郡市地区医師会コーナー - 山形県医師会

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山形県医師会会報 平成28年6月 第778号
山形県眼科医会の公衆衛生事業から
-目の健康講座とビジョンバン眼科健診について-
南陽市東置賜郡医師会 南陽市 大西眼科 大 西 正 一
他科会員の皆様に、山形県眼科医会の公衆衛生
頼ってきました。当初は資金的余裕もなかったわ
事業のなかから、
「目の健康講座」と「ビジョンバ
けですが、イベントの顧客満足度を上げようとす
ン眼科健診」という私が関与した啓蒙イベント活
れば、将来的にはイベント企画のプロに依頼する
動について紹介させていただきます。
ようになっていくと思います。
来年は、5月21日(日)に、山形市中央公民館(ア
1.県眼科医会の歴史と「目の健康講座」
ズ七日町)6階大ホールで「目の健康講座」を予
1919年(大正8年)に「山形県眼科同志会」が
定しています。前回のイベント運営の経験を継承
発足し、1928年(昭和3年)から「山形県眼科医
して、会員同士の親睦事業としての意味合いも重
会」と改名、1944年戦時中断を経て、1951年山形
視して、従来方式で準備しているところです。
市で「山形県眼科医会懇談会」、1953年に「庄内
眼科医会」と合併して「山形県眼科医会」が再結
2.
「ビジョンバン眼科健診」の経緯
成されました。
2011年東日本大震災時の被災地医療支援用に、
日本眼科医会による国民の眼疾患に対する啓蒙
巨大特殊バス車両「Mi
s
s
i
onVi
s
i
onVan」が米国
行事として、1991年「目の健康講座」(厚生省後
フロリダ大学から貸与され、震災後の眼科医療活
援)を開始しました。東北ブロック眼科医会では
動に運用されました。
「Mi
s
s
i
onVi
s
i
onVan」は、
東北6県で持ち回り開催しております。県眼科医
2005年大型ハリケーン「カトリーナ」による米国
会は、1999年に山形市中央公民館(アズ七日町)
史上最悪の災害後に造られた眼科専用診療車です。
4階大会議室で、2005は霞城セントラル3階山形
この大災害時の眼科医療活動が評価され、日本製
市民健康センター大会議室で、2011年は山形市中
「ビジョンバン」車両が製造されて、東北6県で眼
央公民館(アズ七日町)6階大ホールで、
「目の健
科健診を行ってきました。
康講座」を開催しました。山形市中央公民館や業
県眼科医会では、2013年に山形市と天童市で眼
者の方々と1年がかりで交渉して、講演会場や作
科健診を行い、2014年3月に福島県からの避難者
業分担を詰めていき、東日本大地震直後でしたの
が多かった米沢市でビジョンバン眼科健診を予定
で地震発生時の避難誘導までとりいれたリハーサ
していました。2013年11月台風30号(Yol
anda)
ルをして、聴講者を迎えました。
によるフィリピン中部の激甚災害に対して、日本
会費が主な収入源である県眼科医会としては、
眼科医会がビジョンバン車両の派遣を決定し、置
啓蒙イベントは基本的に役員手弁当による企画立
賜地区での健診は中止となりました。
案実行と、医療関連企業MRさんの労務提供に
当初予定から1年を経て、2015年6月に「イオ
山形県医師会会報 平成28年6月 第778号
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ン米沢店」南側広場で、置賜地区ビジョンバン眼
して披露させていただきました。山形県内では、
科健診を開催しました。ビジョンバン車両到着の
さらに鶴岡市、寒河江市も加え、この3年間で計
遅れ、診断機器と電子カルテとの通信障害、受診
9回の施行となりました。
者受付入力の手間取りなど、当方にとって予想外
日本眼科医会としては、白内障手術の技術革新
の事態が重なり、開始直後は検査、診察ができな
によって高額な手術装置と手術器具のディスポ化
い状態でしたが、受付入力用PCの増設、簡易視
によって医療提供側の経費負担は増加したのに診
力検査器具の車外追加で、後半からは円滑に誘導
療報酬は削減され続けました。専門医制度の変更
できました。この置賜眼科医会による眼科健診イ
による会員減少、組織弱体化の危機感もあり、関
ベントのもようを、7月に置賜医会(米沢市、南
係省庁、政治、日本医師会との連携を図ってきま
陽市東置賜郡、長井市西置賜郡医師会)の会員講
した。さらなる国民の理解を得るべく、県眼科医
演『ビジョンバン眼科健診事業の経緯と成果 東
会としても啓蒙イベントの質を高めていきます。
日本大震災~置賜地区ビジョンバン眼科健診』と