ティーカップの試練

ティーカップの試練
作者: グイノ・ジェラール神父
音楽: The legend of the Glass Mountain
作曲者: Giovanni Rota
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私は
ティーカップ
になる前は
粘土の塊でした。
ある日、有名な陶工が
私を掴んで、
強く私をたたきながら
粘土の中の
空気を抜いて、
新しい姿を私に
与えました。
勿論、その時、
私は全身が
凄く痛かったので
彼が台に私を
たたきつけるのを
止めるように頼みました。
しかし陶工は
笑いながら
「まだ、まだ」と
答えました。
しばらくしてから、彼は私を轆轤(ろくろ)の上に乗せ、めまいを起こして気分
が悪くなり、吐き気をもよおすくらい私を回転させました。 私は、どうして彼が
私にこんなに酷いことをするのか全く理解できませんでした。
長い時間の轆轤の急速回転がやっと終わると
次に、陶工は火の中に
私を入れました。
窯のガラスのはまった窓から
彼の顔が見えたので、
私は精一杯
ここから私を出すように
懇願しました。
しかし彼は頷くだけで、
私に微笑みかけながら
「まだ、まだ」と
だけ答えました。
そして、
急に陶工は私を
窯の外に出して、
今度は
私の表面のボコボコを
直すために
私を磨き始めました。
そして、
ブラシをかけた後、
彼は筆を使って
私の体に
色んな絵を描き、
綺麗な色を
塗り始めました。
しかし、毒性のある絵具のせいで、私は死ぬのではないかと思いま
した。 私は、気を失う前に必死の思いで「お願いです。 やめてくださ
い」と叫びました。
しかし、いつものように、陶工はニコニコしながら「まだ、まだ」と私に
答えました。それを聞いて直ぐに、私は気を失いました。
第二の窯の熱さで、
私は意識を
取り戻しました。
この窯は最初の窯よりも、
もっと熱かったので、
私は泣きながら
陶工に私をここから
出してくれるように
頼みましたが、
彼は相変わらず
微笑みながら
「まだ、まだ」と
言うだけでした。
私は再び意識を
失いました。
それはどれ位
続いたのか
分かりませんが、
「今だ!」という
陶工の声で
私は気が付いて
意識を
取り戻しました。
陶工は丁寧に自分の手で私を取りあげて、飾り棚に置きました。 そ
して私の前に鏡を出しながら「さあ、君を見なさい」と微笑みながら言
いました。
「えっ…!」私はびっくりしました。 なぜなら、私はとても美しいティー
カップになってしまったからです。 耐え忍んだすべての試練が、私を
変容させました。
驚いている私を見て、陶工は次の説明をしました。 「よく理解して欲しい。
私は君をたたいたり、成形した時、君が苦しんでいることをよく知っていました。
私の回す轆轤で君は気分が悪くなり、吐き気がすることもよく知っていました。
しかし、もし私が君に何もしなかったら、君はただ乾燥してかさかさに
なった粘土の塊でしかありませんでした。 この試練のお陰で、君の個
性が成長し発展しました。 勿論、窯の熱さは耐えがたく、忍び難い試
みです。 しかし、それを君が避けたら、君はあっという間にボロボロに
なってしまっていたでしょう。 ブラシの助け、そして毒性のある絵具の
お陰で君は魅力的な洒落たティーカップになりました。
今、君はとても煌(きら)びやかです。 確かに、第二の窯は恐ろしい試
練を君に与えました。 その結果、君は今、日常生活の思いがけない
出来事を乗り越える可能性を持っています。 私の苦労で、弱かった君
がとても忍耐強いものになりました。
君が知らない間に、
私は君の弱さから
揺るぎない力を
引き出しました。
私は最初から君を見て、
大切にしようと
決めていました。
なぜなら、君は
ずっと私と共に
留まるからです」と。
この話のティーカップはあなた自身です。 そして、陶工は神です。 昔、
預言者イザヤはこれに似たたとえ話を語りました。 「主よ、わたしたち
は粘土であり、あなたは陶工である。 わたしたちは皆、あなたの御手
の業です」(参照:イザヤ64,7)。
この世を作る前から神は私たちを愛し、選び、揺るぎない慈しみを注
ぎながら、人生の様々な試練を通して、絶えず愛の完成まで導きます。
この人生が終わるとき、神は完全になった私たちを見て「それはよし」
と言われるでしょう。
ご自身の姿にかたどって
人間を創造された時、
神がそれを言わなかったのは
(参照:創世記1,27)、
人間が完全になるためには、
成長をしなければならないからです。
ですから、神が私たちに
望まれることを
私たちは実現しましょう。
人生の様々な試練を乗り越えて 「神が完全であるように、
私たちも完全な者になりましょう」(参照:マタイ5,48)。
おわり