蕪村展示キャプション

展示期間:2016 年 7 月 11 日~7 月 23 日
与謝蕪村
《夜色楼台図(やしょくろうだいず)》
江戸時代18世紀後半
国宝
一幅 紙本墨画淡彩
個人蔵
27.3×129.3cm
■出典 大雅・蕪村 / 飯島勇,鈴木進著
■出版事項 講談社 , 1973 ■請求番号 L-721.3-Su51-12 ■資料 ID 183567137
■解説 蕪村の絵画表現に見る時代性と独自性 (特集 若冲と蕪村 : 奇想の画家と文人画家の
邂逅 : 生誕 300 年) 聚美 = Shubi , 青月社 , 2015 年(P-705-Sh99-14 ), 58 ページ
日本の南画 / 武田光一著 東信堂 , 2000 年 (721.7-Ta59n ), 54-55 ページ
18世紀を代表する画家であり、俳諧師でもあった与謝蕪村(1716-83)。そうした蕪村の芸術に
は、同時代の絵画や文学の流行が色濃く反映されている。とりわけ、ほぼ独学で絵を学んだ蕪村
は、若い頃から版本や画譜類といった多様な媒体を通して絵画表現を身につけていった。だが、
同時代に、池大雅(1723-76)や伊藤若冲(1716-1800)といった同時代の画家たちからの影響も
見逃せない。
「夜色楼台図」は水墨画の傑作としてつとに名高い。画は、柔らかな線描と、胡粉となじんだ墨
の見事なマチエールによって、しんしんと雪の降り積む夜の街の景を描いている。背後の山の形
と屋並の様子から、描かれたのは京都のようである。暗鬱な雪雲におおわれ、冷たい雪に閉ざさ
れた情景であるにもかかわらず、家々にともる灯の光によって、かえって人間の生活のぬくもり
をなつかしく感じさせる。蕪村の持味を十全に発揮した作品と言えよう。
展示期間:2016 年 7 月 11 日~7 月 23 日
与謝蕪村
《富嶽列松図(ふがくれっしょうず)》
江戸時代 1778-1783 年
重要文化財 一幅 紙本墨画淡彩
愛知県美術館
29.6 ×138cm
■出典 蕪村画譜 / 与謝蕪村[画] ; 山本健吉, 早川聞多著 ; 中川邦昭写真
■出版事項 毎日新聞社 , 1984 年 ■請求番号 L-721.7-Y85 ■資料 ID 182010065
■解説 与謝蕪村 / 与謝蕪村 [画] ; 日本アート・センター編 新潮社 , 1996 年(721.7-Y85Yy ),
56 ページ
この傑作の傑作たるゆえんは、挙げてシンプリシティーに帰着するといってよいだろう。富士と
松という限定されたモチーフの選択、本質でないものは完全に切り捨てられたフォルム、そして
水墨とほんのわずかの代赭(たいしゃ)という凝縮された色彩-広義の色彩-、すべてはシンプ
リシティーへと収斂していく。シンプリシティーこそ、日本美術の最大にして最高の特質だが、
この《富嶽列松図》は、それをもっとも完璧に具現した絵画にほかならない。
実際には複雑なものを、シンプルに見せる美意識もシンプリシティーのなかに包摂される。この作品でい
えば、空の中墨がそれにあたる。よく見ると、微妙な濃淡がつけられており、その濃度もきわめて厳密に
決定されていることがわかるだろう。これより少し薄くても、あるいは濃くても、それはけして青空には見え
ない。
展示期間:2016 年 7 月 11 日~7 月 23 日
与謝蕪村
《竹林茅屋・柳蔭騎路図屏風》
制作年不明
重要文化財 六曲一双 紙本着色 各 133.4×307.2cm
アムステルダム、ファン・ゴッホ美術館
■出典 与謝蕪村 / 吉沢忠著(日本美術絵画全集 第 19 巻)
■出版事項 集英社 , 1980 年 ■請求番号 L-721.08-N71-19 ■資料 ID 181840693
■解説 与謝蕪村 / 与謝蕪村 [画] ; 日本アート・センター編 (721.7-Y85Yy ), 44 ページ
蕪村:放浪する「文人」 / 佐々木丞平[ほか]著 (911.34-Y85Ybb), 46・58 ページ
「竹林茅屋(ちくりんぼうおく)・柳蔭騎路図(りゅういんきろず)屏風」は何ともいえずおおらかな構成、
虚実の微妙なバランス、竹林と楊柳の澄んだ色合い、古くから蕪村の傑作として名高い作品だ。紙本
の屏風だが、各隻の右端一扇だけは金地に仕立てられ、蕪村みずからの筆で七言絶句が書き込ま
れている。
独木為橋過小村 小さな村への丸木橋
幾竿脩竹護柴門 小さな庵は藪の中
白頭不識王候事 白髪の隠士は俗事を絶って
閑把牛経教子孫 孫に五経を教えてる
この詩は漢詩名詩集『聯珠詩格』から採られたことが指摘されている。蕪村はすでにある漢詩に想
を得て、この屏風を描いたのであった。ここには中国文化に対する強いあこがれが表明されている。
展示期間:2016 年 7 月 11 日~7 月 23 日
本来俳号である「蕪村」と、画名である「謝寅(しゃいん)」を同一画面に用いているのも面白い。蕪
村はこの種の画が俳句の感覚の支えなしには成り立たないことを知っていたのであろう。また、書と画
の響き合い、俳画のような詩と画の響き合い、蕪村のあらゆる手法を駆使した本図は、そういう意味で
も代表作といえるであろう。
明和5年(1768 年)、53 歳で京都に移り住んだ年には、『平安人物志』なる京都の文化人名鑑のよう
な冊子に、絵師として応挙や若冲らと名を連ねている。その後55歳で俳諧師として夜半亭二世を襲
名した頃から、絵師蕪村と俳人蕪村が彼の中で統合されていく。蕪村の句で最も有名な「菜の花や月
は東に日は西に」は 59 歳で詠んだものである。絵の方では「謝寅」という最後の号を使うようになった
のが 63 歳くらいで、その頃からが大成期といわれ、この「竹林茅屋・柳蔭騎路図屏風」も最晩年の謝
寅時代の傑作の一つである。