書 評 書 評 ページ上部に印刷業者が飾りを入れるのでこの 2 行の余白をカットしないこと 書 評 書 評 ページ上部に印刷業者が飾りを入れるのでこの 2 行の余白をカットしないこと 中井陽子著 中井陽子著 (シリーズ (シリーズ 言語学と言語教育 23) 言語学と言語教育 23) インターアクション能力を育てる インターアクション能力を育てる 日本語の会話教育 日本語の会話教育 ひつじ書店、2012 年発行、452p. ひつじ書店、2012 年発行、452p. ISBN:978-4-89476-585-6 ISBN:978-4-89476-585-6 加藤 加藤 好崇 好崇 1.はじめに 1.はじめに 本書は早稲田大学大学院日本語教育研究科において 2010 年 9 月に受理された中井陽子 本書は早稲田大学大学院日本語教育研究科において 2010 年 9 月に受理された中井陽子 氏の博士学位申請論文『インターアクション能力育成を目指した会話教育―教師と学習者 氏の博士学位申請論文『インターアクション能力育成を目指した会話教育―教師と学習者 による研究と実践の連携の必要性―』をもとに執筆された書籍である。 による研究と実践の連携の必要性―』をもとに執筆された書籍である。 著者の主要な主張のひとつとして、その博論のタイトルからも分かるように、インター 著者の主要な主張のひとつとして、その博論のタイトルからも分かるように、インター アクション能力の向上を図るためには、教師と学習者双方による「研究と実践の連携」が アクション能力の向上を図るためには、教師と学習者双方による「研究と実践の連携」が 必要であるという点が挙げられる。著者は社会言語科学会第 29 回大会で自ら代表者とな 必要であるという点が挙げられる。著者は社会言語科学会第 29 回大会で自ら代表者とな り、 「会話データ分析のむこう―社会的貢献の可能性を考える―」 (中井他 2012)というテー り、 「会話データ分析のむこう―社会的貢献の可能性を考える―」 (中井他 2012)というテー マでワークショップを開いているが、本書の「研究と実践の連携」の視点は、著者がワー マでワークショップを開いているが、本書の「研究と実践の連携」の視点は、著者がワー クショップで「データ分析のむこう」に「社会貢献」を見据えて熱く語っていた姿勢と重 クショップで「データ分析のむこう」に「社会貢献」を見据えて熱く語っていた姿勢と重 なる。ともすると経験だけを頼りとする日本語教師が散見されるなか、研究の成果は実践 なる。ともすると経験だけを頼りとする日本語教師が散見されるなか、研究の成果は実践 に繋げられるべきものであり、また実践は研究の成果に基づいていなければならないとす に繋げられるべきものであり、また実践は研究の成果に基づいていなければならないとす る主張には、研究者でもあり実践者でもある著者の強い意思が感じられる。そして、その る主張には、研究者でもあり実践者でもある著者の強い意思が感じられる。そして、その 思索の過程で尾崎・椿・中井(2010)の『会話教材を作る(日本語教育叢書つくる)』 (ス 思索の過程で尾崎・椿・中井(2010)の『会話教材を作る(日本語教育叢書つくる)』 (ス リーエーネットワーク)が、一つの結果として現れているのであろう。 リーエーネットワーク)が、一つの結果として現れているのであろう。 上記の「研究と実践の連携」とは、「会話データ分析で実態を分析」「会話指導項目の検 上記の「研究と実践の連携」とは、「会話データ分析で実態を分析」「会話指導項目の検 討(教師) ・発見(学習者)」 「会話教育の実践と実践研究(教師) ・会話実践と振り返り(学 討(教師) ・発見(学習者)」 「会話教育の実践と実践研究(教師) ・会話実践と振り返り(学 習者)」という三つの項目がそれぞれに影響し合い、循環していく状態を示しているもので、 習者)」という三つの項目がそれぞれに影響し合い、循環していく状態を示しているもので、 この三つの要素の連携が「会話」におけるインターアクション能力育成の基礎になるとし この三つの要素の連携が「会話」におけるインターアクション能力育成の基礎になるとし ている。そして会話におけるミクロレベルでのインターアクション能力は、さらにマクロ ている。そして会話におけるミクロレベルでのインターアクション能力は、さらにマクロ レベルでの社会的活動につながっていくものと捉えられている。 レベルでの社会的活動につながっていくものと捉えられている。 