第四章 明治後期の文学 (1906~1912) 概要と時代背景 • 概要:自然主義文学、余裕派、耽美派 • 時代背景:日露戦争の戦勝 第一節 自然主義文学運動 • 自然主義とは 「ナチュラリズム」の訳語である。 19世紀末にフランスで提唱された文学理論に基づく 作品、およびそこから影響を受けた日本の20世紀 前半の文学のこと。 日本における自然主義 (前期) ゾラの影響(天外、荷風) 写実主義 自然観の進化・ リアリズム手法 の発展 (成立) 自然主義 評論 『破戒』 秋声・白鳥・泡鳴 『蒲団』 自然主義文学運動(1906年からの約10年間) • • • • 自然主義文学運動の思想的特色 日本自然主義文学運動の意義 日本自然主義文学のジャンルおよび代表人物 日本自然主義文学の結末 • 結末:自然主義の徹底した傍観的態度は現実暴露( ばくろ)を感じさせるだけの無解決の文学であったため 、1910年にはほぼ運動の頂点を越えた。以後も大正 から昭和にかけて日本独自の文学といわれる心境小 説・私小説の成立について、自然主義文学はその原 点と考える。近現代の全般にわたって、その影響は大 きい。(日本の自然主義は自己告白が主流になって、 私小説や心境小説への道を歩むこととなった。) 第二節 自然主義文学創作 • 小説:島崎藤村、田山花袋 • 詩歌と評論:石川啄木、島村抱月 島崎藤村 • 『破戒』とその意義 自然主義文学の出発点 夏目漱石は、『破戒』を「明治の小説として は後世に伝ふべき名篇也」と評価した。 「えた」部落差別について • 穢多は、穢(けが)れが多い仕事をするとして「穢多」とい う字を当てたと言う説があります。 • 日本では殺生(せっしょう)を嫌う仏教と、血を穢れとして 嫌う神道(しんとう)の両方の影響から、動物の死体を扱 うことを忌む(いむ)思想があった。 • 牛馬(ぎゅうば)を殺して皮を剥ぐ(はぐ)仕事をしていた ところから、差別を受けていた人びとに対する呼称 「えた」部落差別について • 江戸時代の身分制度 • 江戸幕府は「士」の下に「百姓・町人」を、さらに その下に常に人々から差別される存在として「 穢多」「非人」(ひにん遊芸、刑場の雑役などに 従事した人)という身分をつくり出しました。 「えた」部落差別について • この身分の人々は「キヨメ」の力を持つと考え られていたこともあり、「ケガレ」に深く関った死 牛馬(ぎゅうば)処理や皮革(ひかく)の生産など を業務として課せられました。しかし、時代の変 化のなかで「ケガレ」の意識のほうだけが強くな っていったのです。 「えた」部落差別について • 「穢多(えた)」「非人(ひにん)」の身分は「明 治」の解放令(1871年)によって消滅しましたが、 明治政府が差別を解消するための政策をつくらなか ったために、何百年も続いた部落差別は変わらず社 会の中に残り続けました。被差別部落の人々は社会 の最底辺(ていへん)におかれ、1922年には被差別 部落の人たちが自ら解放を求める「全国水平社」が 設立されましたが、差別はなくなりませんでした。 「えた」部落差別について • 1969年の「同和対策事業特別措置法」以降、今日まで 施行されてきた同和対策事業によって住環境面ではさ まざまな改善が目に見えて成果を上げてきましたが、し かし、教育、仕事をはじめとした生活面ではなお問題が 残されており、部落の人々に対する偏見も根深く、部落 差別は決してなくなったわけではありません。 • 「いまなお部落差別がありますか」との問いに対しては、 75.4%が「ある」と回答しています。 • 『破戒』の意義: • 1)「部落民」を見下す不合理な封建的身分制 度を批判し、人間解放の大きな社会問題を提起 している。 • 2)職業や階層により人物が描き分けられ、人 物の性格や心理の描写も優れている。 • 3)文体も完全な口語文体で貫かれていて、画 期的なものである 田山花袋 • 島崎藤村とともに自然主義文学の双璧。 • 代表作:『蒲団』、『田舎教師』 • 『蒲団』とその意義 意義:日本自然主義の確立を告げた。 「自己の内なる真実の表現こそ文学の本道」とい う文学観を確立して、日本自然主義の方向を決定して いたばかりでなく、私小説という日本独特の小説形式 が流行する端緒を開いた。 最後の原文http://v.ku6.com/show/QVtnwQdoPKNfBDdc1KDoA...html • 別れた後そのままにして置いた二階に上った。