実用を重んじる文化心理

実用を重んじる文化心理
一、日本人の「即物主義」的な性格
 哲学についての比較
西洋哲学:科学の根拠を自然の中に求め、思弁的に
世界の根源について究明
東洋哲学:倫理思想、政治思想を中心に展開された。
 世界の根源について、感覚と、経験を超える形而上学
思惟が発生
 『周易』(易経)
 漢代董仲舒の「天人感応」中に陰陽五行思想と、儒家
の仁義礼智信の結合
 宋代、華厳宗と禅宗の世界観と認識論、及び道教の宇
宙化成説を吸収して
 本体論や宇宙論方面から儒学の思想体系に抽象的な
哲学的な基礎を構築した。
日本の場合はどうだろう?
 日本:思弁的、形而上学的な問題を好まず、事実、
現象、経験、実証の方に強い関心を示し、儒学を
経験主義方向に修正、全面的否定。
王家骅氏:日本人は、理性より直感を重視し、理論よ
り実用主義を重んじる。
 世界観認識:抽象的な世界観認識が欠いている
 認識論:感覚経験を重んじる。(君子不器と経世之
学、自然科学に従事)
 倫理観:
 感情色彩強い
日本人の即物主義的な性格
 中村元:日本人の非合理主義
 源了円:日本人の自然観:日本人日本文化の性格の一つ
 「即物主義」的な傾向:「美的自然観」形成→「超越的自然」
(外なる自然と内なる自然の統合がない。)
 文化伝統 (文学作品)
自然観
例:山川草木、春夏秋冬、寒暑冷暖
認識論
中国認識論は、孔子から天賦と先験的な道
徳意識を重視し、「徳性之知」を強調「天命」
「天理」「良知」に直接合一できる精神境界を
追求、内面世界の道徳修養に向け
日本の儒者は、感覚経験と実証を重視すると
同時に、「経世之学」と科学技術を重視
倫理観
 倫理観:感情的色彩に富み、理性より感情を重視す
る
 中国の敬、致良知と日本の誠、、(古代の清明心、
中世正直、近世の誠)飲酒、恋愛、内心と表向きと
一筋
 「人間の自然の欲望や感情をもそのままに承認し、
しいてそれを抑制したり、あるいはそれと戦おうとす
る努力をしない傾向」:形而上学的な性質が少なく、
感情的色彩に富み、禁欲主義の色彩が少なく、情
欲に対し寛容の態度を示した。
文学作品
『古事記』、『日本書紀』の歌謡、『万葉集』中の歌、
『源氏物語』にロマンチックな愛情と性愛に対して、
日本人は抑制の態度を採らなかった。
要するに
日本文化のこのような「即物主義」は、日本人
が現実を重視し、実用を重視し、また実践を
重視するという特徴を持たせることになった。
日本人の日常的な行動には、多元性と有効
性が含められており、日本人は、日常の実践
力と政治の実行力で、特殊な思惟方式と能
力を創造した。日本は、世界の先進文化の優
秀な継承者であり、実践者でもあり、継承と
実践を通じて外来文化を日本化したといえる。
二、日本人の「実用主義」的な宗教観
 日本人の一生:「生まれたら、『お宮参り』と言って、神
社に連れて行かれ、」、「結婚式は神社かキリスト教の
教会で挙げ」、「日常の生活は儒教などの道徳に則
り」、「死んだら仏教の寺に葬られる」
宗教人口
2億1475万人になり、人口(1億2770万人)の
約二倍
「一国多教」、「一家多神」
「役に立てば信じ、役に立てなければ信じな
い」という「実用主義」的な宗教観
神道
 アニミズムの万物有霊論の原始的な信仰—シャーマニズム、
一神教、多神教
 *神道は日本古来の多神教の信仰、森羅万象の自然信仰の
概念
 *神道は「先祖崇拝」の観念もが重要な内容の一つ、神話や、
氏族が神として祭る、天皇氏族が有力、氏族国家が形成さ
れ、「万世一系」という考え方に発展
 *原始神道は、農村の農耕儀礼と密接に結びついて、農業
の豊作を祈念し、豊作の感謝も祭祀内容の重要な一つ
 *神道では、家、村、郷土という人間共同体で苦労のあった
人を祭り、人間共同体の幸せを祈願、「現世謳歌」が生きる
目的。仏教渡来以前、現世中心的楽天主義だった古代日本
人は、現実のありのままを認める考え方を見につけ、現世に
価値を認めてきた。
神道
 6世紀に仏教が伝来して以後、神道の概念も体系
化され、奈良時代には、日本固有の神の信仰と仏教
信仰とを融合調和して、両者を共にまつるいわゆ
る」「神仏合一」が始まった。
 明治時代になって政府は1868年「神仏分離令」を出
して、「神仏習合」を廃止し、神道を制度化して、各
地の神社神道を皇室神道の下に再編成して、国家
宗教の「国家神道」を作った。
 戦後、占領軍の指令により国家神道は解体され、国
家と神道は完全に分離
 「自然崇拝」と「祖先崇拝」を中心とする神道思想は、
日本人の心を強くとらえ、この観念が日本人独特の
精神文化を形成してきたといっても過言ではない。
仏教
紀元前5世紀頃,釈迦牟尼、インドで広く信仰。
仏滅後百年頃から部派に分裂し、部派仏教
の時代に入り、
1世紀ごろ、それに批判的な「大乗仏教」が興
り、中国から朝鮮を通って
6世紀の半ばに日本に伝来した。
