寄 稿 - 山形県医師会

山形県医師会会報 平成28年7月 第779号
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医 療 費 亡 国 論 山形市 武 田 和 夫
最近、高い効果を持つ新薬が次々に開発されてい
者の経験と労働力を安く見積もることで成り立って
る、しかしその価格は驚くほど高額になっている。
来た医療保険は、高額な機械の使用による影響をも
もしこれを保険に採用したら現在の健康保険は財政
ろに受ける。高い薬や検査器械、それに安全性第一
的にパンクし、さらには働かないで年金を貰い、あ
で使い捨てのディスポ製品が多用されるようになっ
ちこちの医療機関をハシゴする増えすぎた長寿老人
た。人の命は費用効果で測るものではない、値段は
の社会保障費で、国家の財政が破綻するといわれる。
付けられないという。可愛がった高齢のペットの延
数十年前、日本が経済成長の波に乗っている時代、
命に大金を掛ける人もいる。一方でスーパーに出荷
健康保険の被保険者本人は自己負担なし、さらに老
される野菜は基準に合わせて、摘果、間引きをし、
人も只にした時代があった。日の昇る国とかジャパ
養鶏場も産卵率が落ちればその小屋の数千匹をまと
ン・アズ・ナンバーワンと煽てられ、お金などいく
めて処分し若い鶏に入れ替える。豚も牛も食肉生産
らでも湧いてくる感じであった。
工場的に効率が重視される。ライオンですらハン
列島改造、高速道路は経済の大動脈と、インフラ
ターの楽しみのため飼育されている。人間以外の生
整備に資金が注ぎ込まれ、医師不足といわれ全国各
き物の命は安い。
県の大学に医学部が作られた。東京オリンピックか
出生前検査で先天異常の可能性を知らされると、
ら大阪万博と日本は高度経済成長を謳歌していた。
7割が妊娠の中断をするという。幼い子供の心臓移
医療でも大昔は単純であった。早期発見が不可能
植のため募金が街頭で呼びかけられている。臓器移
な癌などは、見つかった時には死の宣告同様であっ
植をしても生涯拒絶反応との戦いになる可能性もあ
た。老人が倒れたときは、ベテランの内科医がピン
る。ポリオで鉄の肺から出られず、そこで何十年の
とハンマーと、自分の知識と経験から「脳卒中」と
生涯を終わった人もいる。彼らの生涯ははたして幸
診断すれば、蘇生器もなくそれ以上は何も出来な
福だったか。
かった。医学の進歩と社会のインフラの整備は、倒
戦国ドラマで、敗れて城内の人々の命と引き換えに、
れたらすぐ119番通報で救急車が来て病院に運び込
城主が腹を切る取引がある。国の財政から、老人の命
む。病院は病人が超高齢者であっても、マニュアル
を僅か伸ばすための巨額の出費は無意味なのではな
に従いCT、MRIの検査で脳出血か梗塞かを判断
いか。高齢者の医療は若い人達と違った制限と、それ
し、酸素だ、血管確保だと救急処置が始まる。ピン
に公的保険に自費での治療費を積み重ねることで、保
とハンマーと経験の時代から、今は億単位の価格の
険財政を維持することを考えねばならない。
検査器械で的確に診断がなされる時代になった。医
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山形県医師会会報 平成28年7月 第779号
れ
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市 武 田 昌 孝 山形県医師会会報 平成28年7月 第779号
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県内の峠巡り
寒河江市 五十嵐 勝 朗
山形県は総面積の約85%を山地が占め、そのう
上町)
、柏木峠(268号線・歴史国道羽州街道)
、福
え三方が山に囲まれているので峠が多いのです。
、さらに主要地方
船峠(318号線・長沢-尾花沢)
峠とは、山道を登りつめたところ、言い換えると
道では白布峠(2号線・西吾妻スカイバレー)
、船
山の上りと下りの境目のことであり、日本全土に
坂峠(2号線・米沢-猪苗代)、子持峠(8号線・
は1万を超える峠があるといわれています。車社会
川西-小国)、九才峠(8号線・川西-小国)、大
では峠は単なる通過点に過ぎなくなり、今ではほ
畑峠(8号線・川西-小国)、刈田峠(12号線・蔵
とんど顧みられなくなりました。現代はバイパス
王エコーライン)、金山峠(13号線・羽州街道)、
や高速道路がもてはやされる時代ですが、のんび
極楽峠(15号線・玉川-沼沢)、桜峠(15号線・玉
りと周囲の風景を眺めながら峠のある古道をドラ
川-沼沢)、大井沢峠(27号線・大江-西川)、山
イブすることで、これまでには味わえなかった贅
刀伐峠(28号線・尾花沢-最上)、背あぶり峠(29
沢なひと時を経験しようと考えました。そこで興
号線・尾花沢-関山)、雷峠(52号線・山北-関川)、
