右近の家族 (フロイス、チースリク神父資料) ≪黒字はフロイス

右近の家族 (フロイス、チースリク神父資料) ≪黒字はフロイス・チースリク神父、赤字は松田毅一氏のみ≫
再婚した夫
妻と高槻1583賤ケ岳合戦帰天
古田織部・妹?
ユスタの
母
伊智地文大夫パウロ室の姉妹?
余野クロダ殿と結婚
受洗
池田氏の娘
再婚・棄教
村重謀反後右近を頼る
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再婚による女児
余野クロダ 飛騨守の
殿
遠縁・友人
1574頃13~14歳結婚
兄弟(2人の息)
母と高槻
1583賤ケ岳合戦帰天
妻ユスタ (ジュスタ)
余野クロダの娘
マニラ・帰国
余野城主・受洗
飛騨守の
母
ジアン
高山で受洗
*マニラから帰国した人
(1616ジェロニモ・ロドリゲスの書簡)
・妻、娘、孫5人のうちの1人
飛騨守
(ダリヨ)
1520~30生
1595京都帰天
長崎埋葬
マドリード王
立史学士院
文書によるも
の
ダリオには既婚の
姉妹がいた
(マニラ追放時:16歳~8歳)
右近の孫(全員マニラ・1人帰国)
右近の旧家臣の子?
子(帰国)
長男(ジョアン)
子
(1575生1608追放前に帰天) 子
1582秀吉人質8歳
子
金沢1588年14~15歳美男子 子
≪高山フランシスコ≫
長崎のキリシタンの書簡
(石川県志賀町代田の高山家?)
当主:豊次
金沢で1596~8年頃結婚
右近
1552~1615
弟ジョアン
妻
(沢で受洗)
1608年加賀帰天
マリア
徳が高く
祈り・慈悲
謙遜
(1621神父書簡右近の孫たちは皆無事堺)
妻
(1608追放前に帰天)
≪太郎右衛門≫
(チースリクP314)加賀
能登聖堂
1589オルガンティーノ書簡によるもの
(復活祭出迎え、明石信仰宣言)
*松田毅一氏は、「孫」を娘ルチアの孫
男(忠右衛門)
これは間違いでは?
永原重信三女と結婚
(永原家系図)永原キリシタン集団
1590の幼児では?
?
(大分市の高山家?当主:泰四郎)
(次男 助之進?)加賀に行く1588・10歳・大友氏に預けられる、母:中川女(関根)
娘(ルチア)
息子(胤長)(たねなが)石川志賀町横山別家
1603年結婚
1614禁教令離別マニラ帰国 ?
男(1571帰天)
イエズス会年報戦死(海老沢:P29)
横山康玄(やすはる)
女(妹)
女(妹)
女(妹)
前田家家老
1603年結婚13~14歳 離別後再婚
≪その他右近の子に関する記述≫
1582 村重に 姉妹1人を人質に出し、
(彼女≪ユスタ≫が生んだ子はほとんど夭折した)p76
なお1人の既婚の姉妹を渡して 女(1577生 産後帰天)
(二人の息子が夭折した)
おり・・・
男(1580~1生 洗礼2~3才で帰天)
(茶人土屋宗俊の妻となった娘?)
ダリオは息子の1人を「トサン殿」
男(1585神父手紙 受洗した子と同様に帰天)
の娘と結婚させることを決めていた 男(1608イエズス会年報帰天長男と別人か?)