仏教
 飛鳥時代、聖徳太子、最初の仏教文化とし
て中国の北魏や六朝の文化的影響の下に展
開され、法隆寺に代表される遺品を残してい
る。
 奈良時代の仏教は、国家権力と結合、国
家を保護。聖武天皇による国分寺造営と東大
寺大仏のはその頂点を示す
平安時代
平安時代の「神仏習合」:教化のため日本の
神として出現した
平安中期以後、戦乱と社会不安、浄土教が
盛ん、庶民に親しみ、
空也は諸国を念仏遊行阿弥陀聖と呼ばれ、
源信は「厭離穢土欣求浄土」と説いた。
1、仏教は病気平癒や雨乞いなど、現世利益の宗
教
2、空海が真言宗を大陸から学び、高野山金剛峰
寺を拠点に、日本広め、大日如来が根本、手に印
契、口に真言、意で仏と一体になり、即身成仏でき
ると、
3、最澄が天台宗を学び、比叡延暦寺を拠点に、
「法華経」を中心に密教、
4、加持、祈祷の儀式が重んじられ、平安仏教は密
教が主流、国家守護と個人の現世利益重視、世俗
的権力と結びつき
鎌倉時代
 鎌倉時代には、鎌倉六宗が形成
 法然(浄土宗)が、自力教を排し、ただ阿弥陀仏の
力にすがって、ひたすら「南無阿弥陀仏」を唱える「
専修念仏」によって、極楽浄土に往生するを開いた
 親鸞(浄土真宗)が、法然の説を踏まえ、更に徹底
した念仏による他力信仰を確立し、浄土真宗を開い
た。「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
説を説き、阿弥陀仏の絶対他力本願を信ずることに
よって往生成仏できると、称名念仏が仏恩報謝の行
である。
 一遍(時宗)は平生を臨終と心得て念仏すると遊行
と念仏を行う時宗を開き、日本諸国を遊行して、念
仏を唱えながら踊る、「踊念仏」を臨命終時宗教。
 日蓮(日蓮宗)は個人の内面の救済にとどまらず、
自らの信仰を国家や社会のあり方を導く指針とし、『
法華経』を所依とし、「南無妙法蓮華経」を唱え、「即
身成仏.立正安国」を説いた。『立正安国論』を著し
、『法華経』で多様な思想.信仰を統一し、国土の安
穏を実現。
 栄西は臨済宗、公案に
よって弟子を教化する
看話禅の立場、京都.
鎌倉に五山を定め。
 道元は末法思想や他
力の信仰を批判して、
禅にもとづく自力の信
仰の道を確立、坐禅に
よって煩悩を断ち、解
脱を実現。
 道元が、臨済宗から出発し、決別し、禅のみを実践
する禅の「只管打坐」の禅風を、坐禅によって一切
の執着を離れた悟りの境地を、「身心脱落」、「修証
一命」という。この修行方は、武士道などを通して、
日本人の精神形成に大きな影響を与えた。
 以上の鎌倉新仏教は、いずれも、「易行」、「選択」、
「専修」という共通性を持っていた。それまでの祈祷
や学問中心だった仏教は、利他救済の立場をとり、
人間全体の平等と成仏という新理論を通して、人々
の内面に深く入っていった。
江戸時代の仏教
 江戸時代の仏教は幕府の権力下、庶民がキリシタ
ン(キリスト教徒)ではなく、檀徒であることを寺に証
明させる制度により、ほとんどの人が仏教とかかわ
るようになった。しかし、その一方で、神道は日常の
信仰として生き続けた。神道と仏教は共存してきた。
明治時代の仏教
 明治時代には神仏分離令が出され、神社.神官に
よる寺院、仏(ぶつ)具(ぐ) 、経(きょう)文(もん)などの
破壊運動が起こり、廃(はい)仏(ぶつ)毀(き)釈(しゃく)
が行われ、仏教界は大きな打撃を受けた。その後、
仏教界内部の改革運動もあり、仏教は復興に向か
い、現在に至っている。
現在の仏教
 十三宗:現在、日本国内で活動している仏教の宗派
には、華厳宗、法相宗、律宗、天台宗、真言宗、浄
土宗、浄土真宗、時宗、融通念仏宗、日蓮宗、臨済
宗、曹洞宗、黄檗宗という十三宗がある。
 現在まで残された各宗の寺院建築や仏像などは、
重要文化財として大切に保存されている。仏教は、
日本人の基本的考え方から、美術や文学などの伝
統文化に至るすべての分野において、多大な影響
を与えている。
キリスト教



室町時代1549年、イエズス会の宣教師、フラン
シスコ.ザビエルが鹿児島
一夫一妻、堕胎)禁止などのキリスト教倫理や新
しい教育思想が、信徒を獲得し、1580年には12
万、17世紀75万
日本の神仏信仰に由来する秩序と本質的に相
容れないと、豊臣秀吉は、1587年に「伴天連追
放令」を出した。キリスト教禁止の方向に
江戸時代と明治時代のキリスト教
 幕府が1612年に禁教令を出したり、キリシタン信者
を国外追放するなど、キリスト教は厳しい弾圧を受
けた。江戸時代初期に75万人教徒は、改宗が殉(
じゅん)教(きょう)する者、「隠れキリシタン」も
 明治政府は1873年に禁教令を解き、キリスト教を
解禁したため、プロテスタントも加わって、信者数は
拡大。武士の子弟が多く、新島襄、内村鑑三、新渡
戸稲造らが代表的なキリスト教の人道主義、人間
