なぜLDS? - Why LDS

なぜLDS?
これは私の改宗の話です。
私のこの話があなたの人生の意味を見つける手助けになると願っています。
オーストラリア婚姻挙行者兼公証人
朴正彬
Translated by Sanae
.
シナイ山の日の出
私は、人生の大事な時期に、3つの疑問をもっていました。
人生にはどんな意味があるのでしょうか
神は本当に存在するのでしょうか
たった1つのバイブルで、どうしてたくさんのキリスト教宗派がある
のでしょうか
もしあなたが私と同じ疑問を持っているなら、私の話がお役に立つかもしれませ
ん。
Eメール : [email protected]
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なぜLDS?
私が最初にキリスト教に接したのは、韓国の慶尚南道、金海市にある祈りの家
でした。その祈りの家は、萬丈台、それは城山の頂
上にあるのですが、その近辺にある2つの岩に挟ま
れた洞窟のようなところの中にありました。
その頃の私は、ほとんど毎日のように、その山のてっぺんに登って、時にはそ
こで丸 1 日過ごして、読書や黙想にふけりました。
それから、とても寒いある日のことでした。早朝、山に登っていると、誰かの
泣き声が聞こえました。すぐに、山の中腹で子供のお坊さんが
泣いているのだと気づきました。そのお坊さんは、キムチ用に
塩漬けにした白菜を井戸の水で洗うために、自分の背に担いで
運んでいたのですが、何かにつまづいて、白菜を全部、至る所
にまき散らしてしまったのです。着ている服一面が凍ってしま
うほど、とても寒い天気だったので、お坊さんは立ち上がれま
せんでした。お坊さんはとても幼くて、どうすべきか分かりま
せんでした。それで泣きながらただそこに座り込んでいたのです。
私はお坊さんが立ち上がって白菜を拾い集めるのに手を貸してやり、お坊さ
んが持っていたA字型の背負子で、白菜を背に担いで運びました。お坊さんと私
は、谷間にある井戸まで下りていき、白菜をきれいに洗いました。それから私は、
お坊さんが元来た道を戻るのについていきました。お坊さんが案内した場所へ上
って行くと、2 つの岩の間にあるその場所を意外に思いました。その子供はお寺
のお坊さんだったのですから、お寺にたどりつくものだと思っていたのです。し
かし、私を案内した場所は、洞窟内にあるキリスト教の祈りの家だったのです。
その洞窟には2人の老女が住んでいました。間もなく、この人達がキムチを作る
のに手を貸してやるために、近くのお寺がその子供を遣わしたのだと知りました。
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なぜなら、こんな寒い天気の最中、キリスト教徒はそこへ上って行かないし、2
人の老女らだけでするのは大変だったからです。
それで私が、子供のお坊さんと一緒にそこへ上って行きました。私の服は、濡
れた塩漬けの白菜のせいで白くなっていたので、老女らは驚きました。お坊さん
と私の間に何があったのかが分かった時、老女らは、私とお坊さんの前に跪き、
神の名を口にして感謝しました。老女らが祈りを捧げると、
助けたのは私だったのになぜ神に感謝していたのかと、皮肉
をこめて尋ねました。「あなたを私たちの元へ差し向けたの
が神様でなかったなら、一体誰だったのでしょう? もちろ
ん、あなたがしてくれたことに感謝します。しかし、神様が
あなたを私達の元へ導いたのですから、神様に感謝しなけれ
ばなりません。」と、老女は答えました。
何のことやら、私にはわかりませんでした。私は自分1人で山に登って、偶然
に、泣いている子供に出会ったのです。その子供をかわいそうに思って助けてや
ったのは、神様みたいなものではなくて、私だったのです。しかしこの老女達は、
私が手を貸すように、神が私を導いたのだと言っているのです! 私は同意でき
ませんでしたが、老女らの信仰に不平を述べることはできなかったので、含み笑
いを漏らすのみでした。
この出来事の後、祈りの家はキリスト教徒以外の者には出入りが禁止されてい
るのですけれど、私はいつでも入ってよいという特別待遇にあずかりました。私
は、時々、そこへ行って人々が目を閉じて神に祈っているところを見ていました。
私は宗教に何の関心もなかったのですが、祈りの家がある場所はぽつんと離れた
場所にあって、寒い冬の時期にあの老女らを訪ねる人はめったにいなかったので、
朝早く、あの山に登るたびに、その老女らが無事でいるかを見に祈りの家へ立ち
寄りました。老女達は、私の心遣いにとても感謝して、尐量の食料など、自分た
