形式主義ではないか

なぜ「学びの共同体」なのか?
根津 朋実(根津朋實、Tomomi, NETSU, Ph. D.)
筑波大学准教授
國立臺灣師範大學客員研究員(2014.1-3)
[email protected]
2014年3月7日 於 國立嘉義大學民雄校區科學館I106階梯教室
通譯:林 明煌副教授
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はじめに
前半:日本の公立中学校の生活を、写真で紹介します。
後半:PPTで次の内容を説明します。
1 「学びの共同体」の理論的背景
2 日本での「協同学習」と「学びの共同体」との違い
3 「学びの共同体」をめぐる「私見」
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1 「学びの共同体」の理論的背景(1)
・現在の主な提唱者:佐藤学(1951- )
東京教育大学(現 筑波大学)卒業後、東京大学大学院へ
博士論文:20世紀初頭の米国単元学習に関する内容
・「学びの共同体」(learning community)とは...
→ 「学校が子どもたちが学び育ち合う場所になるだけでなく、教師たち
が教育の専門家として学び育ち合い、さらには親と市民も学校の事業に参
加して学び育ち合う学校を意味している」(佐藤2002:19)
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1 「学びの共同体」の理論的背景(2)
・学びの共同体としての学校の原理= 「民主主義」と「公共性」
→ 「「民主主義の原理」とは、政治的手続きとしての「民主主義」を意味し
ているのではない。多様な人々が多様性を尊重しあって共に生きる方法(a
way of associated living)[John Dewey 1927]を意味しており、その生き方の哲学
を意味している」(佐藤前掲:19)
→ 「もう一つの「公共性」とは、多様な人々が多様な文化を交流し共有の
価値を創造し保持する空間を意味している」(同)
以上の「民主主義」と「公共性」は、相補的な関係にあるとされる。
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1 「学びの共同体」の理論的背景(3)
・「共同体」(community)とは...
→ 「あえて定義すれば、市民社会(society)が社会契約を基盤として
成立しているのに対して、共同体は神話と歴史を共有する人々の集合
体として成立している。その中間に「協同社会」としてのアソシエーション
がある」(佐藤前掲:19)
→ 「アソシエーションは文化活動や暮らしや嗜好で結ばれた緩やかな
集合体であり、「学びの共同体」としての学校は、このアソシエーションと
しての人々の交わりと連帯によって形成される」(同)
「学びの共同体」の根底には、独特の(政治的な)理念が存在する
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2 日本での「協同学習」と「学びの共同体」との違い(1)
・「協同学習」(cooperative learning)とは...
「自分自身と他の学友たちの学びを最大にするために、小グループを
使って一緒に勉強させる学習指導法のこと」
(原田2009:217、ジェイコブス他2005:8から重引)
・「協同学習」の日本での系譜
1920年代(大正自由教育、新教育運動期)からの用例がある。
1950年代〜 集団主義(中華人民共和国、ソビエト教育学)とも関連。
今日でも、「学び合い」「班学習」等により、広く行われている。
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2 日本での「協同学習」と「学びの共同体」との違い(2)
・「学びの共同体」の日本での系譜(佐藤前掲他を参照)
1990年代末からの「新しい」言葉。
→ 認知心理学、社会構成主義、フェミニズム、ケア論等の影響
「教え」から「学び」への転換を強調。
→ 歴史的・理論的には、学習者(児童)中心主義の一種。
問題意識:
画一性、一斉教授、記憶再生型学習、個人主義、教師の権力性
→ 多様性、協同学習、有意味な学び、集団主義、教師の役割変容へ
「官僚制」による近代学校教育の克服、「生活」「経験」を指向
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2 日本での「協同学習」と「学びの共同体」との違い(3)
・「協同学習」と「学びの共同体」の関係(原田2009:217参照)
協同学習 :授業「技法」の一つ
学びの共同体:特定の理念をもった「集団」の型
→ 両者は同じではない(系譜の違い、技法と集団、等)
→ 協同学習は、学びの共同体を支える技法になり得る
しかし、学びの共同体は協同学習とは水準が異なる
・現在の日本では、両者が混同ないし混用される傾向もある
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3 「学びの共同体」をめぐる「私見」(1)
形式主義ではないか?
・4人一組、「コ」の字型の机の配置は、学びの共同体に限らない
例:発表者の経験
近年の「学び合い」
班学習 など
・「何を教えるのか」よりも「何を学ぶのか」が重視されがちで、
教育すべき内容が定まりにくい(おそらく、定めるつもりも無い)
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3 「学びの共同体」をめぐる「私見」(2)
権威主義ではないか?
主提唱者:佐伯胖、秋田喜代美、佐藤学(全員、東京大学(名誉)教授)
*佐藤学は現在、学習院大学(皇族専用の教育機関が起源)教授
報道媒体:NHK、岩波書店、明治図書、小学館、ぎょうせい、朝日新聞
→ マスメディア、高い威信、左翼系、リベラル系
*1996年には青木書店(マルクス主義系)から出版
→ 部分的に教職員組合活動との親和性も有する
「囲い込み」:東京大学関係者による強固なネットワークの存在
→ 例:国際集会プログラムの発表者は東京大学関係者が多数
特に、日本人は...
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3 「学びの共同体」をめぐる「私見」(3)
学術的な検証は十分か?
かつての「協同学習」や「集団主義教育」との連続性が不明
→ 事実:日本の博士論文タイトル数の比較
「学びの共同体」0、「学び合い」関連4、「協同学習」7
学術学会(発表、論文)での議論が十分とはいえない
→ 出版物(図書、書籍)や報道が中心的な発表媒体
一部を除き、佐藤学等のフォローに終始する傾向も
実践例は豊富(自治体単位もある)だが、科学的な検証は...?
文部科学省で定める『学習指導要領』にも出てこない
→ 中央行政の方針ではない、地方や各校の独自裁量による
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3 「学びの共同体」をめぐる「私見」(4)
批判を認めない構造を有するのではないか?
学習者だけでなく、教師も学び続ける必要性を強調
→ 授業改善、学校改善を志向
それ自体は「善」であり、批判・否定しにくい
真面目な教師の問題意識と見事に合致する
形式主義、権威主義が加わり、検証よりも普及が重視されると...
ますます誰も批判できなくなるのではないか?
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4 おわりに
恩師の秀逸な「だじゃれ」
「学びの共同体」ではなく、「(佐藤)学の共同体」
(推測)東アジア各国における「学びの共同体」の受容過程
「日本」・「東京大学」が持つ高い威信と権威
→ (元)留学生等を通じた強固な人間関係の形成
→ 権威に基づく海外での普及と伝播、「啓発」
...しかし、学術的な批判と検証は???
現時点では、「運動論」と理解すべき?
批判の無いところに発展は無い(自戒を含めて):「裸の王様」
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文献等
秋田喜代美(1996)「学びの共同体としての授業づくり・学校づくり」
『教育と医学』(慶應義塾大学出版会)44(9), 839-845.
原田信之(2009)「学びの共同体づくりの授業技法としての協同学習」
『岐阜大学教育学部研究報告 教育実践研究』 11, 217-224.
ジェイコブス、ジョージ他(関田一彦監訳)(2005)『先生のための
アイディアブック』日本協同教育学会.
佐伯胖、佐藤学、占部愼一、藤田英典編(1996)『学び合う共同体』
東京大学出版会.
佐藤学(2002)「学びの共同体の系譜」『国立女性教育会館研究紀要』6,
15-25.
http://ci.nii.ac.jp (論文検索サイト 「サイニィ」)
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ご清聴ありがとうございました。
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