1-景福宮-

1-景福宮-
• 朝鮮王朝の最古の王宮(おうきゅう)で、世宗路通りの北に
位置しています。1392年に李成桂が朝鮮王朝を興(おこ)
し、1394年に都(みやこ)を漢城、今のソウルに定めた際に
正宮(せいきゅう)として創建(そうけん)され、当時は広々とし
た宮内に200余棟(よむね)を超える壮麗(そうれい)な殿閣
(でんかく)が建っていたと言われます。以後、約200年間、
豊臣秀吉の朝鮮出兵(しゅっぺい)まで、世宗大王のハング
ル創案(そうあん)や、天文(てんもん)の研究が行われるなど、
朝鮮王朝の歴史の表舞台(おもてぶたい)となりました。
• 現存(げんぞん)する建物のほとんどは、1868年朝鮮時
代末期の26代王、興宣大院君が2年がかりで再建した
ものです。
• 景福宮の正殿・勤政殿は国王の即位(そくい)や公式行
事(こうしきぎょうじ)が行われた場所であり、外国使臣を
迎(むか)えて宴会(えんかい)を催(もよお)したと言われる
慶会楼、かつての王が執務(しつむ)の合間(あいま)に休
息(きゅうそく)を取ったと言う香遠亭、その間に配(はい)
された丘と庭園(ていえん)と池、数々の樹木(じゅもく)と
草花、点在(てんざい)する石碑(せきひ)や石塔(せきとう)
など、その一つ一つに歴史の息吹(いぶき)が感じられま
す。
3-独立門• 高架道路の左手に見えます花崗岩造(かこうがんづ
く)りの石の門が、朝鮮王朝の末期に造られた独立
門(どくりつもん)でございます。朝鮮王朝は1896年、
国号を大韓帝国と定め、中国の従属的(じゅうぞくて
き)立場から脱却(だっきゃく)した象徴(しょうちょう)とし
て、清の使臣(ししん)を迎えた迎恩門があった場所
に、この独立門を建立(こんりゅう)しました。
• この独立門から北方(ほっぽう)60キロの道を走りま
すと、韓国戦争の休戦(きゅうせん)ラインのある板門
店があります。
4-昌徳宮• 昌徳宮は朝鮮第3代国王太宗の時代の1405年に、離宮として
建てられました。朝鮮出兵の際に焼失(しょうしつ)しましたが、
その後1611年に再建され、景福宮が再建されるまでの19世紀
中盤まで、御所(ごしょ)として使われました。
• 正門(せいもん)の敦化門をくぐると、ソウル最古の石橋である
錦川橋をわたると、正殿である仁正殿に出ます。重層入母屋
造(じゅうそういりもやづく)り、吹(ふ)き抜(ぬ)けの荘厳(そうご
ん)な建物は、見事(みごと)な内部装飾(ないぶそうしょく)とあい
まって、当時の王朝の権威(けんい)をよく現わしています。
• 仁政殿の裏手には国王が執務(しつむ)を行った宣政殿、国王
の住居(じゅうきょ)であった熙政殿と王妃(おうひ)の住居であっ
た大造殿があります。そして日本から李王家に嫁(とつ)がれた
方子(まさこ)女史が晩年(ばんねん)を過ごされた楽善斎もござ
います。
6-昌慶宮• 昌慶宮は朝鮮第4代国王世宗が、父である太宗王のため
建てた御所(ごしょ)で、当時は寿康宮と言われました。この
宮殿(きゅうでん)も1592年の豊臣秀吉の朝鮮出兵(しゅっぺ
い)の時に大きな被害(ひがい)を受け、その後再建されて
現在に至っています。
• 王朝末期の1909年には、博物館(はくぶつかん)や動植物
園(どうしょくぶつえん)を設(もう)け、昌慶苑と呼ばれました
が、1986年にそれらの施設を「ソウル大公園」に移し、現
在の昌慶宮となりました。
• 正門である弘化門や明政殿は、秀吉の侵略(しんり
ゃく)の際に戦火(せんか)を免(まぬが)れたと言われ
、現存する最古の木造建築物(けんちくぶつ)として貴
重(きちょう)な文化財(ぶんかざい)となっている。また
