開講にあたって 「立憲デモクラシーの会」は、二〇一四年四月に、安倍晋三政権が進める憲法九条の解釈変更、そ れによる集団的自衛権の行使容認に反対し、立憲主義を守るために結成された、憲法学、政治学を中 心とする研究者の集まりです。発足以来、立憲主義の擁護をテーマにする様々な講演、シンポジウム を開催してきました。さらに、二〇一五年の通常国会でいわゆる安保法制が審議された時期には、他 の団体とともにこれに対する反対運動に加わりました。 二〇一五年九月に国会が安保法制を強行採決により成立させた後も、安保法制への批判、立憲主義 の擁護を継続するために、一般市民を対象にした立憲デモクラシー講座を開催することにしました。 本書は、二〇一五年一一月から二〇一六年三月まで連続して開催してきた講義の記録に、各講師が加 筆、修正を施した文章を集めたものです。 「立 憲 デ モ ク ラ シ ー の 会」 に は、 日 ご ろ あ ま り 政 治 的 発 言 を し な い ア カ デ ミ ッ ク な 研 究 者 も 多 数 参 加しています。しかし、安保法制の審議の際には様々な手段を使って、会として明確に反対意見を表 明しました。我々の自由な生活や研究活動の土台となっている憲法秩序を根底から覆すことには反対 せざるを得ないという思いが、メンバーを動かしました。多くの市民と同じく、憲法の危機を目の当 たりにして、居ても立ってもいられないという思いでした。安保法制成立後も、そうした市民の思い を受け止め、立憲主義擁護の意志を固めるために連続講座を開こうということになったのです。 v ── 開講にあたって 立憲主義とは、民主主義が政治原理として定着する前から存在した考え方です。為政者、権力者と いえども従わなければならない規範が存在する、そして権力者の行動はその規範によって拘束される という理念が立憲主義です。権力者が法や規範を自分の都合のよいようにつくるのではなく、権力者 の上に法や規範を立てるのが立憲主義と言うこともできます。 安倍首相は、このような立憲主義についての見解を国会で質され、権力を縛るというのは国王が支 配していた古い時代の考え方であり、民主主義の時代にはそぐわないという趣旨の答弁をしました。 そして、首相は、自分は選挙で選ばれた多数党の指導者であり、国民の支持によって行政権力を握っ ていることから、憲法解釈の最高責任者は自分だとも言い放ちました。 立憲主義とデモクラシーの関係は、安倍首相が言うほど簡単ではありません。確かに、我々は子供 のころから、政治を動かす基本的な原理はデモクラシーであると教えられてきました。そして、デモ クラシーとは実際上、国民が選挙で代表者たる国会議員を選び、国会議員が多数決で行政権力を担う 総理大臣を選んだり、法律を決定したりする仕組みであるという理解が一般的だと思われます。しか し、国民の多数意思によって政治を動かす仕組みにも落とし穴があります。多数の意思が必ずしも正 しいものではないこと、多数者がしばしば自殺的な選択をすることは、歴史のなかにいくらでも実例 があります。たまさか選挙で勝った多数勢力の親玉が、憲法解釈の最終権限は自分にあるなどと言っ てはならないのです。それこそ憲法規範の否定です。 国王が権力をほしいままに使えば、これを専制政治と批判し、戦うこともある意味で容易です。専 制政治と戦う側は正義を自称することができるからです。しかし、民主主義の手続きによって選ばれ vi た為政者がほしいままの支配をすると、これを批判することは容易ではありません。なぜなら、為政 者は国民の多数によって選ばれたことを正統性の根拠とし、自分のほしいままの支配を正当化するか らです。為政者の暴走や圧政を批判することは、王制の下よりも、民主制の下の方が難しいと言うこ とさえできるでしょう。だからこそ立憲主義によって為政者の権力を縛る必要があるのです。歴史的 には、立憲主義はまず君主制と結びつきました。しかし、立憲主義を必要としているのは、現代民主 政治の方だとも言えるでしょう。 