映画における天皇表現の変遷―タブーから装置へ

映画における天皇表現の変遷
―タブーから装置へ―
18120186
主担当教員
1. はじめに
本研究は、映画における近代の天皇の表現に注
目し、その表現がいかに変化したかを明らかにす
る。また、定量的な天皇映画研究を行うことで、
本研究分野における新たな研究の可能性を示唆す
ることができた。
2. 先行研究
本研究分野の先行研究は、ほとんどが映画に対
する批評といった形で行われてきた。平沢(2007)
は、映画において昭和天皇が常に象徴的な存在と
して登場し、感情を持った一人の人間としての姿
が描かれることはなかったとしている。また、門
間(2008a)は昭和天皇が日本映画のなかで主人公
として登場することはなかったとし、描写が事実
の範囲に制限されていたとしている。
これら研究は、作品それぞれの解説にとどまり、
定量的なデータからの研究はほとんどなされてい
ない。また、公開時の作品批評に目を向けている
ものも少なく、当時からの視点も欠落している。
3. 分析
3.1. 分析データ
本研究では、門間(2008b)の作成したリストと、
IMDb(インターネットムービーデータベース)を
参考に抽出した、近代の天皇が登場する映画 16 作
品すべてを研究対象とする。近代の天皇に限定し
たのは、孝明天皇までの天皇が不可視の存在であ
ったのに対し、明治天皇は可視の存在として、そ
の姿を民衆に見せることが多く、映画以前にそも
そもの表現に違いがあったという点である。また
ここでは、俳優が実際に天皇を演じた映画のみに
限定した。天皇を一般人が演じることによっては
じめて、どこまで踏み込んだ表現ができているの
か判断できると考えられるためである。
これらの 16 作品に対応する映画批評を「キネマ
旬報」から 42 個リストアップし、上記の映画作品
と対照させた。
3.2. 分析方法
上述の 16 作品について、ショットとシーンの長
さを計測し、その開始地点とショットの分類、場
所やセリフについての計測を行った。それらのデ
ータを映画史的時代区分、今上天皇かそうでない
か、製作国による区分といった観点から、一元配
置分散分析を行った。
中西 礼則
田口哲也教授 副担当教員 津村宏臣准教授
3.3. 分析結果
天皇の表現を映画史的時代区分から見ると、
1952 年から 1960 年までの第一期が他と比べ特異
であることが分析から明らかとなった。第一期に
おける作品はすべてが明治天皇についての映画で
あり、第二期からは明治天皇と昭和天皇が入り混
じる。このため、単純な時代区分による分析では
有意な結果が得られないのではないかと考えた。
今上天皇かそうでないかの区分による表現の違
いに目を移すと、明確な違いが明らかになった。
登場シーンの長さについては、有意な差を見るこ
とは出来なかったが、顔の描かれ方は今上天皇か
否かによって有意な差が見られた。
今上天皇
残差
平方和 自由度 平均平方 F値
p値
9.15
1
9.153 55.12 2.46E-13
163.41
984
0.166
‐
‐
表. 天皇の顔の今上天皇か否かによる分散分析
最後に、製作国による区分から見ると、日本と
アメリカ両国の映画における天皇の表象には有意
な差が見られないということが明らかとなった。
4. 考察
天皇の表現は、初めタブーであったにもかかわ
らず、時を経るにつれて戦争映画のなかの装置(戦
争開始と終戦処理)と変化していったと、これら
の分析から考えることができる。
また、今上天皇を描くことはプライバシーの問
題ともかかわる。また、表現における明確なガイ
ドラインがないことも、こうした控えめな表現の
要因と考えられる。
5. おわりに
天皇を描いた作品が、日本以外ではアメリカと
ロシアにしかない。大国、戦勝国、これらとの共
通点が示唆的と感じられる。天皇を描いた作品は
まだまだ本数が少ないが、自由に製作される時代
が来たとき、天皇は「装置」から何へ変化するの
か。後の研究に役立つことを願う。
参考文献
門間貴志 「映画における天皇の表象」
『映画『太陽』オ
フィシャルブック』太田出版、2008 年、pp. 124-135
門間貴志 「映画・テレビドラマに登場した主な皇族と
その配役」『映画『太陽』オフィシャルブック』太田
出版、2008 年、pp. 136-147
平沢剛 「日本映画は天皇をどう描いてきたか 格闘の歴
史として」
「論座」147 巻、2007 年 8 月、pp. 54-61