資源昆虫学研究室 担当 池田 素子 先生 核多角体病ウイルスの昆虫(サクサン)培養細胞への感染性について実習を行います. 2 つの資料を読んで,核多角体病ウイルスについて理解しておいてください. 蚕糸・昆虫バイオテック 76(2)、107−114(2007) SANSHI-KONCHU BIOTEC バキュロウイルス概説 ─特集「展開するバキュロウイルス・ バイオサイエンス」にあたって─ 小林 迪弘*・池田 素子(名古屋大学大学院生命農学研究科) 勝間 進(東京大学大学院農学生命科学研究科) 姜 媛瓊(独立行政法人理化学研究所) 1.はじめに の姿を電子顕微鏡で捉えたときに始まった。バキュロウ イルスの研究は,養蚕が盛んであったわが国ではカイコ の保護という観点から,欧米では害虫の防除を目的とし ス科(Family Baculoviridae)に属するウイルスの総称で て,当初は昆虫個体を用いて精力的な研究が進められて ある。バキュロウイルスには, 核多角体病ウイルス(NPV, きた。その後,1970 年代にはいり,昆虫培養細胞系の Genus nucleopolyhedrovirus)と顆粒病ウイルス(GV, Ge- 利用が可能になり,プラーク法(plaque assay)による nus granulovirus)の 2 つの属のウイルスが含まれるが, NPV のクローニングと定量に成功すると(15) ,NPV の バキュロウイルスについての研究は,NPV に関するも 増殖特性や遺伝子発現などについての情報が急速に蓄積 のが圧倒的に多く,GV を対象としたものは多くはない。 した。この昆虫細胞培養技術と,折しも急速な進歩をみ 真核細胞における外来遺伝子の発現ベクターとして広く せていた分子生物学や遺伝子操作の技術とが相まって, 知られているバキュロウイルス発現ベクターは,NPV NPV に関する分子レベルの研究が加速度的に進展した。 を素材として構築されたベクターである。 これらの研究は,1980 年代前半に,わが国の前田のグ NPV は害虫の微生物的防除の格好の資材として,古 ループと米国の Summers のグループによって開発され くから昆虫病理研究者の間で注目を浴びてきたウイルス た,いわゆるバキュロウイルス発現ベクターとして結実 でもある(18,28) 。また,養蚕関係の研究者や技術者 する(24,25,32) 。 には,カイコの重要疾病である核多角体病(nucleopoly- バキュロウイルスベクターは,真核細胞における外来 hedrosis)の病原ウイルスとして恐れられてきた。NPV 遺伝子の発現ベクターとして,さまざまな分野の多くの に感染したカイコ幼虫は,体色の変化や環節間膜の隆起, 研究者に有効利用され続けている。最近では,バキュロ 異常徘徊行動など,きわめて特異な外部病徴を示し,終 ウイルス発現ベクターをより効果的に活用するため,形 局的には破損した皮膚から,多数の多角体で白濁した体 質転換昆虫培養細胞系や,ヒトや動物での機能発現に適 液(膿(うみ)に似ているので膿汁 grassery juice とよば した翻訳後修飾を保証する昆虫細胞系の作出などにも積 れている)を漏出して斃死する。これにより,カイコの 極的な努力が払われている(7,13)。また,バキュロウ 核多角体病は養蚕現場では膿病(jaundice)とよばれて イルスは,害虫防除や発現ベクターの素材としての利用 きた。 に加えて,遺伝子治療のための遺伝子導入ベクターや バキュロウイルスに関する研究は,19 世紀半ばにそ (16,33) ,分子生物学研究や遺伝子導入のツールとして の萌芽をみることができるが,実質的な研究は,1940 の表面展示(surface display) (26) ,自然免疫誘導剤など 年代後半に Bergold が多角体から精製したウイルス粒子 として利用することを目指した(1,2,33)幅広い研究 が活発に行われている。 *〒464-8601 名古屋市千種区不老町 連絡先:[email protected] バキュロウイルスに関する研究は,ともすると応用面 の研究に目を奪われがちではあるが,一般生物学の分野 107 蚕糸・昆虫バイオテック Vol.76 No.2 バキュロウイルス(baculovirus)は,バキュロウイル SANSHI-KONCHU BIOTEC Vol.76 No.2 においても,従来から多くの貢献をしており,今後も大 は,制限酵素による切断パターンを比較する(遺伝子多 きく寄与することが期待される。卑近な例を 2,3 あげ 型解析)ことにより容易に知ることができる(21, ると,最近盛んなアポトーシス研究で必ず引き合いに出 22) 。野外の昆虫から採集した NPV をクローニングし, されるアポトーシス阻害因子 IAP(inhibitor of apoptosis) 各クローンのゲノム DNA の制限酵素による切断パター は,Cydia pomonella GV で発見されたものであり(6) , ンを比較すると,全体としての切断パターンには大きな さまざまな昆虫の形質転換に汎用されているトランス 違いは認められないが,微妙に異なる切断パターンをも ポ ゾ ン piggyBac は,Galleria mellonella NPV の FP(few つクローンがいくつも認められる場合が多い(20) 。こ polyhedra)変異株の解析を通して,宿主細胞として用い れらは変異体(variant)として扱う。 ていた TN-368(Trichoplusia ni)細胞から見つけられた(5, NPV の英名は,かつては nuclear polyhedrosis virus を 9,10) 。また,ややひいき目で,古い話をすると,ワト 用いていたが,現在は nucleopolyhedrovirus に改められ ソンとクリックが DNA の二重らせん構造モデルを考案 ている。同様に, GV も granulosis virus を使用していたが, する際に重要なヒントを与えた,アデニン(A)とチミ 現在は granulovirus になっている。 ン(T) ,およびグアニン(G)とシトシン(C)の間の グループⅠ NPV とグループⅡ NPV:各種チョウ目昆 モル比の一致は,われわれには著名な昆虫生理学者とし 虫から分離した NPV は,多角体遺伝子(polh)の系統 て馴染みの深い Wyatt 博士が,種々の昆虫のバキュロウ 樹から,グループⅠ NPV とグループⅡ NPV の 2 つのグ イルスの DNA を用いてはじめて実証したものである ループに分類されている(39)。その後の研究で,出芽 (37,38) 。現在,NPV を軸としたバキュロウイルスの ウイルス粒子(BV, budded virus)のエンベロープの膜融 研究は,基礎と応用の両面にわたってますます広がりを 合タンパク質として, グループⅠ NPV は GP64 を,グルー みせており,単なる昆虫ウイルスの研究という域を超え プⅡ NPV は F タンパク質をコードしていることが示さ て, 「バキュロウイルス・バイオサイエンス」とでもい れた (30) 。グループⅠ NPV は F タンパク質相同体もコー うべきジャンルを構築しつつある。 ドしているが,グループⅡ NPV の F タンパク質と比較 わが国においては,NPV に関する研究は,養蚕関係 すると変異に富んでおり, 膜融合活性を欠いている(23, 者を中心に,従来からカイコを用いて先駆的な研究が展 29) 。また,グループⅠ NPV は,グループⅡ NPV に存 開されてきた。現在も,いくつかの研究室で,さまざま 在しない 17 個の遺伝子をもっている(14)。 な視点から「バキュロウイルス・バイオサイエンス」が 最近,ゲノムの塩基配列が決定されたバキュロウイル 活発に繰り広げられている。今回の特集では,これらの スのゲノム DNA の解析結果にもとづいて,バキュロウ 研究のうち,比較的基礎研究の部類に属する 3 つの話題 イルスを,アルファ(チョウ目昆虫特異的 NPV) ,ベー を提供することにした。そこから,わが国の「バキュロ タ(チョウ目昆虫特異的 GV) ,ガンマ(ハチ目昆虫特 ウイルス・バイオサイエンス」研究の一端を知っていた 異的 NPV)およびデルタバキュロウイルス(ハエ目昆 だければ幸いである。 虫特異的 NPV)の 4 属に分類することが提案された(19)。 前置きが長くなったが,本稿では,これらの話題に先 同様に,以前包埋体非形成ウイルスとしてバキュロウイ 立って,NPV の基本的な特性と研究の概括について, ルス科に含まれており,現在ではバキュロウイルス科か よく出てくる言葉を交えながら整理した。本特集や,今 ら外されている Oryctes rihocerous ウイルスを,Heliothis 後のバキュロウイルス研究に関する解説を容易く理解し zea ウイルス 1 とともに,Nudivirus 属としてバキュロウ ていただくために役立てば幸甚である。 イルス科に含めるべきであるとの提案もなされている 2.NPV の分類と命名 分類と命名:日常的に使用する NPV という名称は, (35)。 3.NPV 粒子と包埋体 バキュロウイルス科の核多角体病ウイルス属に属するウ ウイルス粒子:NPV は 80-180 kbp の環状複鎖 DNA を イルス種(species)の総称である。ウイルス種は当該 ゲノムとしてもつ大型のウイルスである(図 1)。この NPV が最初に分離された昆虫種の学名を付してよぶ(例 ゲノム DNA が,数種のタンパク質で構成されるカプシ え ば, カ イ コ Bombyx mori か ら 分 離 さ れ た NPV は B. ド(capsid) に 包 ま れ て 桿 状( 直 径 30-60 nm, 長 さ mori NPV(BmNPV) ) 。 こ の た め, 宿 主 域 の 広 い NPV 250-300 nm)のヌクレオカプシド(nucleocapsid)を形 が異なる昆虫種から分離された場合,相同の NPV に異 成し,このヌクレオカプシドがエンベロープ(envelope) 名をつけてしまうこともあり得る。NPV ゲノムの異同 に包囲されてウイルス粒子(virion あるいは virus parti- 108 cle)を構成する(図 2) 。 子が 32 個ある。さらに加えて,チョウ目の NPV に特異 すべてのバキュロウイルス粒子がもつ共通の構造タン 的な遺伝子が 14 個,グループⅠ NPV に特異的な遺伝子 パク質をコードする遺伝子として 11 個の遺伝子が同定 が 17 個存在する。 されている(19)。 エンベロープを構成するタンパク質は, また,これらの遺伝子には,真核生物や原核生物がも BV と包埋体由来ウイルス(ODV, occlusion-derived virus) つ遺伝子の相同体も多く含まれており,バキュロウイル (後述)とで異なるが,ヌクレオカプシドの構造タンパ スとこれらの生物との間で,活発な遺伝子の水平移動が ク質は,BV と ODV で同一であり,その主要なものは 起こっていることを窺わせる。現在,宿主由来と考えら VP39 である。また,ヌクレオカプシドは,ゲノムのパッ れる遺伝子として,23 個の遺伝子が同定されている(4, ケージングのために DNA を凝縮するタンパク質として, 31) 。この中には,われわれがよく目にする,iap(inhibitor 高塩基性タンパク質 P6.9 をもっている。 of apoptosis),ubi(ubiquitin),egt(ecdysteroid UDP-glu- ゲノムと遺伝子:NPV は 100-180 個の遺伝子をもっ cosyl transferase),pcna(proliferating cell nuclear anti- ているが,すべてのバキュロウイルスが共有する遺伝子 gen),dnapol(DNA polymerase),fgf(fibroblast growth は 29 個である(14)。