平等の精神は、個人の確立を目指している青年層
に影響を及ぼした。
現在のキリスト教
第二次世界大戦以後、民主主義の時代に
なって、キリスト教の各派が日本に入り、信
者が急増したが、最近の信者数の伸びは少
ないようである。文化庁編『宗教年鑑』による
と、2002年のキリスト教の各派の信徒の合
計は、約191万人である。
総括
 日本人のものの考え方の特徴は、与えられた環境
や条件をそのまま肯定。実際目に見えている世界を
そのまま絶対的なものと見なし、現実世界と離れた
ところに、絶対的な神の存在を認める立場を否定
 日本古来の信仰は、自然発生的なもので、人々の
日常的な生活習慣と深く関わり、現実に与えられた
世界を、そのまま絶対的な意義があるものとして認
める
 現世中心に受け止める気質は、人間の自然の欲望
や感情をそのまま認めて、それを抑制し、それに打
ち勝とうとはしない生活習慣を生んだ。
 日本の仏教では、インドの原始仏教や中国の仏教で
厳守されていた戒律が、守られていないケースが少
なくない。
 日本人の宗教は、神道は根幹、仏教を取り入れて融
合を図り、キリスト教も受け入れ。現世中心的な「多
神教」の考え方、実用的な宗教観、緩やかな信仰心
が、日本人の精神文化を形成している。「苦しいとき
の神頼み」をし、「神様、仏様、ご先祖様…」と、祈る。
中国儒学の吸収
 孔子の先秦儒学、原始儒
学ともいう。原始儒学は、
中国古来の政治、道徳の
学として、諸子百家の一、
思想家、古来の思想を集大
成し、原始儒学の思想体系
を建てた。孔子は、「礼」の
治国法案を出し、「仁」を理
想の道徳とし、孝悌と忠恕
とによって理想を達成。易
経、書経、詩経、春秋、礼
記、楽経、六(りく)経(けい)
を整理。「論語」は、後に弟
子達がまとめた著作である。
孟子は、理想主義派、王道主
義を唱え、「孟子」七編、性善
説、仁.義を先天に具有、仁
義礼智の徳を発揮すると主張。
政治哲学は、仁徳を本とする
「王道」を主張し、武力.権謀
を用いる「覇道」に反対
この基礎の上で成り立って
いる孟子の「革命」理論、有
徳者が天子となる「易姓革命」
論は中国歴史の発展の中で、
大きな影響を果たした。
現実主義者の荀子は、伝
統的天人関係を否定し、
先秦時代の唯物論の集
大成者。
「性悪」説を唱え、人間の
本性は悪であるため、社
会のルールとしての礼法
による教育が重要で、
「礼」を持って社会秩序を
正すべしと説いた。
後漢は「五経」が権威、儒
家が董仲舒に経(けい)学
化され、訓詁学が流行。
儒学渋滞が現われ、六朝、
隋、唐代には、経典の解
釈学は進んだ反面、哲理
面で老子荘子の学や仏
教に遅れ。
北宋の周敦頤の太極説、
張載の天地の性.気質の
性の説、
程顥、程頤らの理気説
陰陽五行の伝統的観念
老子荘子の学、
仏教の哲理や世界観を
儒学の世界に取り込み、
朱熹が、北宋以来の理気
世界観に基づいて朱子学
を集大成した。
朝鮮、日本への導入
朱子は、宇宙存在根拠.法則としての「理」と、
形而下の存在である「気」の二元論、前者が本
(ほん)然(ぜん)の性、後者が気(き)質(しつ)の
性、「性即理」、方法は、格(かく)物(ぶつ)致(ち)
知(ち).居(きょ)敬(けい)窮(きゅう)理(り)など身
分制の秩序イデオロギーとして体系教学化され、
朝鮮や江戸時代の日本に導入。
儒教の日本の伝来
 儒学が日本の伝来は、
定説はないが、「日本
書紀」と「古事記」の記
録、応神天皇16年、西
暦285年に、朝鮮の百
済の王(わ)仁(に)が「論
語」と「千字文(もん)」を
日本に伝えた。信憑性
が低六世紀に百済から
の五経博士が継続的
に交替、五経博士の渡
日。
聖徳太子
聖徳太子は、訓戒の「憲
法十七条」を制定、中国
の法家、儒家、墨家及び
仏教など取り入れたが、
儒学思想が重要な比重を
占め、儒学思想が基調。
「冠位十二階」を徳.仁.
礼.信.義.智、儒学の社
会政治思想で政権を強め
ようとした。
大化改新
留学生や留学僧も、文物
制度と儒学の典籍を、中
大兄皇子(後の天智天
皇)の君臣の大化改新に
いかし、大化改新後の7
世紀の60、70年代に、大
学寮で儒学を教育。
早期儒学の特徴
 中国の原始儒学は「以修身為本」を起点、「斉家」
「治国」「平天下」と続く。政治と道徳と結合。が、日
本早期儒学は、政治理念として日本の政治だけ影
響を与え、当時の日本人の道徳実践面にほとんど
影響を与えなかった。
 中国の儒学は包容性を持ち、諸家の思想を、吸収
して発展。同時に排他性を強く持ち、論争を展開。
が、日本早期儒学は諸思想の共存性を強く示し。荀
孟の論争、今.古文経学の論争は、終止符
 日本の早期儒学は内発的なものではなく、日本人
の生活そのものから醸成されたものではない
日本の儒学
藤原惺窩は、江戸初期の
儒者、禅宗還俗して儒学
に。日本儒学の独立の象
徴。朱子、陸象山.王陽
明の陸王学に対包容的.
