「大友良英のJAMJAMラジオ in 熊本」公開収録で熊本を訪ねて

〜「大友良英の JAMJAM ラジオ in 熊本」公開収録で熊本を訪ねて 〜
2010年4月からスタートした大友良英の JAMJAM ラジオ。翌年、東日本大震災が発生。大友氏の
地元が福島にあることから福島をベースにした様々なプロジェクトが大友氏らと共に立ち上がる。その
頃ラジオ福島でこの JAMJAM ラジオのネット放送がスタート。のち熊本放送で大友氏の熱心なファン
でもある和菓子店がスポンサーとなり熊本放送でのネット放送が始まる。東京をスルーして福島⇔京都
⇔熊本という距離を越えたネットの放送がスタート。今年2016年4月 想像もしなかった熊本大地
震。震度7の大地震が短期間に2度も発生。熊本県災害対策本部被害状況の報告 7月18日現在、ピ
ークの時の避難者は 183,882 人。人的被害は死者 76 名、負傷者 1.887 人。家屋被害は全壊 8,322 棟。
半壊は 26,162 棟との事。福島のリスナーが熊本のリスナーへの応援が番組にツイートされた。演奏で
も一度も訪れたことのない熊本へいつか行ってみたいと番組の中で話していた大友氏だったが熊本放
送、スポンサーの和菓子店らの協力もあり7月26日、震災から3ケ月を迎えた熊本を訪問。熊本放送
のアトリウムで公開収録を行う運びとなった。
7月26日(火)熊本空港へ到着の大友氏と供に一番災害の大きかった益城町を経由して
熊本放送へ向かう。空港から益城へ向かうまでは、ブルーシートで屋根が覆われた家屋があるものの田
畑が広がり九州の豊かな自然の風景が広がっていた。しばらくして益城の町へ近づくとともに、崩れた
家が見え始めてきた。大友氏も私も口数少なくなり、車をゆっくり進めながら変わり果てた町の姿を見
る。
「福島の光景よりひどいかも、フラッシュバックして辛い気持ちになるな。」と話す大友氏。すでに
整備されて更地になっている所もあるがペシャンコに押しつぶされたままの家屋も沢山あった。一通り
町を周り熊本市内へ向かう。市街地に近づくとともに被害は少なくなっていった。
益城の町から車で20分程度走らせ 熊本放送での JAMJAM ラジオ、スポンサーである藤ひろ菓舗へ
向かう。午後2時過ぎ到着。菓子工房で店主 藤崎博三氏から番組のこと、震災のことなどインタビュ
ー。音楽好きで温厚な店主との収録は9月16日番組で放送予定。藤ひろ菓舗から熊本城へ移動。車で
30分ほど走る。
熊本の街中は路面電車が走り風情がある。震災からもかなり早く復旧したと聞いた。ただし車の運転は
気をつけないといけない。特に右折は電車に注意しないと危険。
震源地から離れていても被害はあったと思うが「益城の大変なところと比べるとまだいい方です」と話
す藤崎さん。お店でのインタビューを終え、熊本城へ向かう。城を少し離れた所に望める加藤神社へ。
ここは熊本発展の礎となっている加藤清正公が祀られる神社。
向かう途中よくテレビに出てくる堀端の崩れた石垣が目に飛び込んでくる。専門員なのか何か話しなが
ら崩れた石にナンバリングをしている様子があった。ぐるぐると道に沿い、小高い所にある加藤神社。
車で通る石垣沿いには黒い大きな土のうが等感覚に積まれている。到着して眺める熊本城の天守閣は悲
しい姿ながらも美しさを保っている。ポロポロと石垣の崩れ方は酷く元どおりの復旧は果たして出来る
のかと気が遠くなった。
朝からアトリウムでの公開収録の準備いただく熊本放送へ向かう。市内中央区山崎町にある熊本放送到
着。30客ほどの椅子が並べられ、大友氏の演奏用アンプも届きサウンドチェック、この日の為のお素
晴らしい看板もディスプレイされていた。RKK ラジオの皆さんから歓迎を受けた後、レコード室へ。
耐震対応されていたレコード棚が無残に倒れている。いつもならレコ室担当者が音源整理をしているパ