これらの遺伝子のうち,機能が明 factor)などが含まれる。 らかになっているほとんどすべての遺伝子は,ウイルス : 出芽ウイルス(BV)と包埋体由来ウイルス(ODV) の DNA 複製や,転写,ウイルス構造タンパク質など, NPV は増殖過程において BV と ODV の 2 種類のウイル ウイルスの増殖に必須の遺伝子であるが,7 個の遺伝子 ス粒子を生産する (図 2) 。既述のように,BV と ODV は, については機能が明らかになっていない。 これに加えて, 遺伝子型は同一であるが,表現型が異なる。ヌクレオカ すべてのチョウ目のバキュロウイルスがもっている遺伝 プシドのタンパク質構成は,BV と ODV で同じであるが, 109 蚕糸・昆虫バイオテック Vol.76 No.2 図 1.アメリカシロヒトリ核多角体病ウイルス(HycuNPV)のゲノム構造 藤色で示した環は,HycuNPV ゲノム DNA の Xho I による切断断片を示す。環の外側の矢印は各遺伝子の転写方向を示している。 各遺伝子は保有するプロモーターの違いにより色分けしてある(文献 17)。 SANSHI-KONCHU BIOTEC Vol.76 No.2 図 2.核多角体病ウイルスの出芽ウイルス(BV)と包埋体(多角体)由来ウイルス(ODV)の構造(文献 34 を改変) エンベロープのタンパク質が異なる。BV のエンベロー とよばれることが多い。かつては,封入体(inclusion プはヌクレオカプシドが修飾した細胞膜を獲得したもの body)あるいは多角封入体(polyhedral inclusion body) であり,ODV のエンベロープは核で de novo 合成によっ などともよばれたが,これらの用語は最近ではほとんど て新規に生産されたものである。BV は粒子の一端に粒 用いられていない。ちなみに,GV も核が崩壊した細胞 子表面から突出するペプロマー(pepromer)とよばれる 内に 0.3 x 0.5 μm 程度の卵形の OB を形成する。GV の スパイクをもっている。また,ODV では,ヌクレオカ 包埋体は,顆粒体(granule あるいは capsule)とよばれ, プシドとエンベロープの間を埋める構造物であるテグメ 通常 1 個のウイルス粒子を包埋しているが,まれに複数 ント(tegument)があり,ここに ODV 特異的なタンパ 個のウイルス粒子をもっている場合もある。 ク質 GP41 が存在する。BV はすべて 1 本のヌクレオカ NPV と GV の OB は,ともに分子量 3 万前後の単一 プシドで構成されているが,ODV には,NPV の種類に のタンパク質で構成されており,そのタンパク質を,そ よって,1 本のヌクレオカプシドをもつものと,複数本 れぞれポリへドリン(polyhedrin)およびグラニュリン のヌクレオカプシドをもつものがある。 BV は感染昆虫個体の組織や細胞の間のウイルス伝播 に,ODV は昆虫個体間のウイルス伝播に重要な役割を (granulin)とよぶ。 4.NPV の感染増殖様式 果たしている(図 3 参照)。 昆虫個体における NPV 感染は,昆虫が OB を食下す 多カプシド NPV と単カプシド NPV:NPV には,単 ることによってはじまる(図 3 ①) 。食下された OB は, 数のヌクレオカプシドが 1 つのエンベロープに包まれて 中腸のアルカリ性消化液によって溶解し(②),包埋し ODV を構成するものと,1 つのエンベロープに複数の ていた ODV を中腸内腔に放出する(③) 。放出された ヌクレオカプシドを包みこんで ODV を形成するものが ODV は,中腸細胞に吸着(adsorption または接着 attach- ある。エンベロープに包囲されるヌクレオカプシドが単 ment)し,エンベロープと細胞膜との膜融合(fusion) 数か,複数かは遺伝的に決定されていると考えられてお により,ヌクレオカプシドを細胞内に侵入(penetration) り,それぞれ SNPV(single nucleocapsid NPV)ならびに させる(④)。ヌクレオカプシドは,細胞質内を移行し, MNPV(multiple nucleocapsid NPV) で 示 す。 カ イ コ 核膜孔を通って核内に到達する(⑤)。その後,脱殻 NPV は,基本的には SNPV であると考えられるが,組 (uncoating)し(⑥),裸になったゲノム DNA を鋳型と 織によっては,2 本あるいはそれ以上のヌクレオカプシ して,ウイルスの DNA 複製と遺伝子発現により,ゲノ ドをもつウイルス粒子がかなり高頻度で認められるので ム DNA と 構 造 タ ン パ ク 質 を 生 産 す る( ⑦ ) 。ゲノム (36),S を付さずに,単に BmNPV と記している。 包埋体:NPV は感染細胞の核に 0.15-15 μm の包埋体 (OB, occlusion body)とよばれるタンパク質の結晶体を DNA と構造タンパク質がビロジェニック・ストローマ (virogenic stroma)で会合(assembly)してヌクレオカプ シドを形成する(⑧) 。 形成する(図 2) 。OB には多数のウイルス粒子が含まれ ヌクレオカプシドは,核外へ移動して(⑨),GP64 タ ている。NPV の OB は, その形状から多角体 (polyhedron) ンパク質で修飾された細胞膜を獲得しながら,出芽 110 図 3.核多角体病ウイルスの増殖環 (budding)により細胞外へ脱出して BV となる(⑩) 。 ODV から BV への直接変換は,OB として昆虫体内に侵 感染の後期になると,ヌクレオカプシドは,核内で de 入した NPV が,昆虫体内の感受性組織全体に,速やか novo に合成されたエンベロープを獲得して ODV となり に感染を拡大することに役立っている。 (⑮) ,OB に包埋されて核内にとどまる(⑯)(図 3 の 中腸細胞では包埋体の形成は示していない。中腸細胞で 5.NPV 遺伝子の発現様式 の包埋体形成はきわめて少ない) 。この OB は,感染昆 NPV が細胞に侵入し,核で脱殻してゲノムが放出さ 虫が斃死して組織や細胞が崩壊すると野外に放出され れると,NPV 遺伝子の発現は,転写段階で制御された (⑰⑱⑲) ,次世代の昆虫の感染源となる(⑳) 。微生物 カスケードにより進行する(図 4)。NPV の遺伝子は発 殺虫剤として利用されるのは,この OB である。 現の時期によって大きく 2 種類に分けられる。ゲノム 出芽により細胞外へ脱出した BV は,ODV とは異なっ DNA の複製開始以前に発現する遺伝子を初期遺伝子 て,エンドサイトーシス(endocytosis)により細胞内に (early gene),ゲノム DNA の複製開始と同時,またはそ れ以後に発現を開始する遺伝子を後期遺伝子(late gene) で移送される(⑪)。その後,低 pH(pH 5 ∼ 5.5 程度) とよぶ。初期遺伝子のうち,その発現に他のウイルス遺 環境により,細胞のエンドソーム膜とウイルスのエンベ 伝子産物を必要としない遺伝子を前初期遺伝子(immedi- ロープが融合し(⑫) ,ヌクレオカプシドが細胞質内に ate early gene),他のウイルス遺伝子産物の助けを必要 放出される(⑬)。細胞質内に放出されたヌクレオカプ とする遺伝子を後初期遺伝子(delayed early gene)とよ シドは,核に到達し(⑭) ,ODV と同様の感染増殖過程 ぶが,最近ではあまり厳密に区別しない。初期遺伝子に を経て BV や ODV,OB を産生する。 は,ウイルス DNA の複製に与るタンパク質の遺伝子と, なお,MNPV の場合,OB の溶解により中腸内腔に放 他の初期遺伝子ならびに後期遺伝子,後後期遺伝子の発 出されて細胞内に侵入した ODV のヌクレオカプシドの 現に関与するタンパク質の遺伝子が含まれる。初期遺伝 一部は,核に向かうことなく,細胞質を通過して,同時 子のプロモーターは,宿主因子に認識され,宿主遺伝子 に侵入して増殖をはじめた別のヌクレオカプシドの遺伝 と同様に,宿主の RNA ポリメラーゼⅡによって転写さ 子から合成された GP64 で修飾された細胞膜を獲得して れる。 BV になり,中腸以外の感受性組織の感染に与る。この 後期遺伝子も,狭義の後期遺伝子(late gene)と後後 111 蚕糸・昆虫バイオテック Vol.76 No.2 侵入し,エンドソーム(endosome)によって核近傍ま SANSHI-KONCHU BIOTEC Vol.76 No.2 図 4.核多角体病ウイルス遺伝子のカスケード発現 期遺伝子(very late gene)の 2 種類に分けられる。後期 いる。 遺伝子は,ウイルスの構造タンパク質と後後期遺伝子の 宿 主 域 決 定 に 関 与 す る ウ イ ル ス 遺 伝 子 と し て は, 発現に関与するタンパク質をコードし,後後期遺伝子は hcf-1,hrf-1,p143,lef-7,p94,ie0,p35 お よ び iap な 核膜の分解や細胞の崩壊に関与する P10 と包埋体の主 どが知られている(4,27)。このうち,p35 と iap はア 成分であるポリへドリンをコードしている。後期遺伝子 ポトーシス阻害遺伝子である。また,これらの遺伝子産 も後後期遺伝子も,NPV 特異的なプロモーターをもっ 物の多くは,宿主特異的であり,特定の細胞株や昆虫種 ており,ウイルス由来の α- アマニチン抵抗性の RNA ポ でのみ宿主域決定因子として機能する。 リメラーゼにより転写される(11,12)。ウイルスの :チョウ目昆虫 NPV は, 組織親和性(tissue tropism) RNA ポリメラーゼは,ウイルス遺伝子がコードする 4 脂肪組織をはじめ,表皮,血球細胞,気管皮膜,中腸組 つのサブユニットで構成されている。これらのウイルス 織などさまざまな組織に感染して包埋体を形成する(た 遺伝子は,これまでに塩基配列が決定されたすべてのバ だし, 中腸皮膜細胞での包埋体の形成はきわめて少ない) キュロウイルスで保存されている。後後期遺伝子は,後 (8)。一方,ハチ目やハエ目,トビケラ目,シミ目では, 期遺伝子の発現が微弱になった後にもきわめて活発に発 例外もあるが(ハエ目の Tipula paldosa では血球細胞で 現する。 も増殖する),原則として,中腸組織が NPV の唯一の増 後期ならびに後後期遺伝子の発現に必要とされる 20 殖組織である。 個のウイルス遺伝子が,lef(late expression factor)遺伝 子として同定されている(4) 。 6.NPV の宿主域と組織親和性 7.おわりに バキュロウイルスは昆虫(正確には節足動物)に特異 的なウイルスであり,昆虫以外の動物や,植物,細菌な :NPV はチョウ目,コウチュウ 宿主域(host range) どでは,相同のウイルスは認められていない。そのため, 目,ハエ目,ハチ目,アミメカゲロウ目,ノミ目,シミ バキュロウイルスに関する研究は,従来は,害虫の駆除 目ならびにトビケラ目の 8 目の昆虫が宿主として記載さ とカイコ(益虫)の保護を主要な目的として進められて れている(3)。NPV の宿主域は一般に狭く,通常は当 きたが,バキュロウイルス発現ベクターの開発を契機と 該 NPV が分離された昆虫種とそのごく近縁種に感染性 して,最近では,農学分野の枠にとどまらず,医学や, をもつのみであり,科をこえた昆虫に宿主域をもつ 分子生物学,遺伝子工学,細胞工学など,さまざまな分 NPV はまれである。研究が最もよく進んでいる Autog- 野で大きなインパクトを与える研究として発展してきて rapha californica MNPV は,例外的にきわめて広い宿主 いる。 