希薄試料や薄膜試料の XAFS 測定

希薄試料や薄膜試料の XAFS 測定
田渕雅夫
名古屋大学シンクロトロン光研究センター
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試料の中に、自分が測定しようとする元素の量が少ない試料を「希薄」試料と言う。試
料中の元素の濃度が小さくなればなるほど測定される XAFS スペクトルの質は悪くなる。濃
度が小さくなるとどのぐらい影響があるか検討するために、少し荒っぽい計算をしてみよ
う。
ある XAFS 測定用のビームラインで試料に照射される入射 X 線強度が、フォトン数にして
3x10^10 photon/sec あったとする。XAFS 測定では、入射 X 線のおおよそ 1/2 から 1/3 を
試料が吸収するように試料の濃度や厚さを調整するのが良いとされている(よく言われる
「μt(試料の総吸収厚さ)が 3 弱、Δμt(対象元素の吸収端での吸収変化)が 1 程度」とい
うのはそういう条件)。そんな理想的な試料があると試料後方の検出器で検出される X 線強
度は、吸収端前で入射強度のおおよそ 2/3、吸収端後で 1/3 程度になる。測定としては、
フォトン数で 1〜2x10^10 p/s 程度の強度のシグナルの上に乗る 1x10^10 p/s 程度の変化
(吸収端)を測定することになる(XAFS 振動はこれの 1/10 程度以下の振幅)。1x10^10 p/s
オーダのフォトンカウント測定を行う時の統計ノイズは√(1x10^10) = 1x10^5 p/s 程度な
ので、吸収端でのジャンプ量の測定精度は 1x10^5 / 1x10^10 = 1x10^-5、XAFS 振動の振
幅の測定精度は 1x10^5 / ( 1x10^10 x 1/10 ) = 1x10^-4 程度になる。簡単に言うと 4 桁
から 5 桁の精度があることになる(素晴らしい!)。
ところが、試料中の対象元素の濃度が 1/100 に減って、エッジジャンプ(Δμt)が 0.01
程度にまで減ったとしよう(先生は、「そんな試料を透過法で測ってはダメ」と教えてくれ
たはず)。その場合には、1x10^10 p/s 程度のシグナルの上に乗る 1x10^8 p/s 程度の変化(吸
収端)を検出する必要がある。検出器に入る総フォトン数はほとんど変化しないから、統計
ノイズの大きさは 1x10^5 p/s で変わらない。するとジャンプ量の測定精度は 1x10^5 /
1x10^8 = 1x10-3、XAFS 振動の測定精度は 1x10^5 / ( 1x10^8 x 1/10 ) = 1x10^-2 にま
で下がってしまう。たった 2 桁から 3 桁の精度で、これは EXAFS 領域まで測って構造を調
べようとするときにギリギリ必要な最低限の精度になる。
それでは、この程度の濃度の、あるいはこれよりも更に低い濃度の「希薄」な試料の XAFS
スペクトルを測定し議論することはできないのだろうか。そんなことはなくて、そんな時
に使用されるのが蛍光 XAFS 測定である。透過法の測定では元々、非常に大きな強度がある
透過光の変化を測定するので、
「変化」が小さいとベースになる透過光そのもののノイズに
埋もれてしまう。これに対して蛍光法では、(条件がいい場合)吸収端前では何もなかった
ところに現れ出てくる蛍光 X 線を検出するので、測定精度を決めるのは、蛍光 X 線自身の
統計ノイズになる。もし蛍光 X 線の総カウント数が 1x10^6 count 程度になれば、その精
度は √(1x10^6) / 1x10^6 = 1x10^-3、すなわち 3 桁になる。決して素晴らしい精度とは
言えないのだが、濃度が下がるほど下がっていく透過法の精度よりは優位になり得る。
(ここで、なぜ急に 1x10^6 count という、他に比べて随分小さな数字が出てきたのか?
と思われるだろうか。蛍光 X 線の総強度は実はそんなには小さくない。ある元素が X を吸
収した時、蛍光 X 線を出す確率は数%から数 10%あるので、対象元素の濃度が 1%のオーダー
だったとしても、1x10^10 p/s の X 線を照射すると出てくる蛍光 X 線は例えば 5x10^7 p/s
程度ある。しかし、残念なことに蛍光 X 線は指向性がない。全天に出てくる蛍光 X 線のう
ち検出器で拾えるのは微々たる量でしかない。例えば試料から 10cm(R=10) の距離にある
直径 1cm (r=0.5) の検出器は、πr^2/(4πR^2) = 0.5x0.5/(4x10x10)
=0.06%の蛍光 X 線
しか拾えない。5x10^7 x 6x10^-4=3x10^-4)
この様に、希薄試料の測定では、ある条件下で蛍光法が非常に大切になる。同様の理由
で(あるいはまた別の理由でも)薄膜試料でも、蛍光法が大切になる。そこで、本講では、
「希薄試料や薄膜試料の XAFS 測定」と銘打って実際には、蛍光 XAFS 測定の話を展開する。
その際、「蛍光 XAFS はこんな時に有利」とか「こんな時には向かない」という話を定性的
にするのではなく、できる限り定量的に述べてみよう、というのが本講のこだわりポイン
トだと思ってもらいたい。
もう一点、忘れてならないことは「蛍光 X 線強度は、試料の吸収係数に比例する」とい
う仮定は限定された条件下でしか成立しないことである。この条件が崩れると、蛍光 X 線
の強度を測っても吸収係数を測定したことにはならない。その結果、正しい XAFS スペクト
ルは得られないことになる。これは一見困ったことに見えるが、実際に検討してみると、
透過法で測るよりも蛍光法で測った方がスペクトルの質が良くなる範囲と、蛍光スペクト
ルを吸収スペクトルと同一視して良い範囲はほぼ一致する。
逆に言うと、良い試料条件で測れば透過法が適しているような試料は本質的に蛍光法で
測ってはいけない。できればこのよくある勘違いを減らして、蛍光法で測ってはいけない
試料を蛍光法で測ってしまうミスをなるべく減らしたい、というのも本講大きな目標の一
つになる。(とは言え、「わかっちゃいるけど、蛍光で測るしかない」ということも現実の
世界ではままあることで、わかっていて苦労している人を責めるつもりは毛頭なく、それ
も理解した上で蛍光法を利用できるようになることを希望したい。)