ガバナンスと情報技術者倫理 静岡大学情報学部 吉田 寛 発表の主旨と目的 発表の主旨:情報社会において望ましい情報技術 者倫理を、専門家参画型ガバナンスモデルに則して 特徴づける。 発表の目的:ガバナンス型情報技術者倫理を技術 者倫理の観点から検討してもらい、両社の共通性 や特殊性を理解したい。 – 紹介する事例と分析は執筆中(来春刊行予定)の情報倫 理の教科書より 発表の順序 1. 情報倫理の中の情報技術者倫理 (情報倫理の教科書より) ハッカーとクラッカー ITエンジニア 2. パターナリズムと情報技術者倫理 みずほ ガバナンスモデル 3. 4. 情報技術と情報技術者の特徴 情報技術者倫理 情報倫理の中の情報技術者倫理 「技術は、技術者たちの手によって開発・運 営される。情報技術者たちの倫理的責任や 求められる人間像、これを倫理的側面から考 える必要がある。多くの情報技術を生み出し て来たハッカー、エンジニア、そしてその弱点 を攻撃してきたクラッカー、そして情報技術を 利用する市民、これらのアクター相互の倫理 的関係に焦点を当て、「ガバナンス」を核とし て情報技術者と市民の新しい関係を考えて みる。」 ハッカーとクラッカー 【事例】 2000年、科学技術庁をはじめ 官公庁のホームページが、セキュリティ の甘さを衝かれて、つぎつぎに改ざんさ れた。犯人は分からなかったが、改ざん 内容からは、反日的なナショナリストに よるものと推測された。 中央官庁の「顔」であるホームページが 悪意を持つクラッカーの攻撃に屈したこ とは、日本社会に大きな衝撃を与え、国 家的な取り組みで急速に進行しつつ あった情報化における、「影」の部分を 強く意識させた。 ハッカーとクラッカー 【point】 情報セキュリティすなわち情報シス テムの機密性、完全性、可用性を攻撃する者 を「クラッカー」と呼び、情報技術や知識に長 じている一群の者たちをさす「ハッカー」とは 区別して用いることにする。 クラッキングは、政治的理由、経済的理由、 宗教的理由、好奇心、功名心、怨恨、その他 の個人的ないし反社会的理由によって意図 的に仕掛けられ、それは情報社会を大きく脅 かす存在である。 「ハッカー」その定義と文化 「人助けハッカー」として名高いラモは、 Microsoft社をはじめYAHOO!やexciteなどの インターネット上の名だたる企業への侵入で 名を馳せた。 彼は、侵入の高い技術に加えて、セキュリ ティの欠陥を企業に通知して報酬を受け取ら ない利他的活動、無頼で誇り高い生き方から、 最も著名で英雄的ハッカーの一人となってい た。 そんな彼も、ニューヨーク・タイムズ社のイント ラネットに不正侵入して損害を与えたとして、 2003年にはとうとう有罪判決を受ける。 「ハッカー」その定義と文化 【point】 「ハッカー」を、この本では「情報シス テムについて卓越した技術や知識を持ち、独 自の自由な文化と信念に基づいて自律した 活動をなす人々」と定義し、しばしばこれに混 同して用いられることもある「クラッカー」概念 と区別しよう。 ハッカーたちは情報と情報技術に対する楽観 主義と性善説的な人間観をベースとして、情 報と技術の囲い込みに反対し、自由で平等な アクセスを確保しようという、独自の価値観を 持つと言われ、これは「ハッカー倫理」と呼ば れる。 ハッカーと情報社会 【事例】 われわれがふだん何気なく使っ ているweb。これは、HTML、リンク、そし てブラウザを統合したシステムだ。この システムは、ティム・バーナーズ・リーと いう一人のハッカーが生み出したものだ。 Webを生み出し、W3Cという組織を率い て、利他的で公平なハッカー的精神で webの自由を守り続けているティムの活 動は、ハッカーのひとつの理念を体現し ている。 