1 第 4 章 アウンサンスーチー政権の発足 長 田 紀 之 はじめに 2016 年 3

機動研究中間報告『ミャンマー新政権の発足--2015 年総選挙の過程と結果--』アジア経済研究所 2016 年
第 4章
アウンサンスーチー政 権 の発 足
長 田 紀 之
はじめに
2016 年 3 月 末 ,半 世 紀 ぶりに自 由 で公 正 な選 挙 に基 づく文 民 政 権 が成 立 した。国
民 民 主 連 盟 (National League for Democracy: NLD)はアウンサンスーチー議 長 (以 下 ,
スーチー 氏 )に対 する 国 民 からの 圧 倒 的 支 持 を 背 景 に 選 挙 で 大 勝 した ものの,同 氏 は
2008 年 憲 法 の規 定 で正 副 大 統 領 への就 任 が妨 げられていた。そのため,スーチー氏 に
近 いティンチョー氏 が大 統 領 に就 任 するかたちで NLD 政 権 が誕 生 したのである。本 章
執 筆 時 までの状 況 では,この新 政 権 は実 質 的 な アウンサンスーチー政 権 であり,スーチ
ー氏 の指 導 的 立 場 を確 固 たるものにする国 家 顧 問 のポストも創 出 された。本 章 では,新
政 権 発 足 に至 る経 緯 とその陣 容 について記 述 する。
第 1節
政 権 移 行 プロセス
2015 年 11 月 8 日 の選 挙 後 まもなく NLD の圧 勝 が明 らかとなると,連 邦 団 結 発 展 党
(Union Solidarity and Development Party: USDP)政 権 から次 期 NLD 政 権 への政 権
移 行 プロセスが開 始 された。スーチー氏 は 11 月 19 日 にシュエマン連 邦 議 会 議 長 と,12
月 2 日 にテインセイン大 統 領 およびミンアウンフライン国 軍 最 高 司 令 官 と,12 月 4 日 に
は 2011 年 まで続 いた軍 事 政 権 のトップであったタンシュエ元 上 級 大 将 と立 て続 けに会
談 を行 い,平 和 裏 の政 権 交 替 が国 内 外 に印 象 づけられた。また,NLD と USDP 政 権 の
それぞれの代 表 者 が出 席 する調 整 会 議 を開 いて,実 務 的 な話 合 いを進 めた。
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1. スーチー氏 の大 統 領 就 任 問 題
政 権 の移 行 にあたって,最 初 に大 きく注 目 されたのはスーチー氏 の大 統 領 就 任 問 題
であった。現 行 の 2008 年 憲 法 で,正 副 大 統 領 の資 格 要 件 を定 める第 59 条 (f)項 には,
「 本 人 , 両 親 , 配 偶 者 , 嫡 出 の 子 ども と そ の 配 偶 者 の い ずれ か が 外 国 政 府 か ら 恩 恵 を
受 けている者 ,もしくは外 国 政 府 の影 響 下 にある者 ,もしくは外 国 国 民 であってはならな
い 。そ の 者 た ちは,外 国 政 府 の 影 響 下 に ある 者 もしく は外 国 国 民 が 享 受 し 得 る 権 利 や
恩 恵 を享 受 することを認 められた者 であってはならない」とある。スーチー氏 は配 偶 者
(故 人 )および 子 どもが外 国 籍 であるため,この条 項 によって正 副 大 統 領 への就 任 が認
められない。NLDは数 年 間 にわたってこの条 項 を含 む憲 法 の諸 条 項 の改 正 を要 求 して
き た が ,そ の 要 求 は 総 選 挙 前 の 時 点 で す で に 当 時 の 政 権 与 党 USDP と 憲 法 改 正 へ の
実 質 的 な拒 否 権 を握 る国 軍 とによって阻 止 されていた ( 1 ) 。
こうした 状 況 下 に あ ってスー チ ー 氏 自 身 も ,自 ら 大 統 領 に は就 任 で き ない こと を 認 め
つつ,その代 わりに「自 分 が大 統 領 の上 に立 ち」「政 権 を運 営 する」と選 挙 前 から公 言 し
ていた (
2)
。しかし,NLDの選 挙 での大 勝 に国 民 のスーチー氏 個 人 への支 持 が大 きく寄
与 していたことはだれの目 にも明 らかであり,選 挙 後 には再 びスーチー氏 の大 統 領 就 任
に向 けた機 運 が高 まった。具 体 的 には,NLDが過 半 数 を占 める新 議 会 において上 記 の
憲 法 第 59 条 (f)項 を一 時 停 止 するという方 策 が模 索 されたようである。その可 能 性 の有
無 について,NLDやUSDP,国 軍 関 係 者 といったさまざまな方 面 からの発 言 がメディアで
取 り沙 汰 された。どのような方 策 をとるにせよ,スーチー大 統 領 の実 現 には国 軍 との合 意
形 成 が必 要 となる。事 実 ,スーチー氏 は,2016 年 1 月 25 日 にミンアウンフライン国 軍 最
高 司 令 官 と 2 度 目 の,2 月 17 日 には 3 度 目 の会 談 を行 った。会 談 の詳 細 な内 容 は明
かされなかったが,そこでスーチー氏 の大 統 領 就 任 について議 論 された可 能 性 がある。
現 地 メディアでは,国 軍 側 が見 返 りにいくつかの管 区 域 ・州 における首 相 ポストを要 求 し
ているとの報 道 がなされた。
報 道 は加 熱 するも ,確 た る情 報 が 表 面 に 現 れ てこないままに ,大 統 領 選 出 の 手 続 き
が後 送 りにされた。2 月 8 日 に招 集 された第 2 期 連 邦 議 会 (両 院 合 同 議 会 )では,3 月
17 日 に正 副 大 統 領 候 補 を指 名 して大 統 領 の選 出 手 続 きを開 始 することが通 知 された。
5 年 前 の第 1 期 連 邦 議 会 では,招 集 後 5 日 目 (2011 年 2 月 4 日 )にテインセイン氏 が
大 統 領 に 選 出 され てい たこと と 比 べる と ,今 回 の 日 程 の 遅 れが 際 立 つ 。テインセ イン 政
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権 の任 期 は 3 月 30 日 でもって切 れるので,それまでに中 央 ・地 方 の閣 僚 の任 命 まで終
了 させておかねばならず,大 統 領 選 出 手 続 きの遅 れはその後 の日 程 をも厳 しくするもの
であった。結 局 ,3 月 初 めまでにスーチー氏 の大 統 領 就 任 の線 は立 ち消 え,予 定 されて
いた日 程 を若 干 早 めるかたちで大 統 領 選 出 の手 続 きが開 始 されることになる。
2. 新 議 会 の招 集
大 統 領 選 出 には紆 余 曲 折 があったものの,2015 年 11 月 の総 選 挙 で選 ばれた議 員 た
ちから構 成 される第 2 期 議 会 は 2016 年 2 月 初 旬 に相 次 いで発 足 した。まず下 院 (人 民
代 表 院 )が 2 月 1 日 に,次 いで上 院 (民 族 代 表 院 )が 2 月 3 日 に,そして両 院 合 同 議
会 としての連 邦 議 会 が 2 月 8 日 に招 集 された ( 3 ) 。両 院 は最 初 にそれぞれの正 副 議 長 を
選 出 し,連 邦 議 会 議 長 は両 院 議 長 が任 期 の半 分 ずつ兼 任 する。いずれの議 会 におい
てもNLDが単 独 で議 席 の過 半 数 を占 めるので,両 院 正 副 議 長 の選 出 にはNLDの意 向
が反 映 されることになった。
表 4-1 は実 際 に選 ばれた両 院 正 副 議 長 の基 本 情 報 を示 している ( 4 ) 。下 院 議 長 に
は,NLDの中 央 執 行 委 員 であり,スーチー氏 の信 任 が厚 いとされるウィンミン氏 が就 任 し
た。同 氏 はエーヤーワディー管 区 ( 当 時 )ダヌピュ ー郡 出 身 で,大 学 卒 業 後 に弁 護 士 と
なったが,その後 政 治 活 動 に身 を投 じる。1988 年 の民 主 化 運 動 に関 与 して最 初 の投 獄
を経 験 し,軍 事 政 権 によって反 故 にされることになる 1990 年 選 挙 に出 馬 して当 選 した
NLD古 参 党 員 のひとりである。現 憲 法 下 での 2012 年 補 欠 選 挙 でもエーヤーワディー管
