JNK000705

天理大学人権問題研究室紀要
第 7 号 :61 一 73,
2004
天理教における 共生の可能,性
一一「談じ合い」をめぐって
一一
島田勝巳
SHIMADA゜atsum
要 な思想的課題として 浮ヒ してきているよう
はじめに
に思われる。
今日の国際社会では ,異なった文明間・ 宗
教間の「衝突」や「対立」を
指摘する声が ,
実際に近年, 日本のアカデミズムの 内部で
も,にわかに「共生」という 問題に一部の 関
ますます説得力を 持つような状況が 生じつつ
心が集まってきている。 もちろんこの 語の意
あ るように見える。 いわゆる「 9 . lnl」以降
の対「テロ」戦争の 展開が, よく知られたサ
味は ついて,現段階ではアカデミズムの 内部
でも一定の理解が 共有されているとは 言い難
ミュエル・ハンティントンの「文明の
衝突」
い。 しかしそこには ,
論といかなる 関係にあ るかについては
,アメ
を
リカはもとより 日本でも,広くメディア
ますます文化的多元,性
深めてゆく現代社会, とりわけ西洋先進諸
ヵ デミズムにおいて 議論されている。 だが,
国において,人種,言語,宗教といった
文化
の主要な構成要素を 異にする人びとが ,同じ
ハンティントンに 代表されるこうしたステレ
社会の中で共存していく
オ・ティピカル な比較文明論が 軽視しがちな
のは,それぞれの 文明や宗教の 内部にさえも ,
ようという含意があ るように思われる。
こうしたマクロな 問題意識から ,本稿では
さまざまな問題についての
天理教における「談じ 合い」の教えを 取り上
「
やア
多様で異なった
声 」を聞くことができるという
事実であ る。
例えばそれは ,アメリカに対する態度をめぐ
る
-
部のイスラーム 過激派とその 他大多数の
穏健派との対立,あるいは,生命や性に関す
る
今日的な社会問題をめぐるプロテスタント
教会内部でのリベラルと 保守の分裂といった
事態の中に見て 取ることが可能であ ろう。 多
宗教間の「対話」や「共生」はもとより
るいはそれ以前に ,
ける
,あ
まず宗教共同体内部にお
l-対話」や「共生」の 問題が , 極めて 重
現実を積極的に 捉え
げ,宗教共同体内部における「共生」の
可能
性を模索してみたい。 すなわち,いわゆる「宗
Inter-reⅡがous
Dialo 細 e") の
可能性ではなく ,むしろ「宗教内対話」("Intra
教間対話」
げ
-re Ⅱ 苗ous
Dialogue") の可能性を , 言い換
えれば宗教共同体内部における「共生」の 可
能,性を,天理教の「談じ合い」の教えの 中に
探るというのが 本稿のテーマであ る。
もとより本稿では ,「共生」という 問題そ
れ自体に対する 天理教的な視点の 解明が日・
指
Faculty{f?umanヾtudies
61
天理教における共生の可能但 ,
という語を,合い 異なる人間性や 思考形態を
煮 にほぼ相当するものとしての「練り 合い」
という表現の 方が頻繁に用いられるという 事
持つ者が,そうした違いを認め合いつっ ,所
情にある。 この場合の「練り 合い」は,天理
与の社会や共同体の 中で共存していくあ り方
教教会本部や 各大教会が主催してお ぢ ばで開
という,ごく 大まかな意味で 理僻しておきた
かれるさまざまな 講習会や練成会で ,特定の
い。 仮に「共生」をこのように
捉えるとすれ
ば,天理教教理の視点からはそれを ,「談じ
テーマについて
,参加者が自らの信仰に基づ
く意見を述べ ,
また他の信仰者の 意見に耳を
合い」の教えに 近い意味内容を 持つものとし
傾けることによって ,参加者のより 一層の信
て捉えることが 可能になる。 例えば「談じ 合
仰の深化,すなわち「成人」を 促すという主
されるわけではない。 ここではこの「共生」
では,「それぞ
旨で行なわれることが 多い。 そこで参加者は ,
れ異なった性格や 考えのものが ,互いに話し
特定の人数のバループに 分けられ,一人の司
合い,伝え合い ,諭し合い,心を
d つにして
会者を中心としながら 意見交換が進められる。
喜び勇んで事にあ たれるようにすること」と
その意味で,「練り 合い」とは端的に ,信仰
いう規定が与えられている。
的なテーマについてのバループ・ディスカッ
い」の教えは , F天理教事典
コ
日常生活の中で
われわれが直面する 諸問題がますます 多様化,
、ンョンと 言うことができよう。
複雑化している 今日的な社会状況の 中で,言
わば "天理教的「共生」の 思想としての「談
さらに指摘されるべきは ,そうした「練り
合 い」が,教会における 日々の信仰実践の 中
じ合い」の教え " は,信仰共同体に 対してい
ではほとんど 行なわれることがないという
かなる思想的可能性を 与えてくれるのだろう
実である。 天理教の教会では ,信仰的な問題
か。 本稿ではこの 問題を,特に 天理教の原
についての語り 合い,すなわち信者の信仰的
典における「談じ 合い」の教えの 意味と射程
な意思決定プロセスは ,教会長 (布教所長 )
を浮き彫りにしながら 検討し,最後に,この
と信者との間,信仰に 導いた者と導かれた 者
教えが持つ今日的な 可能,性についての著者 自
(通常,それぞれ「理の 親」及び「理の 子,」
l5
身の視点を提示してみたい。
l
と
-
呼ばれる ) との間で行なわれることが 一般
いて,「練り合い」がそうした 形での合意形
その日常的語法について 一一
成のあ り方を超えた 優位性を持つことはまず
「談じ合い」及びそれに 類する表現は ,天
理教原典の中でもとりわけ「おさしづ」の
で多用されている。 だが興味深いことに
・
的であ る。 したがって,それぞれの 教会にお
2. 信仰生活における「談じ 合い」
一
事
中
,こ
あ り得ない。 「においがけ」,「おたすけ」や
「ひのきしん」といった ,
日常的な教会生活
