2015年度 年報 - 九州大学|芸術工学研究院・芸術工学府・芸術工学部

地方創生と糸島ジモト学
坂口光一 [email protected]
ユーザーサイエンス部門
工学研究院 環境社会部門・教授
■自己紹介
ム的な様相を呈している。これらの選択をとおして、
専門は地域経済、感性産業、地域政策。バックグラ
自分らしい働き方、生き方を実現していこうという意
ウンドは都市工学。前職の財団法人九州経済調査協会
識と行動が社会的な広がりをみせ、地域おこし・まち
(1980 年から 1996 年まで)から現在に至るまで、
「地
づくりにおいても大きな影響を与えつつある。そうし
域」をフィールドに、産業、経済、まちづくりとさま
たなか、
「糸島」がいま移住先として集め、メディアの
ざまな視点から地域社会、地域産業の実践的研究に従
影響もあって、多くの人びとを糸島移住に誘っている。
事している。現在は、統合新領域学府ユーザー感性学
周知のように、インターネットの普及で、クラウド
専攻において、次世代感性産業論、プロジェクトチー
ソーシングという方法で不特定多数の人間が共同で
ム・ラーニング(PTL)等の授業を担当している。
事業やプロジェクトを進めることが可能となったり、
地域をめぐる状況や取り組み、政策は時代によって
大都市圏以外の地域でも時間や場所の制約を受けず
大きく変わってきた。2014 年には政府の「まち・ひと・
に柔軟に働くワークスタイルが可能になった(=テレ
しごと創生本部」が発足し、
「地方創生」への模索が始
ワーク)。そうした変化も、移住を促し支える要因の一
まっている。
つとなり、国も「地方移住」
「地方創生」につなげよう
九州大学(坂口研究室)では 2015 年度、糸島市、西
日本新聞、日本テレワーク協会、ランサーズ(株)とと
ということで始まったのがふるさとテレワーク地域
実証事業である。
もにコンソーシアムを編成し、総務省「ふるさとテレ
テレワークの普及などもあって、地方移住がブーム
ワークのための地域実証事業」に、
「テレワーク×クラ
的な様相をみせている。一方で、都会から田舎へとい
ウドソーシングによる移住定住促進事業
う移住の動きは移住者と地元コミュニティとの摩擦、
―『ひと』
と『しごと』が定住する糸島スタイルの確立に向けて
夢と現実との乖離など、さまざまな問題を地域で引き
―」というテーマで申請、全国 15 件の一つとして採択
おこしている。そこで九大チームでは、
「田舎暮らしの
された。大学からはプロジェクトチーム・ラーニング
横糸・縦糸。新しい作法をつむぐ」というコンセプト
(PTL)授業の一環として総合新領域学府ユーザー感
のもと、芥屋(けや)という地区(約 300 世帯。うち
性学専攻の院生が参加するともに、専攻卒業生も加わ
4 分の 1 が移住世帯)を実践フィールドに選び、問題
り、
「移住」が地域社会にもたらす課題と解決策を「ジ
の解きほぐしから始めていった。そのための対話と学
モト学」という視座から実践的に探っていった。
びの場となったのが「糸島ジモト学」である。地元住
ここではその一端を紹介したい。
民と移住者という、異なる価値観をもつ者どうしが共
に生き、よき人生を実現し、地域を舞台に新たな共同
■糸島ジモト学
性を生み出していくために必要な作法と何かを探っ
ていった。(次頁の上段に糸島ジモト学の学びをまと
「移住」がテレビ等でごく普通に語られる時代とな
り、
「脱東京」
「脱都会」そして「田舎暮らし」がブー
めた冊子の表紙写真を掲載)
回)、→「ジモトの理屈」
(第 3 回)→「織り合いの作
法」
(第 4 回)とゆっくり時間をかけて対話を重ね、移
住者と地元それぞれの背景をクリアにしながら、どこ
に問題があるのか丁寧に吟味していった。
とりわけ重要であったのが、地元で長年暮らしてき
た“長老”のガイドで地域をぶらぶら歩きながら、地
域の昔ばなしを聞き、土地の伝統を知るという体験と
時間を共有できたことであった。それに加え、事前の
長老インタビュー(2 人)をとおして、地元の人びと
が大切にしてきた価値観にふれることができたこと
は織り合いの「作法」を考える上で大いに役立った。
そしてコミュニティを維持してきた「ジモトの理屈」
についての理解を深めるなかで、地域(芥屋)の営み
を「織物」に見立て、地域の基盤を支えてきた「横糸」
(伝統、文化、風土)と時代変化の中で浮上してきた
「縦糸」
(人、技術、情報、時代トレンド)が織りなす
組織として捉えていくと、変わらないものと変わるも
の、地元住民が培ってきたものと移住者が持ち込んで
糸島ジモト学は 2015 年 10 月から 2 月までの毎月、
計 5 回開催した。参加いただいたのは、
「移住と地域」
の問題を自分事として考えたい様々な人々(移住希望