折衷的な態度、旧儒学漢
唐訓古学の役割をも非無
視門下に林羅山
日本の朱子学派
日本朱子学派の真の開祖、
林羅山。日常生活の中での
「居敬窮理」を主張し、「上下
定(てい)分(ぶん)の理」を説く。
天地万物には上下尊卑、人間
社会も、身分秩序に従って行
動。朱子学の理論で神道を解
釈し、神儒一致論を主張。日
本的な特色、例、忠と孝の関
係、忠=公と孝=私を認め、
「孝」より「忠」を重視。幕藩体
制の秩序維持の目的と一致し、
官学として確立。
山崎闇斎
林羅山以後は、二つの方向分化。
山崎闇斎は、唯心論的側面強化
し、倫理面を強調、主観的内省的
に行動を正す「居敬」を重視。
仏教を排撃、学風道徳を至上、厳
粛主義的。朱子学と神道を結合、
「垂加神道」を樹立し、朱子学の
大義名分論を強調。内に尊皇論、
外に国家への自覚を確立し、忠
君報国主義への発展。幕末の開
国論者の横井小楠、「教育勅語」
の起草に参与した元田永(なが)
孚(ざね)。国粋主義者に支持され、
太平洋戦争に最高潮。
貝原益軒
「居敬」より「格物」と「窮理」を重
んじ、「民生日用の学」、科学技
術へ興味を示し、朱子学認識論
の合理部分を強調。朱子学の
「窮理」は、道徳的.形而上学の
「理」と自然法則の「理」を内包
するが、益軒は、自然法則「理」
へ移行し、法則の客観的探求
する方向、合理性と客観性に徹
す。医学や本草学、実践道徳論
の博学学風、唯物論的要素を
強化し、朱子学の認識論の合
理的部分、客体に宿る存在の
根拠としての「理」の追求を強調
新井白石、幕末の佐久間象山。

日本の陽明学派
中江藤樹が日本陽明学の祖、
門人熊沢蕃山を、佐藤一斎、大
塩中斎らに代表。
近江の聖人の中江藤樹は、人
倫の道の根源が「孝」、「孝」は
人を愛し敬う普遍的な原理、親
子関係をはじめとして主従.夫
婦.兄弟.朋友などの人間関係
を成立実践すべき。「知行合
一」や「致良知」説に共感を覚え、
実践の重要性を説いた。
熊沢蕃山
熊沢蕃山は、岡山藩で池
田光政に仕え、藩政改革
を行った。「自反慎独」「心
を内に向はしむ」、「心学」
に共通の心の内的契機を
重。致仕後、幕府の圧迫
を被って、困厄の中に世を
去った。
佐藤一斎
18ー19初期の代表的な人物
は、佐藤一斎と大塩中斎。一
斎は、林家の塾長と幕府の官
立学校昌平広の儒官、学界.
教育界の中心的地位に居続
け、「陽朱陰王」。思想的影響
力は大き。幕末の思想界に行
動主義的な陽明学が広く流行、
門下、公武(こうぶ)合体派、佐
久間象山、尊皇攘夷派吉田
松陰、西郷隆盛輩出した。
大塩中斎
中斎は、「大塩平八郎の乱」の
主謀者。「洗心洞札記」で、聖
人の学を「明体適用の学」であ
ると論じ、内面の確立と共に、
具体的な実践に生かすべきだ
と主張。個人行為の重要性を
強調、社会的な実践の重要性
も強調。彼は、陽明学を個人
改造の論理から社会構造の
論理へと発展。幕末の尊皇攘
夷派の思想家と活動家も、日
本陽明学の行動性の影響を
受け、戦闘的性格を現した。
日本陽明学の特色
 反体制性。中国の陽明学  行動性。「知(ち)行(こう)合
(ごう)一(いつ)」の思想は、
の左派、泰州学派の学者は
知行重視。中国の陽明学
反体制の思想家があった
者、例えば泰州学派は、封
が、日本の陽明学者は、全
建正統思想を批判する言
体から反体制的批判精神
論を発表、国家体制に対す
を多少内包。藤樹と蕃山以
る行動上の反逆、実践した
後、中斎や吉田松陰らに展
人は少。幕末の陽明学者
開。
大塩中斎及び維新期の吉
田松陰らは、この行動性の
実践者。
3、日本の古学派
山鹿素行.伊藤仁斎、荻生徂徠が日本古学
派の代表者、師弟関係はない。
共通点:朱子学と対立し、聖人の教えの真実
は儒学の古典から直接に読み取る。「古学派
は、古典に帰ろとの主張に由来。簡単的な原
始儒学の復帰ではなく、古典で朱子学を否定
し、思想の自由を求め、古典から当代の社会
に実践理論として役立つ哲学を求めた。
山鹿素行
 山鹿素行は先駆者。
 日本思想史上の評価:
(1)文献学的な方法で中国古典に基づ
いて、新しい儒学思想を打ち立て、日本古学の提唱者
(2)日本を中朝として尊び、聖教の事実が古代より日本に行
われていたと論証、日本主義の鼓吹者(3)儒学の士君子の
道で武士道の「士道」を再解釈し、儒学的武士道の提唱者、
大きな意義。江戸時代以前の武士は戦士、武士道理論献身。
「死の覚悟」から「道の自覚」、「士道」への転換を完成。平和
な時代の武士は、一は主君への忠節を尽く。もう一つは「人
