことは、その永遠のいのちの唯一の保
一の保持者である神
である神様に、それを求めるこ
とである。
What we all need now is in the possession of God alone, and that is salvation.
★ここに出て来る若き富める役人はそれをした。即ち、イエス様に向
ここに出て来る若き富める役人はそれをした。即ち、イエス様に向かって尋ね
かって尋ねた。「先生。
尋ねた。「先生。
永遠のいのちをえるためには、どんな良いことをしたら良いでしょうか?」と。
The rich young ruler we learned about today knew that when he looked at Jesus and asked :”
“Good teacher, what must I do to inherit eternal life?”” Luke 18:18
★しかし、残念
しかし、残念なことは、彼はそれを得ることができないまま、そこを
残念なことは、彼はそれを得ることができないまま、そこを去
なことは、彼はそれを得ることができないまま、そこを去ったと記されている
(彼が、
彼が、ニ
それがイエス様の生前
彼が、ニコデモのように、後に、
デモのように、後に、再
のように、後に、再びイエス様の所に戻
びイエス様の所に戻り、――それがイエス様の生
り、
それがイエス様の生前であれ、
死後であれ―――彼の求めていた永遠のいのちを自分のものとすることができたことを
彼の求めていた永遠のいのちを自分のものとすることができたことを願
後であれ
彼の求めていた永遠のいのちを自分のものとすることができたことを願う。
But, the unfortunate thing is that he departed from Jesus without doing what he needed to do to
have eternal life. Just like Nicodemus, twice he came to Jesus, once when Jesus had just started His
ministry and another time after His death. He was unable to reach his own goal of finding eternal
life.
★今日、最後に皆
今日、最後に皆様と共にしたいことは、なぜ
様と共にしたいことは、なぜ、彼がそれを得ることができなかったのか、ど
、彼がそれを得ることができなかったのか、ど
うすれば良かったのかを確かめ、考
うすれば良かったのかを確かめ、考えることである。
Today, what I would like to do together with everyone is to consider why he couldn’t obtain eternal
life, and what he should have done.
Ⅱ.この「富める若き役人」は、どこが間違っていたのか?
Where did this “rich young ruler” go wrong?
A. 彼の間違いは、まず、永遠の命を、自分が良き行いを実践することによって得られると
思ったことである。
His first mistake was in thinking that by practicing good deeds that eternal life could somehow be
achieved by his own ability.
1.彼は言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたら良いでしょ
うか?」と。
The man said : “Teacher, what good thing must I do to get eternal life?”
2.「どんな良いことをしたら」と言う彼の
2.「どんな良いことをしたら」と言う彼の言
と言う彼の言葉こそが彼のそのような考
こそが彼のそのような考えを明
えを明らかにしてい
た。
In the man’s own words, saying “what good thing?” it was clear what his perspective was on eternal
life.
3.その質問に
3.その質問に対
その質問に対するイエス様の最終
するイエス様の最終的答えは、後にイエス様が言われたように、「それは人
にはできない」(マタイ
にはできない」 マタイ 19 章26節)であ
章26節 であった
であった。
った。
Jesus’s final comment in response to the man’s question was: ““With man this is impossible, but with
God all things are possible.”
4.先週もローマ書 3 章 19-
-20 節で学んだように、人
節で学んだように、人間の良き行いによって、人間
の良き行いによって、人間の罪が洗わ
れ、赦
れ、赦され、義
され、義とされ、永遠の命をもたらすことは、不可
とされ、永遠の命をもたらすことは、不可能
不可能なことである。
なことである。
Last week, in Romans 3:19-20, we also learn that forgiveness of sins, salvation and redemption
cannot be obtained by good deeds alone.
6
5.しかし、興
しかし、興味深いことに、ここでイエス様は、いきなり、この青年に
いことに、ここでイエス様は、いきなり、この青年にNO
イエス様は、いきなり、この青年にNO、それは
NO、それは不可
、それは不可能
不可能
だとは言われなかった。む
だとは言われなかった。むしろ、徐
しろ、徐々に、彼自身が、NO
々に、彼自身が、NOの答え
NOの答えへ
の答えへと自ら導
と自ら導かれるようにと問
答を進
答を進められた。
However, interestingly enough, Jesus didn’t just say “No that’s impossible” to the rich young ruler,
Instead, He let the man come to the conclusion by himself that it was “impossible”.
