通巻32号

(次号は11月30日予定)
年4回発行
よみがえれ「猪名野笹原」
第13号
通巻 32号
発 行 所
伊丹市立図書館ことば蔵
〒 6 6 4 0 8 9 5
伊丹市宮ノ前3 7 4
☎ 0 7 2 7 8 4 ・ 8 1 7 0
編 集
-
優占化して、ススキとネザサが混在
に管理されなくなるうちにネザサが
年度の修了生有志計約
人が服部名
ものマイスター講座」の受講生と昨
どもたちが環境や古典文学に興味を
しい。そして、これをきっかけに子
うようにしてカワラナデシコやオミ
する草原に変化、それらの隙間を縫
に植栽した。来年3月に残りの半分
サ、秋の七種などの苗を敷地の半分
誉教授の指導のもと、ススキやネザ
うれしい」と話している。
持って伊丹を誇りに思ってくれたら
は武庫川に囲まれた「伊丹台地」一
神戸線辺り、そして東は猪名川、西
は現JR福知山線辺り、南は現阪急
的に有名な猪名野笹原を伊丹のシ
猪名野笹原を再現しようというプ
ロジェクトは、服部名誉教授が全国
れる。
年
そんな荒涼たる風景だったと推測さ
生有志で水やり、雑草抜き取りなど
「伊丹生きものマイスター講座」修了
モデル園完成後も維持管理作業は
必要で、現在はみどり自然課職員と
に有馬山(=六甲山系)を望むこと
にも植栽され、この猪名野笹原越し
希少な動植物や「猪名野笹原モデル
フィールドワークを通じて、本市の
◇
◇
市では「平成 年度伊丹生きもの
マイスター講座」を開講中。講義や
成が待たれる。
サの草原というものは人の手が加わ
兵庫県立大学の服部保名誉教授
( 植 物 生 態 学 ) に よ る と、 笹 原 = サ
かけに始まった。
計画」の審議会で提案したのをきっ
るが、市内のいろんな場所でそれぞ
服部名誉教授は「瑞ケ池公園のモ
デル園は来年3月でいったん完成す
の日常管理や勉強会を行っている。
3521)へ。
詳細は市みどり自然課(☎
き も の マ イ ス タ ー」 修 了 生 と 認 定。
園」の取り組みなどを学ぶ。全
( 2 0 1 0)、「 伊 丹 市 み ど り の 基 本
らなければ発生しない。茅葺き屋根
活動場所は瑞ケ池公園(瑞ケ丘5
丁目)内の猪名野笹原モデル園。市
れの猪名野笹原をみんなに作ってほ
講
馬山。否の猪名野、だわ。猪名野の
の材料となるススキの採草地やシバ
みどり自然課が開催した「伊丹生き
・
・
講座を受講した人を「伊丹生
15
催される。
リスを代表する詩人ウィリアム・ワーズワス
紀行文「おくの細道」や「古池や」などの
句で名高い日本を代表する俳人芭蕉と、イギ
レプリカや写真パネルでの出展にと
から、所蔵の芭蕉直筆作品ではなく
たが、展示期間や展示環境への不安
ている。同文庫にも出展依頼があっ
」と題するワーズワスと
POETS
芭蕉のコラボレーション展を開催し
(2014)に「
WORDSWORTH
: WALKING
AND BASHŌ
自己忘却を目的とする禅に傾倒して
忘 我 の 瞬 間 を 感 じ る と い う 描 写 は、
る、自分が自然の中に一体となって
さらにワーズワスの詩によく見られ
し さ を 作 品 に 表 し た 詩 人 で あ っ た。
心な要請があり、会場調査のためス
庫で展覧会を開催してほしい」と熱
の作品を持参するので、ぜひ柿衞文
品を並べて展示したい。ワーズワス
しているので、やはり両者の直筆作
と考え、直筆の魅力や影響力を重視
きの作者の心の有り様が表れている
に味わうことが可能となる今回の企
て「国際的にも貴重な手書き原稿を、
ワーズワス・トラストのマイケル・
マクグレゴー館長は、開催にあたっ
など多彩な作品も展示される。
家による絵画、オブジェ、詩、楽曲
を受けて創作された日英の現代芸術
や生き方などにインスピレーション
特別展では、2人の直筆の書簡や
原稿など 点とともに、2人の作品
い繋がりがあると感じたようだ。
いた芭蕉と重なるとみて、そこに強
湖水地方を歩き回りながら自然の美
