株式会社と株式市場の歴史 証券恐慌前後の日本の株式市場 木下 怜央 終戦から証券不況までの株式市場 ① 株式の保有構造 ② 証券法と証券会社の業務 戦前:財閥形態主体 戦後:財閥解体によって保有株の売却 公開株式の69.1%を最初は個人が所有することに But ・個人は株式を保有する資金を持っていなかった ・株価の変動性が高かった 株式の流動性が高く、過剰供給が生じ、株価暴落 対策 • 政府による市場対策 • 民間側による旧財閥系企業グループの再編 旧財閥系グループの再編 会社乗っ取り(三菱化成、陽和不動産、白木屋事件) 企業グループの金融機関による株式購入 独占禁止法の株式制限の緩和 これらの対策により株式保有率は 金融機関:23.1% 非金融法人:17.8% 個人:46.3% 証券会社、証券投資信託:11.2% 証券取引法 • 市場集中原則 • 投資家保護を目的とする時間優先原則 • 先物取引を行わない しかし例外も存在 ・ 権利株取引 ・ 集団取引 ・ PO取引、バイカイ 証券会社が積極的に利用 証券会社の主な役割 • ディーリング業務 • ブローカレッジ業務 • アンダーライティング業務 当時のメイン 現在のメイン ディーリング業務 自己売買や推奨販売 ・戦前の証券会社の体質 ・株式市場の変動性が戦後にも受け継がれていたことによる 市場価格に大きな影響を与えないPO取引やバイカイは有利 運用預かり制度 有価証券、主に割引金融債を中心に各種債 権を不特定多数の顧客から預かりそれを担 保にして借入を行う レバレッジ効果をもたらしたが・・・ 証券不況とそれによる株式市場の変化 証券不況の特徴 ①GNP成長率の差は不況前後であまり見られない ②東京証券所第一部の時価総額は ・61年との比較で減少していない ・64年では61年の半分以下に減少したが、62~3年では高水準 証券不況は字義どおり証券会社にとっては深刻だが他の経済主体に とっては通常の不況と異なる点はなし 証券不況の要因1 • 外部要因 ・公定歩合引き上げとその後の金融引き締め 景気後退の要因 ・ケネディ・ショック 刹那的 証券不況の要因2 • 内部要因 大量の増資や新規公開および株式投資信託の売却 増資額(株式による資金調達額) 59年1631億 60年3667億 61年7124億 64年まで高水準の増資 個人投資家の株式売却によって需給が崩れ 株価は下落 信用取引と類似のポジションの証券会社に多 大な影響 第二部市場の発足と活況 上場企業数は倍増した 証券会社は新規公開株を在庫として自己勘定で保管し、 ディーリング業務を有利に展開(特に山一証券) 坂野通達などの対策の効果もなく、株価下落により経営危機 に 証券会社は金融システムの一翼を担っていた 政府は不況救済策が必然であった 証券不況への対策 ①株式買い支え機関の設立(間接的) ②山一証券への日銀特別融資(直接的) 株式買い支え機関の設立 61年11月以降 ・増資調整や新規上場の制限 ・生命保険会社や銀行の株式買い出動 ・公社債担保金融 etc 効果なし 日本共同証券と日本証券保有組合の設立 日本共同証券 ディーリングを専門に行う証券会社 長信銀、都銀、地銀、信託銀行、保険会社、証券4社ら株主 2011億円が集められ、1905億円の株式購入 しかし・・・ 問題 ・ 日本共同証券自身の担保繰りが困難に ・ 証券投資信託の解約に伴って市場に放出される株式を買い 入れるのが困難 証券取引所から買い入れる方式であった ・ 日本共同証券によって銀行主導の株価対策が行われている ことへの反発、警戒 証券取引法第65条 日本証券保有組合 民法上の組合形態 目的 日本共同証券による対応が困難なものを対 象とした 証券投資信託の保有株式の買い入れ 組合員の保有株式の買い入れ 資金 日本共同証券金融を経由した日本銀行から の借り入れ(2156億) 組合員に義務付けられていた株式肩代り見 合いの出資(2241億) 山一証券の経営破綻 • ポジションを張ることによって利益を生じるこ とも損をすることもあるというディーリングの 特徴 • 行政による最低資本金の引き上げ 証券会社の淘汰、山一証券も 対策 日銀による日銀特別融資 まとめ • 企業が資金調達手段として株式市場を組み こむようになった(株式市場が金融システム の一部) • 日本証券保有組合が設立されたことより、金 融機関と証券会社の対立 • ディーリングのリスクに対する認識
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