6.そこで、イエス様は聞
6.そこで、イエス様は聞かれた。「戒
かれた。「戒めは守
めは守っていますか?」と。「どの
っていますか?」と。「どの戒
「どの戒めですか?」と
更に尋ね
更に尋ねる青年にイエス様は
尋ねる青年にイエス様はモ
る青年にイエス様はモーセの「十戒
ーセの「十戒」の後
十戒」の後半
」の後半、人間関係
、人間関係における
間関係における戒
における戒め、いわゆる道徳
、いわゆる道徳
的戒めをリストア
姦淫してはならない
盗んではな
をリストアップされた。即ち●殺
された。即ち 殺してはならない ●姦淫
姦淫してはならない ●盗
らない ●偽証
偽証してはらない
父母を敬え、
偽証してはらない ●父母
父母を敬え、●あなたの
を敬え、 あなたの隣
あなたの隣人を愛
人を愛しなさい、と。
しなさい、と。
There, Jesus asks: Are you keeping the commandments? When asked which ones, He lists them “Moses’s
10 Commandments” the commandments that we must keep regarding other people. “‘You shall not
murder, you shall not commit adultery, you shall not steal, you shall not give false testimony, 19 honor
your father and mother,’[a] and ‘love your neighbor as yourself.’[b]”
7.彼は
.彼は「そのようなことは皆守
「そのようなことは皆守っています」と
皆守っています」といとも
っています」といとも簡単
いとも簡単に
簡単に、得々と答えた
、得々と答えた。
答えた。
20
“All these I have kept,” the young man said. “What do I still lack?”
8.しかし、
8.しかし、彼は本当にそれ
しかし、彼は本当にそれらの
彼は本当にそれらの戒
らの戒めを守
めを守っていたのだろうか?
ていたのだろうか? 果たして人間
たして人間は神の戒めを
自分の力
自分の力で守れるのだろうか?
However, did he really keep all the commandments? Can a human really keep God’s
commandments without God?
(1)それらに
それらに対
それらに対する聖書の答えは、既
する聖書の答えは、既に触れたようにNO
れたようにNOである。
NOである。
The answer then, as we mentioned earlier, is “No”.
(2)先
先週も引用したが、聖書
は言う。「私たちの義
引用したが、聖書(イ
したが、聖書 イザヤ 64 章 6 節)は言う。「私たちの
は言う。「私たちの義は、みな不潔
は、みな不潔な
不潔な着物のよう
です」と
です」と。
」と。
Last week, we also looked at Isaiah 64:6” All of us have become like one who is unclean,
and all our righteous acts are like filthy rags...”
(3)仮
仮に、表面
に、表面的には
表面的には守
的には守れても、その心の中
れても、その心の中は汚れ、戒
れ、戒めは破
めは破られているというのである。
られているというのである。
For example, even if on the surface it seems like we are following the commandments, inside we are
“filthy”.
(4)だから、イエス様は、その最後に、「あなたの
だから、イエス様は、その最後に、「あなたの隣
だから、イエス様は、その最後に、「あなたの隣人を、あなた自身のように愛
人を、あなた自身のように愛しなさい
しなさい」と
言う隣
言う隣人愛の戒めを持って来られた。なぜ
めを持って来られた。なぜなら、その隣
なら、その隣人愛こそが、それら人間関係
こそが、それら人間関係の
間関係の道徳的
道徳的
な戒めの言う
めの言う表面
言う表面的な行
表面的な行為
的な行為の奥にある真
にある真意・深
意・深意であるからである。
That’s why, at the end Jesus said “‘love your neighbor as yourself. “The reason being that neighborly
love is an opportunity to follow a commandment in order to intentionally carry out an act that is otherwise
just on the surface.
(5)即ち、
即ち、隣
即ち、隣人愛が守られていなければ、それらの
られていなければ、それらの戒
それらの戒めを守
めを守っていることには
っていることにはならないと言う意
味である。
味である。
Namely, if the commandment of neighborly love is not obeyed, then the other commandments
cannot be kept either.
(6)イエス様は、
イエス様は、このことを
イエス様は、このことをこの青年に自分で
このことをこの青年に自分で気
この青年に自分で気が付いて欲しかったのである。即ち、「そのよ
いて欲しかったのである。即ち、「そのよ
うな戒
うな戒めは皆守
めは皆守って来ました」という
皆守って来ました」という代
って来ました」という代わりに、「守
わりに、「守れませんでした」「私は、罪
れませんでした」「私は、罪人です」と
言って欲しかったのである。
Jesus wanted the rich young ruler to make that discovery on his own. So, rather than boast by
saying “All of these commandments I have kept”, Jesus wanted the man to realize he was a sinner,
and admit to not being able to follow them because of that.
●一体、
一体、世界
一体、世界の誰が、自分の
世界の誰が、自分の力
の誰が、自分の力で、この神
で、この神の律法を
律法を守れたと言えるだろうか?!
Who in this world is actually able to say that they have followed every commandment?