域をもつ。また,GV はチョウ目昆虫のみで認められて また,バキュロウイルスに関する研究は,生物一般を 112 理解するためにも重要な貢献をするものとして期待が寄 せられる。バキュロウイルスのゲノムは,100 から 180 個の遺伝子で構成されており,さまざまな生命現象の遺 伝子レベルでの解析には,格好のサイズの複雑系である。 昆虫特異的なウイルスであるバキュロウイルスと全動物 種の 80%以上を占めるといわれている昆虫が,その相 互作用を通して垣間見せる分子レベルでのクロストーク や生存戦略などを解析することにより,生命と生物の本 質の理解につながる貴重な情報が得られることが期待さ れる。 わが国では,重要産業であった蚕糸業を支える基礎学 問として,カイコの生理学や遺伝学,発生学などが高度 に発達し,昆虫に関わるさまざまな学問分野において世 界を先導してきた。昆虫病理学もその 1 つであり,バキュ ロウイルスに関しても,カイコを用いた多くの先駆的な 研究が蓄積している。最近では,カイコのゲノム情報も 急速に整備され,さまざまな研究に手軽に活用できるよ うになってきた。今後,わが国の研究者が進めているバ キュロウイルスとカイコを駆使した研究が,世界の「バ キュロウイルス・バイオサイエンス」の発展に独特の貢 献をすることが望まれる。 引 用 文 献* 113 蚕糸・昆虫バイオテック Vol.76 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Pathol. 62, 147-164. * 引用文献は必要最小限にとどめた.また,読者ができるだ け手軽にバキュロウイルスに親しんでいただけるよう,原 著よりも総説を多く引用するように心がけた. 蚕糸・昆虫バイオテック 84(3)、221−236(2015) SANSHI-KONCHU BIOTEC 特集「昆虫の生体防御メカニズムのトピックス」 核多角体病ウイルス感染細胞における 抗ウイルス応答:全タンパク質合成停止 浜島 りな・小林 迪弘・池田 素子* 名古屋大学大学院生命農学研究科資源昆虫学研究室 1.はじめに バキュロウイルスは,バキュロウイルス科(Family えられる。1 つは,ウイルスの増殖サイクル(細胞への 吸着・侵入,脱殻,遺伝子発現,ゲノムの複製,会合に よる形態形成, 細胞からの出芽など) のいずれかのステッ プにおいて,ウイルス因子と細胞因子との不適合など, 何らかの原因で感染の進行が停止し,ウイルスの増殖が nucleopolyhedrovirus)と顆粒病ウイルス(GV: granulovi- 行われなくなることによるものである。もう 1 つは,ウ rus)を含んでいる(小林ら 2007) 。現在,この 2 つのウ イルス感染細胞が抗ウイルス応答を発動することによ イルスの違いと,宿主昆虫の目(order)の違いにより, り,感染細胞が積極的にウイルス増殖を抑制することに アルファバキュロウイルス(Alphabaculovirus: チョウ目 よるものである。一般に,細胞はウイルス感染をいち早 昆虫を宿主とする NPV) ,ベータバキュロウイルス(Be- く感知し,ウイルスの増殖を阻止する抗ウイルス応答の tabaculovirus: チョウ目昆虫を宿主とする GV) ,ガンマ メカニズムを備えている。バキュロウイルス感染細胞で バキュロウイルス(Gammabaculovirus: ハチ目昆虫を宿 は,主要な抗ウイルス応答として,アポトーシスと全タ 主とする NPV),デルタバキュロウイルス(Deltabaculo- ン パ ク 質 合 成 停 止 が 知 ら れ て い る(Ikeda et al. 2013, virus: ハエ目昆虫を宿主とする NPV)の 4 属に分類され 2015)。これらは,一部の感染細胞が自死,あるいはタ 。このウイ ている(Herniou et al. 2012; Jehle et al. 2006) ンパク質合成機能の完全停止という自死に近い自己犠牲 ルスは,昆虫を中心とする節足動物のみで特異的に増殖 を払うことによって,ウイルス増殖の拡大を阻止し,昆 するウイルスで,相同のウイルスは節足動物以外の動物 虫個体を保護しようとする抗ウイルス応答である。 や,植物,菌類,細菌などでは認められていない。ウイ 最近,RNA ウイルスに感染した植物や,ショウジョ ルス粒子は 80 ∼ 180 kbp のゲノムをもち,ゲノムには ウバエやカなどのハエ目昆虫で活発に研究が進められて 90 ∼ 180 種ものタンパク質がコードされている。 いる RNAi による抗ウイルス応答(Lindbo and Dougherty バキュロウイルスは,Autographa californica multiple 2005; Moissiard and Voinnet 2004; Kingsolver et al. 2013; NPV(AcMNPV)など一部のウイルスを除いて,一般 Nandety et al. 2015; Vijayendran et al. 2013; Voinnet 2005; に宿主特異性が高く,個々のバキュロウイルスはごく限 Zhou and Rana 2013)が,オオタバコガ Helicoverpa armi- られた種の昆虫を宿主としている。バキュロウイルスの gera single NPV に感染したオオタバコガ幼虫と Helicov- 宿主特異性を高めている要因としては,大きく 2 つが考 erpa zea 由来の HzFB 細胞(Jayachandran et al. 2012)や, AcMNPV に感染した Spodoptera frugiperda 由来の Sf9 細 *〒464-8601 名古屋市千種区不老町 名古屋大学大学院生命農学研究科資源昆虫学研究室 E-mail: [email protected] Tel: 052-789-4040 Fax: 052-789-4036 胞(Summers and Smith 1987)など,2 本鎖 DNA をゲノ ムとしてもつ NPV に感染したチョウ目昆虫においても 。ま 稼働していることが示された(Mehrabadi et al. 2015) た,AcMNPV 感染 Sf9 細胞においては,強力なアポトー 221 蚕糸・昆虫バイオテック Vol.84 No.3 Baculoviridae)に属する 2 本鎖環状 DNA をゲノムとし てもつ大型のウイルスで,核多角体病ウイルス(NPV: SANSHI-KONCHU BIOTEC Vol.84 No.3 シス抑制因子として知られている P35 が,アポトーシス (OpMNPV) で 認 め ら れ て い る が,OpMNPV の HRF-1 抑制活性とは別に,宿主の RNAi を抑制する機能を担っ ホモログは, LdMNPV HRF-1 の 218 アミノ酸残基のうち, ていることが明らかになった(Mehrabadi et al. 2015)。 N 末端側の 78 アミノ酸に相当するアミノ酸のみで構成 NPV 感染細胞における RNAi による抗ウイルス応答に されており,全タンパク質合成停止を回避する機能をも ついての広範な研究は,まだ十分には進んでいないが, たない。)を AcMNPV がもつことによって全タンパク これらの発見を契機として,今後急速に進展するものと 質合成停止が回避される。同様のことは,vAcΔhcf-1 感 思われる。 染 Tn368 細胞についてもいえる。vAcΔhcf-1 感染 Tn368 本稿では,これまでにいくつかの研究室で得られた 細胞が誘導した全タンパク質合成停止は,AcMNPV が NPV 感染細胞が誘導する全タンパク質合成停止に関す 特異的にコードする HCF-1 によって回避される。すな る研究成果を,私たちの研究室の研究成果を交えながら わち,これらのウイルス 細胞系では,NPV が新規に獲 紹介する。なお,本稿では NPV 感染細胞におけるアポ 得した特異的な遺伝子の働きによって,ウイルス感染細 トーシスの誘導と抑制についても若干触れているが,そ 胞が誘導する全タンパク質合成停止を回避している。 の詳細については拙著を参照されたい(池田ら 2011; もう 1 つのパターンは,AcMNPV に感染したカイコ Ikeda et al. 2013, 2015) 。 細胞でみられるように,全タンパク質合成停止の原因と なるウイルス因子(P143 タンパク質)のアミノ酸配列 2.NPV 感染細胞における全タンパク質合成停 止の誘導と回避のメカニズムは多様である をわずかに改変することによって,全タンパク質合成停 NPV 感染にともなう細胞の全タンパク質合成停止は, によってウイルスの表現型が大きく変化する例は,出芽 止を回避するものである。特定の遺伝子のわずかな変化 AcMNPV に感染したマイマイガ Lymantria dispar 由来の ウイルス(BV, budded virus)の細胞内への侵入や細胞外 Ld652Y 細 胞 で 初 め て 明 ら か に さ れ た(Du and Thiem への脱出に重要な働きをもつエンベロープ融合タンパク 1997a; Guzo et al. 1991, 1992; McClintock et al. 1986) (表 1) 。 質 GP64 においても認められている。すなわち,カイコ その後,AcMNPV に感染したカイコ Bombyx mori 由来 を 宿 主 と す る カ イ コ NPV(BmNPV; B. mori NPV) の の BmN(BmN-4)細胞(Kamita and Maeda 1993) ,hcf-1 GP64(Bm-GP64)タンパク質のたった 1 つのアミノ酸 (host cell-specific factor 1) 遺 伝 子 を 欠 損 し た AcMNPV (Y153)を AcMNPV GP64(Ac-GP64)タンパク質の相当 (vAcΔhcf-1)に感染したイラクサギンウワバ Trichoplusia するアミノ酸 H に置換すると,低 pH でしか融合活性を ni 由来の Tn368 細胞(Lu and Miller 1995b, 1996) ,および もたないために BmN-4 にしか侵入できなかった BmNPV アメリカシロヒトリ Hyphantria cunea MNPV (HycuMNPV) が,Sf9 細胞や T. ni 由来の High Five 細胞(Granados et に感染した BmN-4 細胞(Shirata et al. 2004, 2010)でも全 al. 1994; Wickham et al. 1992)に侵入できるようになり, タンパク質合成停止が誘導されることが示された (表 1) 。 High Five 細胞では増殖も可能になる(Katou et al. 2001, 全タンパク質合成停止を誘導するウイルス遺伝子とし 2006, 2010)。逆に,Ac-GP64 の H155 を Y に置換すると, て p143 遺伝子と HycuMNPV の ep32(hycu-ep32)遺伝 AcMNPV は Sf9 細胞で増殖できなくなる。AcMNPV と 子が,また全タンパク質合成停止の回避に関与するウイ BmNPV のように,相同性の高いウイルスの間では,些 ルス遺伝子として hrf-1(host range factor 1)遺伝子と 細な遺伝子変異が,ウイルスの宿主特異性や病原性の発 hcf-1 遺伝子が同定されている(表 1)が,全タンパク 現,増殖などに大きな影響をおよぼし,ウイルスの進化 質合成停止の誘導と回避のメカニズムは,いずれの の 原 動 力 に な っ て い る こ と が 考 え ら れ る(Cory and NPV- 細胞系においてもあまり明らかになっていない。 