区 域 パテイン選 挙 区 で当 選 しており,現 職 議 員 として臨 んだ今 回 の選 挙 ではヤンゴン管
区 域 タームウェ選 挙 区 で再 選 を果 たした。NLDは 1 月 28 日 に下 院 議 長 へのウィンミン
氏 の指 名 を公 にしたが,その直 前 の 1 月 25 日 ,同 氏 はスーチー氏 と国 軍 最 高 司 令 官 と
の 2 度 目 の会 談 に同 席 している。
表4―1 連邦議会両院の正副議長
議会 役職
名 前
政党
年齢
性別
民族
宗教
学歴
前職
下院 議長
ウィンミン
NLD
64
男性 ビルマ
仏教
大卒
下院議員
副議長 ティークンミャッ
下院議員
USDP
65
男性 カチン キリスト教 大卒
上院 議長
弁護士
マンウィンカインタン
NLD
63
男性 カイン キリスト教 大卒
副議長 エーターアウン
ANP
70
男性 ヤカイン
仏教
高卒
実業
(出所) Open Myanmar Initiative作成の候補者データベースおよび各種報道より筆者作成。
(注)政党の略記は,NLD:国民民主連盟,USDP:連邦団結発展党,ANP:ヤカイン民族党。年齢は
2015年2月1日現在。
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下 院 の副 議 長 には USDP のカチン民 族 議 員 ティークンミャッ(「ティー」はローマン・ア
ルファベットの T)氏 が就 任 した。シャン州 北 部 中 国 国 境 に近 いクッカイ選 挙 区 選 出 の議
員 であり,2010 年 選 挙 でも同 選 挙 区 で当 選 していた。もともとはこのクッカイ地 方 に割 拠
する軍 事 勢 力 の指 導 者 で,同 時 に連 邦 政 府 の法 務 長 官 府 局 長 も務 めていたという。報
道 では,同 氏 の下 院 副 議 長 選 出 には,シュエマン氏 の推 挙 があったとの憶 測 もなされて
いる。
上 院 の議 長 はNLDのカイン民 族 議 員 マンウィンカインタン氏 が就 任 した。父 親 は独 立
運 動 時 のカイン 民 族 の指 導 者 マンバカインであ る。マンバカインはスーチ ー氏 の父 親 ア
ウン サ ンと と もに イギリ スか らの 政 権 移 譲 の 受 け 皿 と なる 行 政 参 事 会 を 構 成 す る 閣 僚 の
ひとりであったが,独 立 前 年 の 1947 年 ,閣 議 中 にアウンサンらとともに暗 殺 された。マン
ウィンカインタン氏 自 身 は弁 護 士 で,NLDへの入 党 は 2013 年 と新 しい。今 回 の選 挙 で
カイン州 第 8 区 から初 当 選 した。上 院 副 議 長 には,ヤカイン民 族 党 (Arakan National
Party: ANP)の中 央 執 行 委 員 であり党 内 席 次 第 2 位 のエーターアウン氏 が就 任 した。
同 氏 はそもそもNLDの友 党 ヤカイン民 主 連 盟 (Arakan League for Democracy: ALD)
の指 導 者 であり,スーチー氏 とは 1990 年 以 来 ,協 力 関 係 を築 いてきた ( 5 ) 。今 回 の選 挙
ではヤカイン州 第 6 区 から選 出 された。
以 上 ,NLD による連 邦 議 会 両 院 の正 副 議 長 の人 事 では,最 も重 要 な下 院 議 長 に信
頼 のおける NLD 古 参 党 員 が配 された一 方 で,4 人 中 3 人 に少 数 民 族 出 身 者 が選 ばれ,
シャン州 とヤカイン州 で多 くの議 席 を獲 得 した USDP と ANP からそれぞれ副 議 長 が選 出
されるなど,民 族 と政 党 の多 様 性 に配 慮 が示 されたといえる。
なお,両 院 では,正 副 議 長 が決 まったのち,それぞれの議 会 内 で各 種 委 員 会 が組 織
された。そのなかで特 筆 すべき事 項 が,下 院 の法 務 ・特 別 問 題 検 討 委 員 会 の委 員 長 に
シュエマン氏 が就 任 したことである(2 月 5 日 )。シュエマン氏 は軍 事 政 権 時 代 に序 列 第
3 位 にあった元 軍 人 の有 力 者 で,体 制 の変 わった 2011 年 以 降 は下 院 議 長 として議 会
を主 導 し,ときにテインセイン大 統 領 率 いる執 政 府 と対 抗 しながら,近 年 急 速 にスーチー
氏 との連 携 を強 めてきた。USDP候 補 として戦 った 2015 年 の総 選 挙 ではNLD候 補 に負
けて落 選 した が ,新 政 権 に 何 らか の かた ちで 登 用 され る 可 能 性 が 噂 さ れ てい た (
6)
。上
記 の法 務 ・特 別 問 題 検 討 委 員 会 は,そもそも 2011 年 に当 時 下 院 議 長 であったシュエマ
ン氏 自 身 が,既 存 の法 律 について改 正 や廃 止 の必 要 性 を検 討 することなどを目 的 に議
会 の 内 外 から識 者 を 集 めて設 立 した ものであ り,その 後 ,議 会 の 立 法 過 程 に 一 定 の 影
響 力 をもつようになったという (
7)
。現 在 の議 会 でシュエマン氏 は議 員 ではないものの,以
4
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後 ,この委 員 会 を通 じて立 法 過 程 にかかわっていくことになる ( 8 ) 。
第 2 節 新 政 権 の顔 ぶれ
1. 正 副 大 統 領 ――文 民 大 統 領 誕 生
3 月 10 日 ,上 下 両 院 でそれぞれNLDとUSDPから副 大 統 領 候 補 が指 名 され,大 統 領
選 出 過 程 が 開 始 され た 。 大 統 領 選 出 の 手 続 き は以 下 の と お りで あ る 。 ま ず ,下 院 の 民
選 議 員 団 ,上 院 の民 選 議 員 団 ,両 院 の軍 人 議 員 団 がそれぞれひとりずつ合 計 3 人 の
副 大 統 領 を指 名 する。副 大 統 領 は議 員 である必 要 はない。つぎに,両 院 合 同 の連 邦 議
会 において全 議 員 の投 票 により,この 3 人 のうちから大 統 領 を選 出 し,残 りふたりが副 大
統 領 にとどまる。翌 3 月 11 日 には,3 議 員 団 選 出 の副 大 統 領 3 人 が出 そろった。下 院
民 選 議 員 団 からはNLD党 員 ではあるが議 員 ではないティンチョー氏 ,上 院 民 選 議 員 団
からはチン州 第 3 区 選 出 のNLD議 員 ヘンリーヴァンティウ氏 ,軍 人 議 員 団 からは現 職 の
ヤンゴン管 区 域 首 相 で 2015 年 選 挙 への出 馬 を見 送 っていたミンスェ氏 が指 名 された ( 9 ) 。
3 月 15 日 ,652 人 の議 員 が出 席 した両 院 合 同 の連 邦 議 会 での投 票 で,3 人 はそれぞれ
360 票 ,79 票 ,213 票 を獲 得 し,ティンチョー氏 が次 期 大 統 領 に選 出 された ( 1 0 ) 。ティン
チョー氏 は 3 月 30 日 に議 会 で宣 誓 を行 って大 統 領 に就 任 した。ミャンマーでは,厳 密 な
意 味 で の 文 人 ,つ ま り, 国 軍 で の 勤 務 経 験 の な い 人 物 が 国 政 の 頂 点 に 立 つ の は 実 に
半 世 紀 ぶりのことである。
新 しい正 副 大 統 領 のプロフィールは以 下 のとおりである(表 4-2)。ティンチョー大 統
領 は,現 在 69 歳 のNLD党 員 で,著 名 な作 家 ミントゥーウンを父 にもち,自 らも父 の伝 記
などを著 している。しかし,これまで彼 自 身 はミャンマー政 界 において無 名 といってよい存
在 であり,その指 名 は国 内 外 から戸 惑 いと驚 きをもって迎 えられた。1 歳 ちがいのスーチ
ー氏 は同 じ高 校 の先 輩 に当 たり,大 統 領 就 任 前 にはスーチー氏 の母 親 の名 を冠 したド
ー・キンチー財 団 の幹 部 を務 めていた。2015 年 選 挙 には出 馬 しておらず,議 員 ではな
いが,スーチー氏 の信 頼 の厚 さから彼 女 の「代 理 」として大 統 領 職 を任 されたと思 われる。
上 記 財 団 が 発 表 したと される 学 歴 と 職 歴 によ ると ,大 学 卒 業 後 に イギリ ス への 留 学 など
を経 験 しながら,母 国 で 経 済 学 とコン ピューター・ サイエンスの修 士 号 を取 得 し,その後 ,
