第7章 ラマ僧はシャマンを駆逐する アメリカのための本あさり アメリカの東洋学者ラウファー ・「モンゴル大要文献」 ・東アジアの「代表的コレクション」を集める 北京 崇祝近くの印刷所 ・「モンゴル語木版本」 三百年以上もの昔から続いている印刷屋 天津書鋪 ・チベット語、モンゴル語の書物 ・三百年以上前からモンゴル語とチベット語でラ マ教習教書を印刷 ・ラウファーに続き、多くの学者と旅行者が訪れ る ・見本帳 客足とだえる 1936~1939 ・反ラマ教闘争 1944年以降 ・内モンゴル-政情不安定 モンゴルへ行くことが出来なくなる ↓ ラマ経典の印刷は多くの顧客を失う 1950年頃 ・燃料不足から、版木が燃やされる 炎ともえる髪をした野生の神に帰依する チンギスハーンの後継者らのラマ今日帰依の影響 ・シャマニズム ・現世のことのみに身をゆだねる 十六世紀後半 ・モンゴル人-チベット仏教とあらためて接触 ・ご利益の約束 ・理解できないことも多かった ・文学-モンゴル語&チベット語 背景には…政情不安定、 内紛→現世のものごとに対する倦怠と飽満 政策とほんものの信仰 皇帝も仏教を広める庇護を与える ・皇帝は北京での印刷を助成 ←モンゴル人の目をそらすため 仏典のモンゴル語印刷の背後にモンゴル貴族 やモンゴル諸侯の関与 ・仏典の複製と普及は功徳の多い行い 法悦を得るにはいくらかかるか あるハルハ・モンゴル王侯の息子は書物に二 千オンス寄附 ・ラマ教徒の極楽に生まれかわれるという希望 善き発願を記載する あとがき、「コロフォン」 ・歴史的消息が混じりこむ ・韻 ・17,8世紀のモンゴル作詞技術のきわめて美 しい例 印刷や聖典の助成にはモンゴル諸侯と、その 妻らが奨励していた
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