題材にしていた。ワーズワスもまた、
芭蕉(1644~1694)とワーズワス
(1770~1850)は、生きた時代や地
どめた。
タッフが同文庫を訪ねてきた。
画の目的を熱心に支持し、大いに協
の直筆資料を集めた展覧会「歩く詩人 ワー
日から柿衞文庫で開
域は異なるものの、「自然」「旅」をキーワー
年
ワ ー ズ ワ ス の 作 品 や 住 居 を 所 蔵・ 管 理 す
る ワ ー ズ ワ ス・ ト ラ ス ト は、 イ ン グ ラ ン ド
そして平成 年2月、正式に展覧
会開催の依頼を受け、今秋の開催が
力して世界に広めようとしてくださ
北 部 に あ る ワ ー ズ ワ ス 博 物 館 で、 平 成
決定した。ワーズワス博物館の海外
ズワスと芭蕉」が9月
ドに結びつけることができる偉大な作家だ。
しかし、イギリス側から「我々は
直筆原稿にはその作品を生み出すと
することで有名であり、また自然を
座中
笹原に風吹けばそよそよ、そよそよ
の放牧地がまず作られたあと、十分
かや ぶ
百人一首の和歌にも詠まれ名高い﹁猪名野笹原﹂は、当時の伊丹市域など
に広がっていた、ササを中心にした広大な草原。その雄大な風景を現代に再
とやさしい葉ずれ。そうよ、
そうよ、
いな
現しようという夢のプロジェクトが伊丹で始動している。市民らがモデル園
を忘れると思うの?(略)
」
この歌は「後拾遺和歌集」に収録
されているが、猪名野笹原を詠んだ
うか」と手紙をよこしてきたのを受
け、返答した歌だ。
など多くの歌集に見られる。猪名野
歌は
「新古今和歌集」
や
「金槐和歌集」
この歌を市内在住の作家、田辺聖
子さんは、市広報誌「NEWあんぐ
笹原は平安時代から歌枕として非常
に有名だったようだ。また、摂津の
9月17日から柿衞文庫で「歩く詩人 ワーズワスと芭蕉」展
780
出展は非常に珍しく、もちろん日本
17
ありま山 ゐなの笹原 風吹けば
いでそよ人を 忘れやはする
年発行)でユー
る」第5号(昭和
モアたっぷりに解説している。
百 人 一 首 で お な じ み の こ の 歌 は、
だいにのさんみ
紫 式 部 の 一 人 娘 で あ る 大 弐 三 位 が、
しばらく会いに来なくなった恋人が
野 笹 原 は、 北
詞だった猪名
まさに伊丹
の風景の代名
れている。
大きく紹介さ
所図会」でも
名所とも位置付けられており、江戸
間の悪さをごまかすように「君はも
時代中期に発行された地誌「摂津名
瑞ケ池公園
「猪名野笹原」
完成イメージ図
072
では初めてのことだ。
日英現代アーティストの作品ととも
ることに謝意を表します」とのメッ
セージを寄せている。
月 3 日 ま で( 月 曜 休 館 )
。一般
円、大・高校生 円、中・小学生
円。
450
イギリス側は、なぜ日本の芭蕉に
注目したのか。
おい
芭蕉は「おくの細道」「笈の小文」
など旅をしながら歩いて作品を構想
12
「あたしがあなたを忘れるですっ
て?そんなこと、ありませんよの有
う僕のことを忘れたんじゃないだろ
「摂津名所図会」に掲載された「猪名野笹原」の説明板
=東リ株式会社正門付近(東有岡 5 丁目)
10
11
350 700
27
61
モデル園を整備する人たち=瑞ケ池公園で
walking poets
そうなのよ。あたしがねぇ、あんた
ができるようになる。
面に広がっていた。具体的にはどん
ン ボ ル に で き な い か、 と 平 成
ななくさ
ナエシなどの控えめな草花が咲く─
古代人がこぞって歌に詠んだ感動
的な風景がよみがえる─。来春の完
30
な風景だったのか。
伊丹公論編集委員会
-
の植栽などの管理作業を手がけ、来年3月の完成を目指している。
28
復 刊
古代の名勝再現プロジェクト始動
22
26
許六筆芭蕉行脚像
(柿衞文庫蔵)
青年時代のワーズワス
=彌生書房「ワーズワ
ス詩集」
(1966 年発行)
伊丹市立図書館 ことば蔵
-
・
日英大詩人の魅力探る