7
●先
先週も指摘したように、
指摘したように、世界
したように、世界の
世界の4大聖人の一人である孔子
大聖人の一人である孔子さえも、「
孔子さえも、「不義
さえも、「不義(悪
不義 悪いことが何か)を
いことが何か を
知りながら、それを改
正しいことが何か)を
りながら、それを改めることができない。義
めることができない。義(正
しいことが何か を知りながら、それをする
ことができない。これが私の悩
ことができない。これが私の悩みである」と告白
みである」と告白した。
告白した。
Last week I touched on the fact that among the world’s four most well-known sages was Confucius,
who confessed something like: Knowing immorality, I cannot change. Knowing righteousness, I
cannot follow it. This is my dilemma. “
●イエス様と出会う
イエス様と出会う前
イエス様と出会う前、バリバリのパリサイ人、律法主義者
、バリバリのパリサイ人、律法主義者であったパ
律法主義者であったパウ
であったパウロも、同じ
ロも、同じように、
表面的には聖人
表面的には聖人ぶ
的には聖人ぶっていても中
っていても中味は、律法
味は、律法が
律法が守れないで悩
れないで悩んでいたことが、ローマ人へ
んでいたことが、ローマ人への手紙
7章の終
章の終わりに記されている。
Before meeting Jesus, Paul was a Pharisee of the high council. In the same way, he looked like a
religious sage, but inside he could not follow the law, and it caused him to suffer. That is recorded
in Romans 7 (at the end)
(7)しかし、
しかし、この青年は、
しかし、この青年は、傲慢
この青年は、傲慢にも、それを
傲慢にも、それを認
にも、それを認めなかった。ここに
めなかった。ここに彼の
ここに彼の間
彼の間違いがあった。
However, this rich young ruler was proud, and therefore never recognized his situation. This is
where he erred.
B.二番目の間違いは、彼が、イエス様に救いを求める代わりに、むしろ、イエス様からから
去ったことであった。
The second mistake was that instead of asking for salvation from Jesus, he left His side.
1.イエス様は
1.イエス様はこの青年に「自分の
イエス様はこの青年に「自分の全
この青年に「自分の全財産(ルカ
財産 ルカ18章22節
ルカ18章22節、
18章22節、マルコ10
マルコ10章21節)を
章21節 を売りは
らい、貧
らい、貧しい人たちに施
しい人たちに施すようにと言われた。
Jesus said to give all his inheritance to the poor (Luke 18:22, Mark 10:21)
(1)それは、
それは、普通
それは、普通の人には、
普通の人には、通常
の人には、通常、
通常、殊更に言われないことであった。
Most people would not particularly like to be told that.
(2
2)あの
あのザア
あのザアカイの場
ザアカイの場合
カイの場合でさえ、彼は自分の財産の「半
でさえ、彼は自分の財産の「半分」を貧
分」を貧しい人に捧
しい人に捧げたのであり、し
かも、それはイエス様の方から救いの条件として言われたことではなかった。
かも、それはイエス様の方から救いの条件として言われたことではなかった。ザア
それはイエス様の方から救いの条件として言われたことではなかった。ザアカイの方か
ザアカイの方か
ら、救いの喜
ら、救いの喜びの結果
びの結果として自発
として自発的に言ったこと、したことであった。
In Zacchaeus’s case, he gave half of his riches to the poor, but that was not an order from Jesus for
his salvation. Zacchaeus was so happy to be saved that he went out on his own and gave away his
money.
(3
3)では、な
では、なぜ
では、なぜイエス様はそのようなことを彼に言われたのか? それは、このことを通
それは、このことを通して、
隠された彼の心の姿
された彼の心の姿を彼自身に自覚
を彼自身に自覚してほしいと願
してほしいと願われたからである。
So why then did Jess say that to the rick young ruler? It’s because through this command, He knew
that the man’s true personality, which he was hiding, would be revealed.
(4
4)即ち、イエス様は、
即ち、イエス様は、
Namely …
●彼が、このことを
彼が、このことを通
彼が、このことを通して、それができない自分の罪深
して、それができない自分の罪深さを
罪深さを知
さを知り、認
り、認め、「私は罪
め、「私は罪人です。私
を救ってください」と言って、
That is, that he would recognize his sin, and say “I am a sinner. Please save me!”
●「
「律法を
律法を守る」ことに頼
る」ことに頼らないで、「イエス様を信頼
らないで、「イエス様を信頼する」ことによる義
する」ことによる義、救いを求めて欲
しかったのである。
He wanted him to recognize that he needed to be saved, which is independent of “obeying the law”,
but through “faith in Jesus”
2.しかし、彼がしたことはその
2.しかし、彼がしたことはその正
しかし、彼がしたことはその正反対であった。
However, what the man did was the exact opposite.
