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平成 28 年 10 月 2 日
犬養毅が政治家として目指したこと
はじめに
・犬養 毅(いぬかい つよし、号・木堂)
、1855 年 6 月 4 日(安政 2 年 4 月 20 日)に、庭瀬に生
まれ、1932 年(昭和 7 年)5 月 15 日暗殺される
・犬養その政治的生涯において自らの政治的立場と外交政策を一貫させようと努力
・そうした姿勢は、政治家を志した時から目指したもの
・途中、一時的に変化を見せたことはあったが、生涯を通して、ほぼそうした姿勢を維持
・本日は、そのことに関する具体的お話をしたい
1.同時代の社会的評価
・頭脳が明晰である
「大抵の人間は馬鹿でぼんやりで、頭がボーッとしている。犬養のような頭の鋭いのは稀れだ。
智者には友人が少ない。友人となるべき智者が、世間には少ないからである。これが智者
の悲哀である。犬養の政治的生涯の大半は、智者の悲哀を味っている。」(昭和時代の著名
な評論家「馬場恒吾」の言葉)
・
「哲人」とさえ言われる
「先生(犬養のこと)は如何なる大事件に直面しても、即座にその帰結を見ぬき、その態度を決
することのできる人であった。従って国家の重大事件につても、茶漬を食べながら簡単に之を
決定する事ができた。
」(苦労してアメリカ・イギリスで勉強し、明治大学教授となり、その後
は政治家となった「植原悦二郎」の言葉)
・犬養の言葉 → 「僕は自分を信じている」
・これらの証言は、犬養が聡明であることを指摘するものであるが、そのような犬養を形成したの
は、若いころから「理想的政治家」として振る舞うことを可能にした思索と、そのことにもとづ
く行動によるもの
2.日本の政治目標と理想的政治家像
・犬養の考えは、
「後発的な日本を、先進的な日本にするために政治家はどうあるべきかという考え
に基づく」
・日本の政治経済が「後発性」にあると認識するため、自らが「理想的政治家」となって、日本を
先進的な「国家」にしていくのが使命と考える(このことを明治 20 年に刊行した自著『政界の灯
台』で明らかにする)
・政界では対抗勢力との「協調」と「和解」も必要で、そのためには「調停」のための行動が求め
られるし、また「理想」と「現実」を政策思考の基盤にする必要もある
・犬養の政治家としての位置づけは、
「調停者」、
「現実主義と理想主義の使い分け」と指摘される
3.日本の政治外交に対する考え
・国内政治では、
①イギリス型の立憲政治(憲法にもとづく民主主義)
②藩閥政治(出身地にもとづく人間関係で組んでやる政治)反対
③経済的発展を目指す
1
④国は大事
・外交では
①平和外交をめざし、大国(ロシアとアメリカ)との戦争は避ける → 日露戦争さえもあまり支
持せず、また第一次大戦での国力を再認識し、とくにアメリカとは、絶対戦争してはなら
ないと考える
②戦争にともなう経済の疲弊を憂慮 → 戦費や軍隊の増設に伴う経費増に反対
③明治 10 年代から国際的に政治外交を考える能力をもつ(明治 15 年、24 年の演説)
④朝鮮は支配、西洋に対抗するためと日本の経済発展のため中国とは協力
4.上記の理想は、大隈重信に従うために喧伝せず →
日清戦争から明治の終わりまで
・理想的(模範的)政治家としての自分を提示するよりも、大隈を生かそうとする
・しかし、明治 20 年に出版した、初めての著書では、自分を「理想的政治家」とする
5.少数党のリーダーのため「理想的政治家像」を実践
→
ついに憲政の「神」となる(大正時代)
・大隈と決別したのちは、自分の「理想的政治家像」や「人物像」を提示する
・
「修養」を積んだ政治家として振舞う(「理想的政治家」として支持を集めたかったから)
・
「先づ立憲的智徳を養って増進し、以て社会的に役に立つ新国民を造る」
・
「犬養が、
・・・ともかく藩閥打破、憲政の確立という目的のために、一貫して悪戦苦闘したこ
とは、誰も否定できない。そのため、彼は、はじめから政治というものは、こうでなければな
らいという原理を振りかざして、政界で活動しようとしていたため、犬養にとっての異端者を
排斥し、またまた排斥したため、とうとう犬養の家の大樹のように、たった独りでスクット
立ってしまった。
」(現在でも高く評価される大正時代の評論家「前田蓮山」の言葉)
6.「憲政の神」としての晩年
・国民が中心となる民主主義は、普選で実現
・
「理想的政治家」として「政治に生きて政治に死ぬ」を実践しようとした
・政界を隠退してから、しばらくの間、政界の表に出なかったが、大政党の政友会の総裁に就任
理由 → ①国民から「理想的政治家」と見られる ②党内抗争を回避する事情
・モラルにこだわり、総裁候補の一人である、明治期からの「盟友」小川平吉も党として総選挙
に際して承認せず
・総理大臣になると、日本の軍隊が陰謀で起こした満州事変を中止させようとしたため、軍部は
怒り、暗殺者たちによる「犬養暗殺」を阻止しなかった
おわりに
・犬養は、政策の一貫性を政治生命にまで高めた
・国内外の政治的環境の大いなる変化に直面すると、若干変化をみせた
・しかし、生涯のうちで長期間、少数党に所属したため、変化を強制されることは少なかった
・そのことが最晩年に大政党である政友会の総裁、第 29 代内閣総理大臣になることを可能に
した
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