本書評執筆者が本書を読んでいくうちに気づいた点は、引用されている授業例が執筆者 本書評執筆者が本書を読んでいくうちに気づいた点は、引用されている授業例が執筆者 の教育実践と重なる部分が多いということであった。執筆者がロシアで行った実際使用ア の教育実践と重なる部分が多いということであった。執筆者がロシアで行った実際使用ア クティビティの例(加藤 1997)や、学習者に接触場面会話の分析を行わせ、言語的、社会 クティビティの例(加藤 1997)や、学習者に接触場面会話の分析を行わせ、言語的、社会 言語的、社会文化的気づきを促そうとした現勤務校での試みなど、執筆者の授業計画の方 言語的、社会文化的気づきを促そうとした現勤務校での試みなど、執筆者の授業計画の方 ― 1 ― ― 1 ― 127 早稲田日本語教育学 第 20 号 ヘッダーは印刷業者で入れます 向性は、本書とかなり近いものと感じられた。ただ、本書の著者は非常に緻密かつシステ マティックにその目標と方法論を整理しているので、執筆者は自らの授業活動をより鮮明 に解説してもらったという印象を受けた。同時に類似の試みをした者として、自らの授業 実践中にしばしば感じた疑問点を、本書を読んでいる際にも感じており、そのいくつかを 第 3 章に記述したい。次章では本書の構成と章毎の概要をまとめ、最終章では本書の意義 について述べる。 2.本書の構成と概要 第 1 章では本書のキーワードとなる用語の説明と全体の構成について述べられている。 まず、 「インターアクション能力」を「状況や人間関係などの社会的な文脈の中で人と関 わりを持つ際、相手と協力して、瞬間瞬間に生成されるインターアクションを動態的に調 整しつつ、言語行動(語彙・文法・音声)、社会言語行動(コミュニケーション)、社会文 化行動(実質行動)が適切に行える能力」(p.9)とし、なかでも「音声言語や非言語をリ ソース」として、 「会話相手と協力して会話空間」を作りながらインターアクションを行っ ていく能力を「会話能力」と定義している。また「メタメッセージ」については「会話参 加者の態度やお互いの関係について付随的に伝えられるもの」(p.13)としている。 第 2 章では、コース・デザインを行っていく上で必要な「目標言語調査・分析」の段階、 「カリキュラム・デザイン」の段階の二つの段階に関わる先行研究が紹介されている。 前者の「目標言語調査・分析」に関わる先行研究では、 「会話分析(conversation analysis)」 「談話分析(discourse analysis)」、そしてネウストプニー(1995)をはじめとした接触場 面研究が挙げられている。また、「言語的アクティビティ」(初対面会話、雑談、講義のよ うな社会言語行動を行うこと自体が主な目的となるアクティビティ)と「実質的アクティ ビティ」 (観光やキャンパス探検などのように社会文化行動(実質行動)を行うことが目的 となるアクティビティ)についての説明がなされている。 後者の「カリキュラム・デザイン」の段階では、宣言的知識が重視される FACT の授業 と手続き的知識が重視される ACT の授業の違いが説明され、FACT と ACT の連携を授業 活動のデザインに取り込む必要性が指摘されている。さらに FACT の授業は「認知-指導 型」「認知-支援型」に分類でき、ACT の授業は「行動−指導型」「行動−支援型」に分類で きるとしており、本書で取り上げられている授業は「行動−支援型」の授業デザインである と述べている。 第 3 章は「会話データ分析-会話指導項目化-会話教育実践」の循環図のうち、「会話 データ分析」について言及されている章である。 この章では、日本人男子学生と日本人女子学生から構成される母語場面と、日本語学習 歴 3 年のギリシャ人留学生と日本人女子学生から構成される接触場面の会話が分析対象と なっている。両グループともに初対面場面の言語的アクティビティとキャンパス探検の実 質的アクティビティが設定され、アクティビティ中の会話とフォローアップ・インタビュー によるデータから分析が行われている。分析の結果、前者の言語的アクティビティでは「現 場性のない」話題を展開させながら、積極的な会話参加にむけた「メタメッセージを送り 128 ― 2 ― 書 評 合っている」 (p.131)様子が観察されたとしている。一方の実質的アクティビティでは視 覚情報を使用しながら「現場性のある発話で開始し、現場性のない発話に展開」していく ことで、積極的な会話参加にむけた「メタメッセージを送り合っている」と指摘している。 そして、このような研究結果を会話教育に取り入れていく視点が大切であるとしている。 