1992 年 に退 職 するまでのおよそ 17 年 間 を中 央 省 庁 の官 僚 として過 ごしたという (
5
11)
。テ
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ィンチョー大 統 領 自 身 はこれまで党 内 で 重 要 な役 職 を担 ったことはないが,彼 がNLDを
中 心 的 に担 う人 々のイン ナーサークルに属 する人 物 であることは間 違 い ない。父 ミントゥ
ーウンは 1990 年 選 挙 の際 にNLD候 補 としてヤンゴン管 区 (当 時 )カマーユッ選 挙 区 から
出 馬 して当 選 した。また,大 統 領 夫 人 となる妻 スースールィン氏 もNLD党 員 であり,2012
年 補 欠 選 挙 と 2015 年 選 挙 の 2 回 ともヤンゴン管 区 域 トウングワ選 挙 区 で当 選 している。
彼 女 の入 党 は 2012 年 であるが,この選 挙 区 は彼 女 の父 親 で,退 役 将 校 で,NLD創 設
者 のひとりであるルィンが 1990 年 選 挙 で当 選 した選 挙 区 であった。
次 点 のミンスェ副 大 統 領 は,退 役 軍 人 のUSDP党 員 であり,2011 年 以 来 ,ヤンゴン管
区 域 の首 相 を務 めていた。軍 人 としては,国 軍 士 官 学 校 第 15 期 卒 業 ののち,軍 事 政
権 時 代 に陸 軍 将 校 として昇 進 を重 ね,情 報 部 に当 たる軍 保 安 局 長 を経 て,2006 年 に
はヤンゴンを管 轄 する第 5 特 別 作 戦 室 長 に就 任 した。この在 任 中 の 2007 年 にヤンゴン
で発 生 した民 主 化 デモ――いわゆる「サフラン革 命 」――に対 する苛 烈 な弾 圧 手 法 など
から軍 内 の強 硬 派 として知 られる。最 終 的 な階 級 は中 将 であり,退 役 して参 加 した 2010
年 選 挙 では,USDP党 員 としてヤンゴン管 区 域 議 会 選 挙 に出 馬 して当 選 し,翌 年 ,就 任
したばかりのテインセイン大 統 領 によりヤンゴン管 区 域 首 相 に指 名 された。2012 年 に当
時 の ティン アウンミン ウー 副 大 統 領 が 辞 任 した 際 にも,後 任 の 軍 人 議 員 団 選 出 副 大 統
領 の筆 頭 候 補 としてメディアに名 前 が挙 がっていたが,結 局 ,このときは選 ばれなかった。
義 理 の息 子 がオーストラリア国 籍 を有 していることが憲 法 第 59 条 (f)項 に違 反 したためと
いわれる。2015 年 選 挙 には健 康 上 の理 由 を挙 げて出 馬 を見 送 っていたものの,今 回 は
軍 人 議 員 団 選 出 の副 大 統 領 として指 名 されることになった (義 理 の息 子 が外 国 籍 を 放
棄 したとの 報 道 がある (
12 )
)。軍 事 政 権 時 代 の トッ プであったタ ンシュエ 元 上 級 大 将 と も
近 い強 硬 派 と目 されるミンスェ氏 が副 大 統 領 として政 権 の中 枢 に存 在 す ることが,今 後
NLDの政 権 運 営 にどのように影 響 してくるか注 目 される。
もうひとりのヘンリーヴァンティウ副 大 統 領 は,新 大 統 領 以 上 に驚 きの人 選 であった。
チン州 中 部 タンタラン郡 出 身 のチン民 族 キリスト教 徒 であり,国 軍 軍 人 として 20 年 間 近
くミャンマー各 地 で軍 務 につき,退 役 してから 10 年 ほど第 1 工 業 省 に所 属 して各 地 の工
場 長 などを務 めた。フィリピンやニュージーランドでの居 住 経 験 もあるという。2015 年 選 挙
では NLD 党 員 としてチン州 第 3 区 で当 選 を果 たしたが,副 大 統 領 就 任 にともない議 員
は辞 職 することになる。上 院 民 選 議 員 団 選 出 の副 大 統 領 が少 数 民 族 出 身 者 であること
は予 測 されていたものの,これまでのミャンマー政 治 で要 職 に就 いた者 がなく,相 対 的 に
人 口 の少 ないチン民 族 からの登 用 は,多 くの人 々にとって予 想 外 のことであった。
6
機動研究中間報告『ミャンマー新政権の発足--2015 年総選挙の過程と結果--』アジア経済研究所 2016 年
大統領
名前
ティンチョー
副大統領
ミンスェ
(第1)
表4―2 正副大統領
年齢
性別
民族
69
男性 ビルマ
政党
NLD
USDP
副大統領
NLD
ヘンリーヴァンティウ
(第2)
(出所) 表4-1と同じ。
(注) 年齢は2016年4月1日現在。
64
男性
モン
57
男性
チン
宗教
仏教
学歴
前職
修士号 公務員(退職)
退役軍人
仏教
大卒 ヤンゴン
管区域首相
退役軍人
キリスト教 大卒
公務員(退職)
2. 連 邦 政 府 閣 僚
新 大 統 領 の最 初 の仕 事 は執 政 府 の組 織 である。連 邦 議 会 での新 大 統 領 選 出 後 まも
なく,ティンチョー氏 はまず連 邦 レベルの省 庁 再 編 案 を議 会 に提 出 し,3 月 21 日 にこれ
が承 認 された。再 編 の趣 旨 は,
NLD の公 約 どおり,省 庁 と大 臣
ポストの数 を減 らして政 府 支 出
を削 減 すことにあった(第 1 章 参
照 ) 。管 轄 分 野 の 近 接 する 省 庁
を統 合 することによって,31 あっ
た省 庁 の数 は 21 にまで減 らされ,
従 来 ,6 人 おかれていた大 統 領
府 付 大 臣 の数 を 1 人 にするなど
閣 僚 の数 も減 らすとした(表 4-
3)。この時 点 では,唯 一 ,民 族
省 だけが新 設 の省 であった。こ
れはテインセイン政 権 下 で成 立
した土 着 諸 民 族 権 利 保 護 法
(2015 年 法 律 第 8 号 )に基 づい
て設 置 されたものである。しかし,
その後 ,後 述 する国 家 顧 問 のポ
表4―3 省庁再編
旧
1
2
3
4
5
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8
9
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30
国防省
内務省
国境省
外務省
情報省
国家計画・経済発展省
財務省
農業灌漑省
畜水産・農村開発省
協同組合省
鉱業省
環境保全・林業省
工業省
商業省
運輸省
鉄道運輸省
通信・情報技術省
建設省
電力省
エネルギー省
ホテル・観光省
労働・雇用・社会保障省
入国管理・人口省
社会福祉・救済・復興省
教育省
科学技術省
保健省
スポーツ省
宗教省
文化省
大統領府
31
(大臣ポスト6)
スト創 出 にともない,5 月 上 旬 に
新 しい省 として国 家 顧 問 府 の 設
置 が承 認 され,国 家 顧 問 府 付
1
2
3
4
5
新
国防省
内務省
国境省
外務省
情報省
6 計画・財務省
7 農業・畜産・灌漑省
8 天然資源・環境保全省
9 工業省
10 商業省
11 運輸・通信省
12 建設省
13 電力・エネルギー省
14 ホテル・観光省
15 労働・入国管理・人口省
16 社会福祉・救済・復興省
17 教育省
18 保健・スポーツ省 *
19 宗教・文化省
大統領府
(大臣ポスト1)
21 民族省(新設)
22 国家顧問府(新設) **
20
(出所)各種報道より筆者作成。
(注)順番は便宜的なもので,序列を表しているものではない。
*保健省が,5月25日に保健・スポーツ省に改称。
**国家顧問府の設立は,新政権発足後の5月10日に議会承
7
機動研究中間報告『ミャンマー新政権の発足--2015 年総選挙の過程と結果--』アジア経済研究所 2016 年
大 臣 が任 命 されることとなった。
3 月 30 日 の正 副 大 統 領 就 任 によって新 政 権 が発 足 した。当 初 は,まだ存 在 しなかっ
た国 家 顧 問 府 付 大 臣 を除 く 21 ポストに対 して 18 人 の閣 僚 が任 命 された (
13)
。18 人 の
閣 僚 の筆 頭 はスーチー氏 であり,外 務 大 臣 ,大 統 領 府 付 大 臣 ,電 力 ・ エネルギー大 臣 ,
教 育 大 臣 の 4 ポスト兼 任 であった。外 務 大 臣 への就 任 は,彼 女 の国 際 社 会 での知 名 度