において中心的な 意義を持つ信仰実践に 比べ
の表現は,今日の 天理教信者の 日常的な信仰
ると,「練り合い」が占める 実践的意義は ,
生活においてはあ まり聞かれることがない。
このことは必ずしも ,「談じ合い」が 教えと
極めて小さなものであ ると言わざるを 得ない
しての重要性を 特っていないということを
意
のであ る。
これは単に実践的なレベルの
問題であ るば
抹 するわけではない。 その理由はおそらく ,
かりでなく,教義的なレベルの
天理教信者の 実際の信仰生活においては
そのことは,信仰的内容のバループ・ディス
じ
合い」という 表現ではなく
,「談
,むしろその含
問題でもあ
る。
カッションを 表現するのに ,原典出自の「談
島
合い」という 表現ではなく ,むしろ原典に
は見当たらない「練り 合い」という 表現が用
の内包 (意味)
いられているという 事実からも窺える。
の語の外廷 (適用範囲 )
じ
すな
わちそれは,天理教者の 日常的な信仰実践の
コンテクストにおいて
に注目しながらも ,同時にそ
にまで目を配りなが
ら, この教えが持つ "精神 "
ものを 照 制してみたい。
行なわれる
ぃ」が,原典における「談じ
こでは,まず「談じ 合い」という 話 それ自体
合 い」の意味す
まず「おふでさき」には
とでも言うべき
,「談じ合 い」は
るところのものとは 必ずしも一致するもので
はないという 事実に起因していると 考えられ
い わゆる「 元 初まりの話」に 関する記述の 中
るのであ る。
人間‥世界創造のプロセスと
守護を描いた ,
言わば天理教の 創世説話であ
る。 それは「お
実際に「談じ 合い」は,天理教の教理の一
に見られる。 元 初まりの話とは , 親 神による
つとして明確に 分節化されているとは 言い薬@E
ふでさき」の 中では必ずしも 特定の個所に
い 。 例えばそれを ,「かしもの・かりもの」
約して説かれているわけではなく
集
,むしろ同
や「ひのきしん」,「たんのう」といった ,ヲ
様の筋書きで 幾度となく断片的に 語られてい
理数信仰者であ れば誰もが基本的な 理解を特
る。 以下に挙げるのは
っているはずの 教理とまったく 同列に扱うこ
-
ミ
,そうした描写の 中の
つであ る。
とにはやや無理があ る。 というのも,そうし
た個々の天理教教理については ,『天理教教
このよ ふわ どろうみなかの 事なるし
典
なかに月日がいたるまでなり
をはじめ,多くの 教学書や教理僻説書で
口
一定の説明が 与えられている
-
方で,「談じ
月日よりしん ぢつ をもいついたるわ
合い」に関しては 必ずしもそうとは 言えない
なんと せ かいをはじめかけたら
からであ る。 過去の研究論文を 見渡してみて
も,「談じ合い」に 関する教学的視点からの
ないせかいは ぢ めかけるハわ っ かしい
研究論文は,他の数理群 のそれに比べると 極
み すませばなかにど ぢ よもうをみいも
端 に少ないのが 実情であ る。 序で触れたよう
ほかなるものもみへてあ るなり
な,今日の社会のあ り方から生起する 思想的
そのものをみなひきよせてたん
状況を問題化するうえでも
にんけんし のご は ぢ めかけたら
,従来の天理教学
なんとど ふぐをみたすもよふを
ッ
。
六
六
81
82
83
ぢやい
六
84
においては活発に 議論されてきたとは 言い難
い
「談じ合い」の教えの 音,,
。、 義が, より積極的
ここで言及されている「たん
ぢや い」㏍談
に論じられて 然るべきであ るように思われる。
じ合 い )
天理教の教えが 含み持っ「共生」思想の 可能
間 (道具雛型 ) との間で行なわれている。 人
性は ,「談じ合い」の精神からこそ
間世界を創造するにあ たり,月日親神はまず
開示され
」
は ,創造する親 神と創造される
人
人間となる道具雛型を 呼び寄せ,その各々 と
そ
"の
精神,
とら
﹂﹂
を 中,
合い
炎き
Ⅰ
号
l
。さ
ので
とふ
問お
神と人
3
じ
るべきなのではないだろうか。
一々談じ合
( しょう ) を見
定めた。 つまり 親 神はそこで,必ずしも 自ら
の意思を実現すべく
では,天理教の 原典において ,「談じ合い」
の教えはいかに 説かれているのだろうか。
い ,それぞれの性
こ
-
方的に人間の 創造を企
図したわけではなく ,むしろ,道具雛型それ
ぞれにあ えて承知をさせた
ぅ
えでそれらを 人
天理教における共生の可能,
性
間 のひながたとして
貫 い受け,それぞれに 応
じた役割を与えたのであ
どのよ ふな 事をするにもさきいより
ことわりた のへか、 る しことや
る。
九
元 初まりの話に 見られる,神と 人間とのこ
うした「談じ 合い」を介した 創造というモテ
その めへ なるのことわりであ る
ィーフは,宗教史的な 視点からすれば ,ユダ
とのよ ふな事・をゆうやらしれんでな
-
神教的伝統の
創世記との比較においてとりわけ
際立っもの
ヤ・キリスト 教的ないわゆる
-こ・
そこでなんでもこと ハ りばかり
このはなしど
あ れ」との神の 命令から自然的・ 物質的世界
どのよ ふな 事をゆうてもけさんよ ふ
が,
たしかき、 すかしよちしてくれ
れぞれの役割が 与えられる。 この一連のプロ
けふの日にどのよな
セスのクライマックスにあ
なにをゆうてもしよちしてくれ
たる人間創造では
33
ふ どしん ぢつ一 れつ わ
心しづめてしよちしてくれ
続いて生物が 造られ, さらにそれらにそ
27
一ニ・
があ る。 よく知られた『旧約聖書』㎝ヘブラ
イ語 聖書 ) 冒頭の「創世 ;己では,まず「 光
ロ
38
このたび ハ こと ハひ た のへまだくどき
九
8
事もゆうほどに
-二
150
神は人間を自らの 似姿 として造り , 彼らに他
の被造物を支配する 義務を与えるのであ る。
「ことハり」や「しょちしてくれ」は ,こ
唯一なる神が 一方的に自らの 像 としての人間
こに挙げた以外の 個所でも散見ずる 表現であ