味本位に車が通れる国道や県道で峠と名のつく道
花立峠(63号線・最上-鬼首)がありました。
路がどれくらいあるかを道路地図(ライトマップ
これまでにここに掲げた峠の約80%をドライブ
ル山形県道路地図 昭文社)で調べてみました。す
しました。実際にドライブしてみると、国道399号
ると、国道では由良峠(7号線・羽州浜街道)
、栗
線の鳩峰峠や国道458号線の十部一峠は蛇行がき
子峠(13号線・米沢-福島)、猿羽根峠(13号線・
つく、いわゆる九十九折が多い上に対向車とすれ
羽州街道)、雄勝峠(13号線・羽州街道)、中山峠
違いはできないほど狭い箇所がたくさんあり、国
(47号線・最上街道)、関山峠(48号線・作並街道)、
道と言うより『酷道』と言う方がふさわしいくら
、二井宿峠(113号
宇津峠(113号線・小国街道)
いで、新緑や紅葉の季節は運転には細心の注意が
線・七ヶ宿街道)、大峠(121号線・八谷街道)、笹
必要でした。特に鳩峰峠に行くまでの山形県側の
、青沢越(344号線・
谷峠(286号線・笹谷街道)
道路は悪路なので景色を眺めながらという余裕を
、一本木峠(345号線・鶴岡―鼠ヶ
真室川-酒田)
初心者に望むのは無理と思います。十部一峠の一
関)、関川峠(345号線・鶴岡―鼠ヶ関)、鬼坂峠
部の区間は未舗装なのでof
f
r
oadのドライブを趣
(345号線・鼠ヶ関-鶴岡)、楠峠(345号線・鶴岡
味の方にはお薦めします。
、小滝峠
―鼠ヶ関)、鍋越峠(347号線・母袋街道)
芭蕉の『奥の細道』に出てくる本来の猿羽根峠
(348号線・小滝街道)、鳩峰峠(399号線・高畠-
や山刀伐峠は今では歩道になり、その脇が車道(国
、大師
伊達)、十部一峠(458号線・新庄-寒河江)
道13号線と主要地方道28号線)になっていました。
峠(458号線・新庄-寒河江)などです。それに県
猿羽根峠から最上川を股の間から眺めるとまた
道では板谷峠(232号線・米沢街道)、綱木峠(234
違った風景に出合った気分になります。この2つ
号線・小野川-綱木)
、新蔵峠(244号線・小松-
の峠は歴史的に有名な峠なので、後世のために山
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山形県医師会会報 平成28年7月 第779号
形県として整備して保存してはと思います。
登り詰めたら視界が360度で雄大な気分にして
青沢越は真室川町と酒田市を結ぶ国道344号に
くれるところもありましたが、柏木峠のように峠
ある標高320mの峠で、最近になって青沢トンネル
とは名ばかりで、道標がなければ気づかないうち
を始めとするトンネル群が完成し、大型トラック
に通り過ぎてしまうところもありました。携帯電
の走行が可能な全線2車線の道路拡幅が完了した
話が圏外だった区域が何か所かあり、不安になり
ので通年の通行が可能になり、最上地方と庄内地
急いで通過したことがありました。
方を結ぶ第2のルートとなりました。峠の部分は
そのほか、峠の名前の由来はその土地や山の名
急勾配や急カーブが続き断崖絶壁を縫っているが
前と関連すると想像していたが、調べてみたら必
視界は開けているのでドライブしやすい道路です。
ずしもそうでないところもありました。例えば、
その上、真室川町から庄内に向かう最短ルートで
十部一峠とは、その当時ここに番所が置かれてあ
あるから、これからは交通量は増加することが十
り、通行料として十分一役銀を徴収していたこと
分に予想されます。
に由来すると記載がありました。そのほか国道348
ドライブして比較的面白いのは背あぶり峠(主
号線に小滝峠と小滝越えがあります。これから、
要地方道29号線・尾花沢-関山)や福船峠(県道
その昔「峠」と「越え」を使い分けしていると考
318号線・長沢-尾花沢)です。いずれの道路も交
えられたので、その違いを調べてみたが未だわか
通量が少ないので対向車の心配はないのですが、
りません。
歩いている人もいないので寂しいです。その分、
これからの目標はまだ通っていない峠を越すこ
車から降りての野鳥の観察には最適です。
とです。さらに通ったことがある峠でも季節を変
国道345号の鼠ヶ関から関川間と関川から鶴岡
えて行きたいと考えています。実際にこれまでの
間では、これが同じ国道かと疑いたくなるほど道
経験から同じ峠でも、春と秋では感じが大きく異
幅が違う上に、関川から鶴岡間にあるはずの関川
なりました。春は若芽の木々の風は心地よく、気
峠も一本木峠も楠峠も鬼坂峠のいずれもトンネル
分は上昇気味でしたが、秋は紅葉はきれいですが
の上になってしまったので、何も峠の面影はなく
何となく、何かに追われている気分になりました。
がっかりさせられます。関川峠の付近に慶応四年
たかが「峠」ですがいろいろ興味は尽きません。
(1868)の戊辰役の関川激戦地跡があります。