第三回 翻訳の規範

通訳翻訳論 第三回
http://www.geocities.jp/nagatasae/2004tuuyaku.htm
翻訳のノルム(規範)について
Q&A
1.英語の翻通訳について話をしてほしい。
英語学科の科目、全カリ「英語通訳の仕事」など
英日翻通訳に関する書籍は多数あるので参照してく
ださい(英語以外に関する書籍はほとんどない)
2.長崎通事は出島から出ることはできたのか?
定期的に江戸にのぼって海外事情を報告していた。
3.長崎通事たちに対する差別はなかったのか。
通事は下級役人。後に医師や学者に転身。
4.翻訳という仕事の苦労と工夫について聞きたい。
調査と納期について
身分・就業・収入について
Q&A
5.世界でもっとも翻訳が難しい言語は何ですか?
・個別言語(日英独仏中西伊露などの記号体系=
ラング)によって翻訳の難易度が変わることはない
・翻訳の難易度を決定するのは、個々のテクスト
(人の言語行為によってそのつど生まれる音声ま
たは文字による言語表現=パロール)である
・翻訳の対象となるのはパロールのみである
・翻訳が難しいテクストはある
・翻訳が難しい個別言語はない
言語について
「一般言語学講義 」(ソシュール)
・ランガージュ(langage):言語活動。人間のことば
を使う能力と、ことばを使って行なう具体的な活動。
・ラング(langue):言語。言語活動の歴史的・社会的
所産として同じ共同体の成員が共有する記号体系。
システムとしての個別言語。
・パロール(parole):ラングの規則にしたがって個人
が意思を表現・伝達する一回ごとの発話行為。
○ 翻訳通訳の対象となるのは「パロール」であって、
「ラング」ではない。
翻訳について

「翻訳の言語学的側面について」 ヤコブソン

「翻訳論における誤った設問と正しい設問」 コセリウ

「翻訳者の課題」 ベンヤミン

魯迅の翻訳論 ー 社会変革と翻訳 ー

林語堂 ー 翻訳はアートである ー
「翻訳の言語学的側面について」
ロマーン・ヤコブソン



言語内翻訳 rewording 同じ個別言語内で
解釈する→言い換え
言語間翻訳 translation 異なる個別言語に
よって解釈→いわゆる翻訳
記号法間翻訳intersemiotic translation 異な
る記号体系の記号によって解釈する →移し
換え
言語内翻訳
あの人は一体何を言っているの?
ちょっと通訳して。
言語間翻訳
すみません、ここには何と書いてあるでしょうか。
日本語に訳してみてくれませんか。
フランス語は全くわからなくて。
記号法間翻訳
小説の映画化、楽譜の演奏
二つの異なったコードによる二つの等価なメッセージ
Source
Target
発信者:伝達したいメッセージをコード化する(M1)
翻訳者:コードを手がかりにメッセージを解釈する
解釈して得たメッセージをもとにコード化する
受信者:コードを手がかりにメッセージを解釈する(M2)
翻訳の要件:
翻訳はコードの解釈を伴う行為であること。
M1とM2が等価であること。
語彙の翻訳可能性と不可能性

バートランド・ラッセル
「チーズについて、言語による以外の知見
を持たないならば何人もCheeseという語
を理解することはできないであろう」
「ある語を理解する」とはどういうことなのだろう?
自分の目で見られる、さわれる物しか我々は理解
できないのであろうか?
あなたは「神」や「幽霊」や「人魚」を理解できます
か?
ある語彙が訳出言語にない場合

既存の語彙で説明する


新しい語彙を作る


万年筆、個人、持続的発展
類似したものを利用する


ねじ→回転する釘、チョーク→字を書くせっけん
中華そば、活動写真、電気馬車、陸蒸気
そのまま借用する

コンピュータ、チーズ、プライバシー、アイデンティティ
文法範疇の問題

ロシア語の双数の概念



1、2、3以上に区別する
英語は単数(1)と複数(2以上)の区別のみ。
では“She has brothers”はロシア語に訳せるか?
(1)伝達することは可能か?
(2)全て伝達する必要があるのか?


彼女には二人かあるいは三人以上の兄弟がいる。
個々のテクストの全体的な意味に影響を与えるかどう
かによって伝達の必要性が決まってくる。
「翻訳論における誤った設問と正しい
設問」 コセリウ

誤った設問




翻訳および翻訳行為の問題性を個別言語(ラング)に
関わる問題性として扱う
翻訳言語には原点で表現しようと意図されていること
を全て再現する手段がないため、翻訳はその本質上
すでに「不完全な」ものであるとする
個別言語に関わる技術としての翻訳(言い換え)を翻
訳者の行為と同一視する
翻訳には、抽象的なレベルでの最適の普遍性がある
と仮定する
翻訳は個別言語の問題か

個別原語間にはもともと一対一、一対多で対応
する語はない。だが単語や文構造は翻訳されな
いのである。翻訳されるのは個々のテクストで
あって、テクストは個別言語を超えたものである。

