竹茶杓 銘 泪 千利休作 たけちゃしゃく めい なみだ せんのりきゅうさく 天正

日本德川美術館
茶の湯
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茶道具
竹茶杓 銘 泪 千利休作
たけちゃしゃく
めい
なみだ
せんのりきゅうさく
天正19年(1591)2月、豊臣秀吉に切腹を命ぜられた千利休(せ
んのりきゅう)は、自らこの茶杓を削り、最期の茶会に用い、古
田織部(ふるたおりべ)に与えた。その後、織部は、小さな窓をあ
けた茶杓の筒をつくり、茶杓を利休の位牌(いはい)代りに拝ん
だと伝えられる。【桃山時代 16世紀】
古瀬戸肩衝茶入 銘 横田
こせとかたつきちゃいれ
めい
よこた
高さ14㎝にもおよぶ
大振りな茶入。銘の由
来は明らかではないが、
名物古瀬戸茶入(めい
ぶつこせとちゃいれ)
として、足利義政(あ
しかがよしまさ)、義
昭(よしあき)、織田信
長、豊臣秀吉と伝来し
た。天正13年(1584)
小牧長久手の戦いには、
秀吉から家康にこの茶
入が贈られ、和議が成
立したという。
【室町時代 15世紀】
三島茶碗 銘 三島桶
みしまちゃわん めいみしまおけ
附属の細川三斎(ほ
そかわさんさい)の
書状に、「天下無双
(むそう)の名物」と
称えられた三島(みし
ま)茶碗。江戸時代初
期に「三島」と呼ば
れたことが確認でき
る唯一の茶碗。鼠色
の地に白象嵌(ぞうが
ん)で文様を施した、
いわゆる高麗象嵌青
磁で、三島茶碗の原
型と考えられる。
【朝鮮王朝時代
16世紀】
曜変天目(油滴天目)
ようへんてんもく
ゆてきてんもく
天目(てんもく)は、茶
碗の中で最も高く位置
づけられ、中でも釉(ゆ
う)が変化に富んだ曜変
(ようへん)天目が珍重
された。暗紫色の釉の
中に銀色の大小さまざ
まな油滴(ゆてき)が
びっしりと浮かんでい
る。
油屋常祐(あぶらや
じょうゆう)をはじめ
堺の町衆から徳川家康、
尾張家初代義直と伝来
した。
【金時代 12~13世紀】
白天目
はくてんもく
室町時代の茶人武野紹鴎
(たけのじょうおう)所
持と伝えられる。膨らみ
をもった穏やかな形姿に、
清楚な白釉(ゆう)、見込
(みこみ)に溜まったビー
ドロの黄緑色と、各色が
見事に調和のとれた発色
をしている。この茶碗と
同様な破片が多治見市小
名田窯下窯から発見され
ており、この窯で製作さ
れた可能性が高い。
 【室町時代 16世紀】

竹の子文志野筒茶碗 歌銘 玉川
たけのこもんしのつつちゃわん うためい たまがわ
柔らかい志野(しの)独
特の釉の中に、竹の子が
幻想的に浮かび上がって
いる。向付(むこうづ
け)として作られたが、
あまりにもその姿が端正
で美しいため、茶碗に転
用されたのだろう。銘の
「玉川」は、小堀遠州
(こぼりえんしゅう)の
第三子小堀権十郎による
命名で、「新古今和歌
集」巻第六の「冬歌」"夕
されば汐風こしてみちの
くの野田の玉川千鳥なく
なり"による。岡谷家寄贈。

【桃山時代
17世紀】
織部筒茶碗 銘 冬枯
おりべつつちゃわん めい

ふゆがれ
黒釉(ゆう)と白釉とを
かけ分けた「片身替
(かたみが)わり」の織
部(おりべ)茶碗である。
抽象化された文様が、
冬の野原に枯れ残った
草木を髣髴(ほうふつ)
とさせる。底部にも白
釉がかけられ、高台内
に「Q」と読める印が
捺してある。岡谷家寄
贈。
【桃山時代 17世紀】
唐物茶壺 銘 松花
からものちゃつぼ めい
しょうか
ルソン壺と呼ばれるタイ
プの壺だが、中国南部の
産で、平安・鎌倉時代か
らすでに大量に輸入され、
14世紀始め頃から葉茶保
存用の容器に転用されは
じめ珍重されてきた。信
長・秀吉の時代には書院
の飾り道具にも用いられ
た。「松花」は現存する
茶壺の中で最も頻繁に茶
会記などの記録に登場す
る。
 【南宋~元時代 13~14
世紀】