懐かしさ、恋しさの余り 、微(かす)かに残ったその人の面影(おもかげ)を偲(しの)ぼうと思 ったのである。武蔵野の寒い風の盛に吹く日で、裏の古樹には潮の鳴るよ うな音が凄(すさま)じく聞えた。別れた日のように東の窓の雨戸を一枚 明けると、光線は流るるように射し込んだ。机、本箱、罎(びん)、紅皿 (べにざら)、依然として元のままで、恋しい人はいつもの様に学校に行 っているのではないかと思われる。時雄は机の抽斗(ひきだし)を明けて みた。古い油の染みたリボンがその中に捨ててあった。時雄はそれを取っ て匂(にお)いを嗅(か)いだ。暫(しばら)くして立上って襖を明けて みた。大きな柳行李が三箇細引で送るばかりに絡(から)げてあって、そ の向うに、芳子が常に用いていた蒲団――萌黄唐草(もえぎからくさ)の 敷蒲団と、線の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。時雄は それを引出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず 時雄の胸をときめかした。夜着の襟(えり)の天鵞絨(びろうど)の際立 って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを 嗅(か)いだ。 性慾と悲哀と絶望とが忽(たちま)ち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲 団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。 薄暗い一室、戸外には風が吹暴(ふきあ)れていた。 日本自然主義文学の特異性 • 日本の自然主義文学は、思想的に強烈な自我意識を 押し出すことによって、「自然派にしてロマン派的性格 を兼ね備え、かつ後者の果たすべき役割を果たした」 ということである。 • 虚構性の否定、社会性の欠乏が日本自然主義文学 の基本的な特色である。彼らは事実の「真実」を追究 するが芸術上の真実性を忘れ、私小説の誕生を促す ことになった。 • 社会問題に対する「無理想無解決」の傍観的態度で、 実行を避け、観照(直観)に徹し、現実の醜悪と暗黒 の暴露に始終した。 経験的事 実と自己 告白 人間の醜悪 の面だけに 限られる 合理主義 と自然科 学の影響 日本の 自然主 義文学 社会性と 科学性に 欠ける 反自然主義 • 自然主義の理念と方法に反発・対立する文学傾向。 明治末・大正中期。自然主義文学が私小説への傾斜 を滑っていく中で、はじめから彼らとは異なる立場にあ って人生や現実との対決した作家に夏目漱石と森鴎 外の二大文豪があり、彼ら二人の影響のもとに、耽美 派・『白樺』派・新思潮派の新しい大正文学が興ってき た。 夏目漱石 『吾輩は猫である』 森鴎外 『青年』『雁』 第三節 近代文学の双璧(一)・夏目漱石 • 概括:西洋化を急ぐ日本社会と、その中に生きる人 間の心理とを鋭く分析しまた痛烈に批判した文学者 であった。近代日本の代表的作家であり、最も多く の読者を得た作家の一人と言えよう。国民的大作 家ともいえるほどの根強い人気を持ちながら、「漱 石山脈」といわれる多くの門下生を育てたことも無 視できない。 作家誕生: • 大器晩成(1905年・39歳) • デビュー作:『吾輩は猫である』 「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと 当がつかぬ。」という書き出しは有名である。 • 意義:人間社会への批判 社会的責任意識 • 生まれてすぐに捨てられた猫の「我輩」は、中学教 師の苦沙弥の家に住み着く。明治のいわゆる知識 人たちや金の亡者金田一族のような人間を猫の目 を通して風刺的に描いた。日本近代文学史上風刺 小説の傑作であり、知識人の虚偽を批判すると同 時に、これらの知識人を通してブルジョアジーの本 質を暴き、金権主義を鋭く批判して、明治政府の官 僚、警察などを辛辣に風刺している。 『坊ちゃん』の冒頭部分 親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている 。小学校 にいる時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かし たことがある。