ハッカーと情報社会 【point】 現在のインターネットやパソコンを支 える技術のかなりの部分は、卓越した技術と 独創的なアイデアを持つ天才的なハッカーた ち活動の所産である。 ハッカー倫理に則り、自律的な活動によって 情報社会に貢献してきた彼らの活動は、近年 クラッカーの活動とは区別され、社会的に評 価されつつある。情報社会がますます発展し ていく今後、情報社会の誕生と成長に貢献し てきた彼らの果たす役割が注目される。 ITエンジニアと情報社会 【事例】1977年に東芝が発売した「JW-10」とい う初の日本語ワープロは、英語が使えないた めコンピュータから遠ざかっていた日本人に 対して一気にコンピュータへの敷居を低くし、 日本の情報化を大きく促進した。 日本語ワープロの開発には、カナ-漢字変換 技術が不可避である。そしてこの課題は、コ ンピュータが人間の言語を理解できない以上、 達成不可能と考えられていた。森健一を筆頭 とする東芝のエンジニアたちは、企業のバッ クアップの下、国語学の専門的研究から約1 万字にも及ぶ漢字のフォント作りまで地道な 作業をこなし、ようやく製品化にこぎつけたの である。 ITエンジニアと情報社会 【point】 情報技術を育ててきたのはもち ろんハッカーだけではない。大学や研究 所に属する研究者たちの手による基礎 研究、企業に属するITエンジニアらの実 用的研究開発を忘れてはならない。彼ら は高度な情報技術の知識と技能を持ち それを職業とする「専門職Professional」 である。 情報倫理の中の情報技術者倫理 「クラッカー」(ブラックハット・ハッカー)の存在 – 技術者にはクラッカーになる誘惑がある 「ハッカー」 – 技術者は自律して、自らの信念に基づいて技術 者として活動しうる。 「ITエンジニア」 – ソフトウェア産業は、「文化的製品?」を生み出す – 技術的成果が著作権の対象となる 【みずほ】とパターナリズム みずほシステムトラブル 【事例】 2002年、「みずほ銀行」は、第一勧業銀行、 富士銀行、日本興業銀行の3社を統合して設立され た。だが、みずほ銀行は3社のシステム統合に失敗 し、顧客の口座データの紛失やATMの停止などの 銀行としては致命的なトラブルを引き起こし、大きな 混乱をまねいた。実は技術者陣にはこのトラブルの 可能性は分かっていたのだが、経営陣に流されて 結局このような事態を招いてしまったのである。 【みずほ】の分析 「テクノリテラシーとは何か」より 「テスト不足のまま見切り発車で運用を開始した」こ とが原因 – 大規模システムのバグの除去の難しさ – 開発におけるコミュニケーションの難しさ (経営者⇔設計・開発者) (ユーザ⇔設計・開発者) – 使用環境の変化などによる劣化が見えにくい問題 エンジニアには、上記の問題に対応する技能とセン ス、そして態度(倫理)が必要 パターナリズム・モデル 【point】 専門技術者には、社会的責任がある。現 代は専門技術の時代であり、情報技術もその例外 ではない。技術者ではない、一般市民や経営者、そ の他の人々には詳しい技術のことは分からない。 従って、技術的な問題に適切な判断を下しうるのは その技術を極めた専門技術者だけである。 そこで、彼らには特別な社会的責任が生じるのであ る。専門技術者はしばしば職能団体を作り、自律性 を持って彼らの技能と倫理を維持することが求めら れる。大雑把に言って、情報技術者倫理のエンジニ ア倫理モデルと言えるだろう。 脱パターナリズムモデル 【事例】 インターネットの社会的な導入と普及につ いて、アメリカやアジア諸国に大きく遅れを取った日 本は、首相の肝いりで内閣に「IT戦略会議(2000 年)」そして「IT戦略本部(2001年)」を設置して、国 家ぐるみで情報化にまい進した。 戦略会議には、閣僚のほか、ソニーなどのIT企業 のトップ、地方行政の長にまじって、日本を代表する インターネット技術者である村井純の名があった。 