学部共通科目(2016年度) 第14回 倫理的な正しさとは何か その4 まとめと補足(1) 正義論の立場 • 正義とは平等な原初状態において人びとが行う はずの仮説的選択である(リベラルな平等主義 者の見解)。 • 正義とは選択の自由を尊重すること、つまり自 由市場で人びとが行う現実の選択である(リバタ リアンの見解)。 • 正義とは、美徳を涵養すること、共通善について 判断することである(コミュニタリアニズムの見解)。 (サンデル『これからの「正義」の話をしよう』) 4.1リベラリズム、リバタリアニズム、 コミュニタリアニズム (1)ロールズとノージックの立場の相違点と共通点 • サンデルはロールズとノージックの立場の相違 点と共通点を次のように論じている。実践的な観 点からは、ロールズとノージックの立場は明瞭に 対立している。福祉国家リベラルなロールズと、 リバタリアン保守主義者のノージックは、少なくと も分配の正義の争点に関しては、非常に明瞭な 選択肢において立場を異にしている。→続く • 哲学的な観点からは、二人には多くの共通点が ある。二人とも、功利主義にはっきりと異議を唱 え、それが人格間の区分を否定していることを 根拠にして拒否している。その代わりに、二人と も、権利を基礎とする倫理学を提示し、それに よって個人の自由がより完全に確保されるとして いる。ノージックによる権利の説明は、ロックに 多くを負うとはいえ、二人とも、各人をたんなる手 段ではなく、目的として扱うべきであるとのカント の準則に訴え、それを具体化する正義の原理を 求めている。 (サンデル『リベラリズムと正義の限 界』) • 二人の理論家とも、ロールズのいう「人びとの 多元性と独自性」や、ノージックのいう「われ われが別々の存在であるという事実」を強調 する。このような中心的な道徳的事実によっ て、功利主義が否定され、個人主義的で、権 利を基礎とする倫理学が肯定されている。と はいえ、ロールズは、社会的・経済的不平等 がもっとも恵まれない者の便益になる限り認 める、正義の理論に到達するのに対し、ノー ジックは、再分配政策をまったく排除し、自発 的な交換や移転だけから成立する正義を主 張する。(サンデル『リベラリズムと正義の限界』) • 経済政策については自由放任主義を好む保守 主義者はリバタリアンと意見が一致するが、学 校での礼拝、妊娠中絶、ポルノ規制などの文化 的問題についてはリバタリアンと意見を異にする ことが多い。リバタリアニズムが、最小国家が望 ましいとしながらも、国家の力であらゆるものを 市場に委ねようとすることが正義だと考える限り、 リバタリアニズムは市場原理主義、新自由主義 的な経済政策の基盤となる。一方、リベラリズム の立場を取る、福祉国家支持者の多くは、ゲイ の権利、性と生殖に関する女性の決定権、言論 の自由、政教分離といった問題についてはリバ タリアン的な見解と重なる。(サンデル『これからの 「正義」の話をしよう―いまを生き延びるための哲学 ―』) ノージックとロールズ • ロールズの理論に対するノージックの異議申し 立ての本質は、ロールズの理論の再配分の側 面が財産と自己所有という個人の権利に対する 侵害を含んでいるということである。ノージックの 見解では、ロールズおよび再配分的福祉国家を 支持するすべての人びとは、個人を十分真剣に 受け止めていない。というのも、そうした人は、あ る個人たちのものである才能を、そのような才能 を欠いている別の個人たちのもつ目的に対する 手段として利用することを含む、強制労働と類似 した課税システムを構想する用意があるからで ある。→続く • ノージックのリバタリアニズムは、個人の自由 に対して、ロールズが承認するよりももっと大 きな尊重を要求することを含んでおり、第一 義的には、リベラルなパッケージの福祉国家 的要素に対応する、ロールズの理論の配分 的で準平等主義的な側面に対する拒絶とし て提出されている。(ムルホール・スウィフト『リベ ラル・コミュニタリアン論争』) (2)リベラル・リバタリアン・コミュニタリアン の相互関係 • リバタリアンの批判とコミュニタリアンの批判は、 異なった方向から由来していると同時に、現代 のリベラルな理論がもつ異なった要素に関心を 向けている。リバタリアンたちにとっては、ローズ の理論の配分的側面は個人とその自由を十分 真剣に受け止めていないのに対して、コミュニタ リアンたちにとっては、ロールズが個人の自由に 与えている重要性は、彼が個人をその共同体よ りも優先するという誤りを犯していることを露呈し ている。