ソコンの後ろにも棚が容赦なく倒れている。
「もし人がいた時なら・・とゾッとした。
」と聞かされた。
17:00
アトリウムでのサウンドチェックを経て収録会場をオープン。早くから来て席につく人、
慌ててスタート間際に駆け込む人、幅広い年齢層の方で用意の椅子がほぼ埋まる。
17:30 いつもの番組テーマ曲から始まり収録スタート。大友氏のおしゃべりは弾む。2週目の収
録分では参加者に募ったアンケートを元にインタビュー。昼間観てきた益城の町、熊本城の様子もトー
ク。被害調査に来ていた保険会社員、教師、博多から新幹線を飛ばして来た方、車で1時間かけて参加
の方、スイミング教室へ行く途中公開放送があるから覗いたという70代の女性。途中で失礼しますか
ら、と言いながら最後まで居てくれた。それぞれの体験を持った人がそれぞれの場所から集まり
JAMJAM ラジオを介してここ熊本で同じ時間を過ごせたのはとても有意義なこととなった。熊本放送
の皆さんに大変お世話になり感謝の思いでいっぱい。
この様子は9月2日、9日、16日の JAMJAM ラジオで放送する。
翌日、7月27日(水)北海道へ向かう大友氏を熊本空港まで送り、見送った後空港周りの災害の様子
を見に行く。やはり益城町より災害は軽い。南阿蘇へは時間に限りがあるので断念。再び益城町へ戻る
ことに。庁舎はひび割れたところが多く仮設での業務。行った時は真夏の暑さをしのぎ体育館の避難所
から仮設住宅への移行終了の頃であった。忙しくされている時間を拝借し熊本県益城町復興課広報係り
係長 遠山信也氏にインタビュー。地震発生時のこと、7月27日現在の状況などを聞く。遠山氏が切
に話されていたのは「時間が過ぎるとメディアも来なくなり、忘れられ風化していくのではないかと案
じる。熊本のことを見守り、とにかく忘れないで欲しい」とメッセージされた。
町を再度歩き
崩れた家、がれ木の山を見る。町の真ん中を通る川の側が一番ひどかったように思う。
とにかくこの日は暑く汗が流れる。風といっしょに埃が舞う。少し離れたところの道路には大きなひび
割れが長く続く。その横を夏休みを迎える小学生が学校から帰ってゆく。彼らの夏休みは地震の復興と
ともに過ぎてゆく暑い時間になるのかと思うといたたまれない。
最後に益城町の復興市場・屋台村へ。既にスーパーマーケットは開店していた。また仮説店舗で営業し
ている店もあった。この屋台村の中はフードコート風のサロン。カットハウも特設されている。テーブ
ルとイスが並び白い壁のシートには応援コメントがマジックで書かれている、中には有名な人のサイン
も。この日はよしもと芸人の大御所 オール巨人氏が慰問。ボランティアでいた女性に話を聞く。7月
27日現在 まだライフラインも完全ではない地域があるそう。水が来ていない所もあり、お風呂も近
くで借りる人、銭湯へ行く家もあるとのことだった。それでも気丈に「お疲れ様です」「ご苦労様で
す」とこちらに労いの言葉をかけられ温かい気持になる。ここではまちづくり益城 代表理事 熊宮敏
紘氏に話を聞く。熊宮氏も遠山氏と同じく「今回の災害を忘れないで欲しい、町の復興をめざす」と話
されていたのが心に残る。
この日に取材した様子は8月31日(水)防災の日を前に「森谷威夫のお世話になります」11:00
~紹介。番組収録で地震保険の被害調査で熊本入りされていた方へインタビューの中で「ほとんどの人
が もっと大変な所と比べたら・・」と答えが返ってくると話されていた。地域柄なのか私も話を聞い
た方、皆大変な状況にも関わらず対応いただいた。災害をクローズアップする特別な期間だけでなく何
か定期的にコンタクトを持ちながら福島、京都、熊本を繋いでいきたい。
平成28年8月29日
KBS京都ラジオ制作
小林 秀野