者、既移住者、糸島市民、芥屋住民、地域に興味をも
つ学生等。
平均各回 30 人)
である。
芥屋の地元からは、
コミュニティを支える“長老“の方々も参加いただい
た。長老の参加と意見(ちょっとしたつぶやき)は、
地元理解をすすめ、交流作法を考えていく上で大きな
意味をもっていった。
また対話をすすめ、議論を深めるため、①自治公民
館など地域の拠点となっている場所(3 カ所)で移動
開催、②現地見学会を開き、歩きながらのおしゃべり
(2 回)、③3 人の大学教授が参加し、専門的見地から
コメント、④お酒も入る和気あいあいの交歓の場(2 回)
をもつということを大切にしていった。
くるものとの、それぞれの役割への理解が徐々に芽生
えていった。
2 種類の糸が対になって織物をなし、その地域なら
ではの新しい柄を浮かび上がらせていく。そうした了
解のもと、どちらも地域の営み(織物)において「欠
かせない」
「共にある」存在、互いにリスペクトすべき
存在としての意味づけが生まれ、実践的な作法に向け
議論だけでなく、地域を舞台とした新たな織物に向
けた取り組みが、地元出身の若者が中心となったイベ
ントとしてジモト学開催期間中の 1 月 9 日に開催され
た。糸島のイメージキャラクターである「いとゴン」
のおうちが芥屋大門にあるということで企画された
「いとゴン大おたんじょうび会」である。若者ならで
わの発想(縦糸)で企画されたイベントに、町内会、
消防団、シニアクラブなど横糸組織が総がかりで参加。
移住者の出店などもあり、500 名を集客、新しい伝統
■地域を「織物」に見立て、織り合いの作法を紡ぐ
の一歩が記されていった。ジモト学チームでも大成功
まずは、軋轢や摩擦を生みがちな移住者と地元との
となったイベントの模様を「芥屋日日新聞」という新
関係性を解きほぐそうということで、参加者の体験を
聞仕立てで記事化し全戸に配布、新しい織物の出現に
もとに「移住の夢」(第 1 回)→「移住の現実」
(第 2
エールを送った。
若者の取り組みに移住者も参加し、多様な糸が一緒
れを承知で、限られた期間ではあったが、今回のジモ
になって共同の絵柄を描いていった。そのことで地域
ト学での対話と検討を通して見えてきた大切なこと
の「物語の書き換え」が始動していった。
を、
「糸島スタイル 5 つのこだわり」としてあげると
現在、芥屋に限らず地域では伝統的な祭りの実施や
消防団活動の存続などが厳しい状況にある。織物に喩
えると“ほつれ”“たわみ”が出てきた状態といっ
てよい。しかし、地域の物語という織物は何度でも織
り直しがきく。移住者のもったセンスやノウハウ、人
次のとおりである。
一、ドラマの演じ手は、地域住民と移住者。人びとの
営みそのものがドラマ。演じ手は土地に暮らす皆な。
二、地域ドラマの演じ手として、作法と所作を磨く。
思いやりの心を忘れず、あうんの呼吸を身につける。
脈という縦糸も、新たな地域共同性を紡いでいくのに
三、ジモト感覚を磨き、地域という現場で生きた知
貢献できる部分が少なくない。糸島ジモト学ではその
恵を耕していく。人びとが何を大切にして暮らして
ことへの気づきと新たな実践展開を推進する視座を
きたか、その知恵を読みとる。
提供したいと考えていった。
そんな折、芥屋区では“浜の野路”とよばれる広大
な共有地(3,300 坪)をめぐって、たまたま風力発電
所基地構想が浮上し、計画をめぐって賛成 VS 反対と
いう対立的な状況が生まれていた。そこで最後の第 5
回では、こうした膠着した状況をほぐしていくきっか
四、
「共同性」の新たなゴールをイメージして、所作
を繋げていく。みんなが幸せになる未来図を描き、
みんなでそこに向かう。
五、共同性を支えるものは「強さ」ではなく、
「優し
さ」「楽しさ」「あり続けること」
。みんなのために
することは、遠回ししなくらいでちょうどいい。
けになれればということで“浜の野路”の未来図づく
りをテーマに取り上げ、現地視察をもとに 4 チームの
提案としてまとめた。提案は「コンテナパーク」
「自然
*満天キャンプ場」「区立小学校の校庭」「石彫公園」
など多彩なものとなった。提案内容は、再び芥屋日日
新聞(Vol.2)としてまとめ、全戸に配布された。
■(余録)ジモト学とテレワークの交差
今回の「糸島ジモト学」には、本事業において実施
した「ジモト学」の取り組みに、ビジネス機械・情報
システム産業協会(JBMI)に属し、新しい仕事像・ワ
ークスタイルの検討を行っている企業(ゼロックス、
■糸島スタイル ─ 5 つのこだわり
この事業は「糸島スタイル」というキーワードを意
識して組み立てられ、進められていった。地域ブラン
ドとして確立し、移住・定住先として注目を集める糸
島市。でも、流行ではなく地に足のついた動きをつく
っていこう、地方創生のモデルや先進地をめざすのは