平成 28 年(2016年)8月31日
伊 丹 公 論
復 刊
(1)第 32 号
「郷土研究伊丹公論」は、私立伊丹図書館を開設した小林杖吉(筆名「丹城」)が、昭和11年(1936)1月20日に創刊し、19号まで発行された地域紙。ことば蔵では、伊丹公論を73年ぶりに復刊し、伊丹の歴史・文化を全国に発信するため、市民と共に発行しています。
菊を愛でながら呈茶を
月、 初
日本建築の粋を集めた
こう ろ かん
市 公 館「 鴻 臚 館 」
(緑ケ丘
公園内)で今年
期に京都や大宰府などに設けられた
翼を休める館という意味で、平安初
料)も催される。椅子式の応接や待
喫する茶式)があり、春秋に呈茶(有
席( 主 客 と も 腰 を か け て 茶 を 点 て、
時~正午、午後1時~3時に無料
は三田産の天然赤松、床柱には宮崎
い雰囲気を作り出している。床框に
和し、落ち着いた雰囲気だ。
てくれる。緑ケ丘公園の自然とも調
庭園ではサクラ、マツ、カエデな
どの樹木が四季の移ろいを楽しませ
だ ざい ふ
外国の賓客接待施設にちなんで名づ
合としても使用できる一角となって
日は毎週土・日曜)の午前
開放されているほか、春と秋には呈
けられた。
~8月
茶も行われている。
四畳半の茶室(梅里庵)は、壁土
に混ぜた鉄粉によりできた錆が、渋
県の孟宗竹林で発見された根付亀甲
また、庭園には水琴窟がある。地
しずく
中に埋めた水がめに滴が落ちるとき
いる。
今秋は初めての企画として、 月
3日~6日(4日休館)に 鉢程度
の菊を展示。最終日の6日に呈茶を
煤竹、そして落掛には和歌山産の梅
に反響して聞こえる音色を楽しむこ
おとしかけ
4
とこかまち
行うことにしている。見学無料だが、
木を使用し「松竹梅」を施すなどこ
4
日には呈茶も行われ、日本情緒たっ
呈茶は1席 円。
だわりが見られる。
りゅうれい
玄関右手には、椅子式茶室の立礼
すす 4
ぷりのひとときが味わえそうだ。
問い合わせは市秘書課☎
8009へ。
・
鴻 臚 館 は 昭 和 年( 1 9 8 4)
、
当時の矢埜與一市長の下、日本建築
・
の伝統・技術の保存、継承と合わせ、
年目の節目を迎える。
コマ漫画担当、林やよいさん制作の
キャラクターに採用し、
団体から
「いたみロマンちゃん」をイメージ
駐 車 場 な し。 市 バ ス 瑞 穂 小 学 校 前 ま た は
体育館・市民プール前下車徒歩数分。
時に有岡城跡史跡公園(JR伊丹
月
日(土)までの約1
駅西側)でオープニングセレモニー。
その後、
カ月間、市内各地の文化財などで多
彩なイベントが行われる。
なる実行委員会により啓発事業をス
タートさせた。
ことば蔵では、インターネット百
科事典「ウィキペディア」を編集し、
合わせ、有岡城主・荒木村重にスポッ
大河ドラマ「軍師官兵衛」の放送に
当日直接ことば蔵1階交流フロア
に開催する。参加費無料。希望者は
タウンin伊丹」を
るワークショップ「ウィキペディア
伊丹の歴史・文化を全世界に発信す
荒木村重など時機見てテーマ設定
ロマン事業は、毎年テーマを変え
て実施している。平成 年はNHK
トライトを当てた。県指定文化財「昆
へ。
日( 日 )
イメージキャラクターも採用
陽 寺 観 音 堂 」( 寺 本 2) で の 歴 史 講
のテーマを「一発逆転
ことば蔵は、第4回
「日本一短い自分史」
月
伊丹市内には、有岡城跡や旧岡田
家住宅など国指定9件、昆陽寺山門
演会や無形民俗文化財である「むぎ
の碑や芭蕉筆「ふる池や」句短冊な
わら音頭」と「摂津音頭」をオープ
ニ ン グ セ レ モ ニ ー で 披 露 す る な ど、
件、合計
化財が存在する。
市教委社会教育課の中畔明日香課
長( )は「今までは各団体が独立
なかぐろ
伊丹の文化財を活かした事業を展開
した。
じめとして多数あり、市教育委員会
これらを保護し活用しようという
市民団体も、市文化財保存協会をは
ど市指定