倫の道」を自覚.実践し、模範(もはん)指導者として世間に示
し。江戸時代には、在来の戦国的武士道を鼓吹する「葉隠」』
も存在、儒学化された「士道」、大きな影響。文武(ぶんぶ)両
道を兼ねるの理想像。
伊藤仁斎
 伊藤仁斎(じんさい)は文献学的方法
で、「大学」と「中庸」の正統性を否定
し、「論語」を、最上至極(しごく)宇宙第
一の書と推尊し、「孟子」を「論語」の
不可欠の註脚とした。原始儒学への復帰ではなく、「論語」と
「孟子」で後世の儒学を批判し、自己の思想を再構成。古代
の言語の正しい意味の解釈、「古義」の再獲得と、孔孟の教
えの哲学的解明を目標、「古義学」と。伊藤仁斎は、人の「情
欲」に対して寛容、情欲を敵視する朱子と王陽明の「窮天理、
滅人欲」論を批判。
荻生徂徠
荻生徂徠は、「古語」と「古文」の意味
を、当時の文献の伝えるままに理解
するという「古(こ)文(ぶん)辞(じ)」学を
提唱。16世紀の中国の「古文辞」運動
は「文は則ち秦漢、詩は則ち漢魏盛唐」、古典主義の文学的
主張。徂徠は儒学に応用。「道」とは、朱子学の形而上のも
のではなく、「天下を安んずるの道」であり、政治的なもので
ある。「道」とは、中国古代の理想の君主が、国を治め民を安
んずるために人為的につくった「経世済民」の道、具体的な
内容は、「詩経」「書経」などの六経に記載され、「礼楽刑政」
の制度であり、自然或は道徳規範ではないと主張。日本史
想史上徂徠学の評価は高い。
丸山真男氏の評価
 丸山真男氏の「日本政治思想史研究」
によれば、自然、社会、人間の連続性
を主張する朱子学の道徳合理主義の
思惟体系は徂徠によって解体された。
彼の思想は、個人的修養の修身を拡大
して、斉家.治国.平天下に至るという
朱子学の政治と道徳、公的領域と私的領域との連続性を断
ち切って、政治.公的領域の優位を思想的に確立しながら、
私的.内面的世界の自立性をも承認する。自然的制度観か
ら作為(さくい)的制度観へという変遷から見れば、現実の政
治秩序を聖人.君主の作為の産物とする徂徠学は、近代的
制度観への道を切り開いたとされる。
関連知識四
1.日本の新宗教
2.神道と日本人の生活
3.仏教と日本人の生活
4.多元化した日常生活
日本の新宗教
 23万の宗教団体の存在。既存の宗教と新宗教。
 江戸幕府末期ー明治時代に形成神道系教派:天理
教、黒住教、金光教「神道十三派」。
 明治末期ー敗戦まで形成新宗教は、神道系:大本
教、生長)の家、世界救世教、PL教団など。仏教系:
創価教育学会、霊友会、真如苑、立正佼成会。
 戦後ー2000年新宗教神道系:、天照皇大神宮教、
世界真光文明教。仏教系:阿含宗そのほかの宗教、
幸福の科学、アーレフ(オウム真理教)。
 信者の総数は、日本全人口の1割に達する。麻原
彰晃を教祖の(オウム真理教)は、1995年サリン事
件を引き起こした。死者11人、負傷者5000人
神道と日本人の生活
神社と参拝の形式:
入り口の「鳥居 」、には式の本殿、幣殿 、拝殿。一般入れる
拝殿。外拝殿と内拝殿。外拝殿、お賽銭を挙げて拍手を打つ。
内拝殿は、靴を脱いで、座礼、立礼を参拝。、玉串(たまぐし)
の榊(さかき)の枝に白紙の四手(しで)をつけたものを神前、
拍手を打つ。
 普通は二拝二拍一拝、出雲大社の場合は、拍手が四つ。拍
手理由は、空気を振動させ、神を呼び寄せる。太鼓や笛、琴
を鳴らすが、空気の振動によって行なわれ霊(たま)振(ぶり)。
お宮参り
男児は31日目、女児は32
日目に行う。30日から33日
が選ばれる。江戸時代に一
般化し、土地の守り神の産
(うぶ)土(すな)神(かみ)に参
拝し、一員として認められる
儀式、現在子供の健やか
な成長を願う行事に変わり。
子供に無地の着物を着せ
て、最近は、白いベビー服。
七五三
 11月15日、子供の成長の
節(ふし)目(め)を無事に迎
える喜びをお祝い。奇数、
体調がこの時期に目立って
変化。数え年の3歳男女児
が「髪置」、5歳の男児が
「はかま着」、7歳女児が
「帯び直し」儀式。一同が子
供の将来を祈る。紅白の
「千歳飴」と記念写真。
初詣
 三が日、年が明けて初
めてのお参り「初詣」。
明治神宮や鎌倉の鶴
岡八幡宮がにぎわう。1
年間の家族の健康や、
商売繁盛を祈願し、お
守り札などを神官から
受ける。初詣の作法は、
賽銭を投げ、鈴を鳴ら
し、拍手を打ってから、
礼をする。
神前結婚
 結婚のスタイルは、神前、
仏前、教会、人前など、挙
式(きょしき)する場所違う。
多いのは神前結婚式で、8
割。神社の神殿や、専門の
