2016 年度 推薦入試【11 月 21 日 文学部日本文学科 国語基礎学力型】 〔一〕 問1 1 けた 2 かんよう 3 いしん 4 きょうせい 年来 2 習熟 3 性分 4 控 問2 1 問3 平均週二冊の本を読んでいる 問4 だから、外 問5 ア 問7 劣位 問8 イ 問6 私はネイテ 問9 例 未だ十代後半の私が、今後、どのような人生を歩んでいくのか、私自身にも未だ全く分からない。 しかし、生まれついた性別は変えられない。今からプロスポーツ選手にはなれないだろう。また思うが ままにさまざまな職業を経験できるわけでもない。もちろん積極的に罪を犯すつもりは毛頭ない。そう 考えると、自覚的に何ら制約を設けなくとも、自分が何にでもなれるわけではないと分かってくる。 文学作品を「読む」ことは、この制約から自由になる行為である。それは、架空の誰かに成り代われ るという無邪気な喜びには限定されない。森鷗外の『高瀬舟』に描かれる喜助のように、私自身が弟を 殺すことはあり得ないが、弟を殺さざるを得なかった苦悩は想像的に追体験できる。小林多喜二の『蟹 工船』に描かれるような過酷な労働は経験したくはないが、その苦しみは想像的に追体験できる。三島 由紀夫の『金閣寺』の滝口のように、私自身が国宝に放火することは決してないが、放火せざるを得な かった異常な心理状態は、やはり想像的に追体験できる。 このように、自分自身の数十年の人生では到底経験しきれない様々な生き方を追体験すること、これ が、文学作品を「読む」ことだ。殺人や奴隷労働、放火という極限に陥った場合、人間はどのように振 舞うのか、振る舞うべきなのか。あるいは、そこまで極端な事例でなくとも、日常生活で自分なりに窮 地に追い詰められた場合にはどのように振舞うのか。それを学ぶ貴重な機会であり、切実な体験が、 「読 む」ことである。(628 字) 〔二〕 問1 人麻呂 問2 なほし 問3 エ 問4 よろしき歌 問5 ウ 問6 歌道 問7 エ 問8 イ エ
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