件の貴重な文
や旧石橋家住宅など県指定
件、辻
今年、
とができる。
◇
◇
おおとり
「 鴻 臚 館 」 と は、 渡 っ て き た 鳳 が
市民文化の高揚や国際交流にも寄与
なお、摂津以外の武士団に伊丹氏
の登場があり、これらの詳細も今後
年( 2 0 0 7)、 各 団 体 の
した活動していたが、ロマン事業を
は平成
連携強化などを目的に、文化財保護
き っ か け に 横 の つ な が り が で き た。
の大チャンス」と決め
ました。応募作品の中
から大賞1作品、秀作
3作品を選定、大賞作
伊丹市立図書館 ことば蔵
することを目的とし、市内在住の大
人が鋳造に関わった(擁書漫筆江戸
研究課題になろう。そして摂津伊丹
強調月間を「伊丹ロマン事業」と命
期 間 後 も 各 団 体 が 連 携 す る こ と で、
相乗効果が生まれ
名、市民に親しまれるよう、本紙4
号に全文掲載しま
品については本紙復刊
第
す。
応募は、作品( 字
以 内 ) に 住 所、 氏 名、
生年月日、電話番号を
記 載 し、 来 年 1 月 8
日 ま で に 直 接 か 郵 送、
ファックス、電子メー
ルでことば蔵へ。
この印刷物は5000部作成し、印刷経費は1部あたり19円です。
工の棟梁や左官、建具師などの「伊
郷土愛育む機会に
し こ れ は 宛 て 字 で、 元 々 は「 伊 丹 」
後期随筆集)と出てくるが、
空也(空
以外にも全国には伊丹の地名が存在
化財啓発事業「伊丹ロマン事業」が
「伊丹ロマン事業」 年目
~今年は 月 日から「神津」テーマに
と呼ばれていたとするのが有力であ
也念仏の祖)
の記録との差異があり、
する。
26
丹の名工」によって建設された。
木造平屋建て 平方㍍の入母屋造
り数奇屋風建物。 畳の広間や8畳
の 次 の 間、
「梅里庵」と名づけられ
た茶室、玄関右手には立礼席などが
配され、水琴窟や美しい庭園も楽し
目すべき年であった。最終的にはこ
る。おそらく平安末期から鎌倉初期
これは偽書ではとの説が強い。また
茨城県のつくばみらい市に大字伊
丹、 福 島 県 飯 館 村 に 伊 丹 沢 が あ る。
てきている。歴史・
文化に触れ郷土へ
の愛着を育む機会
にしてもらいた
い」と話している。
*
*
今年のテーマは
「 伊 丹・ 神 津 地 域
日( 土 ) 午 前
の 歴 史 」 と し、
月
11
める。
の 案 は 消 え、 そ の 後、 福 原( 神 戸 )
「文化財保護強調週間」(毎年 月
1日~7日)に合わせた伊丹市の文
遷都が断行された。そんな年に「伊
にかけて、摂津の「伊丹」は次第に
毎週火・木・土・日曜(6月1日
多美」武者が記録されたのである。
じ
中世に「板見」兵庫などの武士名が
定着し、武士を中心に全国に広がっ
ていったのであろう。
も
たたきがね
このほか京都・空也堂の叩鐘の銘
文( 年・ 年の二説有り)に、
「伊
い
あるが、これも宛て字と思われる。
ろうか。世界では中国吉林省(旧満
丹」の鋳物師村(現北村の一部)住
10
め て 菊 を 展 示 す る。 最 終
「 伊 丹 」 の 地 名 は、 文 献 上 い つ ご
ろから現れたのであろうか。
「 伊 丹 市 史 」 や「 新・ 伊 丹 史
話 」 に よ る と、
「 伊 丹 」 の 初 見 は、
多田神社文書にみえる嘉元元年
(1303)の伊丹村である。
続いて嘉元2年に勝尾寺文書の伊
丹 村、 そ し て 延 慶 2 年( 1 3 0 9)
に伊丹四郎左衛門入道(六波羅裁許
状)を名乗る武士が登場する。いず
れも鎌倉時代だ。しかし音の「イタ
ミ」で見ると、平安末期の治承4年
(1180)の「伊多美」武者所(山
以上の資料から類推すると「イタ
ミ 」 は 最 初 の「 伊 多 美 」 が「 伊 丹 」
州)に伊丹村がある。そして全国津々
なぜそこにも伊丹の地名があるのだ
に変わったとも考えられるが、しか