式場やホテルなどに設けら
れた神殿で行われる。神主
が神に新郎と新婦の結婚
を報告し、三々九度といわ
れる儀式に移る。大、中、
小の三つの杯に神酒を注
ぎ、交互に3回ずつ飲み、
夫婦の契(ちぎ)りを結ぶ。
次いで二人は、神前で結婚
の誓いを読み上げる。
地鎮祭
 新しく家を建てる時、ビ
ルや道路工事の着工、
四隅(よすみ)に葉付き
の竹を立て、注連縄(し
めなわ)を張りめぐらし、
神宮が払いを行ない、
工事の無事を祈り、酒
宴をはるという儀式を
行う。土地の神を祭り、
魂を鎮めるというのは
地鎮祭である。
神輿
 神の乗り物。担ぎ出さ
れる神輿に神社の神
が乗り移。屋上には
鳳凰を置き、2本の棒
を台座に通して担ぐ。
本来は馬に乗せてい
たが、平安時代から
は、人が担いで練り
歩く。
三大祭り
 一説:5月17日東京の三社
祭り(浅草神社)、7月中旬
京都の祇園祭り(八坂神
社)、7月25日大阪の天神
祭り(天満宮)
 もう一説:6月15日東京の
山王祭り(日枝神社)、5月
15日京都の葵祭り(下鴨神
社及び上賀茂神社)、大阪
の天神祭り
 東北三大祭り:青森ねぶた
祭り、秋田竿(かん)灯(とう)
祭り、仙台七夕祭り)
 京都三大祭り:葵祭り、祇
園祭り、時代祭り
禅宗
禅宗:座禅で悟りを開く。6
世紀、9年間面壁して悟りを
開いた始祖達磨 、鎌倉時
代の栄西や道元は、宋で
修行し、禅宗を日本に伝え
た。臨済宗、曹洞宗、黄檗
宗の三宗。座禅を組み、心
を無の状態にする禅の修
行。精神的な豊かさの重要
性が指摘昨今、禅世界に真
価値。
坐禅
 静座して精神を集中さ
せる禅宗の修行法。迷
いを無くして、真理に到
達するために瞑想、長
時間身動きもせず精神
集中に没(ぼっ)頭(とう)
する。喧(けん)騒(そう)
隔絶世界で、心を無状
態、悟りの境地に達。
だるま
 達磨大師座禅した姿を模し
た「だるま」張り子玩具。顔
面以外は赤で、倒してもす
ぐ起き上がる。開運の縁起
物として、願いをかけるとき
に片目を入れ、願いがか
なったときにもう一方の目
玉を描きいれる。新年早々
に日本各地で開かれる。群
馬県高崎市の「だるま市(い
ち)」が有名である。
地蔵菩薩
 民間馴(な)染(じ)み深い菩
薩、平安時代末期に日本に
広。地獄に落ちる死者を救
い、身代わりに苦しみを受
けてくれる。「子安地蔵(こ
やすじぞう)」、「とげぬき地
蔵」諸病に霊験がある、祈
願の内容に応じた名称を持
つ、地蔵に手を合わせ、幸
福を祈願する人は数多くい
る。
日本の葬式
 人生最後の儀式。古くから風習、仏式葬式が大半。
神式、キリスト教式。
 通夜:遺族や近親者、なくなった人の枕辺で一夜を
過ごす。飲食し談笑したり、線香、灯(とう)明(みょう)
の火を一晩中絶やさない風習。現在では、葬儀前
日の夜6時か7時頃から2時間程度、弔問客を迎え
る「半通夜」が一般。、僧侶の読経が中心で、弔問
客が焼香。通夜の後、「通夜ぶるまい」か、引(ひ)き
物(もの)を渡す。
葬式
 通夜の翌日以後に、家か
寺院、あるいは葬儀場で葬
式を行う。葬儀が終わると、
告別式に移る。僧侶がお経
を読み、引導を渡す。別れ
の言葉の弔辞、参列者の
焼香となる。告別式が終わ
ると、棺のふたが開けられ、
近親者や友人が菊の花な
どを遺体の周りに入れ、最
後の別れを惜しむ。そして、
出棺となり火葬場で火葬さ
れる。
喪服
 黒を基調した服装は、仏
教の影響。現代、喪主の
男性の正式な喪服は、和
服なら、黒羽(は)二(ぶた)
重(え)の染め抜き五つ紋
付に羽織袴である。洋装
なら、黒のモーニングに
黒のネクタイである。女性
は、和装の場合は羽二重
に染め抜き五つ紋をつけ
た黒の無地(関東地方)、
洋装はの場合黒無地の
ワンピース、スーツなど、
略式の喪服でご参列
墓参り
 法要以外には、お
彼岸、お盆、亡く
なった祥(しょう)月
(つき)命(めい)日(に
ち)。掃除、水、花と
線香や供え物を上
げ、両手を合わせ
て。
初七日
法要:仏教では、死者が冥土の閻魔の庁で、
極楽浄土へいけるかどうかを決める審判が
七日ごとに七回行。「七日目」(初(しょ)七(な
の)日(か))と「五七日忌」(35日目)「七七日
忌」(49日目)には盛大法要。僧侶に読経して
もらい、焼香する。「七七日忌」を過ぎると「忌
(き)明(あ)け」と称し、お墓に納(のう)骨(こつ)。
「一周忌」、「三回忌」「十三回忌」、「十七回
忌」、「三十三回忌」まで行って、「三十三回
忌」をもって「弔(とむら)い上げ」とするケース
が多くいる。
