タブー

「食」に見る情報社会の秩序形成
~Eatable Computerを考えた~
土屋研究会 05年春学期 研究報告
環境情報学部3年 祖父江 塁
「食」とは何か
・「食べる」って何?
→「栄養補給」の他に「嗜好」「治癒・治療」「宗教・祝
祭」「社会的地位の誇示」「褒賞/処罰」などなど・・・
・「欲求」を満たしてくれる消費活動だ!
→「生理的」欲求(生存限界、安全保障)のみならず、
「社会的」欲求(自尊心の充足、自己実現)*も。
・・・シーンは挙げるとキリがない。
*アブラハム・マズロー『欲求階層』より
「タブー」とは何か
・しかし、むやみやたらに「欲求」を満たすだけでは社会が成り立たない!
=混沌・不明瞭・無秩序な「カオス状態」。
・「~してはいけない」という限度の線引き(タブー)により、初
めて「欲求」を抑制する枠組み(=秩序)が出来、維持される。
→整然・明瞭・秩序をあらわす「コスモス」が形成。
・「タブー」は“社会の安定に必要である”という、その社会の価値基準(信
念)*でつくられた禁忌。
*つまり社会により基準が異なる。
「食」タブー
・つまり「食タブー」とは、
「食による社会秩序の線引き」であり、文化装置である!
・しかし同時に「Aしてはい
けない」=「非Aしなけれ
ばならない」という側面を
持ち、その境界は曖昧。
食タブーに具体例を落とし
込んでみると・・・→
*「自己」は食べられない、「他者」は可食。要素として「既知」と「未知」
の遠近概念が生まれる。(山内昶(1996) を抜粋。)
「食」タブー
[栄養学の「食品」「食物」を先程の図に当てはめたもの。]
仮説:道具としての・・・
・「未知」から「既知」へ進むに従い、「他者」から「自己」に近づいていく。
その「自己でない既知の他者―未知でない(=既知の)他者間」がその社会
での秩序内許食域、つまりタブーの域内になる。
・逆を言えば、「食べることが出来るモノ」というのは「未知」から「既知」の許
食範囲内に引き込まれたモノであり、「未知」から来る恐怖というものは
それに比べて少なくなっている。
つまり、コンピュータを食べることが出来ればコンピュータが溢
れる情報社会に対する恐怖が少しは和らぐのでは?
↓
「食べられるコンピュータ(eatable computer)」を考えよう!
設計検討
・ハード面:
- 消化できる程の小ささには技術上現段階では出来ないので、吸収を一
切考えず体外にそのまま排出する形でなら出来る。
- しかし、コンピュータとしての組織を壊せないので噛めない。
・ソフト面:
- 加えて、化学物質でないと人間は味を感じないので「噛めない、味がな
い」では「嗜好」を満たしてはくれない。
- 「嗜好」以外のインセンティブを考えると、「治癒・治療」を目的とした「薬
*」としての役割であればソフトウェアとして成り立つ。
- 「薬」だって一般通念上「体内に取り入れられるもの」であるから、「可
食」概念の要素が当てはまる。
*「薬」は厳密な意味での「医薬品」とは区別して扱う。
先行研究との折衝(1)
・「カプセル内視鏡」
・2000年イスラエルのGivenImage社が『M2A』を、国内では2004年にオリ
ンパス社が周辺技術の開発成果を発表している。
・医療の世界では大きな意味がある。
患者の肉体的負担減、小腸検査の実現 など。
・ここ数年の「ナノテク・省電力化」という産業界の関心・進歩に押される形で
研究成果が上がってきた。
実際に「Eatable computer」はこのように医療の
現場では物理的には問題を解決し、開発の初期
段階を過ぎたともいえる。
[注釈先より引用。]
*http://www.olympus.co.jp/jp/news/2004b/nr041130capslj.cfm。
先行研究との折衝(2)
・ソフトウェア面
カプセル内視鏡に限らず、「薬」が社会に出るためには、「薬」としての
「有用性」を確かめるためにとめどなく実験を受ける。(治験)
しかし、治験が慎重を期されるといって
も「部分」を「全体」に演繹したり、「動物」
で確認したものを「人間」に当てはめたり
なので、統計学の力を借りて不確実な
予測を強いられる。
つまり、治験を通ると「不確実」という不
安に対して「医学」という権威により「安
全であるというお墨付き」をもらって市場
に出回ることになる。
[薬品開発での不確実性]
*図版は津谷、仙波『薬の歴史・開発・使用』2000,p14より引用。
先行研究との折衝(2)
・実は、この「医学」の権威が「薬」という患者が「未知」なものを口に運ぶ際
「既知」への引き込みを行い、不安を拭う言説構造を持っている。この言
説がトップダウンで「秩序の保証」を行っている。そしてその構造はタ
ブーという線引きによって厳重且慎重に保護されている。
・言説の構造が壊されると秩序が揺らぎ、カオス状態に戻る。
すると「新薬の認可が遅くなる」「拙速な薬品の認可がなくなる」ということが
同時に起こる。これは取捨選択が自由な、無秩序である故の魅力。
・また、秩序が古ぼけるとマンネリ化を招き、閉じた社会のエントロピーを増
大させ、カオスに向かわせる*2。
・この様に短期的にでもカオスとコスモスのせめぎあいがあると“風の入れ
替え”が如くコスモスが見直され、活力を取り戻す。
例:薬害エイズと医療不信
*特定の秩序(コスモス)を絶対善とする意図はない。
*エントロピー増大の法則
まとめると・・・
・「Eatable Computer」は実現の日の目を見ているが、「嗜好」という欲求を
満たしてくれない時点で大衆向けのものではなく、広く社会に衝撃を与え
るキラーツールとしての効果はあまり期待できるものではなかった。
つまり、情報社会に対するネガティブイメージを直接どうこうできる程のも
のではない、と考えられる。
・しかし、「未知」のものが「タブー」を飛び越え「既知」になることでカオスが
現状のコスモスを揺らがせ、新しい秩序に見直されていく。
その意味では「Eatable Computer」にはその様な社会的文化装置の役割
は確かにあり、「情報社会の秩序」を食の視点から改めて考えさせる議
論起こし道具としての価値はある、と結論付けたい。
以上です。