浦々の伊丹さん。これらの謎は解け
ていない。
15
500
「イタミ」の元々の意味は何から
き た の か。「 丹 」 を 何 故「 タ ミ 」 と
森本啓一︶
14
27
800
槐記 公家の日記)が古い。この年
は平清盛が政権を握り、伊丹にとっ
ても昆陽野遷都の話が検討された注
呈茶を楽しむ家族=立礼席で
10
呼ぶのか。悩ましい研究が続く。
11
日本建築の粋を集めた鴻臚館で初の菊展示
13
31
︵郷土史研究家
10
第 4 回「日本一短い自分史」作品募集
11
784
29
11
11
10
072
10
59
176
12
10
テーマは「一発逆転の大チャンス」
55
緑の中にたたずむ鴻臚館
伊丹村初見の文字︵川西市 多田神社文書︶
むぎわら音頭を披露する子どもたち
956
26
29
15
44
942
10
32
19
郷土史
こぼれ話
東日本や中国にも
「伊丹」の地名
第 32 号(2)
伊 丹 公 論
復 刊
平成 28 年(2016年)8月31日
り減っている。伊丹市内には昭和
台までにしておけばと悔
スプリンクラーの設置義務はないと
の経営を続けている。自分が生きて
いた。だから恩返しのつもりで銭湯
わかり、
湯がきれい。塩素を使っていないの
この銭湯は、
昭和6年(1931)
創業だが、昭和 年に経営難が深刻
で、肌にも優しい。また露天風呂が
軒あっ
化、当時サラリーマンだった内藤博
一 日 の 入 浴 者 数 は 人 を 下 回 り、
経営は赤字だそうだ。それでも経営
年
(1970)
の最盛期には
茂さん(
が成り立つカギが、同じビル内の銭
たまには大きな風呂に入
りたい、
と思ったときには、
たが、今や3軒しかない(兵庫県公
が、阪神・淡路大震災で大きな被害
2階にあり、薬草湯となっている。
木造で今の半分しか敷地がなかった
いる限り続けますよ」と話している。
まちの銭湯が便利だ。近く
衆浴場業生活衛生同業組合加盟店)
。
を受けたことから、
建て替えを決意、
や ん だ が、 結 局 こ の 銭 湯 の 名 物 と
にあるし料金も手ごろ。サ
台止
そのうちの1軒「力湯」は、JR
伊丹駅近くで営業している。鉄筋の
湯の横にある三和合成化学株式会社
の存在。
今のビル形式の浴場となった。
なった。
ウナや打たせ湯、電気風呂
ビルの中にあり、地下に車が
められる駐車場と駐輪場
(利用無料)
)が買い取った。当時は
など、さまざまなサービス
は「腰に手を当てコーヒー
を備えている。浴室の壁には金魚の
この銭湯の特長は、金魚だけでは
ない。湯の滅菌はオゾンでしており、
があるうえ、風呂上がりに
牛乳」
という楽しみもある。
裏手に回るとボイラーが、所狭し
と並んでいる。燃料は重油と電気の
の併用。また攪拌機を備え、客が残
かくはん き
内藤さん
がこの銭湯
した石けんと、てんぷら油の廃油を
金魚の水槽が生まれたいきさつが
おもしろい。消防法では地下駐車場
つぶれないのは、この会社の収益の
る安定剤などを作っている。銭湯が
脱サラして立ち上げた。塩ビに入れ
ションの場。何とか生き残ってほし
銭湯は、住民にとって裸の付き合
い が で き る、 大 事 な コ ミ ュ ニ ケ ー
を作っている。
「銭湯続けるのは恩返し」
を買い取っ
を作るときは、スプリンクラーの設
おかげというわけだ。
利用して、タオルなどを洗う石けん
置の義務があり、水槽を作らなけれ
いものだ。
た3年後に
ばならなかったが、そのスペースが
内藤さんは3年前に社長職を息子
に譲り、自身は毎日、銭湯で働いて
何かいい方法はないか」と模
「 通 訳 者 が い な け れ ば、 命
に 関 わ る こ と が 起 こ り 得 る。
げ、高齢者や地域住民が集う「健康
退 職 後 は、 地 域 に も 活 動 の 場 を 広
ハイジア」の設立に加わった。定年
に 展 示 す る「 ロ ビ ー ボ ラ ン テ ィ ア
訳士も配
用の手話通
れ、直接採