香典
 香典は香や、米、次第に現
金に代。通夜や告別式の
際に、地味な色のふくさや
風呂敷に包んで、或いは不
(ぶ)祝(しゅう)儀(ぎ)袋に入
れて遺族に渡す合、新札は
避け5000円から1万円。
 相互扶助的な意味。49日
の「忌明け」後に、香典の
半分程度の金額の品物を
返礼。これを「香典返し」。
仏壇
 宗派の本(ほん)尊(ぞ
ん)を祀る、故人を祀る。
三段、上ご本尊、左右
先祖位牌。中段はお茶
や果物やお菓子、下段
には蝋燭立(だ)て、花
立て、香炉。毎朝、新し
い水などを供えてお参
りすると、供(く)養(よう)
になる。
お盆
 お盆:先祖の霊を迎えて、供養す
る仏教行事を「盆」、正式「盂蘭
盆」。旧暦7月15日、新暦7月16
日、8月16日に行う。13日に火を
たいて祖先の霊を迎える「迎え
盆」と、16日の夜火をたいて霊を
あの世に送る「送り盆」など、昔
お盆の行事があったが、現在お
墓参りする程度
 お盆は地獄も休み、仕事を休む
習慣、江戸時代。戦前に住み込
みで働く奉公人は、「藪入り」とい
って生家に帰る。「薮入り」は小
正月の16日、奉公人にとって年
に二度の休日。
 現在でも多くの企業が、この期
間に社員たちに数日間の休暇を
与。交通機関は大混雑になる。
多元化した日常生活
 十干十二支:甲(きのえ).乙(きのと).丙(ひの
え).丁(ひのと).戊(つちのえ).己(つちのと).
庚(かのえ).辛(かのと).壬(みずのえ).癸(み
ずのと)の「十干」
 子(ね).牛(うし).寅(とら).卯(う).辰(たつ).巳
(み).午(うま).未(ひつじ).申(さる).酉(とり).
戌(いぬ).亥(い)の「十二支」を組み合わせる。
「十干十二支」の暦法は、60通りの年や月、日
に当てたもの。
「十二支」
 「十二支」はそれぞれネ
ズミ、ウシ、トラ、ウサギ、
タツ、ヘビ、ウマ、ヒツジ、
サル、トリ、イヌ、イノシシ
の動物がシンボル。亥
(い)年(どし)生まれの人
は猪突猛進型、卯(う)年
(どし)生まれの人はおと
なしい。例えば、「丙(ひ
のえ)午(うま)」の年は火
事が多く、女性は夫を殺
すので、出生を控える。
迷信だが、実際に1966年
の丙午の年は、例年より
も出生数が2割ほど減少。

日の吉凶
日の吉凶: 吉(きっ)凶(きょう)は、中国の十干十二支思想。
六進法で、七つで反復する、日の吉凶を決めている。例
「大安(たいあん)」、吉日で、万事進んでよい。結婚式。
「赤口」(しゃっこう)、正午のみ吉、凶日。訴訟や公事、契
約は避ける。「先勝(せんしょう)」、午前吉、午後凶で、急
用や訴訟にもよい。「友引(ともびき)」、勝負(しょうぶ)なし、
朝晩吉、昼凶。友を引くとは、葬式忌(い)む。「先負(せん
ぶ)」、平静を守って吉、午前凶、午後吉。訴訟や急用を忌
む。「仏滅(ぶつめつ)」の日は、釈尊の入滅の日、万事に
凶悪日。結婚式や店の開店避け。 「大安」は六日に一度、
特別おめでたいわけでもない、結婚式その日を選ぶ。冠
婚葬祭の実施の場合、日の吉凶は付きもの。
太陽暦
 1872年「太陽暦」採用。「明治5年12月3日を明治6年
1月1日とする」昼夜12時間制、1日24時間制。「太陽
暦」、グレコリオ歴。ロンドンのグリニッジ天文台通る
子午線基準、日本中央標準時は、兵庫県明(あか)
石(し)市が基準。日本全国同一時間、9時間進んで
いる。
初節句
 生まれて初めて迎える節句、
男の子は5月5日(端午の
節句)、女の子は3月3日
(桃の節句、雛祭(ひなまつ
り)。男の子、鯉のぼり、よ
ろい兜(かぶと)や武(む)者
(しゃ)人形、女の子には内
(だい)裏(り)雛(びな)を母方
の実家が送る。当日、祝い
の膳でもてなす。
還暦と長寿の祝い
 年祝(としいわ)いは中国の
陰陽五行説の暦信仰から
きていて、干支が循環する
六十が単位。人間の生命
が一サイクル回る、六十歳
以上生きると長生き、以下
だと短命。昔「人生僅か五
十年」、六十一年目にもう
一度同じ干支が帰ってくる、
「還暦」御目出度い。
 「還暦」に赤いチャンチャン
コを着る、生命が再生産、
赤ん坊から出発し直す。
長寿の祝い
 「還暦」は長寿の祝い
のスタート、生命の尊さ
を再確認。数え年七十
歳の「古稀」の祝い。七
十七歳の「喜寿」。「喜」
草書、八十歳「「傘寿」、
八十一歳「半寿」、八十
八歳「米寿」、九十九歳
の「白寿」。百から一を
とる。
おみくじ
 神社仏閣に吉凶を占う、普
通は多くの串や棒片などを
入れた筒(つつ)をふって引
くくじを「おみくじ」という。お
