エミリィ・ディキンスン資料センターだより

エミリィ・ディキンスン資料センター便り
2808-09
~エミリィのささやき~
生涯で1775篇の詩を書いたエミリィですが、その中でも最も多い366篇の詩を書いたのが1862
年で、そのうちのひとつが‘I felt my life with both my hand’で始まる詩です。この 1860 年代前半は、
エミリィが生と死に関する主題をおおいに発展させた期間と言われています。
32歳にしてすでに自分が死んだときのことを、他人を観察するかのように客観的に表現していま
す。化粧品のCMを思い浮かべてください。女性が鏡に向かって自分の肌の調子を確かめるように、
「わたし」は自分が生きているのかどうかを確かめています。両手をほおにあてて感覚を確かめ、肉体
だけではなく魂がはっきり映るがどうかあらゆる方向からチェックしています。魂が映らなければ生きて
いることにならない、つまり生きるとは魂が生きることであることを主張しているようにも聞こえます。鏡
に向かって名前も呼んでいます。しかしえくぼのある「わたし」が、えくぼをつくって微笑みを返してくれ
ない事実に愕然とします。そのとき魂を伴った生命の可能性をあきらめ、死を認めざるをえなくなりま
す。
エミリィにとって生とは魂の伴った肉体でなくてはならないのです。それでもすぐに気をとりなおし、天
国に召されても多分天国を好きにはなれないだろうと、肉体を失った魂の「わたし」は鏡に映った「わ
たしの姿」と天国についてことばを交わしています。
アイフェルトゥ
マ イ
ライフ
ウィズ
ボ ウス
マ イ
ハ ン ズ
‘ I f e lt my life with both my hands’
I felt my life with both my hands
ト ゥ
ス ィ
イフ イトゥ
ワ ズ
ゼ
ァ
To see if i t was there -
アイ
ヘルドゥ
マ イ
スピゥリツ
トゥ
ザ
本当にあるのかどうか確かめるために
グラース
I held my spirit to the Glass,
ト ゥ
プルーヴ
イトゥ
マ イ
こころを鏡にかざしてみた
ポス ィブラー
To prove i t possibler -
アイ タ ー ン ド ゥ
私は自分の命を両手で触ってみた
ビ ー イン グ
ゥラウン
もっとはっきりさせるために
デ ン
ゥラウンドゥ
I turned my Being round and round
わたしの存在をあちら こちらと向け
エンドゥ
ポ ウ ズ ド ゥ
アトゥ
エ ヴ ゥ リ
パウンドゥ
And paused at every pound
ト ゥ
アスク
デ ィ
オ ウ ナ ー ズ
そのつど止めては
ネ イ ム
To ask the Owner’s name-
フォー
ダ ウ ト ゥ
ザ ト ゥ
アイ
シ ュ ド ゥ
ノ
持ち主の名前を尋ねた
ウ
ザ
サウンドゥ
For doubt, that I should know the Sound -
もしかしてその響きに
覚えがあるのではないかと
アイ
ジャジドゥ
マ イ
フィーチュァーズ
ジャードゥ
マ イ
ヘ ア
I judged my features - jarred my hair -
目鼻立ちを確かめ
髪を乱暴にとかしつけ
アイ
プ シ ュ ト ゥ
マ イ
ディンプルズ
バイ
エ ン
ウェイティドゥ
I pushed my dimples by, and waited -
イフ
ゼ
イ
トゥウィンクードゥ
バ ッ ク
I f they - twinkled back -
コンヴィクション
マ イ ト ゥ
オヴ
えくぼを突いて 答を待った
もしえくぼが 笑い返してくれたら
ミ ー
Conviction might, of me -
自分を確信するかもしれない
I told myself, “Take Courage, Friend -
「しっかりなさい あなた」
わたしは自分に言い聞かせた
That - was a former time -
「あれは 昔のことだったのよ
But we might learn to like the Heaven,
でも 私たち昔の家とおなじように
As well as our Old Home!”
天国が好きになれるかもしれないわね!」
※possibler= more possible
(思潮社「エミリ・ディキンスンを読む」 岩田典子
より)
エミリィが死をテーマに書いた詩の中にときどき出てくるのが‘hair(髪)’です。詩の中の「わたし」は、
時には亡くなった人の髪を整え、時には自分の髪をとかします。1 枚しか残されていないとされていた
写真の中のエミリィはもう大人で、前髪も伸ばして中央で分け、後ろにまとめています。めったに人前
に姿を現すことはなくても、家族とは大の仲良し。いつも身だしなみには気をつかっていたのだと思いま
す。
またエミリィはある手紙の中で自分をこのように描写しています;「私はミソサザイのように小さく、髪
は栗のいがのように固く、」。今も昔も女性にとって髪質や容姿は関心事のひとつなのでしょう。
Nellie’s Mom
手をほほにあてる女性
エミリィ・ディキンスン
銀製化粧セット(19世紀後半)