を 創造するこのプロセスは
るが,これらの
,
元 初まりの話に
用例から既にこの 二つの表現
の意味は明らかであ ろう。 すなわち,親和が
見られる「談じ 合い」のあ り方とは大きく 異
なっている。 親 神による人間創造のプロセス
人間に対して 語りかけている ,あるいは語り
の只中において「談じ 合 い」が行なわれてい
かけんとする 自らの意志は ,必ずしも人間が
るという事実は ,「談じ合い」の 思想が天理
予期しうるようなものだけではないかも
教の神 観や 人問観を根底から 規定するもので
ない。 しかしながら , い や,だからこそ親神
あ ることを物語っているとも 言えるのではな
は ,それを人間に無理なく理解し
いだろうか。
ほしいと,一方で自らあ らかじめ断りを 入れ,
「おふでさき」の 中で「たんぢや い
」
げ談
知れ
受け止めて
他方で人間の 側からの承認,つまり 承知を取
じ合い」) という語が見られるのは 上の一箇
り付けようとするのであ る。
所のみであ るが,その外廷として ,意味的に
これに類する ,あるいは関係する 表現は,こ
もちろん, こうした「こと ハり 」や「しよ
ちしてくれ」という 表現に見られる 親 神から
れ以外にも多く 見出すことができる。
そうし
の人間に対する 働きかけは,必ずしも 上に見
たものの中には ,例えば「こと ハり 」曲り )
た元 初まりの話における「談じ 合い」の態度
や 「しょちしてくれ」 (承知してくれ ) とぃ
った 表現があ る。 これらは特に ,親和が人間
とまったく同二のものではない。
に対し,人間世界の 創造反 ぴ救済の意思を 伝
間) とが談じ合う 機会について
えんとする際に ,人間の側の理解や同意を 請
願する場面において 頻繁に用いられる 表現で
れているのに 対し ,
あ る。 それらには,以下のような
れる。
64
用例が見ら
というのも
「談じ合い」においては 親 神と道具雛型
「こと
(人
明確に言及さ
ハり 」や「しよち」
はあ くまでも 親 神からのイニシアティブによ
るものであ り,そうした 具体的な機会や 場が
実際に想定されているわけではないからであ
島田
る
。 視点を換えれば
,それ
放 こその神からの
「断り」であ り,また人間からの「承知」の
要求にほかならなかったと 言えよう。
を中心とする
とはい
えそこでは,親和が 人間に対し否応なしに 合
意を強要するというわけではなく
り
出すことに深く 蹄 曙の念を示した 夫
誰が来ても神は 退かぬ。 今は種々と心配
するは無理でないけれど
る
ぅ
程に。
態度には,たと
えそれが「談じ 合い」の営為そのものではな
とでも呼び
,二十年三-l-年
経ったなれば ,皆の者成程と 思、 6 日が来
言わば問答無用の 要求の仕方を 徹底的
元の神の思わく 辿りするのや ,神の言う
合い」
いにせよ,少なくとも「談じ
る。
,可能な@
認められるであ ろ
に 回避しようとするこうした
中山家とのしばらくのやり 取り
衛の同意を迫るのであ
親神 が人間に対して 超越的あ るいは高圧
的に ,
善 兵衛
のあ と, 親 神は次のような 厳しいロ調で 善 英-
人間の側の理解を 得ようとする 態度が鮮明
に表われていることもまた
・
事 承知せ
るものを指摘することができる
よ
。 聞き入れくれた 事ならば,
世界一列 救 けさ そ。 もし不承知とあ らば,
のではないだろうか。
この家,粉も 無いよ
う
にする。
こうした視点に 対して容易に 予想され得る
反論が,大剛に対する 親 神の超越性をとりわ
け強調するような 立場からのものであ
ちろん「おふでさき」にも
,
ヲミイ只て
る。 も
親 神の超越的な
性格が明瞭に 表われている 箇所は枚挙にいと
,
しばしば厳しい 口調で人間の 側の決断や
態度変更を要求する
10 月 24 円の親神に
よ
る啓
示とそれに引き 続く 10 月 26 日の立教というこ
の一連のプロセスの 中には, 親 神の申し出と ,
その応対に苦慮する 人間とのあ いだの息詰る
まがない。 徹底して人間の 成人を促すうえか
ら
9
親 神の言葉は,「おふで
ような緊迫感が 振っている。
ここでの 親 神の
態度が,既に指摘したような「談じ 合い」の
"精神 " とはまったくかけ 離れた, きわめて
さき」以覚にも 多く見出される " おそらく,
高圧的で強権 的な態度として 映るのは否めな
人間に対するこうした 親 神の超越的な 態度が
い。 だが,やはりここでも 看過し得ないのは ,
,初めて親
人間に対する 超越の一方的介入というこの 啓
もっとも鮮明に 表われているのは
神 天理王命が中山家に 天降った啓示の 場面に
示の場面においてさえも
おいてであ ろう。この啓示の場面は , 特に T
側の承認を得ようとする 親 神の態度であ る。
ォ
高
,あくまでも人間の
本天理教教祖 伝 』において詳細に 描かれてい
上の「 二 -@-年三 -l-年経ったなれば ,皆の者成
るが,そこで親 神は以下のような 第一声を発
る 程という日が 来る程に」という 言葉には,
この時点では 目の前で一体何が 起こっている
している。
のかまったく 理解し得ない 中山家の人々を 何
我は元の神・ 実の神であ る。 この屋敷に
と
い れ れんあ り。 このたび,世界一れつを
ろに貰い受けたいという 親 神の親心を窺うこ
たすけるために 天降った。 みきを神のや
しろに貰い受けたい。
とができよう。 これは, 親 神からの人間への
この言葉に続き ,
みきを神のやしろに 差し
承知を得た ぅえ でみきを神のやし
言わば「歩み 寄り」とでも 言えるような 態度
として捉えることはできないだろうか。
人間に対する 神のこうした 姿勢は,宗教史
天理教における共生の可能,性
的な視点から 啓示という事態の 本質を考えた
な関係性を垣間男" ることができる よう に 臥わ
場合,極めて異質な事態として 映るかも知れ
