思想と行為 第7回 パスカル 「考える葦」 吉田寛 パスカル プランス出身 1623年生-1662年(38 歳)没 科学者、数学者、思想 家、宗教家 1654年(ぱ31歳)回心 『パンセ』『幾何学的精 神について』 パスカルの時代と人生-1 17世紀フランス王国(ヨーロッパの文化の中心) – – – – – デカルト(1596年-1650年)の活躍した時代 中世から近代へ 1633年ガリレオ裁判 1662年 「太陽王」ルイ14世即位 文学サロンや科学研究サロン(アカデミー) モラリスト(モンテーニュ)の懐疑論、相対主義 • 「ク・セ・ジュ(私は何を知るか?)」(1580年) パスカル 1623年生 クレルモンの法服貴族家に生まれる パリとクレルモンを行き来し、兄妹ともに高い教育と交流の 中で育つ。 23歳ごろまでに数学、計算機、物理学で業績を挙げて、天才 の名をほしいままにする。これは一生続く。 画像(ピュイ・ド・ドーム山):http://mamileon.free.fr/kinko/clermont.html パスカルの人生-2 1646年 ジャンセニズムの指導で第一回の回心 – ジャンセニズム(原罪を基本とする):アウグスチヌス派でデカルトの 学んだイエズス会(人間の自由を大幅に認める)とは対立 – ポールロワイヤル修道院を根城とするキリスト教の原理主義 精神と体調の不良に悩まされる 1651年 父の死 – 翌52年妹ジャックリーヌ修道院入り – パスカルは研究と社交の日々「世俗時代」へ 1654年(31歳) 12月23日恩寵の光を得て回心 – 「火。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神にして哲学者の神なら ず。確実、確実、感知、歓喜、平和・・・」 「恩寵」の重要性を主張してイエズス会と論争 – 異端宣告挽回のパンフ「プロヴァンシャル」 1656年-1657年 「幾何学的精神について」後、「パンセ」執筆中、没1962年 画像(ポール・ロワイヤル修道院):http://www005.upp.so-net.ne.jp/m-mikio/pascal.htm パスカルとデカルト 共に17世紀フランスの科学者で思想家 – 1648年デカルト(52歳)-パスカル(25歳)会談(パリ) – 「真空」の存在について議論 合理性と人間性をめぐる対決 – デカルト:合理主義 人間は理性と意志をもつ存在であり、 理性と意志によって、善く生きることができる。 – パスカル:信仰 人間は弱い理性と弱い意志を持つ弱い 存在であり、最終的には神によってしか善く生きることは できない。 科学と数学における業績 パスカルの原理 「真空」の証明(24歳ごろ) – 液体・気体の圧力に関する原理「パスカルの原理」 – ピュイ・ド・ドーム山での大気圧実験 射影幾何学(16歳ごろ) 確率論(30歳ごろ) – 円錐曲線論「パスカルの定理」 – フェルマと共に「賭け」の数学 最初の計算機(20歳ごろ) – 歯車式の加算を基本として、引き算や掛算もできた – パスカルにちなんだプログラム言語「パスカル」 科学論 実験的手法 – 「幾何学的精神について」 論理化された科学的方法論 フランス語、フランス文学 – 「プロヴァンシャル」(論争的パンフレット) 現代フランス語の規範 クレオパトラの鼻 「クレオパトラの鼻。これがもっと低かったら、地球の 全表面は変わっていただろう。」(パンセ) – 神なき人間の悲惨 人間の弱さ 迷いと不安の生活 – 「もし医者たちがあのガウンとスリッパを身につけていな いならば、また博士たちが例の書く暴徒ぶかぶかの教授 服を着ていぬならば、到底世間を欺くことはできなかった ろう」 – 「緯度が三度違えば法律の組織が全部ひっくりかえる。 (略)。ピレネーの山のこちら側では真実であることが、向 こう側では誤謬なのだ。」 – 「気晴らし。人間は、死と不幸と無知とを癒すことができな かったので、幸福になるために、それらのことについて考 えないことにした。」 http://www.hongen.com/art/twdg/cyztm/img/tc0001a.jpg 考える葦 みじめな人間の偉大さ 科学的な精神 – 「考える我」(デカルト) 「幾何学的精神」 永遠に沈黙している無限の宇宙とその片隅で悩み 喜び生きている人間存在 – 「人間は一本の葦にすぎぬ、自然のうちで最も弱い葦に すぎぬ。しかし、それは考える葦である。(略)。ひとつの 蒸気、一滴の水も、彼を押し殺すに充分である。しかし、 宇宙が彼をおしつぶすときも、人間は彼を殺すものよりも 高貴であろう。なぜなら、人間は自分が死ぬこと、宇宙の 力が自分にまさること、を知っているからである。宇宙は それを知らない。」 賭け 「神あり」に賭けるか、「神なし」に賭けるか。われわれはすで に「船出」している以上、不確実な将来に向かってのこの賭 けは逃れられない。 – – – – 神あり:救いによる効用∞×目の出る確率1 神なし:世俗生活による効用n(有限)×確率a 解釈A:aは有限だから期待値無限の神ありに合理的に賭けるべき 解釈B:aが∞だとしたら五分五分→「恩寵」あるいは自由意志の余地 を残す 理性→信仰 – 解釈B:人間は偉大さによって、弱さから抜け出る可能性まで、賭け ることが不合理ではない地点まではたどり着ける。だが、そこから自 分で一歩踏み出し、懐疑論を脱することはできない。 – 恩寵が必要である。惨めさを自覚し、恩寵を待つところまで、それが 理性の役割。 愛の秩序 「考える葦」と「賭け」の議論 理性(合理性)による科学的知識の領域と恩寵によ る信仰の次元の確保 – 科学と信仰の峻別(「秩序」が違う) – 神を要請しない科学的知識 • 「幾何学的精神」:分析的な知識のあり方≒デカルト – 科学的知識を要請しない愛と信仰の領域 • 「繊細の精神」:象徴的な意味を受け取る知≒聖書 パスカルの善く生きる – 理性の領分は理性に(合理的に)、人間的な意味の領分 は信仰(愛)に – 人間の悲惨さを自覚して、理性の領域にとどまらず、救い と人間的な意味の領域に向かって開かれる命 参考文献 『パンセ』中公文庫、パスカル (著), 前田 陽一&由木康(翻訳) ブランシュビック版(テーマごとの順序で 箴言集風) 『パスカル著作集VI、VII(パンセ)』教文 館、パスカル(著)、田辺保(翻訳) ラフュマ版(パスカルオリジナルの神を 求めさせるための順序) 『パスカル』岩波新書、野田又夫著 パスカルの人生と思想の解説書 レポート (1)理性と信仰、科学と人間性などについて、 アウグスチヌス、デカルト、パスカルの3者の 考え方を簡単に比較せよ。 (2)そして、「善く生きる」という観点から、理 由を挙げつつ自分なりの判定を下す。 – 各7-8行程度(150字程度?)で
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