Myers 2003; Harrison 2009; Harrison et al. 2012; Herniou しかし,数少ない例からではあるが,これまでの研究 and Jehle 2007) 。Ac-P143 タンパク質と Bm-P143 タンパ から,全タンパク質合成停止を回避するメカニズムには ク 質 で み ら れ た 現 象(Argaud et al. 1998; Croizier et al. 大きく 2 つのパターンがあることが示されている。上述 1994; Kamita and Maeda 1997; Maeda et al. 1993)はその 1 のように,AcMNPV は Ld652Y 細胞とカイコ細胞のい つの好例であろう。 ずれに対しても全タンパク質合成停止を引き起こすが, このように,NPV- 細胞系の違いにより,大きく異な AcMNPV 感染 Ld652Y 細胞では,Ld652Y 細胞を宿主と る機能をもつウイルス因子が関与していることから,全 する L. dispar MNPV(LdMNPV)が特異的にコードする タンパク質合成停止の誘導と回避のメカニズムはきわめ hrf-1 遺 伝 子( 後 述 す る よ う に, 唯 一 の ホ モ ロ グ が て多様性に富んでいることが示唆される。 Ld652Y 細 胞 で 増 殖 可 能 な Orgyia pseudotsugata MNPV 222 表 1.全タンパク質合成停止例と関連遺伝子 ウイルス1 培養細胞系2 AcMNPV AcMNPV 関連遺伝子 誘導 回避 Ld652Y − hrf-13 BmN-4 p143 − vAcΔhcf-1 Tn368 HycuMNPV BmN-4 hcf-1 ep32 − 文献 Du and Thiem 1997a; Guzo et al. 1991, 1992; McClintock et al. 1986 Kamita and Maeda 1993 Lu and Miller 1995b, 1996 Shirata et al. 2004, 2010 1 AcMNPV, Autographa californica MNPV; vAcΔhcf-1, hcf-1 遺伝子を欠損した AcMNPV; HycuMNPV, Hyphantria cunea MNPV。 Ld652Y, Lymantria dispar 由来細胞; BmN-4, Bombyx mori 由来細胞; Tn368, Trichoplusia ni 由来細胞。 3 Lymantria dispar MNPV(LdMNPV)がコードする遺伝子。 2 3.AcMNPV 感染カイコ細胞における全タンパ ク質合成停止 ドする Ac-P143 タンパク質が関与していることが明ら かになった (Croizier et al. 1994; Maeda et al. 1993) 。一方, BmN 細胞でも増殖可能となった BmNPV の ScH 領域を AcMNPV と BmNPV は,ゲノムの含有遺伝子や,遺 もつ AcMNPV は,本来の宿主細胞である細胞において 伝子構成,各遺伝子の塩基配列などがよく似ている も増殖するが,増殖性は低下し,感染多重度(multiplicity (Ayres et al. 1994; Cohen et al. 2009; Gomi et al. 1999)に of infection) を 細 胞 当 た り 1 PFU(plaque-forming unit) もかかわらず,宿主域に重複は認められていない。カイ や 0.1 PFU に低くすると,Sf9 細胞ではほとんど増殖し コ由来の BmN 細胞で増殖可能な BmNPV と増殖不可能 ない(Kamita and Maeda 1996) 。 な AcMNPV を,BmN 細胞に重感染(co-infection)させ Ac-P143 タンパク質は,1221 個のアミノ酸からなる ると,通常とは異なる細胞病変効果(cytopathic effect) 分子質量約 143 kDa の比較的大きなタンパク質で,C- を示し,細胞とウイルスのタンパク質合成が,ともに感 末端領域(アミノ酸 915-1209)に 7 つのヘリカーゼ・モ 染後 5 時間までに急激に低下して,感染後 12 時間まで チーフをもっている (図 1A; Lu and Carstens 1991) 。バキュ にほぼ完全に停止する(Kamita and Maeda 1993) 。同様 ロウイルス発現系で発現した Ac-P143 タンパク質は,実 の全タンパク質合成停止は,AcMNPV のみの単独感染 際に DNA ヘリカーゼ活性を有しており(McDougal and によっても生じることから,この全タンパク質合成停止 Guarino 2000),ウイルス DNA の合成に必須のウイルス は,BmN 細胞が AcMNPV 感染に対して特異的に誘導す 因 子 で あ る こ と が 示 さ れ て い る(Gordon and Carstens る現象である。一方,AcMNPV 感染 BmN 細胞において 1984)。 は,ウイルス遺伝子の転写は行われる(Berretta et al. 一方,全タンパク質合成停止に関与する Ac-P143 タン 2006; Iwanaga et al. 2004; Kamita and Maeda 1993)ことか パク質のアミノ酸の絞り込み実験によって,Ac-P143 タ ら,この場合の全タンパク質合成停止は翻訳段階での合 ンパク質の ScH 領域(アミノ酸 412-603)の 3 アミノ酸 成停止である。 (V556, S564,F577; Croizier et al. 1994) , 2 アミノ酸(S564, F577; Argaud et al. 1998), あ る い は 1 ア ミ ノ 酸(S564; P143 タンパク質が引き金になって誘導されることが明 Kamita and Maeda 1997)のみを Bm-P143 タンパク質の らかになっているが,そのメカニズムについての研究は 相当するアミノ酸に置換すると(図 1B),AcMNPV が 進んでいない。 カイコ由来の Bm5 細胞や BmN 細胞,あるいはカイコ 幼虫で増殖可能になることが報告された。これらのアミ 3.1.全タンパク質合成停止誘導機構: P143 の関与 ノ酸残基は,Ac-P143 タンパク質のヘリカーゼ・モチー AcMNPV P143(Ac-P143)タンパク質の一部の領域 フや,ロイシンジッパー様モチーフ(アミノ酸 88-102) , (ScH 領域: アミノ酸 413-602)を BmNPV P143(Bm-P143) 核局在シグナル(アミノ酸 692-702)とは異なる位置に タンパク質の相当する領域に置換した組換え AcMNPV 存在するアミノ酸である。また,これらのアミノ酸は, が BmN 細胞で増殖することや,Ac-P143 タンパク質の いずれもバキュロウイルス間で保存性があまり高くない 特定のアミノ酸を Bm-P143 タンパク質の相当するアミ アミノ酸でもある(図 1B)。 ノ酸に置換すると,AcMNPV がカイコ由来の Bm5 細胞 バキュロウイルスの p143 遺伝子は,すべてのバキュ で増殖可能となることなどから,AcMNPV 感染 BmN 細 ロウイルスが共有する中核遺伝子(core gene)である。 胞における全タンパク質合成停止には AcMNPV がコー そこで,他のバキュロウイルスの P143 タンパク質の宿 223 蚕糸・昆虫バイオテック Vol.84 No.3 この全タンパク質合成停止は,ウイルスがコードする SANSHI-KONCHU BIOTEC Vol.84 No.3 主特異性決定への関与が,いくつかのバキュロウイル ス 細胞系で調べられたが,これまでのところ AcMNPV と BmNPV の 場 合 と 相 同 の 関 係 は 認 め ら れ て お ら ず (Ahrens and Rohrmann 1996; Heldens et al. 1997; Bideshi and Federici 2000; Maegawa et al. 2003),AcMNPV と BmNPV 以外の NPV の P143 タンパク質が宿主域決定因子とし て働いている証拠は得られていない。 3.2.全タンパク質合成停止誘導機構:各種 NPV の不全 感染にともなう rRNA 分解 カイコ由来の BmN-4 細胞が AcMNPV に感染すると, 感染細胞の rRNA が分解することが示された(Fujita et al. 2005) 。その後,AcMNPV のみならず,HycuMNPV や シロイチモジヨトウ MNPV(SeMNPV; Spodoptera exigua MNPV) ,ハスモンヨトウ MNPV(SpltMNPV; Spodoptera litura MNPV)の感染によってもカイコ由来の BM-N 細 胞の rRNA が急激に分解することが明らかになった (図 2; Hamajima et al. 2013) 。これらの NPV はいずれも BM-N 細胞に不全感染(abortive infection)を引き起こす NPV である。このうち,AcMNPV と HycuMNPV は BM-N 細 胞でウイルス DNA を合成するが,SeMNPV あるいは SpltMNPV が感染した BM-N 細胞では,ウイルス DNA の合成までは感染は進まない(Laviña et al. 2001; LaviñaCaoili et al. 2001; Morris and Miller 1993; Shirata et al. 1999) 。 ちなみに,p143 遺伝子の点突然変異によりウイルス DNA の合成が不全となる温度感受性変異体 AcMNPV (ts8)(図 1A; Gordon and Carstens, 1984)を感染させた BM-N 細胞は,非許容温度(33°C)でウイルス DNA の 合成を阻害しても,許容温度(27°C)の場合と同様に rRNA 分解を誘導する(図 3; Hamajima et al. 2014)こと から,rRNA 分解の引き金はウイルス DNA 合成の開始 以前に引かれていることが考えられる。 このような rRNA の分解は,AcMNPV や HycuMNPV 図 1.Ac-P143 タンパク質の模式図と ScH 領域のアミノ酸 配列アライメント (A)Ac-P143 タンパク質の模式図。ロイシンジッパー様モチー フ,ScH 領域,核局在シグナル,ヘリカーゼ・モチーフの位 置 を 示 し た。 温 度 感 受 性 突 然 変 異 体 AcMNPV ts8 は,AcP143 の V934M の変異により非許容温度(33°C)ではウイル ス DNA 合成ができないために増殖できない。(B)ScH 領域 のアミノ酸配列アライメント。5 種すべての NPV の P143 タ ンパク質で保存されているアミノ酸は黒ボックスに白字で示 し,3 種以上の P143 タンパク質で保存されているアミノ酸 は陰影をつけた。Ac-P143 タンパク質のアミノ酸配列の上の 逆三角形は,以前の研究で全タンパク質合成停止に関与する と さ れ た 3 つ の ア ミ ノ 酸(V556,S564,F577) を 示 す。 rRNA の分解誘導には,この 3 アミノ酸に加えて,黒丸で示 した 3 アミノ酸(H514,T528,A599)が関与していること が明らかになった(Hamajima et al. 2015) 。Ac-P143, AcMNPV P143; Bm-P143, BmNPV P143; Hycu-P143, HycuMNPV P143; Se-P143, SeMNPV P143; Splt-P143, SpltMNPV P143。 