翻訳によって保持されるべきもの



素材関連:テクスト中で指示されている事物
意味:テクストで述べられている事それ自体
意義:テクストで述べられた事によって伝達または表
現しようとしている意図
翻訳は本質的に不完全なものか

ある語を聞いたときに起こる何らかの感情


言語表現と結びつけられる連想(表現のしかた)




素材関連と意義の両方を保持することはできない
個別言語におけるメタ言語的使用


適合させる
解釈の二様性を持つ言葉遊び(かけことば、地口)


感情は語によって起こるのではなく実体によって起こる
翻訳の中にそのまま持ち込む
翻訳の対象となるのは言語化されたことのみ
翻訳には本来、合理的な限界がある
言語外的実体は翻訳できない
技術としての翻訳と芸術としての翻訳

言い換え:個別言語に関する技術としての翻訳


翻訳行為:翻訳者が行う芸術としての翻訳









素材関連の点で等価値のものを確認する行為
言い換える、または言い換えない
新しい概念を表す表現法を創造する
適合させる
模倣する
説明する
注や解釈をつける
理論的な意味での「不可能な翻訳」:言い換え
実際に存在する翻訳:翻訳行為
翻訳行為には理論的な限界はない。個別言語に関する経験
的な限界があるのみである。
抽象的レベルでの最適の翻訳はあるか

翻訳行為:目的を持ち、歴史的制約を受ける


読者、種類、時代背景、翻訳の目的等に応じて、最適
な翻訳はそのつど異なる
翻訳の理想

ルター(1522年旧訳聖書をドイツ語に翻訳)


聞く相手に応じて(人々の「口ぶりを見て」)翻訳する必要性
『表現の原理』 ファン・ルイス・ヴィヴェス 1533年


参照「聖書翻訳の歴史」
重視されるのは何か(意義、表現法、意義と表現法)で差異
言葉どおりに訳すか、自由に訳すか(直訳か意訳か)

テクストの性質、テクストの部分部分の性質に応じて適用する

普遍妥当の翻訳の理想などない
「翻訳者の課題」 ベンヤミン

翻訳は原作(オリジナル)を理解できない読者の
ために行われるのであろうか。

芸術的価値はその個別言語においてしか成立しない



翻訳の目的は異なる個別言語において新たな生を与
えることである。


一個別言語では達成し得なかった側面を展開する翻訳
純粋言語と翻訳


語のもつニュアンス
用いられている文字の形や語がもつ響き
個々の言語に翻訳されることによって補完され、総体として
の「純粋言語」が実現する
翻訳は純粋言語の種子を育てようとする行為である
社会変革と翻訳



魯迅
訳者の能力不足と、中国語本来の欠陥から、訳し終えて読んでみると文
章が晦渋で難解のところすらまことに多い、複合句をばらばらにすれば
それでは原文の語気が失われる。私としては、やっぱりこのような硬訳を
するしかしかたがない、でなかったら翻訳をあきらめるほかない。残され
ただひとつの希望は、読者がただ我慢して読んでいってくれることだけで
ある。 『文芸と批評』1930年
「私の訳書は、もともと読者の「爽快」を得ようとするものではなく、それど
ころかしばしば不愉快を与え、甚だしきに至っては人を悩ませ、憎悪させ、
憤らせるものである。……いろいろな句法は新しく作る--悪く言えば無
理に作る必要がある。中国文が新しく造られることを期待するが故に、い
ままでの中国文には欠陥があると言うのである。「『硬訳』と『文学の階級
性』」 『二心集』1931年
永遠にこのボヤけた言葉を使い続ければ、文章を読んで大変すらすらと
読めたような気がしても、結局残るのはボヤけた影であります。この病気
を直すために私はひたすら苦くて異様な句法を詰め込んでいく。
翻訳はアートである


林語堂
翻訳の芸術が頼るのは、第一に翻訳者の原文の字句と内容に対
する徹底的な理解、第二に翻訳者の非常に高度な母語の運用力、
つまり達意の中国文を書く能力、第三に翻訳の訓練を積むこと、
翻訳者は翻訳の基準と処理の方法について正確な見解があるこ
と、である。この三者を除いて翻訳にはいかなる規範も存在しない。
忠実の四基準


逐語訳:読者の理解を配慮しない
翻案(超訳):原作者の意図を歪曲する
以上は「翻訳」とは呼べない



「直訳」、「意訳」という用語はやめよう
語句から語句へ訳すのではなく、文章から文章へ訳すこと
翻訳は個人の自由な裁量に依存する芸術だ。
翻訳には絶対的正解はない
今日のまとめ

翻訳は可能か、不可能か

可能とも言えるし、不可能とも言える



翻訳の規範はどこにあるのか



何を言っているのかを伝達する翻訳であれば可能
どう言っているのかを完全に再現するのは不可能
翻訳は個々のテクストについて行うべきである
個々のテクストの読者、時代、目的等によって様々に
異なる翻訳が求められる
理想的な翻訳、模範的な翻訳

絶対的な理想の翻訳はない