(1)第
第一に、
一に、彼は、自分の罪深
彼は、自分の罪深さを
罪深さを認
さを認めなかった。
めなかった。「そんなこと無
「そんなこと無理だ」と思
理だ」と思ったであろうが、
それを自分の罪深
それを自分の罪深さ
罪深さの事実
の事実とは結びつけず、ましてや
とは結びつけず、ましてや、それを告白
それを告白もしなかった。
告白もしなかった。
8
Firstly, he didn’t recognize the depth of his sin. The fact that he said “that is impossible (to give up
his riches)” was not connected to recognizing his nature as a sinner. He didn’t confess his sinful
nature at all.
(2)第
第二に、彼は
に、彼は「そんなことは
彼は「そんなことは自分には
「そんなことは自分には無
自分には無理だ」と思
理だ」と思うと、自分を見つめ
うと、自分を見つめて
、自分を見つめて失望・
失望・絶望し、イ
エス様に頼
エス様に頼ろうともせず、イエス様の下
ろうともせず、イエス様の下を去ったのである。
ったのである。
Secondly, when he said “that is impossible for me to do” he was professing his disappointment and
discouragement, rather than relying on Jesus. He turned away from Jesus.
結
論
Summary
●彼は何をする
彼は何をするべ
彼は何をするべきだったのか? それについて考
それについて考え、学び、今日の
え、学び、今日のメッセージの結
学び、今日のメッセージの結論
メッセージの結論とした
い。
What should this rich young ruler have done? I’d like to present this conclusion after studying this
passage today.
●第
第一に、自分の罪深
一に、自分の罪深さを
罪深さを認
さを認め、それを
め、それを告白
れを告白すること
告白することであった。
することであった。 聖書は言う。「自分の背き
の罪を隠す者は成功しない。それを
成功しない。それを告白
しない。それを告白して、それを
告白して、それを捨
して、それを捨てる者
てる者はあわれみを受
はあわれみを受ける」(箴
ける」 箴言 28
章 13 節)
Firstly, we must recognize the depth of our sin, and confess. The Bible says in Proverbs 28:13:
“Whoever conceals their sins does not prosper, but the one who confesses and renounces them finds
mercy.”
●第
第二に、自分の
に、自分の力
自分の力で正しいことを行おうとするこ
しいことを行おうとすること
行おうとすることの偽善と失敗を認め、放
め、放棄すること。
イエス様は言われた。「人にはそれ、即ち自分で自分を救うことはできない」と。
Secondly, when trying to do things we feel are right all by ourselves, we must recognize our failures
and hypocrisy, and renounce these areas of our life.
●第
第三に、そんな自分を救い、永遠の命を
三に、そんな自分を救い、永遠の命を与
そんな自分を救い、永遠の命を与えてくださる神
えてくださる神様の全能を信じ
能を信じること。
Thirdly, we must believe that God, who can give eternal life, is all-mighty.
▶即ち、神
即ち、神様だけが、私を救うことができる、永遠の命を与
様だけが、私を救うことができる、永遠の命を与えることができると信じ
えることができると信じることで
ることで
ある。
ある。
Namely, believe that only God can save us and grant eternal life.
▶イエス様は言われる。「人にはそれできない。しかし、神
イエス様は言われる。「人にはそれできない。しかし、神には何でもできないことはない」
と。
Jesus said ““With man this is impossible, but with God all things are possible.”
▶それは、①
それは、①どんな罪
どんな罪人をも愛
人をも愛することができる神
することができる神の全能 ②御子をさえ私たち
御子をさえ私たち罪
をさえ私たち罪人のために
十字架に
十字架に犠牲にする
犠牲にする神
にする神の全能の愛
能の愛 ③どんな罪
どんな罪人をも愛
人をも愛の人へ
の人へと導き、成
き、成長させることができ
る神の全能を信じ
を信じることである。
ることである。
That means 1) no matter what kind of sinner a person is, God can ultimately love that person, 2)
His son ultimately gave His life on the cross as a sacrifice for sinners, 3) no matter what kind of
sinner a person is, God will love them and make the grow if we believe in His ultimate power.
●この青年のように、地上的にす
この青年のように、地上的にすべ
この青年のように、地上的にすべてが揃
てが揃ってもなお満たされない。これが私たちの人間
ってもなお満たされない。これが私たちの人間の正
直な現状である。今私たちに必要なことは、それを
現状である。今私たちに必要なことは、それを認
である。今私たちに必要なことは、それを認め、悔
め、悔い改め、放
め、放棄し、イエス様に救い
を求める正直
を求める正直さと
正直さと勇
さと勇気である。あなたは如
である。あなたは如何ですか? 今も、自分の力
今も、自分の力で生きようとしていな
いか?
Like this rich young ruler, even if we have all the riches in the world, we will never be fully satisfied.
That is the reality of our current nature. What we need is the courage and honesty to recognize our
sins and repent, and abandon our old ways and be saved by Jesus.
How about you? Are you trying to live by your own power?
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