224 を感染させたチョウ目昆虫細胞の Se301(S. exigua; Hara et al. 1995) ,Sf9,SpIm(Spilosoma imparilis; Mitsuhashi and Inoue 1988),Ld652Y(L. dispar; Goodwin et al. 1978)や ハエ目昆虫細胞の S2(Drosophila melanogaster; Schneider 1972)では認められない(Hamajima et al. 2013)。一方, カイコ由来の細胞については,BM-N と BmN-4 以外に, 胚子と脂肪体からそれぞれ樹立された Bme21 細胞(Lee et al. 2012) と NIAS-Bm-aff3 細 胞(Imanishi et al. 2002; Takahashi et al. 2006)においても rRNA の分解が誘導さ れることが示された(Hamajima et al. 準備中)ことから, NPV 感染による rRNA の分解はカイコ由来の特定の細胞 系が誘導する現象ではなく,カイコが本来的にもってい 図 2.各種 NPV 感染にともなう BM-N 細胞の rRNA 分解 BmNPV,AcMNPV,HycuMNPV,SeMNPV, お よ び SpltMNPV に 感 染 し た BM-N 細 胞 か ら, 感 染 後 0,4,8,24 時 間 に, RNeasy Mini QIAcube Kit(Qiagen)で全 RNA を抽出し,MultiNA マイクロチップ電気泳動システム(Shimadzu)で解析した。 BM-N 細胞の rRNA は,約 2000 ヌクレオチド(nt)の 3 本のバンドとして泳動される(重なり合っていて識別が困難であるが, 28S rRNA の hidden break により生じた産物のバンド 2 本,18S rRNA のバンド 1 本(Fujiwara and Ishikawa 1986; Winnebeck et al. 2010 参照) ) 。パネルの右端に矢尻で示した約 1500 nt(上)と 1400 nt(下)のバンドは rRNA 分解の中間産物。パネルの左端 に RNA のサイズマーカーの泳動位置を示した。Hamajima et al.(2013)を改変。 図 3.AcMNPV の温度感受性突然変異体 ts8 に感染した BM-N 細胞における rRNA 分解 (A)ts8 感染 BM-N 細胞における rRNA 分解。ts8 または野生型 AcMNPV に感染した BM-N 細胞を 27°C または 33°C で培養し, 感染後 0,4,8,24 時間に細胞から抽出した全 RNA を MultiNA マイクロチップ電気泳動システムで解析した。詳細は図 2 の説 明を参照。(B)ウイルス DNA の合成量。感染細胞から全 DNA を QIAamp DNA Mini Kit(Qiagen)で抽出し,ie1 遺伝子に特異 的なプローブとプライマーを用いて StepOnePlus Real-Time PCR system(Applied Biosystems)で ie1 遺伝子のコピー数を計測した。 33°C で培養した ts8 感染 BM-N 細胞ではウイルス DNA は合成されていない。Hamajima et al.(2014)を改変。 rRNA 分解に関与するウイルス因子を,HycuMNPV ゲ 祖先種のクワコ Bombyx mandarina 由来の NIAS-Boma-529b ノムのコスミド・ライブラリを用いて探索したところ, 細 胞(Iwanaga et al. 2009) は,AcMNPV や HycuMNPV P143 タンパク質が関与していることが明らかになった に感染すると rRNA 分解を誘導するが,カイコやクワコ (Hamajima et al. 2013, 2014) 。また,HycuMNPV の P143 に比較的近縁なサクサン Antheraea pernyi 由来の NISES- タンパク質以外にも,感染により rRNA の分解を引き起 AnPe-428 細 胞 は,AcMNPV や HycuMNPV に 感 染 し て こす AcMNPV や SeMNPV,SpltMNPV の P143 タンパク も rRNA 分解が起こらないことが示された(Hamajima 質は,いずれも BM-N 細胞の rRNA の分解を引き起こ et al. 準備中; AcMNPV は NISES-AnPe-428 細胞で増殖で す(Hamajima et al. 2013)ことから,BM-N 細胞におけ きる(Maegawa et al. 2005) ) 。これらのことから,NPV る rRNA 分 解 は,BM-N 細 胞 に 不 全 感 染 す る NPV の 感染による rRNA の分解は Bombyx 属のごく限られた昆 P143 タンパク質が一般的に引き起こす現象であると考 虫種の細胞で特異的にみられる現象であると考えられ えられる。 る。 Ac-P143 タンパク質の BM-N 細胞における rRNA 分解 225 蚕糸・昆虫バイオテック Vol.84 No.3 る抗ウイルス応答であると考えられる。また,カイコの SANSHI-KONCHU BIOTEC Vol.84 No.3 に関与するアミノ酸残基は,全タンパク質合成停止に関 与するアミノ酸残基と重複している。Ac-P143 タンパク 質による rRNA 分解には,AcMNPV 感染カイコ細胞で ウイルス増殖阻害に関与するとされた上記の 3 アミノ酸 (V556, S564,F577)を含む少なくとも 6 アミノ酸(H514, T528,V556,S564,F577,A599; 図 1B)が関与してい ることが判明した(Hamajima et al. 2015) 。ウイルス増殖 阻害に関与するアミノ酸と rRNA 分解に関与するアミノ 酸の数の食い違いは,おそらくアッセイ法の厳格さの違 いによるものと推測される。このようなことから,AcP143 タンパク質の同じ領域が rRNA 分解,全タンパク 質合成停止,およびウイルス増殖阻害に関与していると 考えられる。すなわち,AcMNPV 感染 BM-N 細胞にお いては,Ac-P143 タンパク質の関与により,まず rRNA 分解の引き金が引かれ,ついで rRNA 分解により感染細 胞のタンパク質合成が全面的に停止し,その結果,ウイ ルス増殖が行われなくなると考えられるが,確証は得ら れていない。また,rRNA 分解が,ウイルス粒子がもっ ている P143 タンパク質によって引き起こされるのか, 感染細胞で新たに発現した P143 タンパク質によって引 き起こされるのかについても明らかになっていない。ち なみに,P143 タンパク質は多角体包埋ウイルス粒子に は存在するが,BV には存在しないことが AcMNPV で 報告されている(Braunagel et al. 2003) 。 4.AcMNPV 感染マイマイガ Ld652Y 細胞にお ける全タンパク質合成停止 図 4. 野 生 型 AcMNPV お よ び hrf-1 遺 伝 子 を も つ 組 換 え AcMNPV(vAchrf-1)に感染した Ld652Y 細胞におけるタン パク質合成と HRF-1 タンパク質の模式図 (A)AcMNPV および vAchrf-1 感染 Ld652Y 細胞におけるタ ンパク質合成。Ld652Y 細胞に AcMNPV または vAchrf-1 を 感染した後,[35S]メチオニンでゲルの上に示した各 4 時間 ラベルした。偽感染(Mock)の結果も示した。感染細胞の タンパク質を SDS-PAGE で分析後,オートラジオグラフィー を行った。(B)LdMNPV と OpMNPV の HRF-1 タンパク質 の 構 造。OpMNPV の HRF-1 は,LdMNPV の HRF-1 と 32% の同一性,77% の類似性をもつ N 末端側の 78 アミノ酸のみ で構成されている。OpMNPV HRF-1 にはタンパク質合成停 止回避能はない。Ikeda et al.(2005)を改変。 Ld652Y 細胞に AcMNPV が感染すると,およそ感染 後 12 時間には,ウイルスと細胞のタンパク質合成がと 成実験により,AcMNPV 感染 Ld652Y 細胞では,ある もにほぼ完全に停止する(Du and Thiem 1997a; Guzo et 種の tRNA が欠乏することによって全タンパク質合成停 (図 4A)。AcMNPV 感染 al. 1992; McClintock et al. 1986) 止が起こっている可能性のあることが報告された Ld652Y 細胞では,ウイルス DNA の合成,および細胞 (Mazzacano et al. 1999)。すなわち,AcMNPV に感染し とウイルスの遺伝子の転写はほぼ正常に行われている た Ld652Y 細胞のライセートはタンパク質合成を許容し (Guzo et al. 1991, 1992; McClintock et al. 1986)ことから, ないが,このライセートに非感染 Ld652Y 細胞あるいは この場合の全タンパク質合成停止は翻訳レベルでの合成 hrf-1 遺伝子をもつ AcMNPV に感染した Ld652Y 細胞の 停止である。 ライセートの tRNA を含む分画を添加すると,タンパク この全タンパク質合成停止の誘導機構についての研究 質合成が可能になる。市販のウシ肝臓あるいは酵母 はあまり進んでいない。回避には,LdMNPV がコード tRNA を添加しても, AcMNPV 感染 Ld652Y 細胞ライセー する HRF-1 タンパク質が機能していることが明らかに トのタンパク質合成能は回復するが,大腸菌の tRNA で なっているが,HRF-1 の作用機構については,いくつか は回復しなかった(Mazzacano et al. 1999)。AcMNPV 感 の研究が行われているものの,依然として明確になって 染 Ld652Y 細胞における tRNA の欠乏がどのようなメカ いない。 ニズムで起こるかは不明である。 全タンパク質合成停止誘導の直接の引き金として機能 4.1.全タンパク質合成停止誘導機構 するウイルス因子あるいはウイルス感染にともなう生物 Ld652Y 細胞ライセートを用いた無細胞タンパク質合 学的イベントは,現在のところ特定されていない。しか 226 し,p35 遺伝子を欠損した AcMNPV(vAcΔp35)に感染 and Thiem 1997a; Thiem et al. 1996) 。この組換え AcMNPV した Ld652Y 細胞は,アポトーシスを誘導するが,全タ は,マイマイガ幼虫のみならず,本来 AcMNPV 非許容 ンパク質合成停止を誘導しないことから,P35 タンパク 性の H. zea 幼虫でも増殖して,これらの幼虫に致死感 質が全タンパク質合成停止の誘導に重要な役割を果たし 染を引き起こす(Chen et al. 1998) 。 て い る こ と が 考 え ら れ た(Du and Thiem 1997b; Thiem その後の研究で,hrf-1 遺伝子をもつ組換え HycuMNPV 2009; Thiem and Chejanovsky 2004; Thiem and Cheng 2009) 。 が Ld652Y 細胞で増殖することが示された(Ishikawa et 一方,全タンパク質合成停止は,p35 遺伝子を,OpMNPV al. 2004)。本来,Ld652Y 細胞は HycuMNPV 感染により の iap(inhibitor of apoptosis; op-iap)遺伝子や Cydia po- 全タンパク質合成停止を誘導するため,HycuMNPV は monella GV の iap 遺伝子(cp-iap) ,Spodoptera littoralis の Ld652Y 細胞では増殖できない。