と 影 響 力 を十 分 に 発 揮 するのに 適 している 。か ねてよ り,大 統 領 に 就 任 できないス ーチ
ー氏 が外 交 の場 にどう臨 席 するかが問 われたとき,スーチー氏 は「私 はその場 に立 ち会
うことに なる」 ,「 彼 ( 大 統 領 )は私 の 脇 に 座 る こと ができる」と 述 べ てきたが ,外 務 大 臣 の
立 場 はそうした状 況 を可 能 にするものであった (
14)
。それのみならず,外 務 大 臣 就 任 は,
国 政 の重 要 機 関 である国 防 治 安 評 議 会 への出 席 をも可 能 にする。国 防 治 安 評 議 会 は,
正 副 大 統 領 3 人 ,連 邦 議 会 両 院 議 長 ,国 軍 最 高 司 令 官 および副 司 令 官 ,国 防 大 臣 ,
外 務 大 臣 ,内 務 大 臣 ,国 境 大 臣 の 11 人 から構 成 され(憲 法 第 201 条 ),三 権 の国 軍 最
高 司 令 官 への委 譲 を伴 う国 家 非 常 事 態 宣 言 の発 出 に関 与 する(同 第 417,418 条 )。こ
の 11 人 のうち,国 軍 最 高 司 令 官 と副 司 令 官 ,国 防 ,内 務 ,国 境 の 3 大 臣 の 5 人 は現
役 軍 人 であり,副 大 統 領 の 1 人 は軍 人 議 員 団 によって選 出 されるので,過 半 数 を軍 関
係 者 が占 めることになるが,NLD政 権 にとっては国 軍 指 導 層 との協 議 を可 能 にする枠 組
みでもある。正 副 大 統 領 にはなれないスーチー氏 が国 防 治 安 評 議 会 に出 席 する道 は,
両 院 議 長 か外 務 大 臣 に なる しかなか った 。外 務 大 臣 への 就 任 は,立 法 府 の 議 事 運 営
に専 心 するのではなく,執 政 府 の内 部 か ら政 権 の 舵 取 りをする ことを選 択 した 結 果 であ
ったろう。しかし,やはり 4 ポスト兼 任 の負 担 は過 重 であったのか,まもなく,電 力 ・エネル
ギー大 臣 と教 育 大 臣 については別 の人 物 が任 命 されることになった(4 月 5 日 )。さらに 5
月 17 日 に国 家 顧 問 府 付 大 臣 が任 命 されたため,新 政 府 閣 僚 の顔 ぶれは以 下 のように
なった(表 4-4) (
15)
。
8
機動研究中間報告『ミャンマー新政権の発足--2015 年総選挙の過程と結果--』アジア経済研究所 2016 年
役職
名前
所属政党 1) 2015選挙 年齢 性別
民族
表4―4 閣僚名簿
宗教 学歴
前職(2015年選挙前)
外務大臣 兼 大統領府付大臣
アウンサンスーチー
NLD
下院議員 70 女性 ビルマ
仏教 修士
下院議員,NLD議長,[1990年選挙出馬]
内務大臣
チョースェ
国軍
不出馬
56 男性 ビルマ
仏教 修士
現役軍人(中将),国境大臣,[元保安局長,元陸軍参謀長,元第5特別作戦室長,元第6特別作戦
国防大臣
セインウィン
国軍
不出馬
59 男性 ビルマ
仏教 修士
現役軍人(中将),国防大臣(留任),[元防空局長]
国境大臣
イェアウン
国軍
不出馬
55 男性 ビルマ
仏教 修士
現役軍人(中将),[元軍法務部長]
国家顧問府付大臣 2)
チョウティンスェ
―
不出馬
71 男性 ?
?
情報大臣
ペーミン
NLD
不出馬
66 男性 ヤカイン
仏教 大卒
宗教・文化大臣
アウンコー
落選
68 男性 ビルマ
仏教 大卒
下院議員,[退役軍人,元宗教副大臣,元科学技術副大臣]
農業・畜産・灌漑大臣
アウントゥー
NLD
上院議員 60 男性 ビルマ
仏教 博士
ヤンゴン大学学長
運輸・通信大臣
タンズィンマウン
NLD
下院議員 62 男性 ビルマ
仏教 修士
[元ミャンマー鉄道事業部長]
天然資源・環境保全大臣
オウンウィン
―
不出馬
64 男性 ビルマ
仏教 修士
ミャンマー統合開発研究所(NPO)水源地治山対策顧問,[元イェズィン林業大学教授]
電力・エネルギー大臣 2)
ペーズィントゥン
―
不出馬
59 男性 ビルマ
仏教 大卒
エネルギー省事務次官,[元ミャンマー石油ガス公社職員]
労働・入国管理・人口大臣
テインスェ
下院議員 66 男性 ビルマ
仏教 大卒
下院議員,USDP中央顧問,[退役軍人,元運輸大臣]
工業大臣
キンマウンチョー
65 男性 ビルマ
仏教 大卒
スーパー・セブン・スターズ・モーターズ・インダストリー社エグゼクティブ・エンジニア
商業大臣
タンミン
教育大臣 2)
ミョーテインヂー
―
不出馬
50 男性 ビルマ
仏教 博士
ヤンゴン西部大学学長
保健・スポーツ大臣 3)
ミントゥエ
―
不出馬
67 男性 ビルマ
仏教 博士
退職,[元保健省官僚,元WHO職員]
計画・財務大臣
チョーウィン
建設大臣
ウィンカイン
65 男性 ビルマ
仏教 大卒
ユナイテッド・エンジニアリング社会長兼最高経営責任者,[元ミャンマー石油ガス公社職員]
社会福祉・救済・復興大臣
ウィンミャッエー
NLD
上院議員 61 男性 ビルマ
仏教 博士
ミャンマー医師協会中央執行委員,小児科医,[元マグウェー医科大学学長]
ホテル・観光大臣
オウンマウン
NLD
不出馬
68 男性 イン+シャン
仏教 高卒
退職,[元インレー・プリンセス・リゾート最高経営責任者,1990年選挙出馬]
民族大臣
ナインテッルィン
MNP
不出馬
75 男性 モン
仏教 大卒
MNP副議長,[1990年選挙出馬]
USDP4)
USDP4)
―
NLD
NLD
―
不出馬
下院議員 73 男性 ビルマ
下院議員 68 男性 ビルマ
不出馬
大卒
[元国際連合ミャンマー政府代表特命全権大使・常駐代表,元ミャンマー国家人権委員会副委員長
作家,ジャーナリスト,医者
仏教 博士? NLD経済委員会委員,[元官僚,元国連職員]
仏教 博士? 経済コンサルタント,[元官僚]
(出所)表4-1と同じ。
(注) 2016年5月17日現在。ただし,所属政党や年齢は就任時のもの。
1) 政党名は,NLD:国民民主連盟,USDP:連邦団結発展党,MNP:モン民族党。
2) 新政権発足(3月30日)より後に任命されたのは,電力・エネルギー大臣および教育大臣(4月5日)と国家顧問府付大臣(5月17日)。
3) 保健・スポーツ大臣は5月25日に保健大臣から改称。
4) アウンコー大臣とテインスェ大臣は4月22日にUSDPから除籍された。
合 計 21 人 の閣 僚 のうち,国 軍 最 高 司 令 官 が指 名 する内 務 ,国 防 ,国 境 大 臣 を除 い
た 18 人 が NLD つまりスーチー氏 の人 選 によると考 えられる。彼 らのプロフィールをみると,
スーチー氏 の閣 僚 人 事 は,NLD による明 示 的 な閣 僚 ポストの独 占 を避 けたものであり,
かつ,党 内 の論 功 行 賞 の意 味 合 いは薄 く,政 治 活 動 歴 よりも実 務 能 力 や学 歴 を重 視 し
たものであったことがうかがわれる。
まず,18 閣 僚 の構 成 を出 身 政 党 からみてみると,報 道 などをみるかぎり,NLD 党 員 で
あることが明 示 されているのは 8 人 と半 数 に満 たず,USDP がふたり,モン民 族 党 (Mon
National Party: MNP)がひとりであり,残 りの 7 人 は特 定 の政 党 に所 属 していないと思 わ
れる。NLD 党 員 には比 較 的 新 しい入 党 者 が多 いようである。1990 年 選 挙 に NLD から
出 馬 したのはスーチー氏 のほかは,ホテル・観 光 大 臣 となったオウンマウン氏 しかいない。
オウンマウン氏 も 1990 年 選 挙 後 に投 獄 されてからは,政 治 活 動 と距 離 をおいてインレー
湖 でのホテル経 営 と社 会 事 業 に専 心 しており,NLD に再 入 党 したのは 2012 年 のことだ
という。
USDPのアウンコー宗 教 ・文 化 大 臣 とテインスェ労 働 ・入 国 管 理 ・人 口 大 臣 は,いずれ
も退 役 軍 人 で軍 事 政 権 期 もしくはUSDP 政 権 期 に閣 僚 を経 験 している。両 者 とも,報 道
でシュエマン氏 との近 さが指 摘 されている (
16)
9
。政 権 発 足 後 の 4 月 22 日 ,これらのふたり
機動研究中間報告『ミャンマー新政権の発足--2015 年総選挙の過程と結果--』アジア経済研究所 2016 年
とシュエマ ン 氏 お よび 同 氏 の 率 いる 法 務 ・ 特 別 問 題 検 討 委 員 会 に 名 を連 ね るUSDP 党