戦略会議は、ブロードバンド敷設に代表されるイン フラを全国的に整備し、日本社会の急速な情報化を 支えた。これらの施策は、技術者村井の知見と各界 の対等の協力をなくしてはかなわなったであろう。 ガバナンスする情報技術者 【point】 情報技術については、必ずしも専門技術 者によるパターナリスティックな専門技術者倫理が 有効なわけではない。 技術者単独、またはユーザ単独では、情報技術の 開発・運用についての適切な判断が難しいという特 徴を持つ技術だからである。 一つには情報技術が公共的な性格を強く持つこと、 また心を直接サポートしたりコントロールしたりする 技術だからであろう。そこで、技術者のユーザや為 政者との対等な話し合い、協力関係による技術ガバ ナンスが求められる。 グッドガバナンス 基本8性格(国連) http://www.unescap.org/huset/gg/governance.htm 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 「ガバナンス」=合意形成・秩序形成の仕方 決定と実行の当事者(政府もその一つでしかない) の参加 その決定と実行の必要性に関する広く深い合意 アカウンタビリティ(特に影響を受ける者への) 透明性 すべてのメンバーの包含(排除されない) 一定の期間内に制定・実行されること 効果と効率(結果が社会のニーズ、自然条件など にかなう) 合法性(公平でマイノリティの人権保障の法的フ レームワーク) 情報技術の特徴 新しく、未成熟な技術 – あたらしい技術やサービス、バグは当たり前、法の未整 備、素人?の参加 公共性 – 汎用性、インフラ、「自由」な文化、ユビキタス、ユーザ参 加型の技術やサービス(オープンソース、web2.0) 「こころ」を扱う – ソフトウェア、著作権、AI技術、ゲーム、コンテンツ 「神」の領域? – 思考や行動の枠組み、システム、「道具」を逸脱? 情報技術者の特徴 プロとしての資格がない、エンジニアの流動 性、ユーザ・素人の参加(階層の乱れ) – 技術の未成熟 「こころ」を扱う 人文社会系のシステム・エンジニアは当たり まえ(文工融合) – 公共性 「こころ」を扱う 技術者(ハッカー)個人の自律的で大きな力 (自律性) – 未成熟? 公共性 「神」の領域 情報技術者倫理の特殊性 パターナリズムが成立しにくい 管理、監視が生じやすい ユーザーや企業・行政と情報技術者(エンジ ニア、ハッカー)が対等に参加するタイプの技 術「ガバナンス」が必要 – 参加、アカウンタビリティ、透明性、遵法心 – 技術者には自律的でオープンでフェアな態度、が 求められる。 おまけ 科学技術一般のガバナンス? 市民をサポートする情報技術者 【事例】 コンセンサス会議は、科学技術ガバ ナンスにおいて、専門技術者が市民をサポー トしつつ、特定の科学技術の問題点や改善 点、方向付けに関して合意形成するシステム である。会議は、日本では、1999年に「イン ターネットを考える市民の会議」が開かれた。 コンセンサス会議の本家であるデンマークで は、市民が会議に基づいて意見書を提出し、 政策決定に生かされる仕組みが出来上がっ ている。 市民派ハッカーはNGOに? 【point】 民主的なガバナンスにおいては、本 来決定の主体は市民であるべきである。情報 社会において、豊富な情報を入手可能となっ た市民の活動(NGOなど)は、重要なファク ターである。ここで、NGO活動や市民会議、 勉強会などの市民活動には、専門技術者の 情報提供、解説、教育、判断などの積極的な 関与が必要とされる。ここでは、パターナリス ティックな専門技術者倫理ではなく、市民と肩 を並べた技術者の姿がある。
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