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ちが持っているもの全てで感謝の気持ちを表そうとしました。私もよく、老女達
のために何かを持ってきました。 私は、たびたび、老女達を知る他のキリスト
教徒や出会ったいきさつを知った他のキリスト教徒の祈りの主体になりました。
この時点で、私はまだ神に何の興味も持っていない上に、神の存在も信じられま
せんでした。当時は、生きたいという私の意志が、この世の不公平さによって試
されていました。そして、神の無限の愛や公平さや正義などを信じることができ
ませんでした。
中学卒業後、私は、家の経済的事情で高校に進学できませんでした。お金を稼ぐ
ために働くよりほかに仕方がなかったのです。でも、私は職場で将来の何の希望
も見つけられませんでした。それで、私は金海市にある工兵学校で教師をしてい
る長兄のところへ行き、彼の家に滞在しました。学校での私の成績は3年の奨学
金を受けるのに十分なほど良かったのですが、家庭の貧困さのせいで、私の夢す
べてが奪われたのです。成績がわたしよりずっと低い友達でさえ自分たちの将来
に向け、勉強していたのに、私は、将来のためにはならないけど、ただ最低限生
き延びるためのことをしなければならない惨めな状況に、無理
やり押しやられたのです。
私のように、人は、出生時の状況によって、違った人生を生き
るように運命づけられていることがままあります。もし金持ち
の家に生まれるなら、裕福な家族の子供として暮らせて富と機
会に恵まれることでしょう。もし貧しい家に生まれるなら、選
択の自由に制限がある貧乏な家族の子供として暮らすことでしょう。つまり、健
康と病気は、多くの場合、生まれた状況によって決まるのです。その時は、そん
なことは生命の法則や宿命だと理解していました。それ故に、他の人は生まれた
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時から持っているような物でも、そのために生涯ずっと懸命に働く人もいるので
す。なんてあまりに不公平なことなんでしょう! だれかは生まれつき得ている
ことのために、私は一生働かなければならないなら、そんな不公平な生命の法則
などを、辞を低くして受け入れるなんてできないでしょうに。
そんな惨めな状況において、人生から逃れる方法があります。つ
まり、来世のために目を閉じて、あるいは面倒なことはせずに、
自殺すると決めてもよいのです。あまりにも辛くてもう生きられ
ないと思うなら、いつでもそれを選ぶことができるのです。生ま
れる境遇を選べないとしても、好きな時にいつでも自分の死のあ
り方を選択できるのです。私は自殺を「最後のカード」と考えました。
「生と死は運命だ」と人は言います。生きるか死ぬかを分けるような、人生が変
わる瞬間をよく考えてみると、この重大な瞬間はとても単純で、一瞬に選択する
ことになるということに気がつきました。しかし、私は、最後のカードを切る
前に、人生の意味を知りたいと思ったのです。
私たちの人生にはどんな意味があるのでしょうか
私は、人生に関する基本的な現実のことで煩悶していました。例えば、なぜ望ま
ない人生を生きようとしなければならないのか、とか、なぜ別の場所ではなくこ
こにいるのか、というようなことです。私は哲学に底知れない関心があったので、
年に似合わずしっかりしていました。その立場から見ると、神の愛とか博愛とか
公平さなどは、私には笑止千万、どうしても受け入れられないものだったのです。
宗教は、自分の限界をねじ伏せたいと思う弱い人間が作ったのだと、人は言いま
す。それだけに、神は本物ではなく幻なのです。キリスト教徒は、迷路の中をさ
まよう人達の集まりで、どこへ行くべきなのかを知りませんでした。全能の神が
この世界を創造したのですが、彼は公平であり、正義であり、慈悲深くて、囚人
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である罪深い人でさえ許してくれるのです。しかし、この神は、不正行為とか惨
事とか不公平さとか不平等などについての数えきれない不平を顧みないのです。
彼はただ、自分の子であるイエス・キリストを人々に遣わして、イエス・キリス
トを信じる者はだれでも、現実世界における問題について何の解決もなしに、救
われるだろうと断言するのです。この世でもがいているとあれば、来世でどんな
具合に救ってもらえるのでしょうか? キリスト教のそんなまったくの口から出
まかせをどうして受け入れることができましょうか?