員 の合 計 17 人 がUSDP中 央 執 行 委 員 会 によって党 から除 籍 された。
そして,新 設 ポストの民 族 大 臣 には,少 数 民 族 政 党 MNP のナインテッルィン副 議 長
が就 任 した 。同 氏 は半 世 紀 にわた って反 体 制 活 動 に 携 わ っ てきた 政 治 家 であ り, 1990
年 選 挙 にはモーラミャイン選 挙 区 から出 馬 していたが,今 回 の 2015 年 選 挙 には参 加 し
ていなかった。
職 業 でみると,2015 年 選 挙 で議 席 を獲 得 した現 職 議 員 は 18 人 中 7 人 にすぎず,議
会 外 からの登 用 が目 立 つ。今 回 の選 挙 以 前 の職 歴 をみても,第 1 期 連 邦 議 会 の議 員
であったのは NLD のスーチー氏 のほか,USDP のふたりだけであり,その他 は大 学 の学
長 や 研 究 者 , 医 療 関 係 者 ,国 営 企 業 職 員 ,官 僚 ,一 般 企 業 の 経 営 者 などが 多 い 。ま
た,学 歴 では,一 部 で自 己 申 告 した学 歴 に問 題 を指 摘 された大 臣 もいたが,修 士 号 や
博 士 号 を取 得 している大 臣 の数 が多 いことも特 徴 である。
3. 管 区 域 ・州 首 相 およびネーピードー評 議 会 委 員 長
管 区 域 ・ 州 政 府 の 首 相 は当 該 の 管 区 域 ・ 州 議 会 議 員 の なかか ら大 統 領 が 任 命 し,
各 管 区 域 ・州 議 会 は実 質 的 にその任 命 を拒 否 することができない(第 3 章 参 照 )。NLD
は 管 区 域 ・ 州 政 府 に 関 し ては 14 人 す べ てを NLD 当 選 議 員 か ら 選 出 し た ( 表 4 - 5 )
( 17)
。
エーヤーワディー管区域首相マンジョニー
表4―5 管区域・州首相およびネーピードー評議会委員長
学歴
前職(2015年選挙前)
民族
宗教
政党 年齢 性別
大卒 歯科医
カチン
キリスト教
NLD
70 男性
NLD
37 男性 カヤー,
大卒 郡役所勤務
仏教
シャン
大卒 下院議員,NLD中央執行委員,[1990年選挙出馬]
カイン
仏教
NLD
61 女性
NLD
61 男性
チン
キリスト教
大卒 退職,[元県法務官]
ビルマ
仏教
大卒 ゴム農園経営,NLDビーリン郡副議長,[1988年学生
NLD
45 男性
運動指導者]
仏教
大卒 NLDヤカイン州議長,[1990年選挙出馬]
NLD
60 男性 ヤカイン
56 男性
ビルマ
仏教
大卒 歯科医
NLD
ビルマ
仏教
大卒 医師,[1990年選挙出馬]
NLD
64 男性
キリスト教
大卒 開業医,NLD中央執行委員
NLD
50 女性
ビルマ
NLD
52 男性
ビルマ
仏教
大卒 農民
NLD
57 男性
ビルマ
仏教
大卒 下院議員,NLD中央執行委員,[1990年選挙出馬]
ビルマ
仏教
大卒 下院議員,NLD中央執行委員,[1990年選挙出馬]
NLD
64 男性
ビルマ
仏教
NLD
46 男性
大学中 下院議員,NLD中央委員,[1988年学生運動指導者]
退
NLD
74 男性
カイン
キリスト教
大卒 下院議員,[1990年選挙出馬]
ネーピードー評議会委員長 ミョーアウン
NLD
役 職
カチン州首相
カヤー州首相
名 前
カッアウン
エルパウンショー
カイン州首相
チン州首相
モン州首相
ナンキントゥエミン
サライリアンルアイ
ミンミンウー
ヤカイン州首相
シャン州首相
ザガイン管区域首相
タニンダーイー管区域首相
バゴー管区域首相
マグウェー管区域首相
マンダレー管区域首相
ヤンゴン管区域首相
ニープ
リントゥッ
ミンナイン
レーレーモー
ウィンテイン
アウンモーニョー
ゾーミンマウン
ピョーミンテイン
65
男性
ビルマ
仏教徒
大卒
(出所) 表4―1と同じ。
(注) カヤー州のエルパウンショー首相の名前にある「エル」はローマン・アルファベットのL。
10
下院議員,NLD中央執行委員,医師,[2015年選挙
も下院で当選]
機動研究中間報告『ミャンマー新政権の発足--2015 年総選挙の過程と結果--』アジア経済研究所 2016 年
14 人 のプロフィールを概 観 すると,NLDの管 区 域 ・州 首 相 たちは大 きくふたつの類 型
に分 けられそうである。第 1 の類 型 は,NLDの古 株 で,1988 年 の民 主 化 運 動 や 1990 年
選 挙 に参 加 し,以 後 ,政 治 犯 として投 獄 される経 験 をしつつも政 治 活 動 を続 行 してきた
人 たちである。2012 年 補 欠 選 挙 で議 席 を獲 得 した者 も多 い。マンダレー管 区 域 のゾーミ
ンマウン首 相 ,マグウェ ー管 区 域 のアウンモーニ ョー首 相 ,カイン 州 のナンキントゥエミン
首 相 などのNLD中 央 執 行 委 員 が典 型 的 で,モン州 ,ヤカイン州 ,ザガイン管 区 域 ,ヤン
ゴン 管 区 域 ,エ ー ヤーワ ディー 管 区 域 の 首 相 た ちも この 類 型 に 含 め られ るだろ う。例 外
的 なのがタニンダーイー管 区 域 のレーレーモー首 相 で,NLDへの入 党 は 2012 年 と遅 い
ものの,中 央 執 行 委 員 に取 り立 てられている。この類 型 については,中 央 での議 員 経 験
者 を送 り込 むことによる管 区 域 ・州 議 会 の活 性 化 ,信 頼 のおける党 員 を首 相 に任 命 する
ことでの中 央 と地 方 とのパイプの強 化 ,党 内 功 労 者 への論 功 行 賞 といった意 図 があった
のではないかと思 われる (
18)
。
第 2 の類 型 は,政 治 活 動 歴 が短 く,NLDとのかかわりも薄 い人 たちである。カチン州 ,
カヤー州 ,チン州 ,シャン州 ,バゴー管 区 域 の各 首 相 は,ほとんど政 治 経 験 のないところ
から,2015 年 選 挙 に参 加 する際 にNLDの党 員 になった (
19)
。第 2 類 型 の人 選 がなぜ行
われたのか,第 1 類 型 の地 域 と第 2 類 型 の地 域 とで何 がちがうのか,現 時 点 ではわから
ないことが多 い。しかし,プロフィールの概 略 をみただけの印 象 によれば,第 1 類 型 と比
べると第 2 類 型 の首 相 の人 選 は,より場 当 たり的 で,戦 略 性 に欠 ける人 選 のようにみえる。
第 2 類 型 の地 域 は,バゴー管 区 域 を除 いて,山 地 部 に位 置 する州 である。これらの州 で
は,首 相 の人 選 以 前 にまずは選 挙 に勝 つことが課 題 であったため,中 央 執 行 委 員 会 か
ら落 下 傘 候 補 を 送 り 込 む よ りは, 少 数 民 族 出 身 者 などの 地 元 の 人 材 を即 席 の NLD 党
員 に仕 立 てて候 補 者 として擁 立 する戦 略 がとられたのかもしれない。
また,州 議 会 で NLD が多 数 派 を形 成 していないヤカイン州 とシャン州 では,NLD 議
員 の首 相 への任 命 が州 議 会 の反 発 を招 いた。ヤカイン州 議 会 では,47 議 席 中 23 議 席
を占 めるヤカイン民 族 党 が首 相 人 事 をめぐって NLD と交 渉 をもっていたが,要 望 が受 け
入 れられなかった。3 月 28 日 の州 議 会 で,大 統 領 による NLD 議 員 の首 相 への指 名 が
なされると,ANP 議 員 が議 場 を立 ち去 って抗 議 の意 を示 すという事 態 が発 生 した。シャ
ン州 では,最 大 の民 選 議 席 数 を獲 得 した USDP や地 元 少 数 民 族 政 党 のシャン民 族 民
主 連 盟 (Shan Nationalities League for Democracy: SNLD)からの反 発 があった。とくに
SNLD は 1990 年 から NLD と共 闘 関 係 にあった政 党 で,選 挙 直 後 から連 邦 政 府 や州 政
府 での閣 僚 ポストが期 待 されていた。しかしながら,両 党 間 の交 渉 が決 裂 し,結 局 のとこ
11
機動研究中間報告『ミャンマー新政権の発足--2015 年総選挙の過程と結果--』アジア経済研究所 2016 年
ろ SNLD は閣 僚 ポストをひとつも得 られなかった。
最 後 に,ネーピードー連 邦 直 轄 地 を管 轄 するネーピードー評 議 会 委 員 長 について付