取ってみてください。心が通じると、
単な筆談でコミュニケーションを
ほんの少しの勇気をもって笑顔や簡
活 動 を 続 け て い き た い。 皆 さ ん も、
「 今 後 も、 手 話 や ろ う 者 に 対 す る
医 療 者 の 理 解 が さ ら に 深 ま る よ う、
・
・0481
湯
伊丹市伊丹3丁目2―2
☎
円
円、小学生
乳幼児
大人
入浴料
円
︵細尾哲也︶
ない。そこで浴槽の壁に設置し、ど
索 す る な か、
「私も手話を覚
カフェサロン」を立ち上げた。また、
置されるな
自然と見えてくるものがあると思い
力
い る。「 銭 湯 を 買 っ て 経 営 者 に な っ
たことで、脱サラ・起業の自信がつ
るようになった。
台 未 満 な ら、
うせならと金魚を入れることにした
可能な限り手話通訳を買って
と い う。 し か し 後 で
出たが、すべての患者に対応
えたい」と周りの看護師から
看護部長時代の経験を買われ、兵庫
できるわけはない。
江木さんは、その他にも伊丹病院
で「ガーデニングボランティア 花
とみどり友の会」や絵画などを外来
声が上がったことが「たんぽ
ぽ」の設立につながった。
県看護協会や伊丹市の福祉関連部門
ど、ろう者
ます」。
の委員を務めるなど多忙な日々だ。
からは「市
782
水槽があり、おしゃれだ。
風
景
年に伊丹
三 重 県 生 ま れ。 両 親 が
ろう者だったため手話が
で き た。 昭 和
病院に看護師として就職、
耳 の 不 自 由 な 患 者 に は、
写真協力=西田写真館
ただ近年、銭湯はめっき
現
代
人物
年
( 1 9 8 5) に 設 立、 今 も 会 長 を 務
サ ー ク ル「 た ん ぽ ぽ 」 を 昭 和
市立伊丹病院の職員や地域の聴覚
障 が い 者( ろ う 者 ) ら に よ る 手 話
まだまだがんばる伊丹の銭湯♨
める。
サークル
の活動が院
立伊丹病院
若々しい笑顔で話す江木さんの目
は、地域の中で医療者としてできる
内で認めら
には手話通
ことを見つめ続ける。
ことば蔵は、伊丹大使で市内在住
の芥川賞作家、宮本輝さんの小説
「青
が散る」の舞台、追手門学院大(大
日(土)に開催する。
阪府茨木市)で、「青が散るツアー」
を9月
宮本さんは今年創立 周年を迎え
る同大の第1期生として入学し、テ
ニ ス 部 に 所 属 し て い た。「 青 が 散 る
ツアー」ではまず、午後1時からこ
と ば 蔵 で ビ ブ リ オ バ ト ル( テ ー マ
について同大の学生などが書評合戦
「輝」)を開催。宮本さんの作品など
し、観衆の投票でチャンプ本を決定
する。その後、同大学に電車とバス
で移動し、小説に登場する舞台や大
学付属図書館内「宮本輝ミュージア
ム」に展示されている芥川賞正賞の
懐中時計をはじめとする宮本さんの
愛用品などを見学する。
人)
。
いずれも参加費無料(交通費別)
。
青が散るツアーは電話・来館で事前
自 分 の 席 は な か っ た。 薬 剤 師 免 許
の 薬 品 メ ー カ ー へ 戻 る と、 す で に
初代・吉岡孝夫さん(故人)が戦
地から復員して戦前勤めていた大阪
2代目・孝麿さん( )は京都薬
科大学を卒業、日本一漢方に詳しい
央へと移転した。
に客が阪急へ流れて行ったため、中
しかし、当時の国鉄は列車が1時
間に1本程度しか運行されず、次第
申し込みが必要(先着
を持っていたことから一念発起、知
ツアーガイドを務める追大生たち
人を頼って資金を集めたうえ、薬の
とされる医師・山本巌さんに師事し、
どしょうまち
年
年以上、漢方薬を調剤・販売
糖の供給が少なかっ
量に売れた。また、砂
薬のサントニンが大
される人が多く、駆虫
などの寄生虫に悩ま
衛生状態が悪い当時のこと、回虫
対応できる薬局として人々の健康
利 晃 さ ん は「 漢 方 薬 か ら 健 康 保
険 に 関 わ る 調 剤 業 務 ま で、 幅 広 く