また,Ld652Y 細胞に p49 遺伝子(sl-p49)と置換した組換え AcMNPV によっ 前もって HRF-1 タンパク質を一過性発現させておくと, ても誘導されるが,ペプチド性の caspase 阻害剤である BmNPV と SeMNPV も同様に増殖するようになる。こ z-DEVD-fmk や z-IETD-fmk,z-VAD-fmk でアポトーシス のうち,BmNPV の増殖が HRF-1 によって促進されるこ を抑制するだけでは誘導されない。したがって,これら とは,hrf-1 遺伝子をもつ組換え BmNPV で確認された のウイルスのアポトーシス抑制因子は,アポトーシスを (Ishikawa et al. 2006)。 こ れ ら の 結 果 か ら,HRF-1 は, 抑制する役割に加えて,全タンパク質合成停止誘導の促 AcMNPV のみならず,様々な NPV が Ld652Y 細胞で増 進にも関与していると考えられる。また,DNA 合成阻 殖するために共通して必要とされる必須因子であること 害剤である aphidicolin や高温で DNA 合成不全となる温 が明らかになった。 度感受性変異体ウイルス ts8 を用いた研究により,感染 HRF-1 は 218 ア ミ ノ 酸 残 基 か ら な る 分 子 質 量 約 にともなう感染後期のイベントも全タンパク質合成停止 25.7 kDa のタンパク質である(図 4B)。このタンパク質 の誘導や増強に重要であることが考えられている(Du は,特定の機能を推測できるようなモチーフやドメイン and Thiem 1997b; Thiem and Chejanovsky 2004) 。 はもっていないが,全体的に比較的酸性度が高いタンパ これらのことから,AcMNPV 感染 Ld652Y 細胞にお ク質で,20 アミノ酸のうち 11 アミノ酸が酸性アミノ酸 ける全タンパク質合成停止は,ウイルス DNA 合成の開 で構成されるドメイン(アミノ酸 79-98)をもっている 始以前の感染初期に引き金が引かれ,ウイルス DNA 合 (Ikeda et al. 2005)。また,唯一のホモログが Ld652Y 細 成開始後に P35 タンパク質などの働きによって増強さ 胞で増殖可能な OpMNPV(Bradford et al. 1990)で見つ れることが考えられる。 かっている(Ahrens et al. 1997)が,OpMNPV の HRF-1 ホモログは,LdMNPV の HRF-1 の N 末端側の 78 アミ 4.2.全タンパク質合成停止回避機構: HRF-1 の関与 ノ酸に相当するアミノ酸のみで構成される約 9 kDa の小 上述のように,AcMNPV が感染した Ld652Y 細胞では, さなタンパク質で,LdMNPV の HRF-1 アミノ酸配列と 全タンパク質合成停止が誘導され,ウイルスは増殖しな の同一性は約 32% と低い(図 4B)。 このような構造上の特徴を考慮し,様々な変異体 HRF-1 をコードする AcMNPV を作出して Ld652Y 細胞 細胞に AcMNPV を追感染すると,AcMNPV の増殖が認 に感染させることにより,HRF-1 の機能解析を行った められるようになる(McClintock and Dougherty 1987)。 (Ikeda et al. 2005)。その結果,N 末端領域や C 末端領域 このことは,LdMNPV が全タンパク質合成停止を回避 の一部を欠損した HRF-1 や,N 末端領域の 78 アミノ酸 するための鍵となる因子をコードしていることを示唆し が OpMNPV の HRF-1 ホ モ ロ グ で 構 成 さ れ る キ メ ラ ている。 HRF-1,C 末端部分に特定のアミノ酸を挿入したいくつ LdMNPV ゲノムのコスミド・ライブラリを用いて遺 かの変異体 HRF-1 などをもつ組換え AcMNPV は,いず 伝子のスクリーニングを行ったところ,Ld652Y 細胞に れも Ld652Y 細胞で増殖できなかった。また,酸性ドメ AcMNPV のゲノム DNA と hrf-1 遺伝子を含むプラスミ インのアスパラギン酸をアラニンに置換した HRF-1 を ドをコ・トランスフェクション(co-transfection)するこ もつ AcMNPV を用いた実験では,置換アミノ酸数が増 とにより,AcMNPV による全タンパク質合成停止が回 加するにつれてタンパク質合成回復が減少したが,全タ 避され,AcMNPV が増殖することが認められた(Thiem ンパク質合成停止を回復させるために特異的に機能して et al. 1996)。 こ の こ と は,hrf-1 遺 伝 子 を も つ 組 換 え いると考えられるモチーフあるいはドメインは,今のと AcMNPV が Ld652Y 細胞で増殖することで確認された (Du ころ特定されていない(Ikeda et al. 2005)。HRF-1 によ 227 蚕糸・昆虫バイオテック Vol.84 No.3 いが,AcMNPV 感染 Ld652Y 細胞に LdMNPV を追感染 (superinfection) し た り, 逆 に,LdMNPV 感 染 Ld652Y SANSHI-KONCHU BIOTEC Vol.84 No.3 る全タンパク質合成停止回避の分子機構の解明は今後の ためには,これらの lef 遺伝子群のみでは不十分で,こ 課題として残されている。 れらに加えて hcf-1 遺伝子を共発現させることが必要で 5.hcf-1 欠損 AcMNPV(vAcΔhcf-1)感染 Tn368 細胞による全タンパク質合成停止 ある(Lu and Miller 1995b)。すなわち,HCF-1 は Tn368 細胞で特異的に機能するウイルス因子である。一方, hcf-1 の発現には IE-1 が必須であること,ならびに IE-2 野生型の AcMNPV は Sf21 細胞(S. frugiperda; Vaughn と PE38 が hcf-1 の発現を増強することが一過性発現実 et al. 1977) でも Tn368 細胞でも増殖可能である。しかし, 験において示されている(Wilson et al. 2005) 。hcf-1 の相 hcf-1 遺伝子の一部を欠損した AcMNPV(vAcΔhcf-1)は, 同体は,現在のところ,AcMNPV と AcMNPV にごく近 Sf21 細胞では増殖できるが,Tn368 細胞では全タンパク 縁の NPV(Rachiplusia ou MNPV とコナガ MNPV(Plutella 合 成 停 止 が 誘 導 さ れ て 増 殖 で き な い(Lu and Miller xylostella MNPV))(Harrison and Bonning 2003; Harrison 1996) 。vAcΔhcf-1 感染 Tn368 細胞では,ウイルス DNA and Lynn 2007),および Clanis bilineata NPV(Zhu et al. の合成やウイルスの後期遺伝子の転写も起こらないこと 2009)と Thysanoplusia orichalcea NPV(Wang et al. 2012) か ら, こ の 系 で のタンパク質 合成 停 止は,ウ イル ス 以外では見つかっていない(Cohen et al. 2009; Thiem and DNA 合成不全の結果(ウイルスの後期タンパク質合成 Cheng 2009)。 は,ウイルス DNA が合成されないと開始しない)とも HCF-1 タンパク質は,感染後 2-12 時間に合成される 考えられ,厳密な意味での全タンパク質合成停止とはい 約 34 kDa の初期タンパク質で,RING ドメインをもち, えないが,興味深いことに,ウイルスは全く増殖しない この RING ドメインを介して二量体またはより高次の構 にもかかわらず,細胞とウイルスのタンパク質合成は, 造を形成して核に局在している。また,HCF-1 タンパク ともにほぼ完全に停止する(Lu and Miller 1996) 。 質は,hcf-1 発現プラスミドをトランスフェクションし HCF-1 は T. ni の幼虫でも機能していることが認めら た非感染 Tn368 細胞おいては,核全体にわたって一様 れている(Lu and Miller 1996) 。経皮(BV)と経口(多 に分布しているが,AcMNPV が感染した Tn368 細胞に 角体)接種とにかかわらず,vAcΔhcf-1 を接種した幼虫 おいては,集合して点状構造(punctate structure)を形 では,野生型 AcMNPV を接種した幼虫のそれに比べて, 成して存在している(Hefferon 2003; Wilson et al. 2005) 。 半致死時間(LT50)がおよそ 20-23% 長くなる。また, 同様の核内点状構造体は, ウイルスゲノムの hr(homolo- 経皮接種の場合,vAcΔhcf-1 による T. ni 幼虫の半致死量 gous region)に IE-1 が結合し,そこにウイルス DNA 合 (LD50)は野生型 AcMNPV のそれの約 2 倍となる。一方, 成関連因子が集合して,ウイルス DNA の複製拠点が形 経 口 接 種 し た 幼 虫 の 致 死 量 は vAcΔhcf-1 と 野 生 型 成 さ れ る 過 程 に お い て も 認 め ら れ る(Kawasaki et al. AcMNPV との間で差はないが,vAcΔhcf-1 感染幼虫の致 2004; Nagamine et al. 2005, 2006; 永峰 2010)。上述のよう 死時間は,野生型 AcMNPV 感染幼虫の致死時間に比べ に,vAcΔhcf-1 感染 Tn368 細胞ではウイルス DNA の複 て 20-30% 遅延する。この経口接種の結果と経皮接種の 製が行われないことから,HCF-1 はウイルスの DNA 合 結果との違いは,接種ウイルスが最初に出会う中腸皮膜 成に何らかの関わりをもっていることが考えられるが, 細胞(経口接種)と血球細胞(経皮接種)との間におけ ウイルス DNA 合成に関与する他の LEF との相互作用は る vAcΔhcf-1 に対する感受性の違いを反映していると推 認 め ら れ て い な い(Hefferon 2003; Wilson et al. 2005) 。 察されている(Lu and Miller 1996) 。このことは,HCF-1 また,一過性発現させた HCF-1 は hcf-1 プロモーターの の働きに,宿主特異性のみならず組織特異性がある可能 活性を抑制することも示されている(Wilson et al. 2005) 性を示唆している。 が,その生物学的意義は不明である。 HCF-1 は,もともと,ウイルスの後期遺伝子を発現す 一方,HCF-1 を一過性発現させた Tn368 細胞に,本来 るための必須因子(LEF: late expression factor)の一員とし Tn368 細胞では増殖できない BmNPV,HycuMNPV,Ld- て一過性発現実験により同定されたウイルス因子である MNPV,OpMNPV,SeMNPV ならびに SpltMNPV を感染 (Lu and Miller 1995b) 。AcMNPV 感染 Sf21 細胞では 19 個 させたところ,一部のウイルスは増殖することが明らか の遺伝子(ie-1,ie-2,lef-1-12,pp31/39K,p47,dnapol, になった(Nanba et al. 未発表) 。すなわち,HycuMNPV p143,p35)が,lef 遺伝子群として,一過性発現実験に と OpMNPV を感染させた HCF-1 発現 Tn368 細胞では, より同定されている(Lu and Miller 1995a; Passarelli and 主要カプシドタンパク質の VP39 と多角体タンパク質ポ Guarino 2007; Rapp et al. 1998; Todd et al. 1995) 。