言 しておこう。ネーピードー評 議 会 委 員 長 は大 統 領 によって任 命 され,その序 列 は管 区
域 ・州 首 相 よりも高 い。このポストには,2015 年 選 挙 で下 院 に当 選 していたアウンミョー
氏 が任 命 された。同 氏 は古 参 NLD 党 員 で中 央 執 行 委 員 でもあるという点 で,管 区 域 ・
州 首 相 の第 1 類 型 と似 た人 選 である。ただ,管 区 域 ・州 首 相 が各 地 方 議 会 の議 席 を失
わないのに対 し,ネーピードー評 議 会 委 員 は連 邦 政 府 の閣 僚 と同 様 に議 員 を辞 職 する
必 要 がある。
第 2節
アウンサンスーチー政 権 の始 動
1. 国 家 顧 問 ポストの創 設
3 月 30 日 に新 体 制 が発 足 したのち,NLD が起 こした最 初 の行 動 は国 家 顧 問 法 案 の
提 出 であった。この法 案 は,国 家 顧 問 という新 た なポストをつくり出 すことによって,国 政
への「助 言 」をする権 限 をスーチー氏 個 人 に与 えるものであり,実 質 的 に政 権 を握 るスー
チー氏 の名 目 上 の地 位 をも高 める目 的 があった。連 邦 議 会 の上 下 両 院 において,法 案
は軍 人 議 員 の反 対 を押 し切 るかたちで速 やかに可 決 され,大 統 領 の署 名 を経 て 4 月 6
日 には法 律 として成 立 した(巻 末 付 録 3)。なお,4 月 29 日 ,大 統 領 府 は国 家 の序 列 を
示 したリストを公 表 した。これによると国 家 顧 問 は大 統 領 に次 ぐ第 2 位 におかれ,ふたり
の副 大 統 領 をはじめ,ほかのいかなるポストよりも高 い地 位 とされている。
では,国 家 顧 問 とは具 体 的 にどのような存 在 であろうか。法 律 の条 文 によるとポスト創
設 の前 提 となる目 的 は,これまでも NLD が繰 り返 してきた複 数 政 党 民 主 主 義 の促 進 ,
市 場 経 済 制 度 の 堅 持 , フェデ ラル連 邦 国 家 の 建 設 ,連 邦 の 平 和 と 発 展 とい った ことに
おかれている(前 文 ,第 3 条 )。さらに,国 家 顧 問 の職 務 はそれらの目 的 を達 成 するため
に,「憲 法 の規 定 に違 反 せず,国 家 と国 民 の福 利 のために助 言 を与 える」(第 5 条 (a)
項 ) こと と あ る 。国 務 顧 問 は連 邦 議 会 に よ って 任 命 され , 助 言 と 職 務 遂 行 に あた っては
連 邦 議 会 に対 して責 任 を負 う(第 5 条 (b)項 )。ただし,助 言 の中 身 については特 段 の
記 述 がなく,助 言 を与 える対 象 についても「政 府 ,関 係 当 局 ,団 体 組 織 ,協 会 組 織 ,個
人 と連 絡 をとって職 務 を遂 行 できる」(第 5 条 (c)項 )と一 般 名 詞 が連 ねてあって,ほぼ無
12
機動研究中間報告『ミャンマー新政権の発足--2015 年総選挙の過程と結果--』アジア経済研究所 2016 年
限 定 といえる 。他 方 で ,この法 律 は条 文 のなか に,国 家 顧 問 の 任 命 を受 ける 者 としてス
ーチー氏 個 人 の名 前 を挙 げている(第 4 条 )。また,法 律 の効 力 自 体 がティンチョー大
統 領 の就 任 期 間 のみに限 られている(第 7 条 )。すなわち,国 家 顧 問 はスーチー氏 個 人
のための時 限 的 ポストであるが,その権 限 は曖 昧 であり,「助 言 」というかたちでさまざまな
方 面 に影 響 力 を行 使 することが正 当 化 されているのである。
連 邦 議 会 における軍 人 議 員 の反 対 は,この権 限 の曖 昧 さに関 する批 判 として提 出 さ
れた。とくに執 政 府 の閣 僚 であるスーチー氏 が立 法 府 へ影 響 力 を行 使 し 得 ることは,憲
法 第 11 条 に記 された三 権 分 立 に抵 触 するのではないかという疑 念 が示 されるとともに,
時 間 をかけて法 案 を修 正 することが要 求 された。しかし,議 席 の過 半 数 を占 める NLD 議
員 たちによって法 案 はなんの修 正 もなく速 やかに可 決 されることとなった。
さらに,ティンチョー大 統 領 は 5 月 3 日 付 けで連 邦 議 会 議 長 に宛 て,国 家 顧 問 府 とい
う新 た な省 (
20 )
の設 置 に ついて議 会 の 承 認 を求 めるメッセ ージを 送 った 。国 家 顧 問 と し
てのスーチー氏 のオフィスを設 立 するという動 きである。連 邦 議 会 議 長 は議 会 に対 して,
この件 について議 論 を望 む議 員 は 9 日 までにその旨 を申 し出 るように通 知 したが,結 局 ,
誰 からも反 対 意 見 は提 出 されなかった。このため,5 月 10 日 に大 統 領 の新 省 設 立 の提
案 はそ の ま ま 議 会 に 承 認 され た 。こ うした 波 風 の 立 た ない 展 開 は ,国 家 顧 問 法 の 成 立
時 とは対 照 的 であったが,野 党 議 員 や軍 人 議 員 からは反 対 をしても 無 駄 であると,あき
らめの声 も聞 かれた (
21)
。
5 月 17 日 には,国 家 顧 問 府 付 大 臣 も任 命 された。スーチー氏 の 3 ポスト兼 任 も噂 さ
れたが,任 命 されたのはチョーティンスェ氏 であった。同 氏 は,1968 年 に外 務 省 に入 省
したベテランの外 交 官 であり,軍 事 政 権 下 の 2001 年 から 2009 年 にかけては国 際 連 合 ミ
ャンマー政 府 代 表 特 命 全 権 大 使 兼 常 駐 代 表 を務 めた。テインセイン政 権 下 では,同 政
権 によって設 立 された国 家 人 権 委 員 会 の副 委 員 長 に就 任 した。こうした豊 富 な実 務 経
験 に加 えて,チョーティンスェ氏 には,2012 年 末 に組 織 されたレッパダウン銅 鉱 山 開 発
計 画 に 関 する調 査 委 員 会 (
22)
でスーチー氏 と 協 働 した経 験 があり,これ らのことが考 慮
されての登 用 であったと思 われる。
本 章 執 筆 時 では,まだ国 家 顧 問 府 の人 員 規 模 や予 算 についての詳 細 は不 明 である
が,政 権 発 足 直 後 から,国 家 顧 問 ポスト 創 設 とい う奇 手 をきっか けとして,着 々とスーチ
ー氏 の権 力 基 盤 の強 化 が進 められているという状 況 にあるといえる。
2. 民 族 問 題 への取 り組 み
13
機動研究中間報告『ミャンマー新政権の発足--2015 年総選挙の過程と結果--』アジア経済研究所 2016 年
ミャンマーで半 世 紀 以 上 にわたって続 いてきた民 族 紛 争 と内 戦 の問 題 について,スー
チー国 家 顧 問 はミャンマーの新 年 を祝 う 4 月 の水 祭 りの際 に国 民 に向 けたメッセージの
なかで,前 政 権 のこの問 題 への取 り組 みを評 価 し,その基 礎 のうえに立 って国 内 和 平 の
達 成 をめざす旨 を述 べた(巻 末 付 録 4)。テインセイン政 権 は選 挙 前 の 2015 年 10 月 に,
8 つの少 数 民 族 武 装 組 織 と全 国 停 戦 協 定 に署 名 し,この協 定 に基 づいて停 戦 監 視 の
ための共 同 監 視 委 員 会 (Joint Monitoring Committee: JMC)と政 治 対 話 を準 備 するた
めの連 邦 平 和 対 話 共 同 委 員 会 (Union Peace Dialogue Joint Committee: UPDJC)が
設 立 された。これらの共 同 委 員 会 は政 府 側 と 8 つの署 名 組 織 側 の代 表 などから構 成 さ
れる。スーチー 氏 はこうした状 態 を引 き 継 ぎ ,国 内 和 平 に 向 けて取 り組 んでゆくことに な
る。
しかし,ミャンマーには 20 近 い数 の少 数 民 族 武 装 組 織 が存 在 し,上 記 の協 定 に署 名
した 8 組 織 はその一 部 にすぎない。これは,国 軍 と戦 闘 中 にある 3 組 織 を停 戦 協 定 に含