当時、私は、中国人哲学者、林語堂によって書かれた「血の
かよう人間の哲学」という本に読みふけりました。彼はこの本で
こう言っていました。
「無限で果てなき宇宙においては、地球の大きさはたっ
た1つの微小なちりであろう。そして人間はその宇宙
でちりの中のちりであろう。どうして万物の創造主が
人間を愛することができようか? 創造主は我々を見
ることはできないかもしれない。」
「創造主が我々を愛することもあるということを、いさぎよく認めるとしても、
まだなにやら残っていた。人間である我々の母は、重大な不正に対する地獄の
果てしない罰を我々に決して与えないだろう。しかし、無限の愛を持つ神は、
罪を犯した人を果てしない罰の地獄へ投げ捨てるかもしれない。つじつまが合う
だろうか?もし神の愛が、人の母の半分なら、神は決してそうしないだろう。」
私は、彼の言葉に賛同しました。例えば、農場で働き暮らす農夫と都会で商
売をする商店主――どちらがより多く、犯罪に引き込まれる機会があるでしょう
か? 商店主はより多くの誘惑に取り囲まれているので、おそらく、彼の方が罪
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を犯す可能性がより高いでしょう。しかし、農夫は、福音を耳にする機会がなく、
イエス・キリストを信じなかったので、地獄へ落ちるかもしれません。一方、
商店主はキリストを信じたので、全ての罪の許しを得て、天国へ行くかもしれま
せん。それで、神の法が公平だとどうして言えるでしょう?
私は、毎日神にすがっているのに、神の姿を目にした
ことさえないキリスト教徒のことが、ますます分かりま
せんでした。もしそうなら、実在しないかもしれない、
ただ想像の中に存在する神にすがっているのです。それ
は、どれほどおかしなことでしょうか?
人は善悪を見
分けられるという自覚があります。だから、もし我々が左か右に傾斜して前に
進むなら、生き方は、こころおきなく自分の善悪の観念従って、神が存在するな
ら、神のあり方に、あるいは、仏が存在するなら、仏のあり方になってしかるべ
きです。しかし、宗教においては、自分の良心の自由さえも、宗教によって抑制
されるのです。次世でさらに多くの恩恵を得るためには、我々は良い行いをし
なければなりません。良い行いをすることで、純粋な性質や本当の幸せや本当の
自由をなくし、わがままな偽善者になります。
ある夜、私は、同年代の生徒、数人があの山から戻る際の案内をしてくれるよう
に頼まれました。その生徒たちは祈りの家まで登っていったのですが、暗い夜道
を戻ってくるのに困っていました。わたしはその夜そこにいたので、彼らは、戻
るのを助けてくれるよう私に頼んだのでした。
彼らと一緒に戻る道すがら、この一団に親近感を覚えました。私たちはたくさ
ん会話して、一緒に歌を歌いました。親しくなるにつれ、たったこんな短い時間
のことだったのですが、彼らは私に、自分たちの教会であうように聞いたのです。
このような招待を受けた時、林語堂が言っていた言葉を思い出しました。「教会
に行くのに信念をもっている必要はない。ただ出席して心の安心を得て瞑想の時
間を持ちなさい。」と林語堂は言ったのです。私は何も期待せずに、彼の言葉に
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従う決心をして、はっきりしないことを信じるキリスト教の錯覚を打ち破りたい
とも思いました。
それで、私は、これら色々な理由で、何度か教会に参加しました。ある日、十
字架を以前はよく考えもせず見渡していたものでしたが、その十字架が目にとま
りました。そして体の奥深くから同情的な感覚が沸き上がりました。「世界中の
最も偉大な聖人の1人として畏敬のまととなった。どうしてこんな残酷な罰を受
けたのだろう? 十字架の上で、どんな御告げを我々に、どうしても与えたい
と思ったのだろう?」とひとり言を言いました。
それからある考えが心に浮かんできました。――彼の言葉は私
には受け入れがたいものであるにしても、彼が、私たちのため
に自分自身を犠牲にしたのなら、彼の言葉に耳を傾ける価値は
十分にあるだろう。
彼の言葉の重要な点は、神は生きておられるということです。ブッダや孔子や
ソクラテスのような、他の偉大な聖人とはとても違っています。彼ら全てが、
我々の生と限りある生命の一線における真実について語っています。しかし、キ
リストは世界の創造主が生きておられると伝えたのです。そして、天国は我々の
生命の境界線を越えて存在するのです。それだけではなく、キリストは自分が神
の子であるとも言明しました。もしそうなら、神の存在はキリスト教の真実を裏
付けるでしょう。
神は存在するのでしょうか
全能の神が存在するなら、善悪、または公平とか不公平といったものは重要で
はないでしょう。なぜなら、このようなことは神に依存するでしょうから。もし
神が善良なら、善良さは世界で最高の美徳になるのです。さもなければ、私たち
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は悪事を働くことを強いられるかもしれません。それ故に、むしろ善悪とか公平
とか不公平ということより、神の存在について知っているということがより重要