(ムルホール・スウィフト『リベラル・コミュニ タリアン論争』) • 第一に、多くの点でノージックのリバタリアニ ズムはリベラリズムの拒絶というよりもむしろ リベラリズムの一つの変種(version)として最 もよく理解される。ロックがその最善の実例で ある古典的なリベラリズムの本質が自己所有 に関する主張である限り、その場合にはノー ジックこそが真のリベラルであり、ロールズは 修正主義者であると論じるのがもっともであ るかもしれない。→続く • 第二に、ロールズのリベラリズムの配分的側面 を、個人と共同体の関係についての主張という 観点から述べることも可能である。ところがその 場合には、ロールズは、人びとの才能をある意 味で共同の財産(common property)とみなしてい る点でコミュニタリアンになるのである。こうして ロールズは、配分をめぐる問題に関してはコミュ ニタリアンとして、しかし共同体との関係におけ る個人の自由をめぐる問題に関してはリベラル として最もよく理解されるのである。(ムルホール・ スウィフト『リベラル・コミュニタリアン論争』) • コミュニタリアン的批判は、リベラリズムの平等 に関係する側面ないし配分的側面によりも、リベ ラリズムの自由に関係する側面に関心をもって きた。配分的リベラルとリバタリアンとの論争が 福祉国家の正当化可能性と福祉国家を賄うた めの課税の正当化可能性とを中心としているの に対して、リベラルとコミュニタリアンとの論争は むしろ、個人がメンバーである共同体ないし社会 の価値やコミットメントと衝突する場合でさえ、個 人が自分自身の人生を選択し、自分自身を自由 に表現するという、個人の権利の重要性に関心 を向けているということである。(ムルホール・ス ウィフト『リベラル・コミュニタリアン論争』) 4.2 後期ロールズの政治的リベラリズムの 思想 • ロールズの正義論は後期において、政治的リ ベラリズムへと拡張された。ロールズは、『正 義の理論』(1971年;1999年改訂)と『政治的リ ベラリズム』(1993年;1996年改訂)では立場を 変えたと言われる(転向)。前期ロールズの 「公正としての正義」から後期ロールズの政 治的なものへの移行をどのように考えるか (一方を認めて、他方を認めないか)が問題と なる。(ムルホール・スウィフト『リベラル・コミュニタリ アン論争』) リベラリズムとコミュニタリアニズム • ムルホールとスウィフトによれば、いくつかの 重要な点でロールズの立場はコミュニタリア ン的批判を免れているばかりか、さらに別の 点では彼自身がコミュニタリアンとみなされう る。そうすると、リベラリズムとコミュニタリアニ ズムという二つの見解は、決して相互に排他 的なわけではないことになる。(ムルホール・ス ウィフト『リベラル・コミュニタリアン論争』) 『正義論』の目的と『政治的リベラリズム』の目的 • ロールズによれば、『正義論』の目的は、社会契 約の伝統的な教説を一般化し、よりいっそう抽象 化することであった。彼は、「公正としての正義」 という構想の主要な特徴を明らかにし、その構 想を、功利主義に優り、それに取って代わる体 系的な説明として展開しようとした。その構想を ロールズは、民主的社会の諸制度のための最も 適切な基盤を構成するものと考えた。しかし、 ロールズによれば、『政治的リベラリズム』の目 的は、『正義論』の目的とはまったく異なっている。 →続く • 社会契約の伝統はこれまで道徳哲学の一部 と見なされ、道徳哲学と政治哲学は区別され てこなかった。『正義論』では正義の道徳的教 説が、正義の政治的構想と区別されていない。 また包括的な哲学的教説と道徳的教説およ び政治的なものの領域に限定された諸構想 との対比もなされていない。『政治的リベラリ ズム』では、これらの区別やそれに関連した 観念が基本となっている。(Rawls, Political Liberalism)。 • ムルホールとスウィフトによれば、ロールズは 『政治的リベラリズム』において、「政治的リベ ラリズム」を一つの一般的構想とみなす。後 期ロールズにとって、「公正としての正義」は リベラルな政治的構想の一例にすぎない。 (Rawls, Political Liberalis; ムルホール・スウィフト『リ ベラル・コミュニタリアン論争』)。
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