れる。
ない。 というのも,いわぬる 一神教的な 啓 典
・
宗教における 啓示の概念が ,絶対的・超越的
存在の相対的・ 内在的な人間世界に 対する
らの啓き 示しとして捉えられるとすれば
,
4. 人間と人間との「談じ 合い」
-一
一一・「おさしづ」を中心 に
自
既に指摘した
そ
もそもそこには ,啓示が下される 人間の意志
よ
うに,以上見てきたような
「談じ合い」の思想及びその 精神とでも呼び
が介在する余地など ,まったく残されていな
うるものは,天理教の 神観や人間観の 根本的
いはずだからであ る。 例えばイスラーム 研究
な特質の一つを 成すものと言っても 過言では
者として著名な 井筒俊彦は, f610 年にムハン
ない。 「談じ合い」の 精神の発露が 見られた
マドに下されたとされる 一連の啓示の 出来 尊
を
,以下のように描写している。
「おふでさき」における 元 初まりの話,人間
に対する 親 神の救済の意思、と計画の表明,
さ
らには 親 袖の啓示とそれに 続く立教といった
要するに,旧約にい わゆる「生ける 神
に むんずと捉えられたのだ。
0%
」
遁 げように
げられぬ絶対的な 把握でそれはあ っ
局面が,いずれも 天理教の思想世界全体の 骨
格を形成する 決定的なモメントであ ることは,
改めて想起されるべきであ
た。 ・…‥反抗し抵抗しようとさえしてみ
ろ
こうした局面での「談じ 合い」のあ り方が ,
例外なく 親 神と人間
軸 駅 であ ることを彼はついに 知った。 天
・型
から下る 雷塞 のようにそれは 彼を地上に
に対し ,
叩きつけた。 セム的人間においては , 神
い」が語られる 場合,その焦点は複数の人間
) との関係性の
教
の 「選び」は常にこの
ょ
うな有無を言わ
さぬ暴力の形を 取って行われる。 彼は既
は神の使徒であ り,もはやあ
と
へは退け
(あ るいはその道具
l1
た。 しかし彼の側からのあ らゆる努力は
中に見られるものであ るの
特に「おさしづ」において「談じ
ている。
『おさしづ索引上によれば ,「談じ合
ぃ」及びそれに
(1.,1
て 登場する。
一方,天理教の場合,啓示のでき
事はやは
ではあ ったにせよ,必ず
合
による信仰的な 合意形成という 局面に移行し
類する表現
( 談示」あ るの
「
は 「だんじ」など ) は,合引5%
な い のだ。
ぁ
回にわたっ
岸 義治は,「おさしづ」におけ
る 「談じ合い」のさまざまな 用法を分類しな
がら,そのうち信者の身体的な 病 (身上 ) に
しもそれは「有無を 言わさぬ暴力の 形」を取
ったわけではなく ,矢筈兵衛からの同意の余
の諸問題
地を最後まで 残していたのであ
限 に関する場面で 3R 回 ,そして単なる 願に 関
る。 啓典宗教
の伝統における
る
関する場面で 151 回 ,本部や教会の運営など
(事情 ) に関する場面で
啓示概念には 見られない天理
独自の啓示観の 中にこそ,むしろ 親 神に ょ
するものとして
啓示の本質的な
における「談じ 合い」は
性格が現われているとも 言
えるであ ろう。 もちろんそれは「談じ
合い」
7
247 回,刻
回用いられているとして
ぃ
4(O ここからも明らかな よう に , 「おさしづ」
る@
)
,
「おふでさき」に
おけるそれとは 異なり,極めて個別的かっ 具
そのものとは 言えないまでも ,やはりそこに
体的な文脈において
は ,その精神に繋がる神と人間との -- 種 初出判
このことは当然,「おさしづ」における「
用いられている。 そして
談
佳詩「
口
自
足
﹂
計
手
こ二
,そうし
身
る。 ここでの関心はむしろ
長徳
可能であ
教
不
情
例 をここで全体的に 網羅するのはもとより
5
用
月卿
為ぬ
めて困難にしている。 膨大な数に及ぶその
早事
治わ
じ 合 い」の語の意味内容を 画定することを 極
すなわちここでは ,たとえ一人があ る意見
た 「談じ合い」の用例の中から ,その思想の
を述べても,それに 同意しない意見をも
おおまかな特質を 浮かび上がらせることにあ
しながら全体的な 意見調整を図っていくこと
る 。
が期待されているのであ
加ルさ
る。
まず,「談じ合い」において 前提とされる
このように,あ る問題について 信仰的に対
のは,それに参加する人々がそれぞれなりの
心 」,すなわち 異なった意見を 持っている
処しようとする 場合,その「談じ合い」に参
という認識であ る。
を図ることは 抑えられる。 むしろ,その問題
「
加する人々
-
人一人が個別にその 問題の解決
に 関わるすべての 者が時間も惜しまず 一 つに
日々の 処 ,めん
の事であ
心に受け取る。 一つ
る。 どれから見ても
治め難くい
心を寄せ合い 真剣に談じ合えば ,すぐに治ま
る。 --
る,つまり解決がつくとされるのであ
・
もの,随分たすけ一條ⅠⅠ。事情さえ日々
分 な談じ合いを 重ねる中で目指されるのは
心を計り,十人寄れば十人の心, 日々の
皆 それぞれが 親 神の思 いへと心を
処 難しい。 十人の心
-
人の心,一つすき
d
,
っに 向け
ていく,すなわち「治め」ていくことであ
る。
やか一つ談じ 合い,一つこれはどうであ
る
さあ
(明治 23 年 8 月 22 日,増野正兵衛歯の 障
-
名
つの 理 ,多くの中の事情,言えば困る。
皆 談じ治め。
親 神によって創造された 人間は, 目らの身
どういう事であ ろう,
思、 ぅ 理で一時何かの 処 ,察しる処 ,
-
り,遊興気 嫌悪しくに何何 )
日々の 処 ,
--
名では治まらん 理であ る。
あ ちらこちらに 気を兼ねて走り 歩き, 皆
談 永 - つの 理 0
体は親神からの「かりもの」とされながらも
心については 基本的にその 自由な使用が 許さ
(明治 23 年 4
れている。 したがって,人間は 皆それぞれ異
なった心を持つという 理解が「談じ 合い」の
障りに何何 )
