【論文の要旨】 題目 ― 日韓関係における歴史認識問題の反復 教科書問題への対応過程を事例として(1982~2001)― 氏名 鄭根珠 本稿は、戦後日韓の両国関係に影響を及ぼした様々な歴史認識問題の中で、とりわけ 1982 年から 2001 年の時期において両国の外交問題に発展した 3 回の教科書問題を題材に、両国 の政府および民間レベルは同問題に対してどのように対応してきたのか、その変容と持続 の過程を分析したものである。 本稿の研究目的は、政府および民間両レベルの側から教科書問題への日韓両国の対応を 過程追跡(process tracing)の手法を用い実証的に分析することで、日韓関係における教科書 問題の反復の因果メカニズムを明らかにすることであった。それは即ち、両国間の歴史認 識問題を論じる際に見られがちな「感情的解釈」や「道義的判断」の次元を超克し、客観 的かつ体系的説明を試みるものである。こうした作業を通じ最終的には、現代日韓関係史 において教科書問題の持つ意味および本質を解明することに、一定の学問的貢献ができれ ば幸いである。 その作業のために次の問題意識を検証した。日韓両国は、3 回の教科書問題をどのように 認識または議論し、「解決」に向けいかなる対応をとったのか。また、そのプロセスにはい かなる内的・外的な諸要因が影響を与えたのか。各教科書問題は、いかなる類似性と相違 性および連関性を有するのか、という点である。 分析単位は、政府レベルの対応過程に際しては政府・議会および政党とし、民間レベル はマスコミと知識人および市民団体とした。史資料は、主に日韓両国の『国会議事録』と 公文書、新聞、インタビュー、市民団体の刊行誌、二次資料などを用いた。また本稿では、 1982 年の「侵略」・「進出」問題、1986 年の『新編日本史』問題、2001 年の「新しい歴史 教科書をつくる会」の教科書問題を、それぞれ「第 1 次教科書問題」、 「第 2 次教科書問題」、 「第 3 次教科書問題」と称している。 本稿は序章と終章の他、全 6 章で構成されている。 第 1 章から第 3 章にかけては、1980 年代に起きた第 1 次と第 2 次教科書問題における政 治および民間レベルの対応過程についての分析を通し、教科書問題の反復要因を検証した。 その第 1 および第 2 の要因は、日韓両政府の同問題への認識の相違および韓国世論への理 解の欠如にあった。教科書問題の発生後、日本政府および保守派から表出される反応は、 i 内政干渉論を含んだ同問題への中韓両国の対応に対する不快感であった。このことは日本 政府および保守派が教科書問題をもっぱら内政問題として見なしていたことに起因する。 他方、韓国では最初から教科書問題を外交問題として認識していた。韓国の政策決定者の 中には同問題を日本の内政問題として認識した人々もいたが、噴出された反日ナショナリ ズム、対日批判的な国民世論の影響力を無視できるほどではなかった。 第 1 次および第 2 次教科書問題は、朴正熙政権時代に韓国でタブー視され抑えられてき た対日批判および反日感情が爆発する契機となった。このような対日批判は国会議事録の 分析からも検証されたように、与野党共に国民世論と同様の反応を示した。こうした反日 感情を正確に把握できなかった日本政府側は、教科書制度に関する説明と反共論理で対応 したが、 「説明」がいかに重なっても韓国の世論は納得できなかった。このことは両者の「説 明」に対する認識の相違にもあらわれ、日本政府は教科書検定制度への「説明」に終始し たのに対し、韓国側は叙述内容に対する「説明」を求めた。第 1 章から第 3 章にかけては、 このような両国の政府レベルの認識および対応方式の相違が解消されないまま、2001 年の 教科書問題においても同様の認識および方式が繰り返されることになり、ここに同問題の 反復性の一因があることを明らかにした。 さらに第 3 の要因は、「解決」過程における政府の強い主導力である。1980 年代の教科 書問題への対応過程にあらわれた政府主導の外交決着は、問題の迅速な収拾を可能にした。 しかし反面、根本的な解決のための議論の深化や民間レベルの主導的役割を妨げる上に、 再び問題が起きた際にもこの方式が問題解決の第一条件であると認識させるため、外交問 題に発展しやすくなるのである。 第 4 章では、1990 年代の教科書問題をめぐる状況を分析した。第 3 章で、第 2 次教科書 問題における日本の政治指導者の「妄言」は、教科書問題の更なる争点化の変数になると 共に、日本の保守派の不満と反発を代弁するものであることを検証したが、第 4 章では、 教科書問題の反復要因としての保守派の危機意識についてより実証的な分析を行った。 第 1 次および第 2 次教科書問題の「解決」過程に対する不満が蓄積されていた保守派は、 1990 年代に日本政府の歴史認識問題をめぐってなされた一連の反省表明によって、さらに 危機意識が増し、政界・市民・メディアにおける保守の結束が見られた。本章では、保守 派の中に蓄積された不満の表出と彼らの立場をより積極的に主張する手段として、歴史教 育の要である教科書の叙述内容および作成に保守派が直接関与したことにより、教科書問 題の反復および再発をもたらしたことを明らかにした。 第 5 章と第 6 章では、第 3 次教科書問題への政治・民間レベルの対応過程を分析した。 この分析を通じて、1980 年代の日韓両政府の対応姿勢と同様に、2001 年にも韓国国民の反 日感情やその影響力に対する理解不足が要因となり、韓国政府の初期段階の回避的姿勢お よび日本政府の安易な「説明」対応によって対処され、教科書問題の反復を助長したこと を明らかにした。 教科書問題の反復の第 5 の要因は、問題が起きる度に国会やメディアにおいて繰り返し ii 表出された、歴史認識問題をめぐって相互に根強く内在している対韓不快感と対日不信感 である。第 6 章では、こうした「感情」の解消のために必要な努力として、交流と対話の 有用性について論じた。第 3 次教科書問題の対応過程における最も大きな特徴は、教科書 運動や活発な歴史対話など「解決」過程に民間レベルの役割が主体的に登場したことであ る。また、第 3 次教科書問題を機に、韓国における強烈な反日ナショナリズムの克服のた めに、韓国の知識人による自国の歴史教育への自省を促す議論が活発化し、国定教科書の 改善努力がなされたことも注目すべき点として取り上げた。 以上の検証を通し明らかになったが、日韓の教科書問題は、両政府の同問題に対する基 本認識の相違と反日感情への理解の不足、「解決」過程における強い政府の主導性、保守派 の危機意識の増大、相互の不信感及び不快感の表出などの要因により反復すると結論付け ることができる。こうした反復要因の深刻度が高いほど、教科書問題は繰り返される可能 性が高くなるメカニズムを有する。また各時期の教科書問題は、直接的契機や政治状況、 解決過程に相違点がある一方、基本的に政府レベルの対応過程や認識、背景としての保守 派と進歩・リベラル派の対立構造などが共通しており、密接な連関性および因果関係を有 することも明らかにした。 iii
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