みくじには総合運として、大
吉、中吉、吉、小吉、凶の
いずれかが書いてあり、別
項として、失せもの、商売、
学問、健康、縁談などの運
勢が書いてある。普通は、
読んだら境内にある木に結
び付け、願い事の成就を祈
る
お守り
 お守りと小さな木片(もくへ
ん)や紙片(しへん)に、神様
の名前や寺社の名前を記
し。祈祷により神仏の霊が
こもっているため、幸運を呼
び入れ、災厄(さいやく)を追
い払い、持っている人を加
護する。神棚」に置く、車に
つけ安全を願う。「お守り
袋」をいつも持ち歩いてい
る人もいる。
絵馬
 受験や縁結びなどの祈願
や、また願いがかなったお
礼のために、神社仏閣に奉
納(ほうのう)する絵の額が
「絵馬(えま)」。上部が屋根
形。昔、願い事をするときに、
馬を納める風習、この木札
に馬の画を描いた。願い事
がある人は、絵馬を買い求
め、願い事を書き入れる。
七福神
 幸せをもたらす7人の神。縁起の良い神を集めて信仰。室町
時代「七福神詣」
 ➀打ち出の小槌(こづち)を持ち米俵を踏まえた大黒天:イン
ドの神として、田の神様と台所の神。➁鯛と釣り竿を持つ恵
比寿天:七福神で唯一の日本人として、商業の神様➂琵琶
をひく姿をした弁財天(べんざいてん):インドの神として、音楽
から諸芸にわたる女神。➃右手に宝塔、左手に宝棒を持つ
毘沙門天(びしゃもんてん):インドの神として、財福の神。➄
鶴を従えた福禄寿(ふくろくじゅ):中国神、南極星の化身、不
老長寿の神。➅長頭で杖を持つ寿老人(じゅろうじん):中国
神、長寿を授ける神。➆お腹を出して袋をかついた布袋(ほ
てい):中国神、弥勒の化身。
 また、「七福神」の乗せた「宝船」の絵は、縁起物として、喜ば
れる。
日本の妖怪
 河童(かっぱ)、水陸両
生、形は4-5歳の子供、
顔は虎に似、口ばしは
とがり、身に鱗(うろこ)
や甲羅(こうら)があり、
毛髪は少なく、頭上に
窪(くぼ)み、少量水を容
れ。水のある間、陸上
でも力強く、他動物を水
中に引き入れて血を吸
う。
鬼
 鬼(おに)は、仏教の影
響、餓鬼(がき)、地獄の
青鬼、赤鬼あり、美男、
美女に化(ば)け、音楽、
双六、詩歌に優れ、人
間世界に現れる。後に
陰陽道の影響で、人身、
牛の角(つの)や虎の牙
(きば)、裸で虎皮のふ
んどし形。
天狗
 天狗(てんぐ)」は、深山
棲息(せいそく)する怪
物。人形、顔赤く、鼻高
く、翼があって飛行自
在で、山伏(やまぶし)
の姿をして高い下駄を
履いて、羽団扇(はうち
わ)をもち。子供を攫(さ
ら)っていく。
一つ目小僧
 一つ目小僧(こぞう)」は、
額に目が一つだけ怪物。
関東、東北、旧暦の2
月8日と12月8日に訪
ね、目の粗い籠を軒先
に高く掲げてこれを脅
す風習がある。
海坊主
 海坊主(うみぼうず)は、
ぬるぬるした大きい頭
を持ち、海の中から顔
を出す。船員たちは海
坊主を見ても、知らん
顔をしなければならな
い。そうしないと、船を
沈められてしまう。
クリスマス
 明治時代日本に紹介さ
れた西洋の祝祭、教徒
1%。宗教趣なく、プレ
ゼントとクリスマスカー
ドを交換、ケーキを食
べたり一般。デパート
商店、売上期待。12月
に入ると、飾り付けはク
リスマス一色、クリスマ
スツリー、クリスマスソ
ングを流れ。若いカップ
ル。
大晦日
 12月31日。各月の最後の日を晦日(みそか)と、1年の
最後の日「大晦日」。夜、「年越しそば」。江戸中期に
始、由来各地異。寿命を伸ばす、内臓汚れを取る、年
末に貸借をすっきりさせて新年を迎える。代々伝えら
れる年越しそばの作り方は、いろいろ。全国各地の寺
108の鐘が撞(つ)かれる。これを「除夜の鐘」、108の
煩悩を、除く。夜を徹して起きていて、正月の神様で
ある「正月様」が来臨するの待つ風習。大晦日寝ると
白髪(しらが)になると、元旦の未明に神社に出かけて、
「初詣」する人々がたくさん。
お正月
 一年の初め、門松(かどま
つ)やしめ飾り、収穫をつか
さどる神、一族を守る祖先
霊迎える。鏡餅は、神様が
食べる。
 正月の朝、寿命を延ばす
「お屠蘇」飲、祝い、健康を
祈る。「お雑煮(ぞうに)」とい
う、汁の中に餅を食べる。
雑煮も含め、「お節(せち)」
と呼ばれる。
 年の初め、神社や寺へ
出かけて、1年を無事、
神仏に祈る。「初詣」三
日は、明治神宮や、鶴岡
八幡宮(つるがおかはち
まんぐう)、川崎大師、百
万人を越す参拝客。
 子供には「お年玉(としだ
ま)」、神様が「お前たちも
頑張れ」と授けてくれるも
の、という趣旨。。