大前提としてあ る。 さらに,実際の「談じ 合
どんな事も談じてくれにゃならん。
い」の場では ,そうした異なった 心 ,異なっ
という,抜け 目の無いよう ,
月
21 日,増野正兵衛出物の
談示
もう何時や
た意見を他の 者に包み隠さず 披露し,充分に
何時や ,
話し合いを重ねることが 勧められる。
何は 寄っても何もならん。 智一つの心寄
さあ
皆 談じ合うてくれ
隠し包みは要らん。 皆んなそれ
。 一人も
ネ
, 又 そうやないという
事情を以って 治めにゃならん。
せたら,直きにこの 場で治まるものや。
(明治 27 年 1 同 22 日,茶席御身上 燗 )
- ヨ ,惜
は って話し掛けたら ,こうなったという。
…こうと言うても
夜が更けるというような 事では
「談じ合い」においては ,それに参加する
人々が実際にさまざまな 問題について 談じ合
いな続ける申で ,それぞれの思い る 神意のも
天理教における共生の可能,
性
とに- つに 合わせ,少しでもそれに 近づける
(明治 24年 2
7
月
日,刻限)
努力をする意義が 強調される。 すなわち,そ
こでのポイントは ,単に自らの意思決定を親
刻限をよう 思 やんせよ。 それを納して 置
神から委嘱されているという 事実それ自体に
いて何も尋ねる 事要らん。
ではなく,むしろ ,あくまでも談じ 合いな通
分までの道に 連れて上りた。 もう一だん
して人間の側の 信仰的な深まりが 期待され,
えらい難し通が
しかもそれが 人々の心を一つぼ 合わせるとい
ⅠⅠこう せ にゃならん, どうせにゃなら
う点にあ る。 そうした人間の 側の「治める」
ん,
努力を通して ,
限の理を外すなら 尽すまでや。
はじめてその 談じ合いの「治
--
卜
分の道九
通り掛けて居る。
のん
皆 談じ合うた処が 何にもならん。 刻
まり」を見ることができると 捉えられている
(明治 2W 年 l1 月 19 日,刻限)
のであ る。
ニ番目に挙げた「刻限のさしづ」では ,「談
このように,「おさしづ」における「談じ
合い」の教えに 一貫して見られるのは , 親宇 @ll
示 の 決 」,すなわち 談じ合いのしめくくりが
の 思召 ・意志に少しでも 近づこうと,談じ合
神の「さしづ」 (.
指図) に基づいてなされな
う
当事者同士がそれぞれの 異なった意見の 言
わば「すり合わせ」を 行なおうとする 努力に
対する - 定の期待であ る。 もちろんそれは ,
一般的な文脈でイメージされるいわゆる
意見
調整のようなものではない。 談じ合う当事者
たちが心を一
つに 寄せるべき当の
対象として,
あ くまでも 親 神の意志が想定されているから
,
ければならないとされている。 また,最後に
挙げた「刻限のさしづ」では ,困難な道に差
しかかっている 時に,刻限の理,つまり 親 神
の指図を聞き 入れず, 昔 めいめいが自分勝手
な意見を言い 合っているのであ れば,それは
無駄な努力にしか 過ぎないと述べられてい
であ る。 「智一つの心寄せ」るのは ,神の「さ
。 こうした言葉から 考えれば,「おさしづ」
における「談じ 合い」には,今日の会議体 に
しづ」にほかならない。
おける合意形成のプロセスで 一般的に前提と
Ⅰ 皆 それⅠⅠ 談示軸く ,
わ んノ
る
されるような ,開かれた (open-ended)討
議のあ り方が想定されているわけではない。
・
談 示して
勝手に運ぶなら 何にも尋ねるまでやない。
ましてや,
人間の義理に 尋ねるなら要らん 事 ,さし
みを排除することによって 想定し得るような ,
づ を外せば尋ねるまでやない。
J. ハーバマスの
らさし づ もしよう。
尋ねるな
さしづ は神一條の話。
(明治 23年 6 月 20 日,茶席身上に 付 願 )
コミュニケーションの
体系的な歪
い わゆる「理想的発話Ⅱ
や兄」
の条 仰に見合うようなものでもない。
上に挙
げたような例においては ,神から人間に対し
て 直裁に何らかの 言辞が下される 指図という
治め掛けは,何か難し道であ
う事も難しい。
-
る。 どうい
國 々 國 々の 処 ,
萬 事取
り締まり,さあ グ
Ⅰ何か 談赤 々々, 談 示
の決は,これまでよりも 神のさし づ 。 さ
しづ通りの道なら
ねするやない。
68
,どんな事も 遠慮気兼
形式の中で,そこでの 最終的な判断基準とし
ての 親 神の意志についての
れているのであ
明確な言及がなさ
る。
だが,「おさしづ」における
用例を見る限
りでは,「談示の 決 」は神のさし
づ に基づく
べきであ ると断言しているような
例は上に挙
島田
げた引用以覚には 見当たらない。 むしろ逆に,
こうした「談じ 合 い」による合意形成のあ
り
方を, 親 神のイニシアティブにではなく
,基
本的に人間の 側に任せている 場面の方が多く
見受けられる。 以下に挙げるのは ,そうした
例のいく
っ かであ る。
さ
も
にこの他にも ,「談示 に委せ置く」 (明
冶 2.W
年 ¥1 月 2
), 談示 に委せようⅠⅠ
冶 23年 5 月 12 日 ), 「その処は談 示 に委せる
ⅠⅠ ㎝ 治 2W 年 2 月 8 日 ), 談 示の心に委
日
「
「
せ置こう」 (明治組 年 10月 7 日 ), 談 示の理
に委せ置こう」 (明治2,M年 2 月 29 口 ), 「皆皆
「
の談 示 の 理 委せて置こう」
だん ⅠⅠの道の処ⅠⅠ,何処やⅠⅠ謙
日
グ
談示 に委せ置こう。
恭々々,だんⅠ・の
年
Ⅰの 談示
(明治 36 年 4 月 16
), 談 恭一つの理に 委せ置こう」㎝
「
1
月
26
日
治 25
) など, 親 神から人間の「談じ 合
互 い 互 いの 理であ ろう。 互 い/
い 」に「委せる」,すなわち
に任せ置こう。
明言している 個所だけでも , 司 U4 箇所に及ぶ。
(明治 21 年
8
5
月
日,上原佑助
よ
り公教
決定を委ねると
さらに,「おさしづ」にはこの他にも,「談示