なのです。
私が、真実を知る最良の方法は何かと聞くと、色々な答えが返ってきましたが、
もっとも多い答えは、祈る時に神に直接尋ねるというものでした。
祈り方の一種に、教会で夜通しお祈りをするというものがありました。夜通しお
祈りするというのは、より効果的な祈りの種類として勧められ
ました。別の祈り方に、早朝お祈りをするというのがありまし
た。牧師の指導の元で、夜明けに教会でお祈り捧げるというも
のです。
私は、その日からお祈りし始めました。クッションの上
に座って教会で夜通し祈りを捧げました。寒くて暗い夜にする
のはとてもつらいことでした。尐し怖かったのですが、数人が私と一緒にいまし
たので、数夜そこで過ごすことができました。しかし、どうやって祈りを捧げる
のか知りませんでしたし、神への信仰も持ち合わせていませんでしたから、きち
んとお祈りすることができませんでした。だから、神の名を口にする代わりに、
「この世を創造した人がいるなら、その姿を拝見させてください」とだけ、繰り
返し言ったのです。そこで一緒にお祈りを捧げていた大半の人は、私の言葉を耳
にして、私が神を見知ることを祈り始めました。このことが私には尐し恥ずかし
かったのですが、さらに数日、祈り続けるように励まされたのです。私の努力も
むなしく、何も特別なことは見えなかったし、感じられませんでした。それで、
教会の数人の会員に、神を見た人がいるかどうかを尋ねましたが、誰もいません
でした。ある人が、お祈りをしている最中に天使のような姿をみたという友達の
友達について話をしてくれましたが、それは事実無根の話でした。
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それから、ある日の朝早くに、早朝のお祈りの会に出席している間、
ある霊的な助言が頭に浮かびました。それは、「神が存在する証拠
は聖書の中に記されている。だから最初に聖書を読みなさい。それ
でもなお、神をみつけられないなら、神に会えるよう祈りなさい」
というものでした。
その託言が私の心へ届いたとき、私の理解できる幅が広がりました。
つまり、聖書で神についての情報を知る必要があったのです。神についての情報
も知識もなく、ある他の人――世俗的な生き物を見たらどうなるでしょう?
ど
うしたら、それが神なのか、悪魔なのか、それとも何か他のものなのか区別でき
るのでしょうか?
その日以後、1人でお祈りすることは神を知るのに十分でなかったのだと気が
つきました。それで、私は聖書を勉強し始めたのです。そうしている間に、私は
とても忠実な青年で、夜明けの祈りの会に出席し、聖書の数節を暗唱するのがと
ても上手で、よく夜通しお祈りをささげていたのですが、そういう青年として知
られるようになりました。
私は信仰深い良いキリスト教徒だったでしょうか? いいえ、違います。私
は、もっとよく理解しようと努めた、ただの研究者だったのです。もし私が良い
キリスト教徒として受け止められていたなら、他の人達はどうだったのでしょ
う?
この経験から、神への信仰を持たなくとも、良いキリスト教徒として大衆
の目に映る人もいるかもしれないということが分かりました。私は、欲求不満に
おちいりましたが、もっと多くの真実がわかるようになるまで待とうと心に決め
ました。次のような聖書の一節によって、私は待つことにしたのです。「私たち
は、今は、ガラスを通して見るようにおぼろげにみている。しかしその時には、
顔と顔とを合わせて見るであろう。私の知るところは、今は1部分にすぎない。
しかしその時には、私が完全に知られているように、はっきり知るであろう。」
(1.コリント人への第一の手紙 13:12)
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これらの出来事の後しばらくして、ソウルに行っ
て踏十里洞にある長老教会に出席しました。そして、
東大門郡にある長老教会の青尐年協会に加わりました。
年長者の子供たちと信仰生活の暮らし向きにとても慣
れている教会の執事からなる青尐年グループがありました。1グループとして、
奉仕活動を一緒に行いました。そして、自分たちの信仰を深めるために、私たち
は、「神按手の礼」を受けに、三角山ある祈りの家へ行きました。
この祈りの家は、キリスト教徒の間で、非常に有名だったのです。
神按手の礼は、数人が讃美歌を歌いながら、お祈りをしたいという人の周りを
回って、平手でその人をたたく場所です。それは、イエス・キリストの犠牲を
心に留めておくための一種の自ら自分に課した儀式でした。この活動が終わった
後には、自分たちの体一面に青あざができていました。
さて、このようなキリスト教徒の生活を送っている間に、キリスト教の中にはた
くさんの宗派があることがだんだんわかってきました。
どうしてキリスト教は宗派を作るのでしょうか
キリスト教宗派についてのこの好奇心を満たすために、異なる教会の会員やリ
ーダーに会うことに決めました。そして、彼らはどんな主張やら信条
を持っているのか解明することに決めました。最初のステップとして、
教会の青尐年と教会新聞を作って、「宗派を探して」というタイトルの
欄を作り、新聞記者になりました。色々な宗派の主張に耳を貸した後、コラムを
書き始めました。
.