、この宮殿の蔵書閣には、王朝時代の7万巻(かん)
び皇室蔵書(こうしつぞうしょ)が保存されています。
7-東大門• 南大門と並んで4大門のひとつであり、正式には興仁之門と言
います。この門は他の門と違い、門の外側に半円の外壁(がい
へき)を築(きず)き、敵(てき)の侵入(しんにゅう)を防(ふせ)いだ
と言われます。
• 韓国最大の規模(きぼ)を持つ東大門市場は、夜から明け方
(あけがた)までは業者(ぎょうしゃ)の仕入れ客(しいれきゃく)で、
昼は主婦たちなどの一般客で、人波(ひとなみ)の絶(た)える時
がありません。ここも南大門と同じように、商品の種類によって
大きなブロックを作っているので、比較的(ひかくてき)買い物は
しやすいでしょう。最近デパートのような洒落(しゃれ)た外観の
ビル群が建てられ、注目を集めつつあります。屋台(やたい)や
食料品関係の露天商も立ち並んでいますし、伝統的な韓国服
の生地(きじ)から仕立(した)てまで請(う)け負(お)っている店
など韓国固有の文化に触れることもできますから、見物(けん
ぶつ)がてら出かけるのもよいでしょう。
8-南大門• 正式には崇礼門と言いますが、太祖李成桂が建てた際、
城壁じょうへき)の東西南北(とうざいなんぼく)に造られた4
つの大門(だいもん)のうち、南の大門という意味でこう呼
ばれています。度重(たびかさ)なる戦火を免れ、王朝500
年の面影(おもかげ)を今に残す貴重(きちょう)な文化財とし
て、国宝第1号に指定(してい)されています。
• この南大門に続く南大門路と地下鉄会賢駅の間にあるの
が南大門市場(いちば)です。ここはあらゆる生活用品がそ
ろっている卸売(おろしう)りの総合市場で 相応(ふさわ)し
い場所です。
9-仁寺洞• ソウルの骨董品街(こっとうひんがい)として有名な仁
寺洞は、もともと宮中(きゅうちゅう)に仕(つか)える
人々がこの辺りに住み、生活に困ると、先祖伝来
(せんぞでんらい)の骨董品や古美術(こびじゅつ)を売
り、その下取(したど)りの店が集まって形成(けいせ
い)されたと言います。道の両側(りょうがわ)には陶
磁器(とうじき)や書道具(しょどうぐ)、伝統工芸(でんと
うこうげい)や古美術を扱(あつか)う店が立ち並び、
散歩するだけでも、王朝文化の風情(ふぜい)が伝
わってまいります。
10.梨泰院
• ここ梨泰院の市場は駐韓米軍のベース・キャンプに近い
ということで、以前は客のほとんどがアメリカ人でありま
したが、現在客の比率(ひりつ)は日本人が大部分を占め
るようになりました。メインストリートはハミルトンホテルを
中心に東と西に分けられ、西側は衣類や革製品(かわせ
いひん)などが中心の買い物市場、東側はディスコやクラ
ブ、バーやカラオケがひしめく歓楽街(かんらくがい)です。
いずれも
• 英語や日本語で書かれた看板の多さが、この町の国際
性をよく表しています。
12.明洞
• 韓国の流行(りゅうこう)の中心地と言われる明洞は、
南大門の北東にあります。高級デパートや世界の
最新の流行を取り入れたブティック、韓国、日本、中
国、ヨーロッパなのいろいろな国の料理が楽しめる
繁華街(はんかがい)です。
• デパートを結ぶ地下道は、巨大な地下商店街(しょう
てんがい)になっており、メインストリートは東西に走
る明洞路と、そこから地下鉄明洞駅までの道で、こ
こは歩行者天国(ほこうしゃてんごく)になっています。
13.韓国民俗村
• ソウル南方41km、京釜高速道路の新葛インターチェンジ
から東南3km地点に位置し、樹木(じゅもく)がうっそうとし、
奥まった30万坪(つぼ)の敷地(しきち)に、朝鮮王朝500年を