なぜそんなむやみをしたと聞く人があるかも知れ ぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら 、同級生の一人が冗談に、いくら威張ってもそこから飛び降りる ことはできまい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶ さって帰ってきた時、親父が大きな眼をして二階ぐらいから飛び 降りて腰を抜かす奴があるかと言ったから、この次は抜かさず に飛んで見せますと答えた。 親類のものから西洋製のナイフを貰って奇麗な刃を日に翳 して、友達に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうも ないと云った。切れぬ事があるか、何でも切って見せると受け 合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐ らいこの通りだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだ。幸ナ イフが小さいのと、親指の骨が堅かったので、今だに親指は手 についている。しかし傷痕は死ぬまで消えぬ。 • 前期:「自己本位、エゴイズム」 『虞美人草』、『坑夫』、『三四郎』、『それから』、『門』 • 後期:「則天去私」(小さな私を去って自然にゆだね て生きる) 『彼岸過迄』、『行人』、『こころ』、『道草』、『明暗』 • 前期は1905年『吾輩は猫である』の発表から、1907 年朝日新聞に入社するまで。この時期の本職は講師 で、小説は余技として書かれた。渋い傍観者的な立場 で、人間や社会を笑い、風刺するのが特色であり、明 るい作品が多い。 • 中期は朝日新聞社に入社して職業作家の生活をはじ めから、1910年修善寺療養まで。続いて発表した『三 四郎』、『それから』、『門』は中期の三部作と呼ばれた 。この時期は笑いと傍観の立場を捨てて、人間の真実 と社会現実との葛藤を中心テーマとしているのが特色 である。 • 後期は1910年修善寺の大患以後の時期で、主な 作品に『彼岸過迄』、『行人』、『こころ』という後期三 部作、自伝的作品『道草』、死により中絶された『明 暗』がある。修善寺の大患で一時的な「死」を経験し たことが、漱石の人間観、死生観に大きな影響を与 える。この時期の中心テーマは人間内部に巣食うエ ゴイズムの追求であり、暗く重い作品が多い。 • 作風:漱石は余裕派、高踏派などと呼ばれ、鴎外と ともに、反自然主義の立場で活躍した。東西の幅広 い知識を背景に、小説・俳句・漢詩などさまざまなジ ャンルに渡った作品を残している。非人情を理念と して出発しエゴイズムの解剖を経て、やがて「則天 去私」の世界(『明暗』を通して)を目指した。 第四節 近代文学の双璧(二)・森鴎外 鴎外の道 前期浪 漫主義 高踏派 歴史小説 史伝 ロマン主義と象徴主義の間に起こったフラ ンス詩の1文学様式を指す。 • 森鴎外の後期活動:小倉左遷以来、中央文壇を離 れた鴎外は、日露戦争から帰ってきて、「スバル」を 拠点に文壇に復帰した。 • その原因は、1)陸軍における位置が安定し。2)「ス バル」が創刊され、著作発表の機関となり。3)自然 主義文学への反感。4)夏目漱石が1905年以来、 次々に傑作を発表して文名を高めたので、それに 刺激されたことである。 • 文壇復帰時代 『半日』、『青年』、『雁』 • 歴史小説時代 『山椒大夫』、『高瀬舟』など • 史伝時代 『渋江抽斎』など 鴎外の生を一貫するものは、官僚にして文学者とし て生き抜いてきた姿勢から生まれる公と私、封建と 近代、西洋と東洋、保守と合理、国家と個人という 二元的矛盾であった。『舞姫』『雁』『高瀬舟』『寒山 拾得』などの作品は、このような矛盾から生まれた 作品で、近代日本の二元的矛盾が如実に反映され ているし、鴎外自身の精神のありかたの証明でもあ ったと言える 近代文学の双璧 夏 目 漱 石 森 鴎 外 • 経歴 作風・思想など 東大文学部卒・ 文学部講師・朝 日新聞社客員・ 文学博士号辞 退・その他肩書 なし (イギリス留学) 道義的心理的洒脱・ 俳諧的 「エゴイズム」から「則 天去私」へ 東大医学部卒・ 医学博士・文学 博士・軍医総監 ;医務局長・帝 室博物館長・・・ (ドイツ留学) 倫理的教化的主知的 傾向 現実との関係のある 倫理問題の追求 共通事項 反(非)自然主義 文学者 夏目漱石と森鴎外 • 望まれぬ末子として江戸の町方名主の家系に生ま れ、薄幸(はっこう)な少年時代を過した漱石が 反官的(国家に反抗する姿勢)な態度を貫いた事 に対して、津和野藩典医の長男として早くから家 族中の期待と愛情により育てられた鴎外は死ぬま で国家官僚の職を歴任し、官側の人間で在り続け た、という対照が在る(夏目漱石は「余裕派」と 呼ばれた)。