立憲デモクラシー講座は、発足から二〇一六年三月まで早稲田大学の教室を借りて開いてきました。 毎回、大教室を埋め尽くす三百人以上の聴衆が集まり、熱心に耳を傾けてくれました。毎回欠かさず 聴講する方も大勢おられたと思います。講師一同、民主主義と憲法に対する市民の熱い思いに触れて、 大いに感銘を受けました。我々が市民を教えたというより、市民の熱意で我々が元気づけられたとい う印象です。 せっかくの講義なので、直接聞きに来られない市民の目にも触れるようにしようということで、今 回の講義録を編むことにしました。二〇一六年七月の参議院選挙に間に合わせようと、大急ぎの作業 となりました。安倍首相は二〇一六年の正月から、参議院選挙では憲法改正発議に必要な三分の二の 議席を確保したいとか、憲法九条二項の戦力不保持の規定を改正したいとか、憲法改正に前のめりの 姿勢を明らかにしています。安倍首相の戦略を三段跳びにたとえれば、集団的自衛権の行使容認とい うホップ、安保法制成立というステップの次には、明文改憲というジャンプをしようと意気込んでい るのです。憲法違反の安保法制をつくっておいて、憲法九条二項は現実と合わないから改正しような vii ── 開講にあたって どという論法を聞くと、憲法という規範をないがしろにする不誠実さに、深い憤りを覚えます。 動物もそれぞれ何らかのルールに従って行動しています。その場合ルールは遺伝子に組み込まれて いると聞きます。自らルールを立て、それに従って行動するということは、人間が人間であることの 証です。最高権力者がルールを無視し、自分の行動を正当化するようにルールを書き換えることは、 野蛮な行為と言わなければなりません。立憲主義を守るかどうかは、二一世紀の日本人が野蛮に落ち ていくのか、人間らしい文明を守るかどうかの選択でもあるのです。 二〇一六年の選挙はこうした安倍政権の憲法改正を認めるのかどうか、国民が意思表示をする重要 な機会となります。また、この選挙の結果がどんなものであれ、憲法と立憲主義を守る戦いはこれか らも続きます。そうした戦いのなかで、この本に収められた論考が読者の確信と勇気を強固なものに することができれば、執筆者一同、これ以上大きな喜びはありません。 講座開催にあたって、献身的に協力してくれた早稲田大学の教員、大学院生、学生の皆さんにこの 場を借りて心よりお礼を申し上げます。また、 「立憲デモクラシーの会」の活動と講座を陰で支えてく れた前岩波書店編集部の高木理さん、編集に協力してくれた稲田素子さんに深く感謝します。さらに、 編集実務に当たってくれた岩波書店編集部の藤田紀子さん、大橋久美さんにもお礼を申し上げます。 二〇一六年四月 山口二郎 編者を代表して viii 目 次 2 … …………………………………………… 山口二郎 24 開講にあたって 48 ──〝二〇一五年安保〟から考える 70 第Ⅰ部 立憲デモクラシーとは何か 〈第一講〉戦後七〇年における政体の転換 ……………… 山口二郎 …… ──立憲対非立憲をめぐって … 中野晃一 …… … ……………………… 千 葉 眞 …… 立憲デモクラシー 参加民主主義との確執 〈第二講〉代 表制民主主義と 〈第三講〉グ ローバルな寡頭支配 〈第四講〉私たちの声を議会へ ……………………………… 三浦まり …… ──代表制民主主義の再生 vs. x 107 94 127 第Ⅱ部 〝憲法の敵〟とどう戦うか 〈第五講〉憲 法から見た放送規制 ……………………… 長谷部恭男 …… 〈第六講〉憲 法九条の削除・改訂は必要か … ………… 杉 田 敦 …… 長谷部恭男・石川健治・杉 田 敦 (司会)…… 〈第七講〉座 談会 緊急事態条項を考える 第Ⅲ部 特別対談 戦後民主主義は終わらない … …………… 樋口陽一・三谷太一郎 …… ──吉野作造の遺産を引き継ぐために xi ── 目 次 156
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