第 4 章は、「会話データ分析-会話指導項目化-会話教育実践」の循環図のうち「会話 指導項目化」と「会話教育実践」に焦点がおかれた章となっている。 本章 2 節では著者のこれまでの研究成果をもとに作成された「会話指導項目」が言語行 動、社会言語行動、社会文化行動それぞれにおいて提示されている。ただし、これらの項 目は必ずしも固定化されたものではなく、循環図が繰り返される中で修正されていくもの だとし、これらの項目を「絶対的に正しいもの」(p.196)として指導を行ったり、日本語 の規範を静態的に捉えるべきではない点に注意を促している。次の3節では教室内で行わ れた自由会話やディスカッション/スピーチを取り入れた言語的アクティビティの実践例 が報告されている。そして、この授業が学習者に社会言語的特徴を意識化させる機会を与 え、授業ボランティアなどとのディスカッションが学習者のメタ認知力向上につながって いたと指摘している。また、4 節ではキャンパス探検を含んだ実質的アクティビティの実 践例を紹介し、こういった実践を通して、学習者の自律性向上を図ることができ、異文化 間でのネットワーク構築のあり方を学習させることができるとしている。 第 5 章では、教師の「研究と実践の連携」によって作られた授業活動のデザインは、学 習者自身の「研究と実践の連携」を支援することに繋がるとされ、その例として学習者が 自ら収集した会話データの分析や、ビデオ作品の作成プロジェクトといった活動が紹介さ れている。このような授業活動が学習者のメタ認知力や社会的ストラテジーなどを育成す るきっかけとなり、学習者の自律性の向上を促すとしている。また、こういった試みは、 教師の授業活動から学習者への学びという一方向性を持つだけではなく、逆に教師の学び にも繋がる双方向性を持った学びに展開していくと指摘している。さらに授業に参加した ボランティア達にとっても、こういった授業に参加することで「歩み寄りの姿勢」につい て考える機会が与えられたとしている。 第 6 章では、教師の「会話指導項目化」や適切な「会話教育実践」が、学習者の自律的 な「研究と実践の連携」を促すことができるような日本語教師養成についての検討がなさ れている。 そして、最終章ではこれまでの議論のまとめとして、今後の会話教育のあるべき 4 つの モデルが提案されている。 一つは「教師と学習者の「研究と実践の連携」による「双方の学び」のモデル」である。 これは教師による「研究と実践の連携」のもとで計画された授業活動は、学習者の「研究 と実践の連携」を促すことに繋がり、その過程で教師は教える立場から学ぶ立場となり、 この教師に起きた学びは将来の学習者にも還元されていくとするものである。 二つ目は「接触場面での「歩み寄りの姿勢」のモデル」である。接触場面は、母語話者 も非母語話者も双方ともに責任を負うべきであり、会話の成立に向けては双方からの「歩 み寄りの姿勢」が必要であるとする。むろん、これは一部の母語話者に限ったことではな く、広く一般の母語話者全体がそういった姿勢を持つような体制作りの必要性が指摘され ― 3 ― 129 早稲田日本語教育学 第 20 号 ヘッダーは印刷業者で入れます ている。 三つ目は「インターアクション能力育成のための会話教育実践のモデル」である。会話 教育実践は、学習者が参加する「日常生活のインターアクション場面」 「教室内のインター アクション場面」 「教室外のインターアクション場面」の三つが有機的に結びついている必 要があるとするものである。 四つ目はこれら全体をまとめ、本書の中心的な提言となる「インターアクション能力育 成を目指した会話教育のための「研究と実践の連携」のモデル」である。これは学習者だ けではなく教師のインターアクション能力向上のためにも、まず教師と学習者による「研 究と実践の連携」が必要であり、さらに教師の会話教育実践に際しては教室内外での授業 活動の連携が必要であるとする。また、教師と学習者間には双方の学びが生じる必要があ り、教師と学習者の「研究と実践の連携」は日常生活のインターアクション場面との連携 がなければならないとしている。そして、こういった様々な「連携」や「双方の関わり」 が実現したときにインターアクション能力の育成が促進されるとしており、インターアク ション能力を育成するための様々な要因の組み合わせとその全体的構造を説明している。 3.いくつかの疑問点 ここでは類似した授業活動を行った経験がある執筆者が、本書のモデルのさらなる拡が りを期待しつつ、これまでの自らの活動の中で素朴に感じていた疑問点をいくつか挙げて みたい。 