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その当時、もし教会で何か間違ったことを見つけたら、それを確認して、修正
しようと心に決めていました。私はさながら宗教改革者マーティン・ルーサー・
キングのようでしょう。しかし、決して別の教会に移動しないでしょう。そうこ
うしているうちに、教会の牧師から突然の電話がありました。
その牧師は、教会の長老たちが彼を教会から追い出そうとしていると言いま
した。それは私にはとてもショックなニュースでした。その牧師は信仰の父だと
思っていました。どうして彼を教会から追い立てるなんてことができたのでしょ
うか? 私は怒って教会へと走って行きました。しかし、そこへ着くと、長老と
執事が私に、その牧師は同じ教会であまりに長い間働いてきた。それでこの教会
は活気がなくなってしまった。従って、彼らは教会を発展させるために、その牧
師に辞めるよう説得することに決めたのだと説明してくれました。彼らは、その
牧師に、自らの力で発展させていくよう、別の小さな教会を与えて、そこへ行く
よう求めていました。それから、彼らは、十分な退職金を与えようと言いました。
このような行為は、とてもショックで、私にはよくわかりませんでした。
その時に、その長老教会の長老たちは自分たちの必要性によって牧師を探し
たり、やめさせたりする力をもっているということに気がつ
きました。しかし、これは、長老すべてが該当するのではな
く、教会を建てることに貢献した長老たちが、教会の主な仕
事について決定する権限を持っていましたが、他の教会から
来た他の長老(組合の長老)は、そのような権限を持っていませんでした。
牧師の追立てが長老によって決定された時、牧師は自分の地位を守るために、
彼の側についた会員を集めました。この時、組合の長老たちは、この好機を捕ら
えて牧師と長老の決定を好まなかった会員と共に、自分たちの新しい教会を建て、
彼らが主な長老となったのです。
これらのことをし終えた後、彼らは、以前いた教会からもっと多くの会員を連
れてこようとしました。呼応して、前の教会の長老と執事は、残ってる会員が他
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へ行かないよう保護するために、たくさんの食べ物を用意してパーティを開き、
毎晩、牧師交代の妥当性を説明したのです。日曜日に、ある有名な教授は、説教
することを頼まれました。このような方法で、彼らは、自分たちの力すべてを、
既存会員維持のために注いだのです。
教会の会衆は2分し、その2つのグループはお互いがいくぶん敵となったのです。
不運にも、この2つのグループを止めたり、調停する権限
をもつ人、もしくは団体がありませんでした。だから、新
しい教会をつくるために、ただ自分たちの宗派を変更した
のです。各宗派は、自分たちの権力拡大に専念しているように見えました。それ
で、彼らが、自分たちがどこから来たのかということに関心を持っているように
は見えませんでした。キリスト教においてなぜ複数の教会を作ったのかという理
由はたくさんありますが、これはそのうちの1つです。つまり、新しい主義、あ
るいは1つの教会での利害の対立のせいでなのです。それは、惨たんたる現実で
した。教会が2つのグループに分裂している間、愛や寛容性は存在せず、ただ、
こちら側とあちら側ということのみが存在したのでした。
それから、私は、その牧師が可哀想だと思ったので、彼に従って、新しい教会
に出席しました。しかし、私の心はどのグループにも属しえませんでした。私は、
青尐年グループのメンバーとしてたくさんの時間を過ごしていなかったけれど、
一緒にいろいろな活動に参加して、とても親しい友達になりました。
その
教会が2つに分かれた時、その2つそれぞれが、自分の側にくるように、私に頼
んできました。私が選んだ側しだいで、「あなたは私の友達ではない」と言って
彼らから顔をそむけるなんてことが、どうしてできましょうか? それは、私に
は、とても悲しく、困難なことでした。私は、どこへいったらいいのかとか2つ
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の教会の運命などを思い、目に涙し、深い悲しみと困惑を目にやどし、天を仰ぎ
見ました。
この頃、ある友達から、別の教会でやっている無料の英会話クラスのことを
聞きました。私は英語を学びたかったので、ためらうことなくその教会へ行きま
した。私がそこへ行ってみると、その教会は大きくて広々
としていて、クラスは居住エリアにありました。その教会
の名前が長くて、末日聖徒イエス・キリスト教会(The
Church of Jesus Christ of Latter-day Saints)といいまし
た。宗教上の信念にかかわらず、誰でもその英語クラスに参加できました。英語
の教師は、韓国語をあまり話せないアメリカ人宣教師でした。私は、この無料の
英会話クラスに興味を持ち始めていました。それで、なんの予約もすることなく、
英語を勉強し始めました。
クラスに出席した数日後、一人の宣教師が私にある本を差し出して、その本と内