しかし, リへドリンが合成され, BV と多角体が産生された。また, Tn368 細胞で AcMNPV の後期遺伝子の発現を促進する BmNPV と SeMNPV を感染させた HCF-1 発現 Tn368 細 228 胞では,ウイルスタンパク質の合成や子孫ウイルスの産 は増殖する(Shirata et al. 2004) 。Hycu-EP32 がカイコ幼 生は認められなかったものの,ウイルス DNA が増加し 虫 に お い て も 翻 訳 停 止 の 誘 導 に 与 っ て い る こ と は, た(Nanba et al. 未発表) 。最近,バクミド(bacmid)を用 BmNPV に感染した hycu-ep32 遺伝子をもつ遺伝子組換 いた研究により,hcf-1 遺伝子をもつ組換え HycuMNPV えカイコで,子孫ウイルスの増殖とウイルスによる致死 が Tn368 細胞で増殖することが実証された(Tachibana 率が有意に低下すること(Jiang et al. 2012)から推察さ et al. 準備中) 。また,この組換え HycuMNPV の hcf-1 遺 れる。 伝子は,普段宿主細胞として用いている SpIm 細胞での 一方,vHycuΔep32 は,普段の研究で宿主細胞として ウイルス増殖に悪影響をおよぼすことはなかった。これ 用いている SpIm 細胞では,hycu-ep32 を欠損していな らのことから,HCF-1 は,HRF-1 と同様,細胞系特異 い野生型の HycuMNPV と同様によく増殖することから, 的に機能するウイルス因子で,各種 NPV が Tn368 細胞 Hycu-EP32 は HycuMNPV の SpIm 細胞における増殖に で増殖するために,共通して必要とする必須のウイルス は重要な働きを担っていないことが考えられる。また, 因子であると考えられた。 vHycuΔep32 に 感 染 し た Sf9 細 胞 と Se301 細 胞 で は, 6.HycuMNPV 感染 BmN-4 細胞における全タ ンパク質合成停止 HycuMNPV 感染細胞のそれに比べて,ウイルス DNA の 複製量や,ウイルスタンパク質の合成量,子孫ウイルス の産生量に大きな変動はなかったことから,Hycu-EP32 HycuMNPV 感染 BmN-4 細胞では,ウイルス DNA は は Sf9 細胞と Se301 細胞においても特別な機能はもって 合成されるが,ウイルスの構造タンパク質は合成されず いないと考えられる(Suganuma et al. 未発表) 。さらに, に不全感染となる(Shirata et al. 1999) 。この不全感染は, vHycuΔep32 感染 BM-N 細胞においても,rRNA 分解が BmN-4 細胞で増殖可能な BmNPV を HycuMNPV ととも 誘導されることが示された(Hamajima et al. 未発表)。 に同時感染させても回復せず,逆に,同時感染により このことから,Hycu-EP32 は BM-N 細胞における rRNA BmNPV の増殖が阻害される(Shirata et al. 2004) 。この 分解には関与していないことが考えられた。 ことから,BmN-4 細胞は,HycuMNPV の感染によって hycu-ep32 は初期遺伝子で,HycuMNPV と BmNPV を ウイルスの増殖を許容しない状態に陥っていることが考 同時感染した BmN-4 細胞では,感染後 4 時間にはすで え ら れ る。HycuMNPV と BmNPV を 同 時 感 染 さ せ た に十分量が発現し,BmNPV の増殖はウイルス DNA 複 BmN-4 細胞においては,BmNPV の gp64 遺伝子と vp39 製 以 前 の 段 階 で 停 止 す る(Shirata et al. 2010) 。 ま た, 遺伝子の転写量はほとんど減少しないが,タンパク質合 Hycu-EP32 は 312 アミノ酸からなる約 35.6 kDa のタン 成が著しく低下する。HycuMNPV 単独感染 BmN-4 細胞 パク質で,コイルド・コイル・ドメイン(アミノ酸 122- では,感染後 8 ∼ 12 時間で,ウイルスタンパク質合成 149)をもち,感染細胞では核に局在する。しかし,デー のみならず,細胞タンパク質の合成もほぼ完全に停止す タベース検索では特定の機能をもつ既存のモチーフやド 。このことから,HycuMNPV る(Shirata et al. 2004, 2010) メ イ ン を 見 出 す こ と は で き な か っ た。 し た が っ て, 感染 BmN-4 細胞では,翻訳停止の状態にあることが明 Hycu-EP32 のウイルス増殖に果たす役割についての手が らかとなった。 かりは得られていない。 HycuMNPV のコスミド・ライブラリを用いた遺伝子 スクリーニングにより,HycuMNPV の orf8 にコードさ 7.全タンパク質合成停止とアポトーシス 既述のように,全タンパク質合成停止は,アポトーシ 成 停 止 に 関 与 し て い る こ と が 示 さ れ た(Shirata et al. スと並んで,バキュロウイルスに感染したチョウ目昆虫 2010)。相同性検索の結果,HycuMNPV orf8 の唯一のホ が発動する主要な抗ウイルス応答の 1 つである。バキュ モログとして,41% のアミノ酸配列同一性をもつ,同 ロウイルス感染細胞においては,細胞系が同じでも,感 じ バ キ ュ ロ ウ イ ル ス の OpMNPV の ep32(early protein 染するウイルスの違いによって,全タンパク質合成停止 32; Ahrens et al. 1996)または ep-3 遺伝子(early protein 3; が誘導されたり,アポトーシスが誘導されたりする。現 Shippam et al. 1997)が見出されたが,OpMNPV の ep32 在のところ,この 2 つの抗ウイルス応答の分子機構,と 遺伝子の機能は明らかになっていない。ep32 遺伝子ホモ りわけ関与するシグナル伝達系についての解明が遅れて ログ(hycu-ep32; Ikeda et al. 2006)を欠損した HycuMNPV いるため,両者の関係についての理解も進んでいない。 (vHycuΔep32)と BmNPV を同時感染させた BmN-4 細 しかし,両者の共通点として,ともに感染のごく初期に 胞では,全タンパク質合成停止は誘導されずに BmNPV 引き金が引かれ,ウイルス DNA の合成開始後に増強さ 229 蚕糸・昆虫バイオテック Vol.84 No.3 れるタンパク質が BmN-4 細胞における全タンパク質合 SANSHI-KONCHU BIOTEC Vol.84 No.3 図 5.全タンパク質合成停止とアポトーシスとの関係を示す模式図 (A)AcMNPV-Ld652Y 細胞系における全タンパク質合成停止とアポトーシスとの関係。野生型 AcMNPV は Ld652Y 細胞に全タ ンパク質合成停止を引き起こして増殖しないが,hrf-1 遺伝子をもつ組換え AcMNPV(vAchrf-1)は全タンパク質合成停止を回避 して Ld652Y 細胞で増殖できる。アポトーシス抑制遺伝子 p35 を欠損した AcMNPV(vAcΔp35)は,hrf-1 遺伝子の存否にかかわ らず,全タンパク質合成停止は引き起こさず,アポトーシスを引き起こす。しかし,vAcΔp35 は,hrf-1 遺伝子を保有すると,ア ポトーシスを引き起こすにもかかわらず,ウイルスの DNA とタンパク質を合成して増殖する。hrf-1 遺伝子をもたない vAcΔp35 は, ウイルスの DNA もタンパク質も合成せず,増殖できない。Ikeda et al.(2013)を改変。(B)AcMNPV-BM-N 細胞系における全タ ンパク質合成停止とアポトーシスとの関係。野生型 AcMNPV は rRNA 分解と全タンパク質合成停止を引き起こすが,p143 遺伝 子を欠損させたり(p143 遺伝子を欠損したバクミド bAcΔp143 を用いた実験),RNAi で p143 遺伝子の発現を阻害したりすると, rRNA 分解も全タンパク質合成停止も起こらなくなる。一方,一過性発現した P143 タンパク質は,rRNA の分解とアポトーシス を引き起こす。P35 タンパク質非存在下で行う一過性発現実験で P143 タンパク質がアポトーシスを引き起こすことは,p35 遺伝 子欠損組換えウイルス vAcΔp35 がアポトーシスを引き起こすことと合致する。rRNA 分解は,阻害剤でアポトーシスを阻害して も起こることから,アポトーシスの結果として引き起こされるものではないと考えられるが,アポトーシスが rRNA 分解または 全タンパク質合成停止に起因するか否かについては現在のところ不明である。 れることが示されている(Du and Thiem 1997b; LaCount 全タンパク質合成停止が誘導されて,ウイルスは増殖で and Friesen 1997; Prikhod’ko and Miller 1996, 1999; Thiem きない。この場合,野生型 AcMNPV に hrf-1 遺伝子を and Chejanovsky 2004) 。また,組換えウイルスなどを用 もたせると,全タンパク質合成停止が回避されて,ウイ いた研究により,全タンパク質合成停止とアポトーシス ルスは増殖する(表 2) 。一方,p35 遺伝子を欠損した に関与するいくつかの機能因子が特定されており, 今後, AcMNPV(vAcΔp35) に 感 染 し た Ld652Y 細 胞 で は, これまでに得られた研究成果を手がかりとして両者の関 vAcΔp35 が hrf-1 遺伝子をもっているか否かにかかわら 係が解明されることが期待される。 ず,アポトーシスのみが誘導されて,全タンパク質合成 7.1.AcMNPV 感染マイマイガ Ld652Y 細胞における全 アポトーシスの抑制のみならず,Ld652Y 細胞における 停止は誘導されない。このことから,P35 タンパク質は タンパク質合成停止とアポトーシス 全タンパク質合成停止の誘導にも関与していることが推 Ld652Y 細胞はアポトーシスをきわめて誘導しやすい 察されている(Du and Thiem 1997b; Thiem and Chejanovsky 細 胞 で,BmNPV や HycuMNPV,SeMNPV,OpMNPV, 2004)。不思議なことに,この場合,ともに全タンパク SpltMNPV など,様々な NPV の感染によってアポトーシ 質合成停止は誘導されないにもかかわらず,vAcΔp35 スを誘導する(Ishikawa et al. 2003) 。ところが,AcMNPV が hrf-1 遺伝子をもっていると,ウイルス DNA と後期 に感染した Ld652Y 細胞では,アポトーシスではなく, タンパク質が合成されてウイルスの増殖がみられるが, 全タンパク質合成停止が誘導される。 hrf-1 遺伝子をもっていないと,ウイルス DNA も後期タ AcMNPV 感染 Ld652Y 細胞の全タンパク質合成停止 ンパク質も合成されず,ウイルスは増殖しない(表 2) 。 とアポトーシスには,P35 と HRF-1 の 2 つのウイルス ちなみに,Ld652Y 細胞を宿主とする LdMNPV は,hrf-1 因子が関与していること明らかになっている(図 5A; 遺伝子と強力なアポトーシス抑制タンパク質を発現する Du and Thiem 1997b; Thiem and Chejanovsky 2004) 。上述 apsup(apoptosis suppressor)遺伝子(Yamada et al. 2011, のように,p35 遺伝子をもつ野生型 AcMNPV が感染し 2013)を兼備している(表 2) 。 