」
や「だんじ」という 表現とは独立して「委せ
会設置 願 )
置く」あ るいは「委せ 置こう」といった 表現
さあ
その処は談 示 に委せるⅠⅠ。 心
が 多用されており ,それらの用例は 枚挙にい
置き無う。 三日なら三回の 処, 談赤め . ヒ
とまがな @7l
。 「談じ合い」の結果導き出され
ならそれに委せ 置こう。
る人間の意思決定に 対して, 親 神からの一定
(明治 24 年
の信頼が寄せられていることが
2
月
8
日,教祖五年祭の件伺 )
し卜
,
このことか
らも窺えるであ ろう。
さあ
尋,ねる事情
,尋ねる事情@ま
余儀無く事情であ ろうⅠⅠ。 余儀無く事・
とはいえ,「おさしづ」における「委せ 置
く」及びその 類似表現がこうした 形で頻出す
るという事実は ,「談じ合い」にとっての 最
こら言わん。 日々皆 諭す事情に籠りあ る。 終的な判断基準としての 神意の強調という 先
情 どうせにやならん ,
そこで,その日
こう せ にやならん,
談じて,そうがよか
に見た点と明らかに 矛盾するのではないだろ
ろうこ う がよかろ,それ(の小歌 示に
うか。 そもそも「おさしづ」が 文字通り 親ネ t@l
皆委せ置こうⅠⅠ。
の指図であ る限りにおいて ,そこで「談じ合
(明治 31 年 3 月 17 日,芦澤外教会備中笠
岡文教会一時郡役所へ 貸す 専 心得まで
願)
い」が奨励され ,
しかも合意形成の 最終的な
行方が人間に 委ねられるという 事態は, 言わ
ば一種の「ダブル ,バインド」的な 状況を惹
起する可能性を 苧んでいるとも 言えるのでは
これらのさし
づ においては,親和が 自らの
意志を断定的に 述べ伝えることを 何とか回避
な い だろうか。
こうしたあ
り
得 べき解釈上の 葛藤に対し,
しょうとする 態度が窺われる。 意思形成の主
ここで改めて 強調されるべきは , 親 神は人間
体はむしろ「談じ 合 い」に 集 6 人間の側にあ
に よ る「談じ合 い」を経た意思決定に 完全に
り, 親 神はあ くまでもその 成り行きを,人々
の信心の深まりを 期待しながら 見届けている
委ねてしまっているわけではなく
という姿勢を 窺うことができる。
わけでもないという 点であ る。 「談じ合い」
,
また,人
間の側でも決してそうした 事態を望んでかる
天理教における共生の可能,
性
の参加者が合意形成の
主体となるようなあ
り
方に対して 親 神から一定の 信頼や期待が 寄せ
5.
られているとは 言え, 親神の側からすれば ,
おわりに
では,これまで見てきたような 天理教原典
における「談じ 合い」の教えは ,今日の天理
あ くまでもそれは 人間の信仰的な 深まり,す
なわち心の成人を 促す - つの重要な手段にほ
教者にとっていかなる
かならない。 逆に人間の側からすれば ,そこ
ものだろうか。 最後に,この点についての 筆
では, 親 神に
者なりの若 -干の展望を,消極面と 積極面とに
よ
る最終的な指図が 背後に控え
ているという 前提が,「談じ 合 い」のすべて
思想的 可 脂性を与える
分けて述べておきたい。
まず,消極面の 大前提としてあ るのは,「お
の参加者によって
共有されているのであ る。
人々が「談じ 合い」の場において 自らの思い
さしづ」が,明治 40 年
を包み隠さず 披歴ずるところから 出発し ,ゃlll
日
意が奈辺にあ るのかを個々の 参加者がそれぞ
って終焉しているという 事実であ る。 それは、
れなりに信仰的な 視点で問い尋ねていく 中で ,
後親神による啓示的指図がなくなったという
異なった意見の 調整が,つまり
ガ が 進められていく。 それによって 真に「治
ことは,人間の 側から 親 神に対する直接的な
伝達回路が途絶えたということにほかならな
まり」が見られる 場合はもちろん 想定しうる
い 。 もちろん信仰的には , 親 神は今なお人間・
し,また望ましいことでもあ る。 だが,仮に
世界に働きかけ ,今後も絶えることなく 守護
「談じ合し 、 」を重ねながらも
-
「治める」勢
定の合意に達
6
月
9
日
(陰暦 4
月
29
) の水席飯降伊蔵 の出直し ( 二 逝去) をも
をし続ける存在であ ることに変わりはない。
しない・場合でさえも,常に人間の側から親ネlll
逆に信仰者の 立場から言えば ,それぞれが自
に対して伺いを 立て得るという 条件が,潜在
らの信仰体験の 中で親神による 守護を実感し ,
的にも顕在的にも 与えられているのであ る。
「談じ合い」における 信仰的な意思決定プロ
あ るいは 親 神の救済の業とその 意志を悟ると
セスの終局としての 神の意図は , 未だお ぼろ
を成してきたし ,また今後もそうあ り続ける
げな形でしか 窺 い知ることができない。 だが
に違いない。 だが,明治40 年 6 月 9 日までは
そこには,常にそれを 背後から見守りながら ,
「談じ合い」の実質的な合意目標として 想定
いう営みこそが ,
これまでの信仰生活の 要諦
必要とあ らば積極的にその 場に介入し,また
されていた 親 神の指図を,それ以後の世界に
自らの意思を 言語的な表現で
生きる信仰者はもはや 仰ぐことができないと
解き明かす 親 神
の啓示的指図が 前提として共有されているの
であ る。 こうした形で ,
人々の合意による 信
仰的な意思形成プロセスが 不可避的に
苧む 両
いうことは,やはり 厳然たる事実であ
る。
もっとも,「おさしづ」が 言語を媒介とし
た啓示の出来事であ る限りにおいて ,神の意
義的な性格を ,むしろ積極的なものとして 捉
志への究極的な 到達不可能性というこの 事態
えることが可能となるであ ろう。 そしてこの
は, 何もその終焉とともに
点は,今日における「談じ
態ではあ り得ないとも 言えよう " 言語の媒介
性という性格が 構造的に内包する 意味の ズし
合 い」の教えの思
想的・実践的可能性を 考える上で ,