めないという前 政 権 および国 軍 の姿 勢 が,当 初 は全 組 織 が参 加 する包 括 的 協 定 をめざ
していた 少 数 民 族 武 装 組 織 側 の 足 並 み を崩 し たた めで ある 。今 後 の 国 内 和 平 の 進 展
は,国 軍 と戦 闘 中 の組 織 や,協 定 に署 名 しなかった組 織 をどのように和 平 プロセスに参
画 させられるかにかかっている。
4 月 末 ,スーチー氏 は 2 カ月 以 内 にすべての勢 力 が参 加 する「21 世 紀 のパンロン会
議 」を開 催 するという方 針 を明 かした。これは同 氏 の父 アウンサンがイギリスからの独 立 直
前 の 1947 年 に開 催 したパンロン会 議 に倣 ったものである。アウンサンは少 数 民 族 代 表
の集 まるパン ロン 会 議 の 席 上 で ,ビ ルマ 民 族 と 諸 少 数 民 族 とが平 等 の 権 利 を 有 する 連
邦 制 国 家 の樹 立 を約 束 したといわれており,ミャンマーではパンロンの名 は「真 の連 邦 制 」
を象 徴 するものとして知 られている (
23)
。
「21 世 紀 のパンロン会 議 」開 催 準 備 のための委 員 会 が設 けられ,その委 員 長 にはス
ーチー氏 の 側 近 であるティンミョーウィン 氏 が ,副 委 員 長 にはチョーティ ンスェ国 家 顧 問
府 付 大 臣 が選 任 された。ティンミョーウィン氏 は,1988 年 の民 主 化 運 動 にかかわった活
動 家 であるだけでなく ,長 くスーチー 氏 の 主 治 医 を務 め ,彼 女 が 軍 事 政 権 下 で 自 宅 軟
禁 されていたときに定 期 的 に面 談 することができた数 少 ない人 物 のうちのひとりでもある。
そのため,2015 年 の選 挙 後 に,同 氏 は大 統 領 の有 力 候 補 としてメディアに取 り沙 汰 され
た。結 局 ,大 統 領 には選 ばれず,「協 議 調 整 担 当 」という肩 書 で少 数 民 族 問 題 に当 たる
こととなった。「協 議 調 整 担 当 」の職 掌 の詳 細 は不 明 であるものの,「21 世 紀 のパンロン
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機動研究中間報告『ミャンマー新政権の発足--2015 年総選挙の過程と結果--』アジア経済研究所 2016 年
会 議 」 準 備 委 員 会 に お い て,ティ ンミ ョー ウィ ン 氏 は上 記 の 停 戦 協 定 に まだ 署 名 してい
ない武 装 組 織 との折 衝 を担 当 するサブ委 員 会 の委 員 長 も兼 任 する。同 氏 が,今 後 のミ
ャンマーにとってきわめて重 要 な国 内 和 平 の問 題 を任 せられた背 景 には,彼 に軍 医 とし
てのキャリアがあり,国 軍 内 でも信 望 が篤 いためであるという見 方 がある
24
。その真 偽 は
さてお き , 国 内 和 平 の 達 成 に 少 数 民 族 武 装 組 織 と の み な らず , 彼 らと 長 年 に わ た っ て
戦 闘 してきた国 軍 との協 働 が不 可 欠 であることは間 違 いない。
おわりに
てんまつ
国 家 顧 問 法 案 の審 議 過 程 の 顛 末 は,今 後 5 年 間 のミャンマー政 治 の構 図 を予 見 さ
せるものであった (
25)
。連 邦 議 会 は政 党 間 の協 議 の場 というよりも,NLDと国 軍 との対 決
の場 となり,そこにおいては国 軍 の反 対 意 見 にもかかわらず,議 席 の過 半 数 を占 める
NLDの意 向 どおりに法 律 が制 定 されるのである。ただし,ネックとなるのは憲 法 改 正 であ
ろう。全 議 席 の 4 分 の 1 を保 持 する国 軍 は憲 法 改 正 に対 する拒 否 権 を握 っている。
NLDが憲 法 改 正 に踏 み込 もうとすれば,国 軍 との対 決 は免 れない。NLDが 5 年 の任 期
中 に憲 法 改 正 に向 けた具 体 的 な行 動 を起 こすかどうか,起 こすとすればどのようなタイミ
ングでどのような行 動 をと るのか,ということが国 家 と政 権 の安 定 にとって大 きな意 味 をも
つことになる。
また,過 去 5 年 間 のテインセイン政 権 下 で一 定 の成 果 のみられた少 数 民 族 武 装 勢 力
との停 戦 と政 治 対 話 のプロセスをどのように引 き継 いでいくかも重 要 である。停 戦 の実 効
性 を確 保 するには国 軍 の協 力 が不 可 欠 であるが,他 方 で少 数 民 族 武 装 勢 力 との政 治
対 話 に おい ては「 フェ デ ラル連 邦 制 」 の 言 葉 に 象 徴 され る 地 方 分 権 化 の 進 展 が 求 め ら
れ,そうした体 制 の改 革 は必 然 的 に憲 法 改 正 を伴 うことになる。連 邦 レベルでの体 制 変
換 が難 しいこともさることながら,この問 題 は国 軍 と複 数 の少 数 民 族 武 装 組 織 や少 数 民
族 政 党 とい った 多 様 な当 事 者 が 絡 み ,また,紛 争 地 ごとに 特 殊 な事 情 をもつ 複 雑 な問
題 であり,停 戦 と政 治 対 話 のプロセスの難 航 が予 想 される。
NLD とその 他 の 政 党 と の関 係 は現 状 におい ては相 対 的 に 重 要 性 が 劣 るものの,今
後 の NLD の政 治 手 法 を占 ううえで示 唆 的 である。新 政 権 発 足 後 ,NLD は議 会 議 長 や
執 政 府 閣 僚 などの重 要 役 職 ではそれなりにバランスのとれた慎 重 な人 事 を行 っているよ
う に み え る 。 た と え ば , NLD に よ る ポ ス ト の 独 占 は 避 け , シ ュ エ マ ン 氏 を 中 心 と す る 旧
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機動研究中間報告『ミャンマー新政権の発足--2015 年総選挙の過程と結果--』アジア経済研究所 2016 年
USDP の一 部 勢 力 や一 部 の少 数 民 族 政 党 との連 携 が図 られた。しかしながら,国 家 顧
問 法 の制 定 や管 区 域 ・州 首 相 への NLD 議 員 の任 命 などの過 程 においては,国 軍 や地
方 議 会 の少 数 民 族 政 党 の反 対 があったにもかかわらず,方 向 修 正 や妥 協 はなされなか
ったといってよい。こうした手 法 は,シュエマン氏 らの USDP からの除 籍 や NLD と少 数 民
族 政 党 との不 協 和 音 というかたちで,広 い連 携 の余 地 を狭 めることに帰 結 しているようで
ある。NLD はこれまで,ことあるごとに国 民 和 解 と国 内 和 平 という言 葉 を繰 り返 してきたが,
それらの困 難 な課 題 を達 成 するためには,国 内 における強 力 なリーダーシップと幅 広 い
合 意 形 成 の双 方 が必 要 となる。安 定 的 な権 力 基 盤 を背 景 として NLD がこれらの課 題 に
どのように取 り組 んでいくのか,スーチー氏 の政 治 家 としての力 量 が試 されることになるで
あろう。
【注 】
(1)
与 党 主 導 の憲 法 改 正 案 策 定 の過 程 で,当 該 条 項 の改 正 案 は「嫡 出 の子 どもと
その配 偶 者 」の部 分 からの「とその配 偶 者 」の削 除 に留 められたので,たとえ改 正 が
実 現 してもスーチー氏 は大 統 領 の資 格 要 件 を満 たせなかった。さらに 2015 年 6 月
25 日 の両 院 合 同 の連 邦 議 会 で,提 出 された 6 つの改 正 案 うち,この点 を含 む 5 点
が否 決 された。憲 法 改 正 には連 邦 議 会 議 員 の 75%を超 える賛 成 が必 要 となるが,
全 議 席 の 25%が国 軍 最 高 司 令 官 の任 命 する軍 人 議 員 によって占 められるため,
国 軍 が実 質 的 拒 否 権 を有 することになる。
(2)
BBC, 5 November 2015,(http://www.bbc.com/news/world-asia-34729659),
Time, 5 November 2015,
(http://time.com/4101057/aung-san-suu-kyi-burma-myanmar-elections-nld/).