容について説明してくれました。彼は、ジョセフ・スミスという
1人のアメリカ人の尐年は、どれが正真正銘の神の教会なのかが
知りたかったのだと、私に言いました。その尐年は、本物の神の
教会を知るために、神に祈ったのです。すると、森の中で、神と
神の子であるイエス・キリストが彼の前に現れました。そんなことが起こったす
ぐ後、その尐年は、天使からアメリカ大陸へ渡った古代イスラエル民族について
記録した金版を受け取りました。その尐年は、その金版を神の力をかりて翻訳し、
これを本にしました。それが、宣教師が私に見せた本だったのです。その宣教師
は、その本には、聖書と同様に神の言葉が入っている、その本の内容が本当なら、
神の教会は本物の教会であり、回復した神の教会であると、私に言ったのです。
これらの説明を聞くやいなや、実に神は賢いという印象を持ち、私の重く沈ん
だ心が軽くなりました。私は、1つの教会が分裂していく過程や、同じ聖書を用
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いて、自分の教会が本当なのだと主張するたくさんの教会を見てきました。しか
し、宣教師は私に、一冊の別の聖なる書物を見せて、この本が本当なら、それが
属する教会は、神が地球上に回復した1つの教会であると言ったのです。このよ
うに説明されて、私は新鮮な驚きを感じました。
宣教師たちは、金版を埋め、後にそれをジョセフ・スミス
に告げた予言者、モロナイの暗示に従って、神に祈ってその本
が本当かどうかを尋ねてみてはどうかと持ちかけました。実際、
何かを知るために神へ祈るということが、特別なこととか驚い
たことというのではなかったのですが、教会が本当なのかどう
かを知るために神へ祈るということを一度も聞いたことがなか
ったのです。今まで、自分たちの教会は、神、もしくは聖霊の
指示によって建てられたと固執する教会に巡り合ったことがありませんでした。
私が経験したように、利害の衝突により作られた教会もあるかもしれません
が、天からの指示によってではなく、特別な、普通でない霊的な出来事、あるい
は自らの信条に基づいてつくられた教会もありました。おそらく、それが、彼ら
の教会のために祈るよう、私に尋ねられなかった理由だったのでしょう。自分た
ちの信条が真実であることを示すために聖書を利用した教会もたくさんありまし
たが、皆が同じ本を用いている時に、どうして正しい教会を選ぶことができたで
しょうか。正しい教会を選ぶためには、教会全てについての知識より、もっと多
くの神学上の知識を持たなければならないと思いました。そうは言っても、各宗
派は各自の神学大学を持っていて、その最高学位は博士号でした。庶民である私
たちがそれらを比較して、どうして正しいものを選ぶことができたでしょうか。
それらの中で正誤を見分けるためには、より博識である必要があるのですから、
正誤を区別するのは無理です。つまり、父なる神のみができることなのです。私
は心中、とてもたくさんの疑問を持っていました。そして、とても当惑していま
した。たくさんのキリスト教徒が単純に特定の宗派に加わります。それが正しい
からというのではなく、説得されたり、教会における他の人との関わり合いがあ
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るからです。これが、その頃の私が持っていた、キリスト教の現実に対する見解
でした。
私は好奇心でいっぱいでした。そして、モル
モン書をたった1週間で読破しました。その本
には、アメリカ大陸へ渡った複数のユダヤ人家
族の歴史や、アメリカ大陸を訪れ、そこで人々
に教えたイエス・キリストの話について紹介さ
れていました。それら全てはほとんどわかりませんでしたが、私には面白い話
に聞こえました。特に、エルサレムでキリストが復活した後、イエス・キリス
トがアメリカ大陸を訪れた話は特に面白いと思いました。出来事の起こった場
所が地理的に聖書とは異なっているのですけれども、教えや神の教訓や信条の
原理は同じでした。だから、私が学んだ教会の基本原理、それは、イエス・キ
リストが人類の救い主、贖い主であり、彼なくしては人類は救われないと私が
信じているものですが、その基本原理は、私が知っている他のキリスト教教会
のものと違ってはいなかったのです。
やっと、現代において、神と神の子であるイエス・キリ
ストを見たという人を見つけました。私は、モルモン書をその
証拠だと見なしました。これらの状況をよく考えてみると、私
には、神とイエス・キリストそれに天使は、人によって作り上
げられた仮想的な表象ではなく、むしろ聖書の及ばないところに現存する実在だ
ということが明らかでした。
私は、すぐに宣教師と一緒に勉強し始めました。そして3か月の学習の後、洗
礼を受けて、末日聖徒イエス・キリスト教会(LDS としても知られています)の
会員になりました。
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この教会に加わった時、昔、私が早朝の祈りの会で受けた助言が聖霊によっ
て伝えられたのだと気がつきました。そして、私が子供の頃、すでにこのよう