要なポイントとなるはずであ る。
極めて重
初めて出来した 事
ゃ伝達の「遅れ」という 問題は, 親 神の啓示
的指図という 出来事にも不可避的に 付随する
ものであ る。 だが,「おさしづ」の 終焉によ
70
・
島田
ってもたらされたより 根木的な事態は ,信仰
生活の中で生起するさまざまな 問題に対する
信仰者としての 行動の指針,を, 常に親神の意
志と照らし合わせることで
るという可能性が
繰り返し確認し 得
,それによって途絶えたと
可能性,あるいはその積極的な 側面は,いか
なるところに 求められるであ ろうか。 まず,
」
r,で触れたような ,「おさしづ」の 終焉によ
ってもたらされた「神の 意志への究極的な 到
達不可能性」という 事態 は ,その帰結として ,
いうことにあ る。 「おさしづ」の 時代とそれ
人間同士の「談じ 合い」によって 得られたあ
以後とのこの 違いは,共同体的合意形成のあ
らゆる合意の 暫定的な性格を 露呈させる。
り方にとっては 決定的なものとも 言える。 こ
うして,「おさしづ」以後の 時代に生きる 信
ぃ換えれば,
伝達という回路が 途絶えた状況下においてこ
何者にとって ,天理教原典・として定められた
そ,逆に「談じ合い」の絶えざる 継続の意義
テキストを中心とした 解釈・釈義を 通して回
らの信仰 指鉗-を図っていくという 作業が,原
を説くことが 可能となるのであ る。 その意味
では,「おさしづ」の 時代以降の直接的啓示
理的には大きな 位置を占めることになるので
の不在という 事態は,「談じ 合 い」の永続的
あ る。
な継続の言わば「可能性の 条件」を成してい
また,より具体的な 問題として考えられる
言
親 神に よ る啓示的指図の 直接的
るとも言える。 端的に表現すれば ,絶対的な
故に,「談じ 合 い」を
のが,「談じ合い」を実際に 執り行う構成員
, 悟りに到達できないが
の問題であ
続けていく以外には 残された方法はないとい
る。 共同体や法が
手む本質的な 暴
力性の議論においてしばしば 指摘されてきた
うことになろう。
ように,共同体の始原には,「覚部」を 何ら
したがって, このことはまた 教理解釈につ
かの暴力的な 手段によって 排除するという 作
いてもあ てはまる。 特定の教理体系を 掲げる
業によって,「内部」があ る種の閉鎖空間と
して想像,創造されるという 局面が露呈する
信仰者集団が 宗教としての 共同体的な形態を
ことがあ る。 すなわち,今日われわれが「 談
を常に再生産し 続けるという 作業は,ことの
じ 合い」の実践的可能性を
良し悪しに関わらず ,不可避的なことであ る。
模索する際に 問題
取る限り,共同体としての 正統的な教理解釈
だが一方で,神学や 教学のドバマ 化あ るいは
となる,あ るいは問題としなければならない
のは,その「談じ合い」が具体的に 誰によっ
硬直化という 事態が,古今東西に 実在したあ
てなされるものなのか ,言い換えれば, ここ
らゆる宗教共同体が 字む 根本的なジレンマで
で言われる「われわれ」とは 一体誰 のことな
あ ることもまた 事実であ る。教理の正統的解
のかという問いであ る " 天理教者の信仰生活
釈を自負する 信仰者集団が ,ある時にはあ か
において,「談じ 合い」は今後ますますさま
らさまな暴力的手段に 訴え, またあ る時には
ざまなレベルで ,多様な問題をめぐって 行な
極めて陰湿なやり 方で
われて然るべきであ ろう。 そうした個々の 実
や人間を排除しようとしてきたことは
践的な場面において ,「談じ合い」を , 語の
否定的な意味での「談合」に 変えてしまうの
の歴史が明白に 物語るところであ る。 「談じ
合い」の実践は ,そうした ドバマ的な思考や
を避けるためにも ,これは常に念頭に置かれ
態度の硬直性や 排他性を異化あ るいは相対化
るべき問題であ ろう。
させる営為として ,極めて重要な批判的機能
では,「談じ合 い」の教えが持っ 今日的な
意見を異にする 集団
を持ち得るものとなろう。
,人類
ここでもまた ,
絶
71
天理教における共生の町能性
射的な教理解釈にはたどり 着けない限り ,神
学や教学における「談じ
とができるのではないだろう
合 い」が持つ意義は
大きい。 あ る意味では,「談じ 合い」の思想
註
的・実践的可能性が 最大限に実現し 得る場は,
Ⅱ@
題
この問題については
既に多くの論者が
発言し
こうした神学的言説空間にあ ると言っても 過
ているが,ここではごく
最近の論考を
挙げるにと
高 ではないと 思、 われる。
どめておく
"
とはいえ,今日の 社会に日を転じれば ,
文
烏薗進 ・中村圭
志 「宗教復興勢力と
令 」,公共哲
個人主義一町文明の
街柴山論の宗教育
化的価値観や 利害の多元的分裂状況が 先鋭化
しっっ あ るそのあ
り方は,一面では ,現実的
地球的平和の
公共哲学一「
反
テロ」世界戦争に
抗してⅡ,東京大学出版会,
2003
に実りあ る「談じ合い」の 実践をますます 困
年, 16 ㌻178 頁,及び大塚和夫「文明間対話の
基
難にしつつあ ることはやはり 否定できない。
生活形態や社会階層,ジェンダーといった 問
礎づくりにかけて
一 %他者d としてのイスラーム
をめぐる多元的な 価値観の進展は ,
さ ま さ
まな共同体的な 生のあ り方に根本的な 変容を
迫り,天理教を含むあ らゆる宗教教団もその
の事例を中心に
一」,伊東俊太郎監修『文明間の
対話にむけて一共生の比較文明学j, 世界恩怨
社, 2003 年, 17 ㌻191 頁。
(2)
本稿での関心とやや
視占を興にするが
,以下
例外とはなり 得ない。 共同体内部の 均質性が
を参照のこと。
大澤真幸田文明の
内なる衝突
一テ
蝕まれて行く 状況の中で,有為な「談じ合い」
ロ後の世界を
考える』,日本放送出版会,
2002 年。
の実践が困難となるのも 無理からぬことであ
大澤はここで