3.1 JSL 環境と JFL 環境について 本書で挙げられている授業実践例は何れも母語話者が含まれる実質的アクティビティや 言語的アクティビティである。これは JSL 環境で行われていたために比較的容易に設定で きたと言える。しかし、海外で日本人がほとんどいないような JFL 環境では、教師が母語 話者であれば言語的アクティビティはある程度実現できても、実質行動を伴う実質的アク ティビティを計画することは容易ではない。執筆者が経験した JFL 環境はいずれもネット 環境も整っていない時代のことで、母語話者を見つけることも困難な時であった。このよ うな JFL 環境で学ぶ学習者にとってインターアクション能力の育成を目指すことは、JSL 環境の学習者と比べると圧倒的に不利なのであろうか。本書で求められるインターアク ション能力は、母語場面における学習者のインターアクション能力が転移する可能性はな いのであろうか。 3.2 コース終了後の自律性の維持について 本書評の執筆者も、日本語学習者に会話データの分析や言語使用の内省を自ら行わせる ことによって、メタ認知力あるいは自己調整能力の向上を目指した授業を実施している。 しかし、常に不安に感じることは、いったん授業においてメタ認知力や自己調整能力といっ た自律性を学習者が身に付けたとしても、コース終了後、将来にわたってどれだけその自 律性を学習者が保持し続けることができるのであろうかという点である。一度身に付けた 自律性が完全に消滅することはないのかもしれないが、自律性の低下がありえるなら、そ 130 ― 4 ― 書 評 れに伴ってインターアクション能力の劣化にも繋がるのか。こういった問題が存在するな ら、我々教師はどのような対処をすることができるのであろうか。 3.3 歩み寄りの姿勢について 「歩み寄りの姿勢」を母語話者、非母語話者双方が持つことは非常に重要なことである。 フォリナートークの使用が歩み寄りの姿勢に基づいて行われることもあるし、また最近は 多くの自治体のホームページにも「やさしい日本語」のページが設置されており、言語ゲ ストへの歩み寄りが見られる。本書で取り上げられた授業例の母語話者達は、そもそもそ ういった姿勢を持ち合わせた学生達であったと思われる。しかし、そうではない日本人も 少なからずいるのも事実である。今後そういった姿勢を多くの人々の意識に浸透させ、広 めていくためには、教師としてあるいは社会全体としてどのような取り組みが必要になる のであろうか。 4.本書の意義とまとめ 本書はインターアクション能力向上という明確な目的の下、会話教育のあり方を非常に 詳細かつシステマティックに考察しており、会話教育だけではなく日本語教育に携わる者 すべてにとって指標となりうるものであろう。 特に、教室内外で行われる言語的、実質的アクティビティを含む実際使用アクティビティ の重要性の指摘、また、会話データの分析と会話指導項目化、そして会話教育実践の絶え ざる循環の必要性の指摘は、動態的な言語生活を意識せざるを得ない日本語教師にとって は心得ておくべきものであろう。ただし、著者も述べているように、本書で扱われている スタイルの授業活動のみで日本語教育が完結するわけではないので、その他のスタイルの 日本語授業との有機的な連携が必要となろう。 本書は単にミクロレベルの会話能力の育成にとどまらず社会的活動への昇華をも視野に 入れている。この点については深く触れられていないが、複雑な人間関係、利害関係など を含む社会生活の会話は楽しい会話だけではいられない。しかし、やはり本書で取り上げ られているような良好な人間関係をお互いに作り上げていこうとする会話のあり方がデ フォルトとすべきところであり、それらが社会的活動にまで昇華されたとき、学習者が受 けた会話教育はより大きな意義を持つのであろう。 参考文献 尾崎明人・椿由紀子・中井陽子(2010) (関正昭・土岐哲・平高史也編) 『会話教材を作る(日本語教 育叢書つくる) 』スリーエーネットワーク 加藤好崇(1997)「実際使用アクティビティを使用した海外での日本語教育例」『ジャルト ジャーナ ル 』19 pp.77-88 中井陽子・大場美和子・寅丸真澄・加藤好崇・三牧陽子(2012)「会話データ分析の向こう―社会的 貢献の可能性を考える―」社会言語科学会第 29 回大会、桜美林大学 ネウストプニー、J.V.(1995)『新しい日本語教育のために』大修館書店 (かとう ― 5 ― よしたか 東海大学国際教育センター) 131
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