やめよう、糸島ならでわの唯一無二のスタイルにこだ
わろうという意志がそこに込められている。
“この地”でともに生きる幸せに向け、地元住民と
移住者が地域という共同の舞台でシナリオのないド
ラマを共に演じ、いい感じで展開させていくにはどう
したらいいか。糸島ならでわのスタイルを創出してい
こうというものだ。独自のスタイルはそう簡単にでき
あがるものではない。長年の錬磨が不可欠である。そ
コニカミノルタ、リコー、コクヨなど)から交代で延
べ 10 数名の参加者があり、イベントの前後で意見交
換の機会を重ねてもつことができた。グローバルな変
化の下で新しいワークスタイルを模索している大手
企業の問題意識と、とことんローカルな視点から新た
な共同性のありようを模索しているジモト学という 2
つの眼差しが、どこでどう交差するか。
そうした関心のもと今回、議論のたたき台として坂
口から「テレワーク 2.0」というコンセプトを提起し
た。従来の「テレワーク 1.0」が“時間と場所に縛ら
れない”働き方をめざしていくとするなら、「テレワ
ーク 2.0」は“この時この場所”というリアリティと
ローカリティを大切にする働き方をめざすとうもの
だ。1.0 と 2.0 のあいだには、時間と場所を制約、束
縛という視点で捉えるアプローチから、初原への回帰
という視点で捉えるアプローチへの転回がある。
ジモト学の取り組みは、現地・現場・足元(ローカル
=ジモト)で意味が生い立ち、実践を生んでいくよう
な<知>のありよう(「ローカルナレッジ」)を重視し、
それを基盤に新たな思考と行動をデザインしていく
取り組みであると考える。
この場合のジモト(ローカル)とは中央からみた地
方にとどまらない。権威化された中央文化からすれば
異文化として映り、独自の世界を形成している。議論
の中で、JBMIA では現在、日本型あうんの世界観をも
レワーク 2.0 段階では気づきや創発を促す創造的カオ
った「新職人社会」のコンセプトをとりまとめ、クリ
スとして意味づけていくという対照的な差異がある。
エティブな異能ベンチャーや個人事業主が活躍する
従来のオフィスワークでは特定オフィスを仕事場
新たな社会像を構想しているというという話になっ
として定義、固定し、業務を集中させることで量的な
た。実はそうした事業や企業はローカルナレッジが息
生産性を高めてきた。これに対し、テレワーク 1.0 は
づくジモトにおいてこそ多様に展開していく可能性
“時間と場所に縛られない”働き方(時間と場所から
をもっているということで、議論の中で二つのコンセ
の自由)を実現しつつ、生産性を高める取り組みとし
プトの共振が広がっていった。
て出現したものである。けれども、テレワーク 1.0 は
テレワーク 1.0 は、ネットを活用することで、遠隔
業務の遂行を機能として実現するものであっても、気
での仕事=時間と場所にしばられない働き方を推進
づきや創発という創造的活動につながるものとはな
してきた。今日、その裾野はクラウドソーシングの普
りにくい。そこでテレワーク 2.0 では、あえてローカ
及等によってさらに拡大しつつある。他方、グローバ
ルに退避(retreat)し、日常性からの遮断、離脱を促
ル化の進展は機能性・効率性というアプローチ以上に、
すことで、根源的・創造的な思考を刺激するというア
「創造性」
「革新性」という資源の重要性を浮かび上が
プローチをとっていく。固定化した観念や日常化した
らせている。そこで、テレワークの新たな可能性を見
様式を離れたところ(テレ)にこそ、これからの新し
出していこうということで提案したのがテレワーク
い社会や生き方、そしてビジネスのヒントが潜んでい
2.0 である。固定化した観念や日常化した様式を離れ
るからである。
たところ(テレ:tele)において、ローカルの固有世界
いずれにせよ、これからの“テレ”ワークは「地理
にふれることを通して、新しい思考や働き方、生き方
圏」でのそれから「思考圏」でのそれへと発展、進化
についてヒントをつかみ、普遍的な感覚や原理をみつ
していくべきであると考える。同様に、ローカルをめ
け出していくという、シンク&ワークスタイルである。
ぐる議論も「地理圏」でのそれ(地方)から「思考圏」
テレワーク 2.0 の目指す方向性は「TS」
(時間・空間、
でのそれ(ジモト)への進化が求められている。そう
Time & Space)「AE」(気づき・創発、Awareness &
考えるとテレワークとジモト学の交差は、時代的な必
Emergence)という 2 つの軸で表すことができる。縦軸
然と言えるだろう。
(TS 軸)は時間・空間への密着度を表す。ただし、上
述のように、テレワーク 1.0 段階では、特定の時間・
特定の場所への密着は制約、束縛として認識され、テ