,彼の言う
ろう。 だが逆に,視点を 変えてみれば ,むし
以下のように述べている。「つまり文明間の
衝突
ろこうした社会的条件こそが
,「談じ合い
「内なる衝突」ついて
,
文明内の他裂でもあるのだ。文明の
」
の積み重ねの 必要性を高めるという 見方も可
衝突に相当する
紛争を,それぞれの
文明がその内
能であ る。 いずれにせ よ われわれに残された
課題は,「談じ 合い」の教理的・ 思想的意義
る。 各文明は,その
外部に,
部に宿しているのであ
と
対話が著しく困難な他者を
有しているだけではな
,それを実践する 際に生じるであ ろうさま
い。それ自身の内部に
,調停困難な
他者を黎んで
ざまな問題を ,いかに調整していくかという
る」 (67頁)。
おり,内的に
矛盾しているのであ
ことになるであ ろう。 そして,われわれ天理
教者が「談じ 合い」についてのこうした
実践
的な諸問題を 信仰的に検討していくうえでも
(3@
天理大学おやさと
研究所編 改訂天理教事典
d,
肛
天理教道交
社,
1997 年, 5㌍頁。
,
「おふでさき」,「みかぐ
ち
やはり「談じ 合い」という 手続きに訴えるこ
う
とこそが,原典で 説かれた教相.の教えにもっ
ている。
とも見合った 態度であ るように思われる。
そ
れは哲学的な 表現を使えば「無限背進」と
高
(5)
た」,「おさしづ」の
3 つのテキスト
群から成っ
とはいえ本稿では 天理教の教理と
実践に関
する今日的な
諸問題の琳決が目指されるわけでは
えるかも知れないが ,あくまでも人問と 人間
ない。むしろ本稿は,「談じ合い」の
教えの今日
とのあ い だで行なわれる「談じ 合 い」の積み
的な可能性を
照射・する一つの
重ねは決して 無限な「背進」ではあ
しか過ぎない。
り得ず ,
むしろ,個々及び共同体としての 信仰を無限
に深化させていく 営みとしてイメージするこ
72
(6)
問題提起的な
試論に
澤井勇一は,「談じ
合い 」を「練り合
い
」
鮨ね
りあ い 1) や 「さとしあ
い」とほぼ同義のものと
島田
して捉え,天理教者の
日常的な信仰実践の
文脈に
示を意味する。
T改訂天理教事* 1, 天理大学おや
おける「談じ
合い」が形式に
堕しているとの
視点
1997 年, 331 頁。 これに対し「伺
さと研究所編,
な
から,本来の「談じ
合い」の意味を
浮き彫りにし
ようとした。
澤井勇@
「『談じ合い
(に対する
) さしづ」と呼ばれているものは
,
団について一
さまざまな身上の
態、 いや事
その教理,実践論の
覚え書 (上) . (下)」,『あ ら
召を伺った返答として
下される啓示的指図であ
る。
きとうりょう
U, 第 660号, 1967 年, 56-61 頁,及び
同上晢 , 73 頁
第 70 号, 1968 年, 94-99 頁0
(7)
上掲の澤井男
-
れ
の 論考の他に研究論文として
5)
ここに挙げた3 つの「おさしづ」の
引用のう
ち,二番目と
三番目の訳については
以下を参照し
古かれたものは
,管見の限りでは
以下の論考のみ
た 。 山本人二夫・
中島秀夫『おさしづ
研究 (改訂
である。 岸義治「談じ合いについて」,『天理教学
天理教道支社,
, 295
づ98 頁。
研究 第 8 音, 1954 年, 33-91 頁。この岸の論考
コ
は,原典に見られる「談じ
合い 」についての
綿密
256-259M
け 6@
ハーバマスの「理想的発話状況」Ⅰ deale
な分析であり,本稿を準備する
ぅ えでも大いに
参
Sprachs;tuati0n) については,例えば以下の論
考になった。また,研究論文ではないが
,「談じ
考を参照のこと。
ユルゲン・ハーバマス「コミュ
合い」をテーマとした
座談会として,以下のもの
ニケーション
能力のための
予備的考察
一ゼミナー
がある。 大久保昭教 ・中島秀夫・
山本人伝夫 座
ル討論のための草稿一」,ユルゲン・ハーバマス
,
談'
Ⅰ。
。""談じ合い" について」,
ニクラス・ルーマン 批判理論と社会システム
「
rあ らきとうりよう
A
論皿佐藤・山口・
藤沢訳), 木鐸社, 1987 年, T25
第34-手, 1959 年, 44-51 頁。
聖;珪 d, 日本型吉協会,2001 午。
(9@
年
「稲本天理教教祖
4ま j, 天理教教会本部,
1956
司81 頁所4x 。
は
1 頁。
同上書,7 頁。
は l@
同上書,7 頁。
「委せ置こう」及びその
繰り返し,あるいは類似、
0 表現は200 箇所以上,にわたって
登場する。rおさ
イスラーム生誕
d, 中 公文庫,1990
しづ索引・
三 d, 天理教教義及史料集成部,1987
年,㌍7-340 頁。
午, 83-84 頁。
『おさしづ索引・
二d, 天理教教義及史料集
(18@ この点については
,以下の文献などを
参照の
こと。ルネ,ジラールロ
暴力と聖なるものJ (古
成部,1985 年, 580-584 頁。
(14)
『おさしづ索引上によれば
,「委せ置く」
あ
るいはその繰り
返しの表現が129 箇所に見られ,
Ⅰ 0@
は 3@
7@
岸義治「談じ合いについて」,
r天理教学研究
d,
田幸男訳), 法政大学出版局,1982 年。また,
法政大
第 8 号, 1954 年, 74 頁。だが,岸はここで,「お
さしづ」において「談じ
合い」が独立した
意味を
持つ刑法として登場する個所を
440 箇所としてい
ジ
学出版局,1999 年。
は
9) 加藤尚武によ れば,合意形成における
ァヵゥ
る。 なお, 骸り限 」とは一般的に「決められた
時
ンタビリティの
検討方法を徹底すると
,必然的に
刻」を意味し,「刻限御詰」あ
るいは「刻限のさ
それは,無限背進という
形を取ることになる。
加
丸善ライ
しづ」とは,
親神によってあらかじめ定められた
時刻に主として
本店飯降伊蔵を通して下された
啓
ブ ラ リコ 2002 年, 211 頁。
73