る。
服薬指導、訪問指導に力を入れてい
て、漢方をはじめ健康保険の調剤や
に移転。3代目・利晃さんも加わっ
平成 年(1999)には市街地
再開発事業で整備された宮ノ前通り
している。
以来
町 と し て 知 ら れ る 大 阪・ 道 修 町 の
薬問屋を紹介してもらい、昭和
( 1 9 4 7) 5 月、 国 鉄( 現 J R )
た た め、 サ ッ カ リ ン
づくりに貢献していきたい」と話
伊丹駅付近で薬局を開業した。
やズルチンなど現在
では食品に使用され
している。
︵辻野文三︶
ないような甘味料も
よく売れた。
伊丹市立図書館 ことば蔵
100
訳者がいる
︵丸晴子︶
しス
蔵出
ー
ニュ
45
力湯の入口に立つ店主の内藤博茂さん
50
20
10
ので心強
い」という
吉 岡 薬 局
10
声が聞かれ
72
26
12
医療現場でろう者との 架け橋に
24
50
11
160
伊丹市宮ノ前1丁目 4 - 17
☎ 072 - 772 - 3778
420
60
072
⠧⥩ ត⸰
宮 本 輝 さ ん の 世 界 を 体 験
「 青 が 散 る ツ ア ー」 参 加 者 募 集
22
36
江木 洋子さん(62)
57
86
市立伊丹病院手話サークル
「たんぽぽ」会長
60
平成 28 年(2016年)8月31日
伊 丹 公 論
復 刊
(3)第 32 号
伊丹俳壇
柿衞文庫也雲軒塾頭︶
イラストレーターの
仕事を紹介
小学生の職業体験講座で林やよいさん
伊丹市在住。毎日新聞兵庫版にイラ
ストエッセイ「くるまいすまいる」
を連載中。
﹁頭 ﹂ 坪内稔典
選
︵佛教大学・京都教育大学名誉教授。
︵伊丹市︶
松井
幸子 ︵山形県鶴岡市︶
山口
正夫
︵伊丹市︶
現代歌人協会会員︶
林やよい
最優秀賞
少年の頭の奥に積乱雲
衛藤
夏子︵大阪府枚方市︶
積乱雲︵入道雲︶を見上げている少年、その少年の頭の中にも積
乱雲が立っている光景。
﹁頭の中で白い夏野となつてゐる﹂
︵高屋
窓秋︶という有名な句を連想させるが、窓秋のやや観念的な句よ
りも、この句の方に少年という存在の自然性が生き生きしている。
頭から飛び出すさまの心太
屋部きよみ
優 秀 賞
野球帽揃って麦茶飲む木陰
前田
春蘭
ところてん
夏草や鹿のま白き頭蓋骨
︵伊丹市︶
︵伊丹市︶
頭突の子裸の父は仁王立ち
渡邉
美保
きゅうり
︵
﹁玲瓏﹂選者。神戸新聞文芸短歌選者。
れいろう
﹁夏野菜 ﹂ 尾崎まゆみ
選
最前列の頭上に降り来大花火
伊丹歌壇
最優秀賞
意にそわぬ姿さらせば︵まっすぐな胡瓜のごとく︶褒められはする
村田
馨︵東京都世田谷区︶
︵まっすぐな胡瓜︶の存在感、目の前に迫ってくるその迫力。
まるでまっすぐな胡瓜が﹁曲がっているのが普通です﹂と言っ
ているようで、胡瓜に﹁がんばってるね﹂と声をかけたくなる。
もちろん人間も不本意でもがんばってます。
優 秀 賞
︵宝塚市︶
妻の夏野菜スープはやさしくて営業職の苦味ほどける
も
藤田
晋一
熊ノ郷紀子 ︵大阪府豊能町︶
ぎて命頂戴仕るなり
瑞瑞しき息あるきゅうりを吾が
い
︵尼崎市︶
手首癒へさくさくさくと嬉しさにさくさくさくと胡瓜を刻む
松田
理
近藤きつね ︵群馬県高崎市︶
花として咲くだけならばピーマンも許してあげてもいいんだけれど
衛藤
夏子
︵大阪府枚方市︶
夏野菜たとえばトマト好きになりカレーに入れて恋おわらせて
キャラクター作りを教える
林やよいさん
エやアナウンサーといった子どもた
同講座は夏休みの思い出作りにし
てもらおうと、3年前からパティシ
日、ことば蔵で開かれた。
ザ蔵『イラストレーター』が8月7
よいさんによる職業体験講座「キッ
本紙4コマ漫画「タンジョー先生」
を担当するイラストレーター、林や
と 合 わ せ た の に、 あ れ れ、
い。2万円もした。ちゃん
百貨店ですてきな黄色い
靴を見つけたので衝動買
な顔が多い。
帰りたいと思っているよう
日にもなると、疲れて早く