な助言をうけた経験があったのでした。
私が小学校4年生か5年生だった時に、最初の霊的経験をしたかもしれないと
思います。福音書の何の知識もなく、私の仲間数人と一緒に教会へ何度か行き
ました。教会に出席している間、教会の会員がお金を寄付しているのを見まし
た。それで、私もお金を寄付したいと思いました。しかし、私の両親からもら
ったおこずかいをあげるのなら、両親からの寄付にはなるだろうけど、私から
の寄付にはならないでしょう。
しかし、その年でお金を稼ぐのは大変でした。あれ
これ考えた挙句、たきぎを集めて、それを母に売る
という考えに行きつきました。
しかし、山へ行くと、私の胸は罪悪感でドキドキし始めました。なぜかとい
うと、山守には、自分の給料の一部として、その山すべての薪を集める権利が
あるのを知っていたからです。だから、私は岩の上に座って、落ち込みました。
その時、あるメッセージが私の元に届きました。それは、山に育つ草木すべて
は人間のものではなく神のものです、つまり、神が、日光と雨でそれらを育て
たのです、というものでした。そのメッセージが私の心に響いた時、私の心は、
落ち着き、安らかになりました。そして薪を集められると思いました。それで
教会に寄金できたのです。
またある時は、中学校在学中、教会に行くつもりがなかった時分、父と私の
間で、1つの小さな行き違いが大きな問題に発展したのを思
い出します。私は父に反抗し始め、結局父から平手打ちをく
らうはめになったのです。それは私には珍しいことでした。
それで私はかっとなって、夜の暗闇の中、家の裏山のてっぺ
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んまで走りました。山の頂上には大きな岩がありました。山を駆け上りながら、
父についての不平をまくしたて、「あれもこれも間違っている……どうして父を
敬うことができようか」などと、ひとりごちました。山頂の大きな岩へたどり
着くと、その元へ跪き、父のことを思い始めました。
父のことを思い始めると、メッセージが私の心へ届きました。「あなたの父親は
この世の中であなたが学ぶのを手助けをしている、ということをよく知りつつ、
また思いつつ、どうしてあなたは父親にけちをつけられるのですか」 それはと
ても単純なメッセージでしたが、それは私の心奥深くに触れ、それによって私は
よく理解することができたのです。実際、両親なしに、どうしてそんな思いや考
えが持てたのでしょう? 私は、自分が持っているものすべてに対して、自分の
人生でさえも、私の両親に礼を言わなければならなかったのに、どうして両親に
生意気にもけちをつけることができたのでしょう? そう考えるやいなや、心が
悲しくなり、恥ずかしい思いになり始めました。慌てて家に駆け戻り、父の前で
跪き、父に許しを請いました。この記憶と忸怩たる思いは私の心に長いこと残り
ました。
これまで、私は、どうしてこういうメッセージ
が心に届くのかということについて、何の知識もな
く生きてきました。こんなふうに直覚していたとい
うのは尐し妙だ、とだけ記憶していたのです。他の
キリスト教会に出席した時、こんな現象について話したり、あるいは、それが
なんだったと思われるかを私に教えてくれた人は誰もいませんでした。けれど
も、わたしがこの LDS 教会に加わった時、このような事柄は聖霊のインスピ
レーションと呼ばれ、子供から大人まで、教会の全会員が、珍しくもないこと
だと知っている、というのが分かりました。つまり、会員すべてが、聖なるメ
ッセージを受けることにおいて、私と似たような経験をしたことがあるのです。
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これで、聖霊と教会の教えを通して、私たちはどこから来て、なぜここにいて、
死後どこへ行くのかというのが分かり始めたのです。こ
れら、人生の重大問題には最終的に答えがあり、ついに
私は、どのように本当の自由、つまり永遠の生命、出生
条件に関わらない本当の自由を手に入れることができる
のか、知ることができました。そして、本当の自由こそが、イエス・キリストが
自分の磔刑までに人類へ届けたかったことだったのです。この自由は、我々の人
生が容易であるか困難であるかにかかわらず、その報いなのです。我々の贖い主
によって与えられたこの自由が、私たちの人生にある試練と不運を穴埋めし、補
ってくれます。とうとう、私は最後のカードを切るには及びませんでした。つま
り、私は、自分がおくっていた人生において心の平静を見つけていました。
キリスト教には深い歴史がありますが、とても重要な情報は、長い年月の間
に失われたか、隠されてしまいました。これら喪失した情報の1つは、キリス
ト教のとても基本的な部分である、神とはだれなのかということでした。もし
他のキリスト教徒が神について尋ねられたなら、神の気質について、聖書を参
照して話すことができるかもしれませんが、神がどのような姿をしているのか
説明できません。聖書には、「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記