しかし、その一方では二人共、「自 然主義文学」の姿勢とははっきりした距離を保ち ながら洋の東西を問わぬ広い知識を以て文学活動 を進め、歪んで行く近代化に於ける価値観の主流 に於いても自分達の認識をしっかりと見据え、後 続の文学世代に相応の影響を与えた(森鴎外は「 高踏派」と呼ばれた)。 耽美派の美 自然主義 (真) 白樺(しらかば)派の善 新思潮派の技巧 耽美派 永井荷風 白樺派 新思潮派 武者小路実篤 芥川龍之介 谷崎潤一郎 志賀直哉 第五節 耽美派 • 1 耽美主義:唯美主義とも言う。 広義:真実や道徳ではなく、美的享受および美的形式 に最高の価値をおく人生観ないし世界観のことであ る。 文学の立場:卑小な人間とその醜悪な暗い側面を追 求する自然主義文学に反発して、美を人生の最高 のものとし、人生の意義は美の享楽と創造にあると 主張する。 唯美 主義 • + 官能享 楽主義 耽美主義 • 特徴:美を最高のものとする芸術至上主義の立場を 取り、精神よりも感覚を、内容よりも形式や技巧を、 写実より虚構を重んじ、論理的価値や道徳的意識 から超然として独自の美の世界を築く点では、共通 している。 奇抜(きばつ)、新鮮、デカダンスを求める傾向は 往々にして極端なところまで行って、悪の内の美を 認めることもある。 2 日本における耽美主義 • 反自然主義文学として登場した。 • 明星派の浪漫主義から官能や情緒などを受け継ぎ、頽廃(たいは い)的な耽美享楽の傾向を示した。 • 背景:1900年代末から1910年代半ば頃にかけて文壇の新しい主 流を形成した。日本資本主義の異常な発展と、これに伴う都市文化 の全盛 (自然主義文学が地方出身の知識青年を主体とする農村 型の文学であるとすれば、これは、近代資本の成熟を土台とする 都市型の文学である。 • 発足(ほっそく)のシンボル:『スバル』の創刊 • 詩歌:『スバル』派 散文:永井荷風と谷崎潤一郎 • 平安時代に清少納言が「星はすばる・・・」 と星々の中でこのすばるが最も美しいと たたえたように、すばるは冬の夜空に輝 く星々の中でも最も魅力的な星です。 • 「すばる」とは、「たくさんのものをむすんで 一つにまとめる」という意味の言葉から来てい ます。 谷崎潤一郎:女性崇拝・官能 • 「悪魔主義」から古典復帰へ 官能美の賛歌:『刺青』、『痴人の愛』 古典復帰:『春琴抄』、『細雪』 • 悪魔主義:もともと19世紀末に、 ヨーロッパにあらわれたもので、 醜悪、怪異、怪奇、恐怖などに、 美を見出したり、求めたりする考 え方です。退廃的で、反社会的な 傾向も見られます。ボードレール や、ワイルド、バイロンなどがそ の代表的作家です。ある意味、悪 趣味な耽美派といえます。 • サタニズム • <概括>谷崎は約六十年の間第一線の作家としてひたすら小 説を書き続けた。作風の変化に応じて、悪魔主義、耽美主義、 変態性欲的、古典主義などと呼ばれたが、詮ずるところ生涯を 通じて追求したのは、被虐的な性向をもった男性にとっての理 想の女性(女性崇拝、官能美崇拝)とはいかなる存在であるか ということであった。 • <文学的活動>:1)初期(1910~1923)耽美主義、悪魔主義 の時代である。『刺青』『麒麟』などを発表し、新時代の文学到 来を告げる鮮明な旗印であった。『悪魔』『続悪魔』などの作品 で悪魔主義の作家としての名をほしいままにする。2)後期( 1924~1965)古典主義の時代。大震災を経験した谷崎は関西 へ移住し、『痴人の愛』『蓼食う虫』『春琴抄』を書き出して、日本 古典への回帰を示した。そして、1938年から谷崎は『源氏物語 』の現代語訳の仕事に専念しはじめる。戦後、終生のテーマを 古典の世界に生かした作品が続き、『細雪』などを発表した。 あらすじ 江戸の刺青(ほりもの)師・清吉は、美しい 女の肌に自分の魂を彫りこむことを念願し ていた。ある夏の夕方、駕籠(かご)の簾か らこぼれ出た、まっ白な女の足に魅せられ た。