まずは 人全員で「はい
チーズ」とにっこり。最終
ら れ ま し た が、 現 地 の 料
ンを持っていった人がお
それから思い出した。日
本からインスタントラーメ
に隠れ住んでいる本のお化けをテー
いて紹介した後、みんなでことば蔵
さんがイラストレーターの仕事につ
九龍島へ渡って波に触
れ、石も拾った。その石は
大失敗の黄色い靴だった。
に 借 り て ま で 買 っ た の に、
くなっていた。お金を友人
講座に参加した市立花里小学校4
年の服部裕気さんは「図鑑に出てき
は 歌 謡 シ ョ ー に 行 き、 伊
キッラの夜の香港へ。私達
*
あと、がっつりディープな居酒屋へ
は、軽くまちのスポットを紹介した
〝酒場ライター〟。この番組で類さん
この吉田類という方は画家、作家
な ど 肩 書 が 多 い の だ が、 メ ー ン は
ホ ン ト に 我 々「 フ カ 」 に と っ て は 、
こ の 公 論 が 出 る こ ろ に は 終 盤 だ が、
るらしい。今年は拙者も申し込んだ。
買えば、最後に1本プレゼントがあ
行っている。4月から予約して6本
仕入れて販売する、という頒布会を
版しました。
行って、お客さまと乾杯、そして店
ありがたい企画である。感謝、感謝
う。伊丹大使の有村架純さんも主役
たドラマを思い描く方が多いだろ
テレビ番組で「月9」(月曜9時)
と聞くと、若い人をターゲットにし
▼大人の﹁月9﹂
いきつけの酒屋さんがある。そこ
は、日本酒の揃えが良いし、近いか
▼夏酒の頒布会
ていただきたいと思っている。
たい。類さんには、いつか伊丹に来
年間、毎月おすすめの夏酒4合瓶を
主らと会話しながらグイグイ、酒と
でもう一杯♪
ら観ているが、これが癖になるのだ。
を張ったことがある。
店主は、酒への思い入れが強く、行
みなさんもぜひ、一度ご覧いただき
しかし、我々大人(酒飲みのオッ
サンたち?)にとっては、月9とい
くと長い時間、うんちくを語ってく
その酒屋さんが4月から9月の半
ら、ひいきにさせていただいている。
うと、別の楽しみな時間なのである。
︵ときわ喜多︶
ツーショットのものです。
追伸 今回のイラストは太鼓腹好き
の拙者が立派なお腹の居酒屋店長と
アテを楽しむ番組である。よく、こ
︵平きみえ︶
の 手 」( 象 の 森 出 版 ) を 出
私は俳句を楽しんでお
り、このほど初の句集「父
*
帰りの飛行機は悠々と寝
ておりました。
(笑)。
に全部食べられていました
理が合わず食べられない人
ンスでした。
ちに人気の職業をテーマに開催して
は
マ に し た キ ャ ラ ク タ ー 作 り を 体 験。
家で履いてみると足が大き
本から脚が生えたカニのようなお化
今でも引き出しにしまって
人が参加。林
けやメガネをかけた辞書のお化けな
ある。
たカボチャの妖怪と本を合体させて
丹 で は 絶 対 に で き な い、
した=イラスト。
作った。お化けを想像しながら描く
無手勝流のダンス。みんな
みんなで踊った最終日
∼中国・佛山市への旅(下)
んな番組が成立するな、と思いなが
おもしろいオモシロイ、ダ
むてかつりゅう
のが楽しかった」と話していた。
一部の友人はヘリコプ
ターに乗り、電飾でキッラ
どの個性豊かなキャラクターが誕生
いる。今回は小学生
17
ださる(笑)。
田類の酒場放浪記」だ。
伊丹市立図書館 ことば蔵
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16
13杯
目
それが、BSで放送されている「吉
酔 録
後
第 32 号(4)
伊 丹 公 論
復 刊
平成 28 年(2016年)8月31日
次回の兼題は、俳壇・歌壇ともに「虫」とします。応募は1人各1作品、自作未発表作品
に限る。応募締切は、IJı月IJĶ日(必着)
。最優秀賞には図書券千円進呈。左のQRコード
を利用すると、ケータイからも応募できる。問い合わせは、ことば蔵へ。