中・北部編 復帰後から現在に至る沖縄の都市計画事業の動向 池田 孝之 琉球大学工学部教授 1972年に本土復帰してから沖縄の都市計画事業は本土の都市計画関連法体系に組み込まれた。それまでは、戦後の米軍政府、 米国民政府、琉球政府によって許認可、事業費の制約を受け、 かなりの限定された事業の範囲にとどまっていた。特に、一般の街路 整備、市街地の面整備、住宅供給と不良住宅地区の整備は急務の課題となっていた。都市計画街路事業、土地区画整理事業、公 営住宅建設事業はその柱となるものであった。 県都那覇市を中心とする那覇広域都市計画区域は、線引き制度による市街化のコントロールと併せて、体系的な道路網整備 と公営住宅建設、米軍基地跡利用を含む土地区画整理が進展していったが、人口集中に伴う住宅立地に基盤整備が追 い付かず、いびつな市街地を形成していくことになる。 中北部は少し遅れながらも国道、県道レベルの整備が進展していくが、抱える米軍基地の規模の大きさから、市 街地内での面的な整備はほとんど手がつけられず、 わずかな国道と県道の整備にとどまり、市町村が力点を 置いたのは郊外部の土地区画整理であった。 これにより市街地は広がり人口の増加を見たが、線引き制 度の適用がない中北部の広域都市計画区域では無秩序な市街化を抑制できないまま外延的な市 街地が形成されていった。体系的な道路整備も進まず、既成市街地内の基盤未整備地区、要再 開発地区が多く残された。 90年代になって、基地返還のプログラムの進展とともに、基地跡地の活用・利用が活 発となり、併せて道路網の体系的計画と整備が進み、 さらにはロータリーのような道路構 造の改善や部分的ではあるが市街地区の再開発も胎動した。郊外部においても土地 区画整理による住宅地の整備、海浜部の埋め立てによる新市街地や工業団地の 整備が展開されている。 今後、 リゾート施設も含めて、 これら都市計画施設の有機的なネットワークを どのように結び付けていくか、 さらには中心市街地を再生しながら都市全 体をコンパクトシティとして再構築するような都市整備方策が問われている。 返還跡地利用の進む桑江・伊平地区と発展した 美浜埋立てリゾート地区(アメリカンビレッジ) ( 北谷町国道58号上空 )
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