(3)
地 方 では,各 管 区 域 ・州 議 会 も 2 月 8 日 に招 集 されたようである(第 3 章 参 照 )。
(4)
おもに以 下 の記 事 に依 拠 。Myanmar Times, 29 January 2016,
(http://www.mmtimes.com/index.php/national-news/18742-speaker-profiles.ht
ml)。
(5)
ALD は 1990 年 選 挙 に参 加 したが,2010 年 選 挙 は NLD に同 調 してボイコットし
た。2010 年 選 挙 では,ヤカイン民 族 発 展 党 (Rakhine Nationalities Development
Party: RNDP)が参 加 して議 席 を獲 得 したが,2013 年 に ALD と RNDP は 2015 年
選 挙 での勝 利 をめざして合 併 し,ANP となった。ANP では RNDP 議 長 のエーマウ
ン氏 が席 次 第 1 位 ,ALD のエーターアウン氏 が席 次 第 2 位 であり,エーマウン氏 は
2015 年 選 挙 で NLD 議 員 に負 けて落 選 した。今 回 のエーターアウン氏 の上 院 副 議
長 就 任 は,事 前 に ANP 側 の了 承 を得 ずに行 われたため,ANP の分 断 を促 すもの
として党 内 の旧 RNDP 勢 力 からの反 発 を招 いている。Myanmar Times, 1 February
2016,
(http://www.mmtimes.com/index.php/national-news/18758-choice-of-deputy-sp
eaker-stokes-anp-dispute.html)。
(6)
シュエマン氏 は選 挙 前 の 2015 年 8 月 に USDP の党 役 職 から突 如 解 任 されたが,
この解 任 劇 と同 氏 の選 挙 戦 については第 1 章 を参 照 のこと。
(7)
この委 員 会 の内 実 については,シュエマン氏 の息 子 で同 委 員 会 の委 員 であったト
ーナインマン氏 へのインタビューに基 づく以 下 の記 事 を参 照 のこと。Myanmar
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機動研究中間報告『ミャンマー新政権の発足--2015 年総選挙の過程と結果--』アジア経済研究所 2016 年
Times, 10 April 2014,
(http://www.mmtimes.com/index.php/in-depth/10138-all-the-speaker-s-men.ht
ml)。
(8)
同 委 員 会 は当 初 ,下 院 の委 員 会 であったが,2 月 29 日 に連 邦 議 会 の委 員 会 とし
て再 編 された。また,シュエマン氏 とともに同 氏 に近 い複 数 の USDP 党 員 が同 委 員
会 の委 員 となっていたが,彼 らは 4 月 22 日 付 けで USDP から除 籍 された。
(9)
なお,USDP は下 院 でサイマウカン氏 (USDP 政 権 期 の副 大 統 領 )を,上 院 でキン
マウンミン氏 (同 上 院 議 長 )を副 大 統 領 候 補 として擁 立 したが,当 然 ,上 下 両 院 の
指 名 する副 大 統 領 は NLD の候 補 となった。
(10)
連 邦 議 会 議 員 657 人 のうち,現 職 の副 大 統 領 と閣 僚 4 人 が公 務 のため欠 席 ,
病欠 1 人。
(11)
Voice of America, 15 March 2016,
(http://www.voanews.com/content/brief-bio-of-newly-elected-myanmar-preside
nt-htin-kyaw/3237006.html).
(12)
Reuters, 11 March, 2016,
(http://www.reuters.com/article/us-myanmar-politics-idUSKCN0WD0BS).
(13)
政府は,正副大統領とここに挙げた大臣たちおよび連邦法務長官から構
成される。連邦法務長官にはトゥントゥンウー氏が就任した。
(14)
この発 言 は以 下 のインタビュー記 事 にある。Washington Post, 19 November
2015,
(https://www.washingtonpost.com/opinions/aung-san-suu-kyi-im-going-to-be-t
he-one-who-is-managing-the-government/2015/11/19/bbe57e38-8e64-11e5-ae1f
-af46b7df8483_story.html)。
(15)
Myanmar Times, 23 March 2016,
(http://www.mmtimes.com/index.php/national-news/nay-pyi-taw/19609-who-swho-myanmar-s-new-cabinet.html).
(16)
アウンコー氏 は 2015 年 8 月 にシュエマン氏 とともに USDP の党 役 職 から外 されて
いた。
(17)
Myanmar Times, 4 April 2016,
(http://www.mmtimes.com/index.php/national-news/19818-meet-your-chief-mi
nisters.html).なお,首 相 たちの平 均 年 齢 は 56.93 歳 で連 邦 政 府 閣 僚 と比 較 する
と 7 歳 近 く若 く,14 人 のうち女 性 が 2 人 ,少 数 民 族 出 身 者 が 6 人 ,キリスト教 徒 が
4 人 とビルマ人 仏 教 徒 男 性 の割 合 は相 対 的 に低 い。
(18)
地 方 議 会 の活 性 化 という論 点 は,以 下 のゾーミンマウン氏 へのインタビュー記 事
にもみられる。Mizzima, 17 February 2016,
(http://mizzima.com/latest-news-politics-news-opinion/zaw-myint-maung-%E2
%80%93-%E2%80%98-public-has-given-us-responsibility-it%E2%80%99s-our)
。
(19)
カチン州 のカッアウン首 相 の兄 にあたるカッテインナン氏 は第 1 期 連 邦 議 会 で少
数 民 族 政 党 所 属 の上 院 議 員 (2015 年 選 挙 では落 選 )であったが,カッアウン氏 本
人 は政 治 活 動 を行 ってこなかったという。
(20)
この新設の省の名前はビルマ語では,国家顧問の後にオフィスにあたる
言 葉 (ヨ ウ ン )と 省 に あ た る 言 葉 (ウ ン ヂ ー タ ー ナ )が 並 列 さ れ て お り , 直 訳
すれば国家顧問府省とも訳せるが日本語としては不自然である。格として
はほかの省と同じであるものの,実態としては大統領にとっての大統領府
にあたる機関が国家顧問についても設置されたものと考えられるので,こ
こでは省を国家顧問府,その大臣を国家顧問府付大臣とした。
(21)
Myanmar Times , 11 May 2016,
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機動研究中間報告『ミャンマー新政権の発足--2015 年総選挙の過程と結果--』アジア経済研究所 2016 年
( http://www.mmtimes.com/index.php/national-news/20225-mps-quiet
-as-state-counsellor-ministry-approved.html) .
(22)
軍 系 企 業 と中 国 企 業 によるレッパダウン銅 鉱 山 の開 発 計 画 は,地 元 住 民 の反
対 によって 2012 年 に問 題 化 した。政 府 は同 年 末 に開 発 計 画 続 行 の是 非 を調 査
するための委 員 会 を,スーチー氏 を委 員 長 として組 織 した。委 員 会 は,開 発 計 画
のいくつかの問 題 点 を指 摘 したが,それらを改 善 したうえで開 発 を続 行 すべきとの
結 論 をくだした。
(23)
実 際 のところ,1947 年 のパンロン会 議 には主 要 な少 数 民 族 の代 表 がそろってい
たわけではなく,また,代 表 者 が伝 統 的 な土 侯 層 に偏 っていたなどの問 題 があっ
た。
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Myanmar Times, 28 April 2016,
(http://www.mmtimes.com/index.php/national-news/20001-nld-leader-s-physici
an-tipped-to-take-part-in-peace-process.html).
(25)
ミンアウンフライン国 軍 最 高 司 令 官 は 2016 年 中 に定 年 年 齢 の 60 歳 を迎 えるが,
メディアでは退 役 までの期 間 を 5 年 間 延 長 することになったという報 道 がなされてい
る。Voice Weekly, 13 February 2016,
( http://www.thevoicemyanmar.com/index.php/news/item/9832-bgm ) [ ビ ル マ 語 ] ,
Myanmar Times, 15 February 2016,
(http://www.mmtimes.com/index.php/national-news/nay-pyi-taw/18983-lost-intransition-negotiations-hit-a-snag.html)。これが真 実 であれば,今 後 5 年 間 ,スー
チー氏 とミンアウンフライン最 高 司 令 官 とが対 峙 し続 けることになる。
〔参 考 文 献 〕
<ウェブサイト>
BBC
Mizzima
Myanmar Times
Reuters
Voice of America
Voice Weekly
Washington Post
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