今、注目されつつある「臨床宗教師」とは R&R 六月二十二日の『産経新聞』は「自殺防止に『臨床宗教師』 京都府 No324 被災地支援を応 用」という見出しの記事を掲載しました。それによれば、「臨床宗教師」は「宗教や宗派の 違いを超えて人々の悲嘆や苦悩に耳を傾ける『傾聴』を行う宗教者」を意味し、これを「自 殺対策に活用しよう」として京都府が「龍谷大(京都市)と提携し、委託事業を始めるこ と」になったとのこと。 そもそも「臨床宗教師」は一体どのような理由で誕生したのでしょうか。「臨床宗教師」 自体が一般には余り馴染みのない言葉ですが、平成二十三年三月の東日本大震災に遭った 被災者の心のケアのために、宗教者や医療者・研究者などが連携して行なってきたさまざ まな支援活動を踏まえ、翌二十四年四月に東北大学大学院に設置された実践宗教学寄附講 座において、これを養成するための教育システムがスタートしたというのがあらましの経 緯です(キリスト教国における「災害チャプレン」に相当) 。 もう少し詳しく説明を加えますと 同講座の立案者の一人である鈴木岩弓東北大教授 (宗教学)は「一瞬にして親しい人を失ったり、自己の死を見つめさせられた人々に対し て、充分な救済の光を提示できるのは、あの世のメッセンジャーとしての宗教者をおいて はあり得ない」と宗教者の役割を高く評価する一方、「なるべく宗教的な偏りの無いように 寄付を募り運営していく」と宗教的な中立性を強調しています。 たしかに、本講座の運営委員会が制定した「臨床宗教師倫理綱領」には「ケア対象者の 信仰・信念や価値観、社会文化的背景等を尊重しなければならない」とか、 「布教・伝道を 目的として活動してはならない」とか、 「ケア対象者に対する宗教的な祈りや唱えごとの提 供は、ケア対象者から希望があった場合、あるいはケア対象者から同意を得た場合に限る」 等々、対象とされる人々の信教の自由に配慮した規定が細かく設けられていますが、これ だけで十分でしょうか。 発足当時は「臨床宗教師」という呼称も仮称として用いられたぐらい歴史も浅く、まだ 限られた地域でしか運用されていないため、制度的にもまだ整っておらず、政教分離の視 点から眺めても多分に懸念すべきものがあります。たとえば、冒頭に紹介した龍谷大にお ける履修科目には必修科目として「実践真宗学研究」「真宗人間論研究」が掲げられていま すが、地方公共団体たる京都府がこのようなカリキュラムによる「臨床宗教師」の養成を 委託してよいのでしょうか。 ここでふと思い出すのは、平成十年の長野五輪に世界中からやってきた選手たちの精神 的プレッシャーを和らげるために、選手村に全スタッフがクリスチャンである宗教センタ ーが設けられ、批判を浴びたことです(R&R No150参照)。 参考とすべきは刑務所における教誨活動でしょう。協会は服役者の任意に委ねるととも に、すべての宗教に公平に開放され、全国一律に制度化されているのですから。 (六月二十五日)
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