再現した民俗村(みんぞくむら)があります。大都会とは対照
的(たいしょうてき)に静かで牧歌的(ぼっかてき)な民俗村には、
各道の農家(のうか)とその生活様式、当時の官舎(かんしゃ)、
官庁(かんちょう)、土豪(どごう)の邸宅(ていたく)、両班家の姿
(すがた)など王朝時代の生活が見られます。
• 茅葺(かやぶ)きの民家(みんか)、漆器(しっき)を焼く釜(かま)、
鍛冶屋(かじや)、韓薬店、餅屋(もちや)、居酒屋(いざかや)、
観相屋(かんそうや)などがあり、99部屋の大きな両班邸宅
や土豪の邸宅などが再現されています。
• 民俗村の中央にある円形(えんけい)の野外舞
台(やがいぶたい)で、一日2回行われる能楽
(のうがく)遊びと綱渡(つなわた)り、それに日曜
日だけ見られる伝統的な結婚式での祝賀参
列(しゅくがさんれつ)や民俗芸能(みんぞくげい
のう)の公演は、昔の村祭りの雰囲気(ふんい
き)をそのまま伝えています。この他、正月
(しょうがつ)や秋夕といった昔からの祝日には、
凧揚(たこあ)げ大会や伝統芸能大会なども催
(もよお)されています。
14.タブコル公園
• 朝鮮王朝第七代世祖王が護寺(ごじ)として建
てた円覚寺の跡地(あとち)で、今も国宝(こく
ほう)第2号の円覚寺石塔(せきとう)がありま
す。1919年に起こった3.1独立運動の発祥地
(はっしょうち)としても有名で、園内にある12枚
のリレーフが当時の民衆(みんしゅう)の日本
の官憲(かんけん)に抵抗(ていこう)する姿を、
今も伝えています。
16.雪岳山
• 雪岳山は海抜(かいばつ)1708メートルの大青奉(だ
いせいほう)を中心に、束草のある東側を外(そと)雪
岳、西部の内(うち)雪岳と南側の南雪岳に分けられ
ます。花崗岩(かこうがん)からなる岩肌(いわはだ)は
奇岩奇峰(きがんきほう)を形成し、大自然の雄大(ゆう
だい)な姿を見せています。
• 新緑と高山植物の咲き乱れる春、壮大(そうだい)な
滝(たき)と渓流(けいりゅう)の夏、紅葉(こうよう)の秋、
白銀(はくぎん)の冬と四季折々(しきおりおり)の装(よ
そお)いを持つ山岳美(さんがくび)は、年間を通して登
山客(とざんきゃく)が途絶(とだ)えることがありません。
17.石窟庵
• 仏国寺の東方、吐含山の山頂(さんちょう)近く
にある石窟庵は、新羅の大相・金大城によっ
て建立(こんりゅう)されたといわれており、繊
細流麗(せんさいりゅうれい)な石像彫刻は韓国
仏教文化史上の最高傑作(けっさく)と称(たた)
えられています。石造りの如来像(にょらいぞう
)は巨大な花崗岩(かこうがん)を彫ってできた
ものと言われており、その荘厳(そうごん)さや
構造的に計算された石積(いしづみ)など、ど
れも新羅文化の結晶(けっしょう)であり、韓国
を代表する文化財(ぶんかざい)です。
18.韓国の温泉地
• 韓国で最も長い歴史(れきし)を持つ温泉地(おんせんち)は、ソ
ウルから高速バスで1時間30分で行ける温陽温泉です。かつ
ては韓国の代表的な新婚旅行(しんこんりょこう)の地でもあり、
その温泉の歴史は三国時代にまでさかのぼると言われていま
す。温質(おんしつ)はアルカリ性ラジウム泉、約50度で皮膚病
(ひふびょう)や神経痛(しんけいつう)に効果(こうか)があると言
われています。
• もう一つ儒城温泉は朝鮮王朝の王族たちがその湯につかった
と言われる場所で、近くに鶏竜山、俗離山などの国立公園が
あります。泉質(せんしつ)はラジウム分を含有(がんゆう)するア
ルカリ泉で、神経痛やリュウーマチ、美容(びよう)に効果(こう
か)があります。その他にも釜谷温泉、水安堡温泉などが、最
近温泉地として人気(にんき)を集めています。