そして、その娘が姉芸者の使いで清吉 宅を訪れたとき、清吉は中国・殷の暴君・ 紂王(ちょうおう)の寵妃(ちょうひ)が処刑 される男を喜び眺めている絵などを見せる 。娘の瞳は輝き、彼女の心中にひそむサ ディズムと悪魔性を知る。清吉は娘に麻酔 薬をかがせて、その背にみごとな女郎蜘 蛛を彫った。刺青が完成したとき、娘は、 男を肥やしにして肉体を誇ろうとする妖婦 の心になっていた。 特色 • 女性の内奥(ないおう)に潜んで入魔性とマゾヒズム ・サディズム的傾向が明確に表現されているし、女性 の官能美の前で優位だった地位から逆転して、抹殺 されむくろにされた男性像も谷崎文学の本質を突い た。もう一つ注目すべきは、女性の美しい足への執 着で、拝物教的なフット・フェティシズムは晩年にい たるまで谷崎文学の特質の一つとなるが、この処女 作にすでに現れている。 冒頭 • 其れはまだ人々が「愚(おろか)」と云う貴(とうと)い 徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋(きし) み合わない時分であった。 • すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であっ た。 • 「自我」への否定:功利主義、利己主義への否定 • 耽美、官能の世界を作ったのは現世に抵抗 しようとしたためである。 マゾヒズム(受虐狂) • 刺青師の快感 • 微笑んで激しい苦痛に耐えた娘 フット・フェティシズム(物恋) • 「鋭い彼の眼には、人間の足はその顔と同じように複雑な表情を持 って映った。」 • 「拇指(おやゆび)から起って小指に終る繊細な五本の指の整い方、 絵の島の海辺で獲れるうすべに色の貝にも劣らぬ爪の色合い、珠 のような踵(きびす)のまる味、清冽な岩間の水が絶えず足下を洗う かと疑われる皮膚の潤沢。」 • 清吉は、この足の持ち主こそ、自分が彫るべき女だと直感するも、 彼女の乗った駕籠を見失ってしまう。 彼の足への憧れは、激しき恋に変わり、四年が過ぎる。 で、偶然彼の家にお使いにやって来た娘を見て、「あの女だ」と確信 するわけです。 「顔を見るのは始めてだが、お前の足にはおぼえがある。」 刺青の意味合い • 情人同士で契り合うために血を流し肌を刻みあうと いう愛情の証 • 一生消えない「印」を刻むまた罪人に課せられた「烙 印」にも「入れ墨」は用いられた。 • 「日陰」、「悪」:清吉の求めたものは、決して正しく高 尚な芸術ではなかった。社会的に認知された、健全 で淡白な美ではなかった。想であったからこそ、清 吉は正統な「芸術家」であることを放棄し、「堕落」し た「刺青師」となって悪夢の実現を求めたのである。 谷崎美学 • 「悪」(本能)に対して肯定しない。 • 禁忌だからこそ、刺激、快感をもたらした。 • 単純な官能美 • 大阪道修町(どしょうまち)の薬種商鵙屋(もずや)の 娘琴(号、春琴)は、九歳のとき失明したため、琴三 弦に生き、名手と称えられた。奉公人の佐助は、春 琴に献身的愛を捧げ、やがて二人の間に子供まで 生まれるが、春琴は佐助との関係を否認する。わが まま勝手な春琴はある夜何者かに熱湯を顔に浴び せられ、火傷を負う。佐助は自分の両目を針で突き 、美貌のままの春琴を綱膜に焼き付けようとした。 作者の女性崇拝を純化、古典的文章に定着した名 作。 • 春琴抄 http://v.youku.com/v_show/id_XNDQ5ODU0Njg. html • 細雪 http://www.tudou.com/programs/view/GsakMIM WQPk 細雪 • 長編小説。大阪・船場の豪商・蒔岡家の美人の四人 姉妹、鶴子(つるこ)・幸子(さちこ)・雪子・妙子(たえこ )の生活と運命の物語。舞台は、婿養子・貞之助(さだ のすけ)を迎えて分家(ぶんけ)した次女幸子一家が 中心。 • 世相は日中戦争など険しい中、貞之助一家は、音楽 会・舞踏の会・料理屋・春の花見・夏の蛍狩り・秋の月 見と明るく華やかな生活を享楽する。昭和16年、35歳 になってもなお若く美しい雪子が、華族出身の御牧( みまき)と言う男との縁談がまとまり、上京するところ で物語は終わる。 女多 性芸 妙多 子才 な 近 代 の京 強美 い人 雪だ 子が 、 内 気 で 芯 な派 次手 女で 幸世 子話 好 き の地 長味 女な 鶴主 子婦 型
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