1:27)と書かれています。だから、神は人と同じように見えるはずです。しか
し、文字通りにそれを信じる人は誰もいません。よって、たくさんの神学者が
推論的な理屈で、神の姿を描写していました。神は形がなく、全てのものを通
して行きわたるエネルギーのようなものであると言う有名な神学者もいます。
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しかし、ジョセフ・スミスという尐年は、神に会い、神の顔つ
きは人のものと同じだったとあっさり証言しました。だから、聖
書の中にある神の描写は本当なのです。
ジョセフ・スミスはこう証言しました。「自分の真上に立ってい
る、筆舌に尽くし難い輝きと栄光を持った二人の御方を見ました。
そのうちの御一人が私の名を呼び、別の御方を指して『これは私の愛する子であ
る。彼に聞きなさい』と言われました」
人のような形をした神! もしイエス・キリストが神の子であるというなら、き
っと神もキリストと同じ外見をもっているでしょう。それはとても単純で当然の
ことです。しかし、既存のキリスト教は、たとえ神とその子であるイエス・キリ
ストと聖霊が三位一体であると信じても、神がキリストと同じ外見をもっている
ことを信じません。キリストは、この地上にいた間、肉体を持っていたこと、そ
して死後、完全に復活した体を得たということをキリスト教徒は知っています。
だから、三位一体を信じるがゆえに、神は完全な体をもっているということも信
じるべきなのです。この矛盾をどのように説明することができますか? 別の失
われた情報は、既存のキリスト教徒は次のことを知らないというものです。それ
は、イエス・キリストが「私は道であり、真理であり、命である。誰でも私によ
らないでは、父のみもとに行くことはできない。」(ヨハネ 14:6)と言ったので
すから、イエス・キリストの福音と神の福音の儀式は、人が生きていようが死ん
でいようが、人類すべてに施すのである、ということを知らないのです。そんな
わけで、聖書で、福音は死者たちのところへもたらされた(ペテロの手紙一
3:19-20)、そして死者のために代理の儀式が行われた(コリント人への第一の
手紙 15:29)と述べたのです。
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けれども、既存のキリスト教徒は、イエス・キリストの福音を聞く機会がなかっ
た死者のために、どうしたらいいのか分からないのです。
しかし、LDS 教会は、代理の儀式は教会堂で、または家
系調査計画を通して行われえるので、イエス・キリスト
の福音は、人が生きていようがいまいが、人類すべてに
施すのだと、明らかに教えているのです。
それで、商店主と農夫の例ですが、 たとえ農夫がこの世で福音を耳にしてい
なくても、死後にそれを教えてもらえるのです。
神は私たちを愛してくれますか どれくらい?
教会に加入後、私は、自分の子供たちと共に、ずっと試練を受けてきていたので、
私たち人間に対する神の愛について尋ねるため、父なる神に祈りました。父なる
神が、私たちのために痛みを感じているか、私が自分の子供たちを愛するのと同
様に、父なる神も私たちを愛してくれるのか知りたかったのです。すると、1つ
の簡潔なメッセージが私の心に届きました。「私は自分の愛す
る子を遣わし、地上のあらゆる子たちのために彼を犠牲にしま
した」 それから、十字架の上で磔にされたキリストの霊だけ
でなく、神自身の霊によって、私は理解したのです。つまり、
私が、自分の子供たちが試練を受けることに痛みを感じるよう
に、神は自分の子のために痛みを感じたにちがいありません。
私はまだ、神に会うという望みを諦めていません。そして、もはや、神の存在に
ついて、同様の疑念をもつことはありません。なぜなら、私は自分の人生におい
て、自分では否定することができないたくさんの霊的な経験をしているのですか
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ら。私は、ついに、聖書にある真実がわかるようになりました。そして、神は生
きておられると確信しています。いつの日か、神と私の間にあるベールが取れて、
神に拝謁させていただけるようになることを願っています。また、神に仕える人
たちに会いたいと願っています。さて、私は、神は生きておられて、イエス・キ
リストが私たちの救い主であり贖い主であると、はっきりと分かっている人の中
の一人です。やっとのことで、私はこの真実を見つけました。そして、生涯をか
けて、これを世間の人と共有したいと思っています。
モルモン書は、聖書と同様に神の言葉です。
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メリカ大陸を訪れたのだと聞いたことがありますか。
この本には、アメリカ大陸で何が起こったのかが書かれています。
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朴正彬 [email protected]
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