た Ld652Y 細胞では,アポトーシスは誘導されないが, これらの結果は,P35 タンパク質でアポトーシスを抑 230 表 2.Ld652Y 細胞における増殖におよぼすウイルスのアポトーシス抑制因子および HRF-1 の影響1 ウイルス2 アポトーシス 抑制因子 HRF-1 アポトーシス 全タンパク質 合成停止 ウイルス DNA 合成 後期タンパク質 合成 子孫ウイルス 産生 AcMNPV P35 − − + + − − AcMNPV/hrf-1 P35 + − − + + + vAcΔp35 − − + − − − − vAcΔp35/hrf-1 − + + − + + + + − − + + + LdMNPV 3 Apsup 1 Thiem and Chejanovsky(2004)を改変。 AcMNPV, Autographa californica MNPV; AcMNPV/hrf-1,hrf-1 遺伝子をもつ AcMNPV; vAcΔp35,p35 遺伝子を欠損した AcMNPV; vAcΔp35/hrf-1,hrf-1 遺伝子をもつ vAcΔp35; LdMNPV,Lymantria dispar MNPV。 3 Apsup は initiator caspase Dronc のプロセシングを抑制して,Dronc の活性化を阻止することによりアポトーシスを抑制す る(Yamada et al., 2011, 2013)。LdMNPV は IAP2 と IAP3 の 2 つの IAP をコードしているが,いずれもアポトーシス抑制 活性はない(Yamada et al., 2012) 。 2 制しても,HRF-1 タンパク質が存在しないと全タンパク 抑制因子によるアポトーシス抑制メカニズムは多様であ 質合成停止が誘導され,逆に,HRF-1 タンパク質で全タ るが,これらの結果から,バキュロウイルスのアポトー ンパク質合成停止を回避させても,P35 タンパク質が存 シス抑制因子は,ペプチド性の caspase 阻害剤とは異な 在しないとアポトーシスが誘導されることを示してい り,単にアポトーシスの抑制のみならず,一様に全タン る。すなわち,細胞が発動する 2 つの抗ウイルス応答の パク質合成停止の誘導あるいは増強にも何らかのかたち 一方が特定のウイルス因子によって阻止されても,もう で 関 与 し て い る こ と が 示 唆 さ れ て い る(Thiem 2009; 一方の抗ウイルス応答は,その影響をうけることなく稼 Thiem and Chejanovsky 2004) 。 働することを意味している。このことは,全タンパク質 全 タ ン パ ク 質 合 成 停 止 と ア ポ ト ー シ ス に 関 し て, 合成停止とアポトーシスが,少なくともシグナル伝達経 AcMNPV と Ld652Y 細胞との間で認められる関係と類似 路の下流域においては,別々の独立した経路を介して発 の関係が,HycuMNPV と Ld652Y 細胞との間において 動していることを示唆しているものと考えられる。 も認められる。Ld652Y 細胞は HycuMNPV に感染する P35 タンパク質は,特定のバキュロウイルスがコード と激しいアポトーシスを誘導する(Ishikawa et al. 2003) している強力なアポトーシス抑制因子で,アポトーシス が,hrf-1 遺伝子をもつ HycuMNPV は,アポトーシスを の実行因子である effector caspase を不活化することに 誘導することなく,Ld652Y 細胞で増殖する(Ishikawa よってアポトーシスを抑制する(Clem 2007; Ikeda et al. et al. 2004)。タンパク質合成を調べたところ,hrf-1 遺伝 2013; Means and Clem 2008) 。既述のように,AcMNPV 子をもつ HycuMNPV に感染した Ld652Y 細胞では,タ 感染 Ld652Y 細胞でみられるものと同様の全タンパク質 ンパク質は合成されていたが,hrf-1 遺伝子の代わりに lacZ 遺伝子をもつ HycuMNPV に感染した Ld652Y 細胞 では, 全タンパク質合成停止が誘導されていた。しかも, 子,sl-p49 遺伝子と置換した組換え AcMNPV に感染し この全タンパク質合成停止は,z-VAD-fmk でアポトーシ た Ld652Y 細胞でも誘導される(Thiem and Chejanovsky スを阻害しても同様に認められた(Ishikawa et al. 2004) 。 2004) 。一方,ペプチド性の caspase 阻害剤で処理した また,BmNPV も Ld652Y 細胞に感染するとアポトーシ vAcΔp35 感染 Ld652Y 細胞においては,全タンパク質合 スを引き起こす(Ishikawa et al. 2003)が,hrf-1 遺伝子 成停止は誘導されない(Thiem and Chejanovsky 2004)。 をもつ組換え BmNPV は Ld652Y 細胞で増殖することが Op-IAP や Cp-IAP(ともに IAP3 であることが判明して できる(Ishikawa et al. 2006) 。メカニズムについての詳 いる)などのバキュロウイルス IAP は,アポトーシス 細な調査はないが,BmNPV についても,AcMNPV や 経路の上流で細胞の IAP アンタゴニスト(IAP antago- HycuMNPV と同様のことが Ld652Y 細胞で起こってい nist)の活動を阻害してアポトーシスを抑制する因子で ることが推測される。 ある(LaCount et al. 2000) 。また,P49 は P35 のホモロ グと考えられているが,effector caspase のみならず initiator caspase の活性も阻害する(Du et al. 1999; Zoog et al. 2002) 。このように,バキュロウイルスのアポトーシス 7.2.AcMNPV 感染カイコ細胞における全タンパク質合 成停止とアポトーシス 既 述 の よ う に,AcMNPV 感 染 BmN 細 胞 で は 全 タ 231 蚕糸・昆虫バイオテック Vol.84 No.3 合成停止は,p35 遺伝子を他のバキュロウイルスのアポ トーシス抑制遺伝子である op-iap 遺伝子や cp-iap 遺伝 SANSHI-KONCHU BIOTEC Vol.84 No.3 ン パ ク 質 合 成 停 止 が 誘 導 さ れ る。 ま た,AcMNPV や 現を促す役割を担う LEF の一員である。これに対して, HycuMNPV,SeMNPV,SpltMNPV に感染した BM-N 細 HRF-1 と Hycu-EP32 は,今のところ,ここで紹介した機 胞では,rRNA の劇的な分解が起こることから,rRNA 能以外の機能は認められていない。また,P143,HCF- 分解が原因となって全タンパク質合成停止が誘導される 1,Hycu-EP32 がいずれも核に局在して機能するタンパ と考えられた。さらに,全タンパク質合成停止と rRNA ク質であるのに対して,HRF-1 は細胞質で働くタンパク 分解は,ともに P143 タンパク質によって引き起こされ 質である。このようなことから,NPV 感染細胞におけ ることも明らかになった(図 5B) 。 る全タンパク質合成停止は,典型的な収束進化の結果と ところで,これらの NPV の P143 タンパク質を BM-N いえよう。 細胞で一過性発現させると,rRNA 分解のみならずアポ ウイルス感染細胞による全タンパク質合成停止の誘導 トーシスも誘導される(Hamajima et al. 2013) 。このこ には,感染ウイルスの認識,認識情報の実行因子への伝 とは,各ウイルスのアポトーシス抑制因子の非存在下の 達,実行因子による効果的なタンパク質合成停止など, BM-N 細胞ではアポトーシスが誘導されることを意味し 一連のステップが滞りなく進行することが必要である ており,vAcΔp35 感染 BM-N 細胞でアポトーシスが誘 が,その分子機構についての知見はきわめて乏しい状況 導されることと合致する。rRNA の分解はアポトーシス にある。同様に,感染細胞が誘導した全タンパク質合成 にともなって起こることがしばしば報告されている 停止を効果的に回避するために,ウイルス因子が標的と 。しかし,P143 (King et al. 2000; Mroczek and Kufel 2008) する細胞因子やシグナル伝達経路などについての知見は タンパク質の一過性発現によって引き起こされる rRNA 皆無といっても過言ではない。さらに,全タンパク質合 の分解は,caspase の活性阻害剤 z-VAD-fmk でアポトー 成停止とアポトーシスとの関係についての研究もほとん シスを抑制しても回避できない(Hamajima et al. 2013) ど進んでいない。 ことから,AcMNPV 感染 BM-N 細胞における rRNA 分 現在,私たちの研究室では,これら 4 種の全タンパク 解とそれに起因する全タンパク質合成停止は,アポトー 質合成停止の誘導と回避の分子機構についての解析を進 シスの結果として引き起こされるものではない。 一般に, めている。この比較解析によって,一見,無関係にみえ RNA やタンパク質などの合成を阻害剤で阻害すると, るこれらの異なる全タンパク質合成停止の誘導と回避の 細胞はアポトーシスを誘導することが知られており,昆 メカニズムが,どこかで収束していることが明らかにな 虫細胞でも同様のことが示されている(Ikeda et al. 2004; るかもしれない。 また, 全タンパク質合成停止とアポトー Palli et al. 1996) 。しかし,vAcΔp35 感染 BM-N 細胞にお シスとの関連についての研究も最近開始した。研究はま けるアポトーシス誘導が全タンパク質合成停止に起因し だ緒についたばかりであるが,これらの研究を深化させ ているかどうかについては明らかになっていない。 ることにより,チョウ目昆虫細胞の主な細胞内抗ウイル 8.おわりに 本稿では,NPV 感染細胞が誘導する全タンパク質合 ス応答であるアポトーシスと全タンパク質合成停止の誘 導シグナルネットワークや,それぞれの抗ウイルス応答 の役割分担などが明らかになることを期待している。 成停止の誘導と回避のメカニズムについて,これまでに 研究が進められてきた 4 つのケースを紹介した。最近で 謝 辞:本稿をまとめるにあたり,丁寧なご校閲と多く は,特定の NPV- 細胞系でウイルスと細胞との相互関係 の貴重なご助言を頂いた東京大学大学院農学生命科学研 を分子生物学的手法で深く追究することが少なくなって 究科准教授 勝間 進先生に心より御礼申し上げます。 きたため,新たな NPV- 細胞系での全タンパク質合成停 止の例は,このところしばらく報告されていないが,全 タンパク質合成停止は,チョウ目昆虫細胞のごく一般的 な細胞内抗ウイルス自然免疫として,多くの NPV- 細胞 系で稼働していることが推察される。 興味深いことに,ここで紹介した 4 種の全タンパク質 合成停止の誘導と回避のメカニズムは,すべて相互に大 きく異なっている。また,全タンパク質合成停止に関与 するウイルス因子も多様で,P143 と HCF-1 は,もとも と,ウイルス DNA の合成やウイルスの後期遺伝子の発 232 引用文献 Ahrens CH, Rohrmann GF (1996) The DNA polymerase and helicase genes of a baculovirus of Orgyia pseudotsugata. 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